241.家族と呼べるそのひとへ
「それらはそちらで対処してください」
アイリスさんがきっぱりと言い放った。その視線は鋭く、ギルベルトさんを真っ直ぐに射抜く。
「私は……マニキュアの取り扱いだって、
ミランダ様と共にフェラール商会から完全に撤退すべきだと考えていました。でも……」
彼女は一瞬、何かを思い出すように遠くを見た。悔しさをこらえるように、唇をぎゅっと噛みしめる。
けれどすぐに視線を戻し、ギルベルトさんをまっすぐに見据えた。
「ミランダ様は、そうされなかった。
トインビー商会長にも伝えたように、“今もフェラール商会で働く従業員たちのために”という、ミランダ様ご自身のご配慮による判断です。
それなのに……これ以上、ミランダ様に何を求めようというのですか?」
張りつめた空気が、部屋全体を支配する。
はじめて見るアイリスさんの激しい語調に、私は思わず息を呑んだ。
ギルベルトさんは気まずそうに目を伏せ、言葉を失っていた。
その重苦しい空気を和らげたのは、ミランダお姉様だった。
「もういいわ、アイリス。悪いのはローランドであって……ギルベルトも、ある意味では被害者よ」
「……ミランダ様っ!?」
制止されたアイリスさんは、驚きと戸惑いの表情でお姉様を見た。
ミランダお姉様は、穏やかな微笑みをたたえている。
「申し訳ありません……差し出がましいことを言いました」
小さく頭を下げるアイリスさんに、ミランダお姉様は静かに首を振った。
「いいえ、ありがとう。アイリス。
あなたが私以上に怒ってくれるからこそ、私は冷静でいられるのよ。
……そして、ティアナも」
「えっ?」
突然名前を呼ばれ、私は思わず声を上げてしまった。
「ティアナ、あなたも。
ローランドに対してはもちろん、トインビー親子にまで、自分のことのように怒ってくれた。
そして、私を支え、助けてくれたわ」
私は思わず、胸の奥が熱くなるのを感じた。
本来なら誰よりもお姉様を大切にすべき夫の立場にあった人物からの裏切り──。
大好きなミランダお姉様が、大切にされていなかった事実を知り、私は悔しくて、許せなくて、私の全てを使ってミランダお姉様を守ろうと思った。
「……私なんて、ただ怒っていただけで。
お姉様の力になれたかどうか……」
そうつぶやく私に、お姉様は優しく微笑みかけた。
「すごく頼もしかったわよ。それに怒るというのは、ただの感情じゃないの。
大切な誰かを想い、理不尽に立ち向かおうとする勇気だわ」
その言葉に、私は思わず目を伏せる。
静かに、けれど確かに──心の奥で、何かが報われた気がした。
「ありがとうございます、ミランダお姉様」
そう呟くと、ミランダお姉様は一瞬目を見開いたあと、くすりと笑った。
「なんであなたがお礼を言うのよ、お礼を言うのは私の方だわ。
……ねえ、ティアナ」
「はい」
「あなた、私がクリスディアへ移動してきたとき、“私はお姉様の本当の妹じゃないけど、この世界で唯一の“家族”だと思ってます”って言ってくれたわよね?」
「えっ!? ……は、はい」
改めてそんな風に言われると恥ずかしくなってしまう。
でも、そう思ったのは本当だ。否定するのは違う。戸惑いながら、首を縦に降った。
そして、それは正解だったようだ。
次の瞬間、お姉様はふわりと幸せそうに笑った。
「ありがとう、私も──“あなた”のことが大切で、唯一の家族だと思っているわ」
“あなた”という言葉を、ミランダお姉様が強調して言った。
それは、ジルティアーナのことではなく──
視界がゆがむ。咄嗟に下を向くとミランダお姉様の落ち着いた声が聞こえた。
「ギルベルト、アイリス。悪いけど、席を外して貰えるかしら?」
アイリスさんとギルベルトさんが静かに部屋を出ていく音が、背後で聞こえた。
扉が閉まると、張りつめていた空気が、ほんの少しだけ和らいだように感じる。
「──ティアナさん」
静かな呼びかけに、私は顔を上げた。
そこには、穏やかな表情のリズと、ミランダお姉様がいた。
「リズから……“ティアナさん”と呼ばれたの、久しぶりね」
そう言って笑ったつもりだった。けれど、その瞬間、目の奥にたまっていたものがあふれ出してきて、頬を伝って涙がこぼれた。
リズがそっとハンカチを渡してくれたので、私はそれで目元を押さえた。
ミランダお姉様は立ち上がると、静かに私のそばにくる。
「すみません、突然泣いたりして……でも、悲しいわけじゃなくて……っ」
そう悲しくなんてない。だけど感情がぐちゃぐちゃで、言葉を上手く紡ぐことができずもどかしく思った。
言いたいことは胸にあるのに、声にならない。
そのとき、ミランダお姉様が私の肩に手を置いた。
「大丈夫よ、今ここにはあなたの事情を知ってる私とエリザベスしかいない。いくら泣いたっていいし、話す内容なんかも気にしなくていいわ」
その言葉は、とても静かで、とても強かった。
安堵の気持ちから、自然と笑みが浮かぶのに涙は余計に溢れた。
しばらくそうして、静かに涙を流しているとお姉様がゆっくりと口を開いた。




