230.世界はまだ、工夫を知らない
そんな私の不安をよそに、その後も楽しい食事の時間は続いていった。
美味しい日本酒に、それにぴったり合うおつまみを次々と運んでくれるアンナ。そして──
「……マルゲリータ?」
運ばれてきたのは、アンナではなくダンさんが手にした一枚のピザ。
一見すると、トマトソースにモッツァレラチーズとバジルがのった、ごく普通のマルゲリータ。
──けれど、どこか違和感を覚えた。何かが、ほんの少し違う。
私の疑問に気づいたのか、ダンさんはにやりと笑った。
「さすがはティアナちゃん! 見てのとおり、マルゲリータには違いないけどな。
日本酒に合うように、ちょっと工夫してあるんだ。試作品だから、ぜひ率直な感想を聞かせてくれよ」
「ふむ……」
そう言いながら、私は一切れのピザを手に取った。
こんがりと焼き上がった香ばしい生地。
これは新作だが、今ではこの食堂では様々な味のピザが“看板メニュー”になっている。
──四年前。
クリスディアに来て間もない頃、ミーナとアンナに初めて会った日。
そこでミーナから見せられた、かつてクリスティーナに仕えていた専属料理人が遺したレシピノート。
そこには、いくつもの料理とともに、ピザのレシピも記されていて、そしてミーナの希望によりピザを焼き上げた。
オーブンを使って焼き上げるピザ。
ただ、一般にはオーブンを導入する余裕などなかった。
貴族の館──ヴィリスアーズ邸のような一部の上流階級にしか許されない、贅沢な道具だったのだ。
当然、平民向けの食堂でピザを出すなんて、誰も考えたことがなかった。
──でも、そんなの……もったいなさすぎる!
そう言い出したのは、もちろん私だった。
だってピザこそ、手掴みで気軽に食べられるし、具材のアレンジも効く。
まさに、庶民のための料理だと思ったのに……。
「オーブンが高すぎて買えないなら──窯を作ればいいじゃない!」
そう提案したのは、塩作りが軌道に乗ってきた頃のことだった。
「窯を作ればいい」
私のその一言に、最初はみんなぽかんとした顔をしていた。
でもすぐに、アンナが目を輝かせ、ミーナが小さく頷き、ダンさんは腕を組んでうなり始めた。
「なるほどな……その発想はなかった。確かに、煉瓦窯なら材料さえ揃えば、費用もそこまでかからない」
「それに、薪を使えば十分な火力も出るし、パンや焼き菓子にも応用できるわ。工夫次第で、いろんな料理が作れそう」
みんなが乗り気になってくれたのが嬉しくてたまらなかった。
そのときミーナがさらに言った。
「うちの店の中に窯を作るのは難しいけど……なら、外に作ればいいんじゃない?
今の季節なら十分焼けるし、人目にもつく。いい宣伝になるかも!」
実は、窯を作ること自体はそれほど難しくなかった。
というのも、パンを主食とするこの国では、【パン職人】にとって窯は馴染みの道具だったからだ。
……けれど、だからこそなのかもしれない。
この世界では“窯”といえば、“【パン職人】のもの”という固定観念が強く、
ピザやその他の料理に使うという発想は、そもそも存在していなかったのだ。
私はその事実に、正直、かなり驚かされた。
そして思った。
──やっぱりこの世界って、アレンジとか工夫とか、あまり発想しない文化なんだなぁ。
私があれこれ提案すると、オリバーさんやミーナたちは驚きつつも、いつも前向きに取り入れてくれる。
私が細かく指示を出さなくても、「もっと美味しくするにはどうすればいいか」と自分たちで工夫してくれる。
でも──
それが本当に“特別”なのだと知ったのは、ずっと後のことだった。
リズにそう話すと、彼女は少しだけ困った顔をして言った。
「オリバーさんたちのような柔軟な人たちは、珍しいです。
普通の【料理人】だったら、“スキル”に任せて、ただ言われた通りに料理を出すだけ。自分で考えて工夫するなんて、しない人のほうが多いと思います」
──いや、それなりに察してはいたけど……でも、やっぱりね。ちょっとショックだった。
さらに驚いたのは、その傾向がより強く出るのが“貴族の専属料理人”だということだった。
「専属料理人って、優秀な人だからこそなるんじゃないの!?」
と思わず口にしてしまった私に、リズは静かに頷いて言った。
「一度“専属”になると、そのポジションは“世襲制”になることが多くて……他と競う必要がなくなります。
だから、工夫や努力を重ねる意識がどんどん薄れていくんです」
それを聞いたとき、私は思い出してしまった。
──ヴィリスアーズ家の“本家”にいた頃。
料理が、あんなにも……ひどかった理由。
ようやく納得がいった気がした。




