231.一年後に乾杯を
私は手に持ったピザを口元に近づけた瞬間──ふと、何かに気づいた。
その直後、前に座っていたレーヴェがぽつりと呟く。
「……味噌?」
その言葉に、ダンさんが嬉しそうに頷いた。
「さすがレーヴェ、よく気がついたなっ! そう、このマルゲリータはただのマルゲリータじゃない。
隠し味に味噌を使った“味噌マルゲリータ”だ!」
……いや、“味噌”って名前に入ってたら、もはや隠し味じゃない気もするけど。
──とは思ったけれど、そこはあえて突っ込まないでおいた。
「味噌? マルゲリータピザに味噌が合うなんて、意外ですね」
リズが興味深そうに首をかしげ、一切れを手に取ってじっと見つめる。
その隣で、ステラが不安そうにそっと尋ねた。
「……味噌って、あの……お味噌汁の、あの味ですよね?」
「そうそう。あれをちょっとアレンジして、ソースに混ぜ込んでるんだよ」
ダンさんが胸を張って答える。
「使ったのは白味噌だ。コクはあるけどクセは少なめだから、トマトやチーズの風味を邪魔しないのさ」
「へぇ……」
興味津々のステラは、おそるおそるピザを口に運び、一口かじる。
「──んっ、おいしいっ!」
目をぱっと見開いたその顔には、驚きと喜びが入り混じっていた。
まるで、新しいおもちゃを見つけた子どものように。
「ちゃんとチーズのとろける感じがあって……でも、あとから味噌の香ばしさがふわっと広がって……!
すごく合いますね!」
「そうか、そうか!」
ダンさんが満足げに頷く。その顔は、まさに職人として最高の褒め言葉を受け取ったときのそれだった。
私も一口かじりながら、口の中でじっくりと味を確かめる。
ベースはたしかにトマトソース──なのに、どこか“発酵”の深みがある。
味噌がチーズの塩気と重なり合い、まるで幾重にも重なったコクの層が口の中に広がるようだった。
そこへ──日本酒をひと口。
「……んっ!」
思わず、声が漏れる。
舌に残っていた味噌の香ばしさに、日本酒のなめらかな甘みが重なり、まるでひと皿の料理のように調和する。
互いの風味がぶつかることなく、むしろ引き立て合っていた。
「なにこれ……すごい……」
思わずこぼれた自分の声に、自分でも驚く。
ピザと日本酒──ふつうなら交わらないはずのものが、ここでは完璧な“マリアージュ”を果たしていた。
「これは……ワインより、日本酒のほうが合いますね」
リズがグラスを傾けながら、目を丸くする。
「うむ。これは……料理というより“酒の肴”だな」
レーヴェが二切れ目に手を伸ばしながら、珍しく満足そうな表情を浮かべる。
「白味噌の発酵の香りが、酒の旨みにぴったり寄り添っている。しかも、重たくならないのがいい」
──発酵の香り。とろけるチーズ。炭火の香ばしさ。そして、すっと流れる冷やの日本酒。
すべてが一体となって、喉の奥へと染み込んでいくような、やさしい余韻。
本当に、驚くほど相性がよかった。
三人で味噌マルゲリータと日本酒の相性を絶賛していると──
向かいに座るステラが、むぅっとした顔で唇を尖らせた。
「やっぱり……うらやましいです」
「うらやましい……?」
私が首をかしげると、ステラはぷいっと顔を背けながらも、ぽつりと漏らした。
「お酒、です。みなさん美味しそうに飲んでるし……日本酒って大人の味って感じで……。 私も早く、呑めるようになりたいなって……」
その言葉に、場が少しだけ静かになる。
けれど次の瞬間、リズがくすりと笑って、優しく言った。
「ふふ。大丈夫よ、ステラ。あと一年くらいの我慢でしょ?」
「……はい。でもその“一年”が、すごく長く感じるんです」
ステラは、子どもみたいに口を尖らせたまま、それでもどこか照れくさそうだった。
「そりゃあね、目の前で美味しそうに呑まれてたら、そう思うのも無理ないか」
レーヴェが淡々と言いながらも、どこか優しい口調でグラスを置く。
私はくすっと笑って、グラスの中身を少しだけ揺らしながら言った。
「でもね、ステラ。お酒が呑めるようになったら、嬉しいことばかりじゃないわよ?」
「……え?」
「ほら、調子に乗って呑みすぎて、次の日大変なことになるとか……ね?」
「ティアナ様、それ、ご自身の体験談ですか?」
リズがにやりと笑う。うっ……図星すぎる。
「ま、まぁ……ほら! そういう意味でも、いまは“楽しみに取っておく時期”ってことで!」
私がごまかすように言うと、ステラもつられて笑った。
「……わかりました。じゃあ、あと一年くらい、ちゃんと待ちます。 そのかわり、呑めるようになったら──いちばん最初は、ティアナ様と乾杯させてくださいね?」
その言葉に、思わず私は笑顔になって、コクリと頷いた。
「ええ、もちろん。約束よ、ステラ
その時は──最高のお酒と料理を用意するわ」
私の言葉に、ステラは長い耳をぴんっと立てた。
「本当ですか? やったぁ!!
成人の日が、ますます楽しみです!」
まだ子ども。でも、確実に大人になっていく彼女の横顔を見て、私はほんの少し、胸が熱くなった。
そしていつか来るその日──
ステラと一緒に、日本酒のグラスを合わせる日が、今から楽しみでならなかった。




