261.梅しらすと、努力の結晶
街へと続く石畳の道を、私たちはゆっくりと歩いていた。
陽射しはやわらかく、海風がスカートの裾をふわりと揺らす。
ふたりともドレスではなく、質素ながら丁寧に仕立てられたワンピース姿。
それだけで、ぐっと“普通の娘”らしく見えるのが、なんだか面白い。
やがて、見慣れた“あの”店構えが視界に入ってくる。
木の看板には、手書き文字で《おにぎり ONIGIRI》と記されていた。
この店の味をよく知る私は、自然と足が速くなっていた。
「わあ……ここが、あの噂のおにぎり屋さん……」
「ええ。とても美味しいんです。お米はすべて、うちの専属農家のものですし、素材の多くもクリスディア産なんですよ」
「へえ……それは期待しちゃうわね」
店の前に並ぶ人の列も落ち着いていて、今はちょうど入りやすい時間帯のようだった。
「いらっしゃいませー!」
元気な声とともに、おにぎり屋の看板娘・ミアちゃんが、笑顔で出迎えてくれる。
あたたかく、気取らない、いつも通りの接客。
……けれど、その視線が一瞬だけヴィオラ様に釘付けになったように見えたのは、たぶん気のせいじゃない。
「ティアナ様、ミランダ様! 今日は素敵なお連れさまもご一緒なんですね~!」
「ええ、友人なの。ウィルソールから遊びに来てくれたのよ」
「そうなんですね! ぜひ“本日のおすすめ”も召し上がってください! 今日は梅しらすが人気ですよ~!」
「そうなのね、ありがとう」
ふたりに視線を向けると、「梅しらす……美味しそう!」と目を輝かせていた。
そのまま注文を決める。
「じゃあ、おすすめを人数分、お願いするわ」
「はーい!」
厨房に声が通ると、間もなく炊きたてごはんの香りが店内いっぱいに広がった。
それだけで、お腹が鳴りそうになる。
「……うう、いい匂い……」
フレイヤ様が、思わず切なげに呟く。
「ミアちゃん、席は空いてる?」
「もちろんです! 午前中にリズ様から“ティアナ様が、お客様を連れていらっしゃるかもしれません”ってご連絡があって」
思わずリズを見ると、彼女は「大したことではありません」とでも言うように、軽く頷いた。
「フレイヤ様がおにぎりの話をされたときに、もしかしてと思いまして」
「すごい、リズ!」
「さすがはエリザベスね」
私と同時に、ミランダお姉様も微笑みながら彼女を褒めた。
そのままカウンターを抜け、奥の席へと向かう。
「飲み物はどうしましょうか? 緑茶がセットになっていますが、慣れた紅茶や果実水もご注文いただけますよ」
「緑茶……?」
やはり、おふたりには馴染みがない様子だった。
緑茶もまた、日本食とともに私がこの地に広めたもののひとつ。
「とりあえず緑茶を出してもらって、苦手だったら別のお茶を頼めばいいんじゃない?」
ミランダお姉様の提案に、ふたりは笑顔で頷く。
「ぜひ、それでお願いするわ」
「おにぎりだけじゃなく、緑茶という飲み物まで……楽しみです!」
ほどなくして、湯気の立つ木の盆にのせられたおにぎりと味噌汁が運ばれてきた。
ころんと丸みを帯びた三角。ほんのりと光る米粒。
梅しらすの香りがふわりと鼻をくすぐり、湯気の向こうでごくりと唾を飲む音がした。
「はい、お待たせしました~。梅しらすがこちら。そして本日のおまけは、鯛のあら汁です。よろしければご一緒にどうぞ!」
「まぁ……“おまけ”だなんて、素敵な文化ね」
ヴィオラ様が目を細め、感心したように微笑む。
「ここのおにぎりは、見た目よりもずっと満足感がありますから。きっとご満足いただけると思いますわ」
ミランダお姉様がひとつ手に取り、そっと口元へ運ぶ。
指先に伝わる、ふんわりとした温もり。
ふんわりと握られたごはんが、口の中でほろりとほどけて、梅としらすの風味がやさしく広がる。
「……やっぱり、ミーナのおにぎりは格別ね」
思わずこぼれたその言葉に、ヴィオラ様とフレイヤ様も顔をほころばせた。
そして、それぞれがおにぎりを口に運ぶ。
「ん……っ、美味しいっ。お米って、こんなに甘いものだったんですね……!」
「しらすも香ばしくて、食感が絶妙……これが、平民たちの日常の味なのね……」
「いえ、日常といっても、ここのおにぎりは少し特別なんです」
私は微笑みながら言った。
「このお米は、数年前から改良を重ねて作られた新しい品種なんです。最初はまったくうまく育たなくて、何度も失敗して……でも、今ではこうして、おにぎり屋をはじめ、いろんなお店に並ぶようになりました」
「そうだったんですか……?」
フレイヤ様が驚いたように目を見開く。
「じゃあ、今私たちが食べているのは、その努力の結晶なんですね」
「ええ。農家の皆さんや料理人たちの協力があってこそ。私は……ほんの少し、手助けをしただけですけど」
「ほんの少し、なんて……」
フレイヤ様の瞳に、尊敬と、どこか憧れのような光が宿っていた。
「……でも、その“少し”があったから、私たちは今、こんな幸せを味わえているんですね」
その言葉に、胸がじんわりとあたたかくなる。
「あ、こちらの鯛のあら汁も、ぜひ飲んでみてください」
私は笑顔で、椀に口をつける。
「丁寧に出汁を取ってあるので、臭みもありません。おにぎりにもよく合いますよ」
「“あらじる”?」
「変わった色と匂いですね……」
ふたりは不思議そうに、お椀の中をのぞき込んでいた。
「このおにぎり屋では、日替わりで“味噌汁”というスープが出るの。
今日は鯛のあら汁だなんて……運がいいわね」
ミランダお姉様がにこりと笑い、そっと椀を手に取る。
ひと口すすると、ふぅっと息を吐いて、優しく微笑んだ。
「……ほっとする味ね」
湯気の向こうで微笑むミランダお姉様を見て、私もふっと笑みをこぼした。
あの日々の努力が、こうして“おいしい”の一言に結ばれていく──。
それだけで、胸の奥がじんわりと満たされていくのだった。




