257.守るべきもの、差し出したもの
フレイヤ様とミランダお姉様の話によると──
アルベルト殿下は深く頭を下げたまま、静かに口を開いた。
「……あの日の出来事について、心からお詫び申し上げます。
本来であれば、もっと早く謝るべきでしたが……なかなか二人きりでお話しする機会がなくて。こんなに遅くなってしまいました」
その声は落ち着いていて、けれど確かな意志を感じさせた。
まるで、長いあいだ胸の奥にしまっていた思いを、ようやく言葉にできたかのように。
フレイヤ様は驚きと戸惑いの入り混じった表情で、慌てて手を振った。
「や、やめてください、殿下! 頭を下げるなんて……そんな、悪いのはアタマカール殿下であって、殿下では──」
けれどアルベルト殿下はゆっくりと顔を上げ、そのまままっすぐにフレイヤ様を見つめた。
「……それでも、私は“王族”です」
その黄金の瞳には、ただの謝罪ではない、責任を受け止める者の強い覚悟が宿っていた。
「王族として、ヴィオレッタ様と君を守るべきでした。
そして、異母弟として──兄の暴走を止める立場にあったのは、私なのです。
それができなかったことを、心から申し訳なく思っています」
フレイヤ様は、言葉もなく、ただ静かにその想いを受け止めていた。
アルベルト殿下の声には、言い訳も、責任のなすりつけもなかった。
あったのはただ、自らの立場と過去に真正面から向き合う、真摯な姿勢だけだった。
思わず顔を見合わせるフレイヤ様とお姉様。
ふと視線を落とすと、そこには──
「王族には不釣り合い」と揶揄された、ふさふさとした立派な尻尾があった。
*
今、私の目の前で話しているミランダお姉様が、ふっと微笑んだ。
「皮肉な話よね。
“王族らしくない”なんて言われたその尻尾を持つアルベルト様こそが、誰よりも“王族”としての責務を果たそうとしていたんだから」
……なにそれ。アルベルト殿下、すごくいい人じゃない。
そうなると、シルヴィア王女も──?
そんなことを思っていると、フレイヤ様がそっと口を開いた。
「私はかつて、アタマカール様の婚約者でしたから──
今の王子や王女とは、全員お会いしたことがあります」
そう言って、ヴィオレッタ様はゆっくりと視線を部屋の隅へと向けた。
そこには、静かに立っているレーヴェの姿。
けれどその眼差しは、レーヴェ個人を見ているのではなかった。
彼を通して、別の誰かの面影を追っているかのようだった。
しばらくのあいだ、レーヴェの耳と尻尾をじっと見つめていたヴィオレッタ様は、やがてそっと目を伏せた。
「……本当に、惜しいことです。
アルベルト様も、シルヴィア様も、とても優秀な方です。
けれど周囲は、その実力を認めようとせず──そして、お二人も、それを受け入れてしまっているのです」
その静かな一言に、誰もが口をつぐんだ。
やがて、ミランダお姉様がぽつりとつぶやいた。
「……受け入れるしかなかったのよね。どれだけ優秀でも、“王族らしくない”って決めつけられて。
最高権力者のはずの父上も、王妃様の顔色ばかりうかがっていて、まるで頼りにならなかった」
淡々とした言葉の奥に、深い諦めが滲んでいた。
「アルベルト様も、守るべきものがなければ……もう少し違ったのかもしれないわ。
でも、あの方は自分の優秀さを、ずっと、必死に隠していた」
「……そうですね。
もし本当のアルベルト様の才覚が明るみに出ていれば、王妃様が黙っていなかったでしょう。
その怒りが向かう先は、きっと……シルヴィア様や、お二人の母君です」
フレイヤ様の声音には、悔しさと、どこか諦観に似た哀しみがあった。
「人は、見た目や出自にとらわれがちです。
そして、“見たいもの”しか見ようとしない。
たとえその陰で、本当に“王族らしい”在り方をしている者がいたとしても──」
ミランダお姉様の言葉に、ヴィオレッタ様は静かにうなずいた。
「私も……もっと早く気づいていれば、何か変えられたのかもしれません」
その声は、後悔のにじむような響きを帯びていた。
「アルベルト様も、シルヴィア様も、優しすぎる方でした。
傷つくことを恐れていたのではなく──
周囲を傷つけてしまうことを、何よりも恐れておられた。
だからこそ、ご自分の力や誇りさえも……手放してしまったのです」
私は思わず、息をのんだ。
それは“逃げた”のではない。
“譲った”のでもない。
彼女は、守るために“差し出した”のだ──自らの立場も、未来さえも。
フレイヤ様は、そっと続けた。
「アルベルト様も同じです。
王族である前に、一人の人間として……誰よりも誠実でした。
けれど、“王族らしくない”という言葉ひとつで、そのすべてを否定されてしまった」
そのとき、ミランダお姉様が、少し語気を強めた。
「あの人は……自分の優秀さをひた隠しにして、皇太子様の手柄を立てるために、あらゆる功績を譲ってきた。
──もうっ、なにも全部渡すことなんてなかったのに!」
拳を握りしめるその姿に、私は言葉を失った。
怒りというよりも、無念さ。
それは、誰かを責めたいのではなく──ずっと近くで見てきた人の、報われない優しさを想ってのことなのだと、すぐにわかった。




