255.血筋と立場の狭間で
そんなお姉様とフレイヤ様の様子を見て、ヴィオレッタ様は困ったように笑いながら、私に言葉をかけた。
「そうして私は、その場でアタマカール殿下から婚約破棄を宣言されてしまったの。
卒業パーティーという、全ての卒業生にとって大切な場が、台無しになってしまったわ。
卒業生の一人だった私にとっても、巻き込まれたフレイヤにとっても、本当に耐えがたい出来事だったわ」
語られた過去に、私は言葉を失った。
「でも……どうして、そんなことに?」
私の疑問に応じたのは、ミランダお姉様だった。
「いろんな誤解が重なったのは事実だけれど……
結局のところ、アタマカール殿下は自分の誤解に気づいていなかったのよ。
“王子”という立場の重みもわかっていなかったし、自分に都合のいい話ばかり信じて、一番向き合うべき相手──婚約者であるヴィオレッタ様と、真剣に話すことを避けていた」
「大勢の人々が見ている中での一方的な婚約破棄は、王室の名誉を大きく損ねることになりました。
その責任を問われて、殿下は王位継承権を剥奪されました。
そして婚約は……ある意味、殿下の思い通りに、破棄されたというわけです!」
怒りをこめて言い放ったフレイヤ様の声に、私はそっと息をついた。
「それは……殿下にとっても、大きな代償だったんですね」
「ええ、でもそれは自業自得です。
……ただ、悔しいのは、被害者であるヴィオレッタ様にまで、大きな代償が課せられてしまったことです。
あのアタマワールと結婚せずに済んだのは不幸中の幸いでしたが、貴族の世界では、アカデミーを卒業する頃には婚約が整っているのが普通。
こちらに非がまったくなかったとしても、卒業の場で突然“フリー”になれば、良縁は遠のいてしまいます」
フレイヤ様の声が、かすかに震えていた。
高位貴族の婚約は、アカデミー在学中に決まるのが通例。
卒業パーティーで婚約者を失えば、どれほど魅力的な人でも、次の機会を得るのは難しい。
しばらく沈黙が続き、やがてヴィオレッタ様が再び口を開いた。
「仕方のないことです。
……せめて、男女が逆であれば。私が男性だったなら、年下の後輩と婚約を結び直す道もあったかもしれません。
でも、女性が年下の男性と婚約するのは、この国ではまだ珍しいことですから」
そう言って紅茶に口をつけるヴィオレッタ様の姿は、相変わらず優雅で美しかった。
けれどその姿に、ミランダお姉様とフレイヤ様は痛ましそうに目を伏せる。
……この空気を、どうにかしたかった。
「──ていうか! 話、いつの間にか殿下のことになってません!? 本題、シルヴィア王女の話でしたよね!?」
三人が一斉にこちらを向く。
重苦しい空気、沈んだ視線、遠くを見つめるようなまなざし。
どれもこれも、私には似合わない。
だから、空気をぶち壊す覚悟で言った。
「ほら、話がずるずるアタマカール殿下に引っ張られてて……あの、その……
正直、アタマワール殿下の話はもうお腹いっぱいですっ!!」
「ぷっ……!」
フレイヤ様が噴き出した。
ミランダお姉様は口元を押さえながら、「こら、ティアナ。“アタマワール”じゃなくて、“アタマカール”殿下よ」とたしなめる。
……でも、手の奥で笑ってるの、バレてますよ?
ヴィオレッタ様も、ふっと目元を和らげた。
「……ふふ、確かに、話がだいぶ脱線してしまっていたわね」
「そうですそうです! もうアタマワールの話はおしまいです!」
フレイヤ様が勢いよく頷いた。
空気がやわらいで、みんなの顔が明るくなった。
私も少しだけ、ほっとする。
「で、王女様の話です、シルヴィア様! 同い年なのに、一度も見かけたことがないんですけど……
そんな素敵な方なら、アカデミーにいれば絶対目立ってたと思うんです」
あらためて話題を戻すと、ヴィオレッタ様は静かに頷いた。
「そうね……“目立っていた”というより、“注目されるべき立場にあった”と言うべきかしら」
「でも、実際には存在を隠されていた」
そう続けたのはミランダお姉様だった。
「フォレスタ王国は、表向きこそ“和解”を掲げているけれど……
実際には、人間族と獣人族の間には、まだ深い隔たりがある。
そんな中で、王家と獣人族、両方の血を持つシルヴィア様は、象徴であると同時に、“都合の悪い真実”でもあったの」
「でも、それっておかしくないですか?
“和解の証”として生まれたのに、どうして隠されなきゃいけないんですか?」
思わず問いかけた私に、ヴィオレッタ様は少し目を伏せて、静かに答えた。
「私もそう思うわ。でも、それがこの国の“現実”。
理想や建前はあっても、心の中までは変わりきれていない人たちが多いの。
特に、“王族に獣の特徴がある”ことを、どうしても受け入れられない人たちがね」
「本来ならシルヴィア様も、あの事件があった翌年──ジルティアーナ様と同じ年にアカデミーに入学する予定でした。
でも、あの事件の影響で、“これ以上目立たせないほうがいい”という王宮の判断が下されたんです」
フレイヤ様の言葉に、私は小さく唇をかんだ。
──理不尽だ。そう思った。
王族として生まれ、太陽のような笑顔を持っているというのに、
“目立つ”というだけで、引きこもるように日陰で生きるしかなかったなんて。




