235.あの人の“気持ち”が知りたくて
翌朝。
ミランダお姉様は、まだ静かに眠っていた。
昨夜はずっと気を張っていたのだろう。
ようやく安心できたのか、その寝息は穏やかで、胸がゆるむようだった。
私はそっと部屋を出て、リズとアイリスさんと朝の紅茶を囲んだ。
「……ローランドの不倫相手について、教えてください」
最初に口を開いたのは、私だった。
リズは驚くそぶりを見せなかったが、アイリスさんは一瞬だけ目を見開き、すぐに真剣な表情に戻った。
「ティアナ様……それは、ミランダ様の名誉のために?」
「それもあります。でも、それだけじゃありません」
私はカップをそっと受け皿に戻した。
「お姉様は……きっと、自分の気持ちに折り合いをつけるために、何も言わずに静かに去ったんだと思います。
でも、私はどうしても納得できないんです」
感情がこみ上げてくる。言葉を選ぶ余裕もなく、私は続けた。
「お姉様は“邪魔な存在”なんかじゃない。
裏切ったのは向こうなのに、まるでお姉様の方が悪者みたいに出て行くなんて……悔しくて、腹立たしくて!」
カチリ、と受け皿が鳴った。知らず知らずのうちに、手に力が入っていたらしい。
「私は“義妹”です。法的に何の力もないのは分かっています。
でも、お姉様を守りたい。守る権利くらい、私にあってもいいですよね?」
アイリスさんは静かに頷き、リズは一瞬だけ目を伏せて、そっと顔を上げた。
「……実は、私も納得していなかったのです」
アイリスさんがぽつりと呟いた。
「フェラール家に仕える者として──いえ、ミランダ様の側近として、あの出来事を“なかったこと”にする気にはなれませんでした」
その言葉に、リズも表情を引き締める。
「……ティアナ様、どうなさるおつもりですか?」
「まずは、情報を整理します」
私は背筋を正し、落ち着いて答えた。
「不倫相手の名前、身元、居所……そのあたりは、すでに掴んでいますよね?」
アイリスさんは静かに頷いた。
不倫相手の女性──
ロゼット・トインビー嬢。18歳の下級貴族。
「……18!? 私と同い年!? ローランドさんって、お姉様よりだいぶ年上だったよね……?」
思わず叫んでしまった。
「ローランド様は、今年で32歳です」
リズが冷静に補足した。
──一回り以上も下の子に、手を出したんかい。
内心で毒づきながらも、私は先を促す。
ロゼット嬢の父親、トインビー氏は元平民。
現在は「トインビー商会」という大商会の主で、その成功が認められ、娘が幼い頃に貴族に取り立てられたのだという。
「ミランダ様に忠誠を誓っていたローランド様の部下の話では、仕事を通じてローランド様とトインビー商会長は親しくなり、貴族との繋がりを深めたい父親自ら“娘と仲良くしてほしい”と紹介したとのことです」
……なるほど。
復讐対象リストに、トインビー商会長が静かに加えられた。
「お姉様は、置き手紙だけを残して、話し合いもせずにフェラール家を出られたんですよね?」
「はい、間違いありません」
アイリスさんの返答に、私は静かに頷いた。
「お腹の子のこと。そして、ローランドの“気持ち”も、きちんと確かめたいです」
その言葉に、アイリスさんの眉がぴくりと動いた。
「……ローランド様の“気持ち”、ですか?」
言葉は穏やかだったが、その奥に潜む怒りは隠しきれていなかった。
「お姉様は昨日こう言ってました。“離婚の決意はずっと前から固まっていた”。“夫の行動を密かに調べさせていた”と」
「ええ。確かに、おっしゃっていました」
アイリスさんは眉間に皺を寄せながら、唇を引き結んだ。
「ローランドは、ロゼットに子どもができたことを喜び、産ませるつもりでいるんですよね?」
「そう見て間違いないでしょう」
アイリスさんの顔に、不快と怒りが混ざった表情が浮かぶ。
「お姉様がロゼットとの関係、そして子どものことまで知っている──
それがローランドにとって、どれほど予想外だったかは、想像に難くありません」
「……そうでしょうね」
リズが静かに同意した。
私はゆっくりと息を吸い、笑みを浮かべた。
「ローランドが、お姉様にどんな説明をするつもりだったのか。
そして、ミランダお姉様、ロゼット嬢、さらには──お腹の子を、どう扱おうとしていたのか。
私は、それがとても興味深いんです」
その言葉に、リズが紅茶を一口含みながら問いかける。
「──で、どうやって話をするおつもりですか?」
「正面から行きます。隠し立てはしません。
私はミランダお姉様の“義妹”として、堂々と、聞くべきことを聞きます」
きっぱりと答えると、リズがふっと笑みを浮かべた。
「そうですか。……じゃあ、私からも一つ助言を」
「なに?」
「“怒り”は、剣にはなるけど、盾にはなりません。
ミランダ様のために怒るのは正しい。でも、それを振り回すと、あなたの優しさが見えなくなります」
「……うん」
私は深く頷いた。
怒っている。でも、それだけじゃ足りない。
きちんと話を聞いて、考えて、自分なりの答えを出さなければ──
「それと、先ほどティアナ様は“私は法的に何の力もない”と仰っていましたが──そんなことはありません」
「……え?」
思わぬ言葉に目を見開く。
今度はリズが、にこりと笑って私を見た。
「貴女はフェラール家より上位の、ヴィリスアーズ家の方です。
そして今のクリスディアの領主は──貴女様なのですから」




