262.全部食べたい、幸せの味
おにぎりを食べ終え、私たちは食後のお茶をいただいていた。
その温もりは、お腹の中だけでなく、心にもゆっくりと沁み込んでいくようだった。
「……すっごく美味しかったですっ。お腹いっぱいですよ~!」
フレイヤ様が両手でお腹を押さえ、満面の笑みを浮かべる。
この小柄な身体のどこにそんなに入ったのか……思わず私は目を丸くしてしまう。
「お口に合ってよかったです」
嬉しくて、思わず微笑みながらそう言うと、隣に座っていたミランダお姉様がふっと目を細めた。
「でも……ほんとうに四個も食べるなんて。ちょっと驚いたわ」
呆れたような声ながら、その表情はどこか楽しげ。
フレイヤ様は少し肩をすくめて、照れたように笑った。
「だって……どれも美味しくて、一つに絞るなんて無理だったんですもん」
「うふふ……たしかに、そうね」
ヴィオレッタ様が、くすくすと上品に笑う。
口元に添えられた指先からは、まだほのかにおにぎりの香りが残っていそうな気さえした。
「本当に美味しかったわ。こんなに食事が美味しいと感じたの、もしかしたら初めてかもしれない……」
少し首を傾げながら、ヴィオレッタ様がしみじみと語る。
「おにぎりって不思議な食べ物ね。口に入れればほろほろとほどけるのに、形は崩れない。
お米って、こんなに繊細で、あたたかみのあるものだったのね」
「味ももちろんですが……香りも素敵でした!」
フレイヤ様がすぐに頷きながら続ける。
「しらすの香ばしさもありますけど、お米そのものの香りがふんわりしていて……なんだか安心するんです。初めてなのに、懐かしいような気がして……」
その言葉と笑顔に、私の胸もじんわりと温かくなった。
「うちのお米を、そんなふうに感じていただけて……本当にうれしいです」
それは誇らしさとも照れくささとも違う、静かな喜びだった。
何度も失敗して、皆で力を合わせて育ててきたお米。
その味が、誰かの心に届く“おいしさ”になった──その実感が、今、胸にしっかりと沁みこんでいた。
「次に来たときは、また違う味も試してみたいわね」
「“本日の味噌汁”も日替わりなんですよね? 次はどんなスープか、気になっちゃいます!」
「ええ。味噌の種類や出汁もいろいろありますから、ぜひ楽しみにしていてくださいね」
期待に満ちたふたりの横顔を眺めながら、私はそっと微笑んだ。
おにぎり一つが、こんなふうに人と人をつなぐなんて──。
ほんの数年前、米作りを始めたばかりの頃には、きっと想像もつかなかった光景だ。
「おにぎりも味噌汁も、今ここに並んでいるもの以外にも、たくさんの種類があるのよ」
ミランダお姉様が、ふふっと楽しげに笑う。
その言葉に、ヴィオレッタ様とフレイヤ様は同時に目を見開いた。
「お味噌汁はともかく……おにぎりって、十種類以上並んでるわよね?」
「えっ……これ以外にも、まだ種類があるんですか!?」
驚きながら口元を押さえるヴィオレッタ様とは対照的に、フレイヤ様は勢いよく椅子をガタンと鳴らして立ち上がり、ミランダお姉様に詰め寄った。
「こら、フレイヤ。お行儀が悪いですよ」
「す、すみませんっ! でも、おにぎりにそんなに種類があるなんて……っ!」
目を輝かせて声を上げるフレイヤ様に、思わずみんなが笑ってしまう。
ほんの一杯のお茶と味噌汁、いくつかのおにぎりがもたらしたこの賑やかさが、なんとも心地よかった。
「おにぎりも味噌汁も、いろんな具材が合うのよ」
得意げに笑うお姉様に、私もこくりと頷く。
「ええ。海のもの……しらすや鮭、おかかはもちろん、野菜やお肉、卵やチーズだって合うんですよ」
すると、喜んでもらえると思ったその直後──ふらりと椅子に座り直したフレイヤ様が、ゆっくりとヴィオレッタ様に顔を向けた。
「ど……どうしましょう。まさか、おにぎりに……そんなにたくさんの種類があるなんて……」
その真剣な表情に、ヴィオレッタ様はお茶をひと口含んでから、にこりと微笑む。
「そうね。これは──何度もクリスディアに遊びに来させていただかないといけないわね」
その言葉に、ぱっと目を輝かせるフレイヤ様。
「はいっ、また来ましょう!」と嬉しそうに言いながら、お茶をもう一口すすった。
その姿を見て、ミランダお姉様がくすっと笑う。
「おにぎりだけで、こんなに盛り上がるなんて……思ってもみなかったわ」
「だって、美味しかったんですもん! しかも種類がいっぱいあるって言われたら……全部制覇したくなりませんか?」
フレイヤ様が机の上で拳を握りしめて言うので、つい私も笑ってしまった。
……なんだか、どこかの誰かさんみたい。
頭の中に浮かんだのは、かつて全種類制覇を果たしたあの人、エレーネさんの顔。
ふふ、次に来るときには、あの話もしてあげよう。
「ふむ……。
実は常連さんの中には、“全種制覇チャレンジ”をしている方もいらっしゃるんですよ。
スタンプカードなんかを作ったら、面白いかもしれませんね」
その一言で、フレイヤ様の瞳がぱあっと輝いた──まるで次のおにぎりに、もう出会ってしまったかのように。




