244.特別扱いの代償
──それから。
お姉様が離縁し、“ロゼ・カラー”の販売許可を出してから、数ヶ月が経った。
開発中だったマニキュアの新色がついに完成し、華やかに発売された。
(あのときの──新色発売の盛り上がりは、本当にすごかったわね)
私にとっては、そこまで驚くようなものではなかった。日本では当たり前に売られていた、パールやラメ入りの新作たち。
けれど、この世界ではそれが“革命的”とさえ言えるほど、上層階級の女性たちの心をしっかりと掴んでくれた。
しかも、新色の販売は一度きりでは終わらない。
「季節ごとに、最低でも年四回、限定カラーを出す予定です」
その一言を聞いた瞬間、女性たちの目がキラリと光った──と、後にシエルさんが報告してくれた。
その知らせを聞いたとき、ミランダお姉様とアイリスさん、そして私の三人は、手を取り合って喜び合ったのを覚えている。
*
その後の展開は、まさに私たちの想定通りだった。
「最初のマニキュアも素敵だったけど、やっぱり限定色よね!」
「この輝き……指先に宝石をまとっているみたい……!」
そんな声があちこちで聞こえる一方──
「えっ、ロゼ・カラーには新作や限定色はないの?」
という戸惑いの声も、ちらほらと上がってきたらしい。
そして、それに困ったのは当然──トインビー商会だった。
*
「マニキュアの新色とは、一体どういうことですか!?」
フェラール商会に怒鳴り込んできたのは、あのトインビー商会長だったと、シエルさんから後に聞いた。
「季節ごとに、最低でも年四回、限定カラーを出す予定です」
彼に対しても、シエルさんは他のお客様と変わらない笑顔で説明したそうだ。
「年に四回も!? それで……その限定カラーは、我がトインビー商会には、まだ届いていないのですが!?」
「限定カラーは“マニキュア”の新作です。“ロゼ・カラー”とは関係ありませんよ」
あくまで丁寧に、けれどきっぱりと。
その一言に、商会長は完全に言葉を失ったという。
「……そ、そんな……。“ロゼ・カラー”にも、いずれ新作が出ると思っていたのに……!」
肩を震わせて呟いた彼に、ギルベルトさんが淡々と答えた。
「“ロゼ・カラー”は、あくまで一商品の名称にすぎません。今後フェラール商会が展開する“マニキュア”の新シリーズとは、無関係です」
「そ、そんな馬鹿な……っ!」
怒鳴り声を上げたその場にいたスタッフたちは、目を伏せるばかりで、誰ひとり彼を庇おうとはしなかったそうだ。
*
「ローランド様、お願いします! うちの顧客も新作マニキュアを知り、どうしても欲しいと言っているのです!」
窮地に立たされた商会長は、最後の望みを義理の息子となったローランドに託した──らしい。
だが当然、ローランドにはどうすることもできなかった。
「フェラール商会でしか扱っていなかったマニキュアを、私の口添えで“特別に”トインビー商会でも販売できるようにした。それだけでも、ありがたく思ってもらわねば困ります」
「そ、そんな……。私は“ロゼ・カラー”と同じように新作も仕入れられると思い込んで……
お客様には“少し待てばご用意できます”と、もう説明してしまったのです!」
商会長の声は震え、明らかな焦りと後悔がにじんでいた。
そして──そんな場面で、唯一彼に手を差し伸べたのが、ロゼット夫人だったという。
「ローランド様!」
そう呼びかけながら、ロゼット夫人はしなやかに彼へと近づき、そっと腕に身を寄せた。
「お願いです。このままでは、父が……いえ、トインビー商会が信用を失ってしまいます。
今回の限定カラーだけでも構いません。どうにか、販売させていただけないでしょうか?」
ローランド様は困ったような顔をしつつも、彼女の上目遣いと涙に抗えなかったらしい。
「お願いです、ローランドさまぁ……」
その様子を見ていたシエルさんは、後にこう語った。
「……正直、阿呆かと思いました」
けれど当のローランドはというと、満更でもない様子で鼻の下を伸ばしながら照れ笑いを浮かべていたとか。
「ロゼットに頼まれたら、断れないな……ほんと、かわいいやつめ」
「ローランド様っ! 大好きです!」
(阿呆がいたわ……)
そう内心で突っ込みながらも、シエルさんは見守っていたという。
だが、問題はそのあとだった。
「ギルベルト、シエル。次に限定カラーが入荷したら、それをトインビー商会に回してくれ」
その言葉を聞いた瞬間──
「空気が、本当に凍りましたよ」
と、シエルさんは苦笑混じりに振り返った。
ギルベルトさんは沈黙のまま眉をひそめ、
シエルさんも、冷静に、しかしはっきりと返答したそうだ。
「次回入荷分はすでに、全て予約済みです」
「ならば、次の次の分を回せばいいだろう」
「そちらも、発売日と配送予定をお客様にお知らせ済みです」
「なら、“生産が遅れている”とでも説明すれば済む話だろ?」
──その一言で、場の空気は完全に凍りついた。
「……その発言で、フェラール商会の信用がどれだけ損なわれるか、分かっていらっしゃいますか?」
ギルベルトさんの低い声に、ローランドもようやく事態の重さを感じ取ったようだった。
結局、販売許可は出されなかった。
三人は俯いたまま、何も言えずにその場を後にしたという。




