247.ヴィオレッタ様の来訪
「グレスフォード家の当主様は、この国の宰相ですよ」
「えっ! と、いうことは……ヴィオレッタ様って……」
「はい。まだ幼い頃ですが、ジルティアーナ様とは何度かお会いしたこともございます」
そうリズに教えられ、私は驚くと同時に、ジルティアーナとしての古い記憶を探った。
まだ祖母・クリスティーナが健在で、彼女が“幸せ”という言葉を疑いなく信じていた頃──。
お祖母様の友人の娘ということで、ヴィオレッタ様とは何度か顔を合わせたことがあったようだ。
そしてその父が、この国の宰相だというのなら──
名前を知っていて当然だ。
どおりで聞き覚えがあるはずだと、ようやく納得した。
ギルベルトさんとの話のあと、ミランダお姉様がヴィオレッタ様の専属侍女──フレイヤ様と連絡を取ったらしい。
こちらから正式にお詫びとご挨拶に伺いたい旨を伝えたところ、思いがけない返答が届いた。
「せっかくなので、そちらの街──クリスディアを見てみたいんですって」
そう言って微笑んだお姉様の言葉に、私は一瞬、耳を疑った。
まさか、ヴィオレッタ様のほうから“遊びに来る”と申し出てくださるとは──。
「観光がてら、泊まりがけで行きます」とのことだったので、急遽、街の宿ではなくヴィリスアーズ邸へお迎えすることに決まった。
あちらにとっては気軽な“お遊び”かもしれないが、私にとっては緊張と責任に満ちた数日間になるのは言うまでもない。
そんな私に、ミランダお姉様とリズが言った。
「リュミエール商会にとって、ヴィオレッタ様は確かに上顧客。でも、ヴィリスアーズ家とグレスフォード家は、どちらも上級貴族よ」
「ヴィオレッタ様は一令嬢。けれど、ジルティアーナ様はクリスディアの領主です。丁寧なおもてなしは大切ですが、必要以上に遜る必要はありませんよ」
丁寧に、されど遜らず。──それがどれほど難しいか、今まさに身をもって実感している。
──そして今日。
朝から商会全体がどこか落ち着かず、ざわついていた。
庭の手入れ、客間の設え、食材の搬入に至るまで、誰も言葉を交わさず、ただ黙々と、そしていつも以上に丁寧に動いている。
その緊張した空気を切り裂くように、優雅な馬車がゆっくりとリュミエール商会の前に停まった。
「いらっしゃいました!」
門番の声に、私は無意識に背筋を正していた。
降り立ったのは、昼の陽射しに照らされてきらめくロイヤルブルーのドレスをまとった女性。
裾が風に揺れるたび、その場の空気まで洗練されたものへと変わっていくようだった。
──ヴィオレッタ・グレスフォード。
深い紺色のゆるやかな巻き髪は、まるで夜空のよう。
その瞳はミランダお姉様よりも少し明るい紫色で、陶器のように滑らかな白い肌に、ほんのりと色づいた唇。
──ものすごい美人だ。
普通なら緊張してしまうほど整った顔立ちだが、私はリズのおかげで、すでに“美人耐性”がある。
ぜひ我が商会の品々を、アレもコレもご利用いただきたい! という思いで、なんとか平静を保った。
その後ろには、侍女──おそらくヴィオレッタ様の専属侍女フレイヤ様だろう。
ヴィオレッタ様より少し若く見える女性が、ぴたりと寄り添い、控えめな笑みを浮かべていた。
私の隣にいたミランダお姉様が一歩前に出て、深く礼をする。
「ヴィオレッタ様。ようこそ、クリスディアへ。そして……リュミエール商会にお越しくださり、心より感謝申し上げます」
「久しぶりね、ミランダ。元気そうでよかった……安心したわ」
ヴィオレッタ様はやわらかく微笑む。
その瞳は穏やかで、ミランダお姉様の無事を本当に喜んでいるのが伝わってくる。
「ありがとうございます。ご滞在中は、どうぞ何なりとお申しつけください。街のご案内や、お食事、お買い物も──ご希望があれば、すべてお供いたします」
「ふふっ、ありがとう。実はね、前からクリスディアの噂を聞いていて……ずっと楽しみにしていたのよ」
その一言に、張りつめていた空気がふわりと和らいだ。
「ねぇ、フレイヤ」
ヴィオレッタ様が振り返ると、侍女のフレイヤ様はぱっと顔を輝かせた。
「はいっ! ヴィオレッタ様!」
格式ある客人という緊張感はもちろんある。
けれど、こうして会話を交わしてみると──ヴィオレッタ様もフレイヤ様も、思った以上に親しみやすい方々だ。
どこか、旧知の友人と再会したような──そんな不思議な安心感が胸を満たしていた。
「それでは、まずはお部屋へご案内いたします。ひと息おつきになったあと、街をご案内してもよろしいでしょうか」
ミランダお姉様がそう声をかけると、ヴィオレッタ様とフレイヤ様は顔を見合わせ、微笑み合った。
「ええ、お願いするわ」
その穏やかな返事に、私たちは商会の奥にある特別室へと足を運んだ。




