248.蝶の羽がほどけるとき
特別室へと、ヴィオレッタ様とフレイヤ様をご案内した。
部屋には、ミランダお姉様、シエルさん、アイリスさん、リズ、そして私が控えている。
リズが丁寧に淹れた紅茶を、ヴィオレッタ様は作法の手本のような優雅な所作で手に取り、ひと口──。
「とてもいい香りの紅茶ですね」
目を細め、ふうっと小さく息を吐かれる。その姿は、まるで一輪の花がふわりと綻ぶようだった。
お気に召していただけたようで、私は思わず胸をなで下ろす。
「こちらは、クリスディアで採れた茶葉を使ったブレンドです。このエリザベスが選んでくれましたの」
ミランダお姉様が微笑みながら紹介すると、ヴィオレッタ様はもう一度カップを見つめ、やわらかく微笑まれた。
「まぁ、そうだったの。香りにどこかやさしさがあると思ったのは、そのせいかもしれないわね。とても気に入ったわ」
その穏やかな声に、場の空気がさらにやわらいでいくのが感じられた。
「お菓子も、ぜひ召し上がってください。こちらはティアナが、今朝焼いた“ポルボローネ”です」
ミランダお姉様が私を紹介しながら、そっとすすめてくださる。
ポルボローネは、口に入れるとほろりと崩れる独特の食感が特徴の焼き菓子だ。
「まぁ……あなたが?」
少し目を見開いたヴィオレッタ様は、そっと菓子皿に手を伸ばし、一口頬張られた。
「……なんて優しい味。初めていただいたけれど、とても美味しいわ」
「お口に合って、よかったです」
自然と笑みがこぼれる。
そんな和やかな空気の中、ごくり──という喉の音が妙に大きく響いた。
思わず視線を向けると、そこにはじっとポルボローネを見つめているフレイヤ様の姿があった。
上級貴族の専属だというのに、どこか貴族らしくない……と、失礼ながら思ってしまったけれど、庶民出身の私からすれば、その素直な反応にむしろ好感が持てた。
私を含め、皆がどう反応すべきか迷っていると、気配を察したのか、フレイヤ様はハッと我に返り、顔を赤らめて慌てた様子を見せた。
「申し訳ございません! その焼き菓子があまりに美味しそうで、つい……!」
すると、ミランダお姉様がくすくすと笑った。
「でしょう? ティアナが作る料理は、お菓子も含めて本当に美味しいのよ。フレイヤの分も、ちゃんとあるわよ」
「えっ、いいんですか? やったー!」
フレイヤ様は素直に喜び、差し出されたポルボローネを一口で頬張ると、
「美味しい!! こんなお菓子が作れるなんて、すごいですね!」
と、目を輝かせながら私を見て褒めてくださった。
「……ありがとうございます」
突然の賛辞に戸惑いながらも、慌ててお礼を言うと──
「ほら、ふたりとも」
ヴィオレッタ様がふわりと笑みを浮かべて口を開く。
「あなたたちが急に普段の調子でやり取りを始めるから、ティアナ様が戸惑っていらっしゃるじゃない?」
その言葉に、ミランダお姉様が私の方を見て、微笑ましげに言った。
「私とフレイヤは、アカデミーで一緒に学んだ仲なの。ちなみにヴィオレッタ様は一学年上の先輩。……って、言ってなかったかしら?」
「聞いてませんよ!」
思わず反射的に、普段通りの調子で返してしまった。
その言葉に、目を丸くして驚くフレイヤ様。そして変わらず微笑を浮かべたままのヴィオレッタ様。
するとお姉様が、そっと私のそばに来て、軽く背に手を添えながら、おふたりに向き直った。
「ヴィオレッタ様、フレイヤ。改めてご紹介させてください。この子は、私と共にリュミエール商会を運営しているティアナです」
ヴィオレッタ様は、静かにうなずきながら私を見つめ、やさしく微笑まれた。
私は前に1歩でて、柔らかく会釈をしながら名乗る。
「──ティアナと申します。
……ですが、実は、お話ししなければならないことがございます」
私はゆっくりと手をのばし、髪につけていた髪留め──茶色の宝石が輝く、蝶の髪飾りをそっと外した。
その瞬間、視界の端でリズが小さく頷いたのを確認する。
魔道具によって染められていた髪色が、ゆっくりと溶けるように変化していく。
淡い紅色は失われ、元の──灰色の髪が露わになった。
部屋に、一瞬、言葉のない静寂が流れた。
「……その髪飾りは、魔術具なのですか?
髪色と……目の色まで。一瞬で変えられるなんて、凄いですね!」
驚きの声をあげるフレイヤ様に対し、ヴィオレッタ様は低く息を呑んだ。
「……その髪色は……」
「はい。私の本当の名は──ジルティアーナ・ヴィリスアーズ。
ミランダお姉様の妹であり、この街、クリスディアの領主でございます」




