233.その笑顔の奥に
ミランダお姉様は、オリバーさんたちと共に初めてクリスディアを訪れて以来、私の提案する新商品のアイデアや、既存商品の改善案に興味を持ち、たびたび足を運んでくれていた。
にこやかな美しい笑顔の裏に何を考えているのか分からない──そんな「いかにも貴族らしい」女性たちは、私は少し苦手だった。
でもミランダお姉様は、いい意味で貴族らしくない人だった。思ったことをはっきり言う、さっぱりした性格で、一緒にいると不思議と気が楽になる。
私は普段、何でもリズに相談している。けれど主と側近という関係では、どうしても言いにくいこともある。
そんなとき、異世界からの転生者である私の事情を知っていて、義理とはいえ“姉”という立場の彼女の存在は、本当に心強かった。
何度も顔を合わせるうちに、私はすっかり彼女が大好きになっていて、いつの間にか“ミランダさん”ではなく“ミランダお姉様”と呼ぶようになっていた。
──そんなある日のこと。
なんの前触れもなく、ミランダお姉様がヴィリスアーズ邸を訪れた。
そして開口一番、「今日は、ここに泊まりたい」と言ったのだ。
その瞬間、私は小さな違和感を覚えた。
いつもなら事前に連絡があるのに、今回はそれがなかった。
しかも──お姉様の機嫌が、妙に良すぎる。
にこやかではあるけれど、その笑顔にはどこか無理をしている気配があった。怒っている時のリズに似ていて、余計に気になった。
さらに、隣にいたアイリスさんの様子もどこか落ち着かない。普段よりもほんの少し、気を遣っているように見えて──私は確信に近い感覚を覚えた。
夕食後、私室に移動し、リズに紅茶を淹れてもらったタイミングで、私は思い切って口を開いた。
「……あの、何か……ありましたか?」
ミランダお姉様は、ぴたりと動きを止めた。リズも同じことを感じていたのか、静かに頷く。
代わりに口を開いたのは、アイリスさんだった。
「ミランダ様、やっぱりティアナ様には隠し通せません。……正直にお話ししては?」
お姉様は、少し困ったように唇を尖らせる。
──えっ、かわいい。なにその顔。初めて見た!
「可愛いんですけどっ!?」
と叫びそうになったけれど、口に出したら確実に怒られると思って我慢した。……が、
「なに、にやにやしてるのよ?」
やっぱり、ばれてた。
ミランダお姉様はため息をひとつついて、紅茶のカップを手に取る。表面を見つめたまま、ぽつりとつぶやいた。
「……ねえ、しばらく、ここに泊めてもらえない?」
「もちろんです。いつまででも」
そう答えると、お姉様は「ありがとう」と笑った。でも、その笑顔もどこか弱々しかった。
「アイリスさんもご一緒ですよね? どのくらい居られるんですか? また相談したいことがたくさんあって」
……あれ?
いつもなら、「相談したい」って言っただけで、「また何か思いついたの!?」と、興味津々に飛びついてくるのに……やっぱりおかしい。
アイリスさんに視線を送ると、困ったように微笑んでいた。
しばらくの沈黙のあと、彼女が切り出す。
「ミランダ様……やはり、私から説明しましょうか?」
「いいえ、私が話すわ」
ミランダお姉様は静かに首を振り、一口紅茶を飲んで、そっとソーサーにカップを置いた。
「私ね……フェラール家を出てきたの」
「……え?」
思わず声が漏れた。驚きに言葉を失う私の代わりに、リズが落ち着いた声で問いかける。
「それはつまり……もう、フェラール家にも商会にも戻らない、ということでしょうか?」
「ええ」
「お姉様……それって、一体……?」
お姉様は紅茶のカップを見つめたまま、静かに言った。
「……離婚するわ」
「……離婚……?」
声が裏返る。リズも明らかに動揺していて、お姉様の顔をまじまじと見つめている。
「でも、どうしてそんな……」
「突然じゃないわ。私の中では、ずっと前から答えは決まってたの」
お姉様はそう言って、静かに目を細めた。
「でも、確信がなかった。だから少しの間、様子を見てたのよ。密かに、ね」
「様子を……?」
「夫の行動を、こっそり調べさせてたの。なんとなく、引っかかるものがあって……。そしたら、やっぱりだった」
紅茶のカップがかすかに揺れ、ミランダお姉様の指先が震えているのが見えた。
そんなはじめて見るお姉様の様子に、嫌な考えが浮かんだ。まさか……
「……浮気、してたの?」
私は小さく尋ねた。
「ええ、そうよ」
あまりに普通に答えられて、逆に胸が痛くなる。
信じたくなかった。だってミランダお姉様の旦那様って──あの、優しいローランドさんでしょう?
……そう思った瞬間、嫌な記憶がぶわっと蘇る。
男なんて、信用できない。
優しそうな人ほど、他の女にも優しいし、ろくでもない男は妻の気持ちなんてお構いなしに浮気する。
あーもう、ローランドさんだけじゃなくて、いろんな嫌なことまで思い出してきた!
このまま思ったままを口にしたら──
○○ローランドッ!
私の大好きなミランダお姉様がいながら、なんてことを!!
お姉様が許しても、私は絶対○○して、○○○○にしてやるっ!!
──なんて、取り乱してしまいそう。
あ。○○の中身は放送禁止用語でございます。
……駄目だ、私。まずは落ち着こう。
目の前の紅茶をひと口、飲んだそのとき──
お姉様の口から、さらなる爆弾が投下された。




