256.理不尽の代償
「……じゃあ、今も……シルヴィア王女は、ずっと王宮に?」
私の口からこぼれた問いに、ヴィオレッタ様とフレイヤ様は静かに頷いた。
「本来なら、貴族の模範であるべき王子が、卒業パーティーという大切な場であんな騒ぎを起こすなんて……あの一件のせいでね。ヴィオレッタ様以外は自業自得だけれど、何人もの令嬢たちの婚約が白紙になってしまったの」
ミランダお姉様は、当時を思い返すように腕を組み、吐き捨てるように言った。
──王子が原因で、その婚約がなくなったのはわかる。でも、どうして他の令嬢たちの婚約まで破談になったの?
疑問が浮かぶ私に、フレイヤ様とお姉様が続きを語ってくれた。
「ヴィオレッタ様があまりにも完璧だったからこそ、妬んだ令嬢たちがいたのです。
中には、アタマカール殿下に“あることないこと”を吹き込んだ者もいて……。
殿下はそれを鵜呑みにし、婚約破棄という愚かな判断を下してしまったのです」
「上級貴族筆頭のグレスフォード家の令嬢に、そんな無礼を働くなんて──愚かにも程があるわ。
でも、当事者たちやその家は、自分たちの責任を少しでも逃れたかったのでしょう。
そして、その矛先が向けられたのが──王族よ」
ミランダお姉様の声音は、怒りを押し殺すように硬くなった。
「王族は当初、アタマカール殿下の王位継承権の剥奪だけで事態を収めようとしました。
でも、それでは巻き込まれた貴族たちの怒りは収まらなかったのです」
「そして“代償”を支払わされたのが、まったく無関係だった妹。
アカデミーへの翌年の入学を心待ちにしていた、異母妹のシルヴィア様だったの」
アタマカール殿下の騒動は、直接的にはシルヴィア王女に関係のないものだった。
けれど、その後に行われたのは、もっと醜く理不尽な“調整”だった。
混乱の収拾と世間体を保つために、王族は「責任を取った」という“形”を見せる必要があった。
その“見せしめ”として選ばれたのが、入学を翌年に控えていたシルヴィア王女のアカデミー入学の取り消しだった。
さらに、一部の貴族の間には根強い獣人差別があった。
獣の耳を持つ少女が“王族”として公に認められることに、心の底で強い抵抗を抱いていたのだ。
大人たちの醜く利己的な思惑のぶつかり合い──
その渦中で潰されたのが、王女が心待ちにしていた“アカデミーで学ぶ”という、ごく当たり前の未来だった。
「王位継承権の剥奪だけで足りないのなら、王子の称号も剥奪するなり、アタマカール殿下本人に責任を負わせればいいのでは……」
私の疑問に、フレイヤ様は深く頷いた。
「その通りです。ですが……」
フレイヤ様は目線を落とし、言葉に詰まった。
その様子を見たヴィオレッタ様が、代わるように答えを続ける。
「アタマカール殿下の実母は、正妻である王妃様です。王位継承権の剥奪だけでも、王妃様は強く反対しておられました。
しかもその王妃様は、獣人への差別意識が強い御方。シルヴィア様のことも快く思っていなかった。
だから、アタマカール殿下の尻拭いをさせるという処分は、王妃様にとってむしろ“都合のよいこと”だったのです」
「……そんなの、酷い……っ!」
関係のない私でさえ、胸の奥が締めつけられ、悔しさが込み上げてくる。
当事者であるシルヴィア王女は、どれほど辛く悲しかっただろう。
そして、これまで獣人のレーヴェやステラが受ける差別を目にしてきた私は、その根強い偏見にも憤りを覚えた。
「シルヴィア王女のお兄様……獣の尻尾を持つ王子様は、私が入学する前までアカデミーに在籍していましたよね?」
問いかけると、お姉様の表情が少しやわらいだ。
「ええ。ヴィオレッタ様が卒業された翌年、私とフレイヤと……“尻尾の王子”と呼ばれていたアルベルト様は、同じ年にアカデミーを卒業したわ」
──ふむ。シルヴィア様のお兄様は、アルベルト殿下というのか。
お姉様の口調から察するに、どうやらその殿下とは親しかったようだ。
ミランダお姉様が差別をするはずもないし、“尻尾の王子”という呼び方にも、どこか親しみが込められていた。
フレイヤ様も微笑を浮かべ、柔らかい表情を見せる。
「あの婚約破棄事件は──ヴィオレッタ様、アルベルト様、そしてシルヴィア様にとって、本当に大きな影響を残しました。
悔やんでも悔やみきれない出来事です」
しばし沈黙が落ちたあと、フレイヤ様はそっと続けた。
「でも……私にとっては、ミランダ様やアルベルト様、そしてシルヴィア様と友人になれたきっかけでもあったのです」
──王子が、卒業パーティーという大切な場で、上級貴族筆頭・宰相の娘との婚約を一方的に破棄した。
前代未聞の騒動を起こしたその日、ヴィオレッタ様は卒業してアカデミーを去った。
しかし、本当の問題は“残された者”たちに降りかかった。
フレイヤ様は下級貴族で、もとは平民の出身。
事件の影響で、保護者だった祖父母も処分を受けてしまったのだという。
後ろ盾を失い、ヴィオレッタ様もいなくなった。
残されたフレイヤ様は、ひとりでアカデミーでの最後の一年を過ごすことになった。
ちょうどその頃、ミランダお姉様は、中級から上級貴族へと立場が変わることが決まっていた。
そんなお姉様なら、きっとフレイヤ様の力になれる──そう考えたヴィオレッタ様が、フレイヤ様のことを託したのだという。
そして──
ヴィオレッタ様の卒業から間もなくのこと。
ある日、フレイヤ様はアカデミーの空き教室へ呼び出された。
心配したミランダお姉様も同行し、二人で向かったその場所にいたのは──
側近をひとりだけ連れた、アルベルト殿下だった。
「申し訳なかった」
その場で、殿下は深く頭を下げたという。
あまりに突然の出来事に戸惑い、王族に頭を下げさせてしまったことに動揺するフレイヤ様。
そんな彼女に向かって、アルベルト殿下は静かに言葉を告げた──。




