224.はじめての教室
──その後、私たちは「学びの場」を、正式な制度として整えていくことにした。
きっかけは、ある少女のひと言だった。
「……もっと勉強したい。本をたくさん読んで──それだけじゃなくて、いつかは自分で、お話を書いてみたいっ!」
それは、給食のあとに行っていた絵本の読み聞かせの時間のことだった。
その子はいつも、私の隣で静かに耳を傾けていた。
真剣な目で文字を追い、ページをめくるたびに、嬉しそうに頬をゆるめていた。
そして物語が終わったあと、ゆっくりと夢を語ってくれた。
“読みたい”だけでは終わらない、“書きたい”という欲求。
それはもう遊びではなく、立派な「学び」だった。
私は、その言葉に背中を押された。
みんなに相談し、きちんと読み書きを教える「教室」の設立を提案した。
そのとき──誰よりも真っ先に手を挙げてくれたのが、ステラだった。
ステラは、初級ポーションの素材集めも手伝ってくれていて、参加者の子どもたちともすっかり仲良くなっていた。
ステラも出会った当初は読み書きができなかったが、クリスディアに来てから本格的に勉強を始め、仕事でも文字に触れていたことで、今ではほぼ完璧に読み書きを身につけていた。
カルタを作ったときも、商品名やメニューを書くときも、率先して手を貸してくれた。
その姿を、私は今でもよく覚えている。
そして、教室の話が具体化したとき──
「基本的な読み書きなら、私……教えられると思います」
そう言って、彼女は自ら教師役を申し出てくれたのだ。
いつも控えめなステラの思わぬ立候補に、私は少し驚いた。
だが、隣にいたレーヴェが穏やかな表情で口を開いた。
「情けない話ですが……ステラは俺よりも早く読み書きを覚えて、覚えたあとは、まだうまくできなかった俺に、とてもわかりやすく教えてくれたんです。
──きっと、教師に向いていると思います」
その言葉は、決してお世辞なんかじゃなかった。
人に何かを教えるというのは、思っているよりずっと難しい。
まず自分自身がきちんと理解していなければならないし、
「わかりやすい」と思っているやり方も、相手に伝わるとは限らない。
でも──ステラは、それを自然にこなしていた。
ステラが教師を引き受けてから、私たちは慌ただしく準備を進めた。
「教室」といっても、最初は建物すらなかった。
空き家になっていた納屋を借りて、床を掃き、壁に塗料を塗り、壊れかけの家具を修理して……
それはまるで、“学びの場”を一から手で組み立てていくような作業だった。
机と椅子は、廃材を集めて近所の職人たちが手作りしてくれた。
フェラール商会の協力で、取引先の木材屋から余り物や端材を分けてもらった。
黒板の代わりには、古くなった戸板に黒塗りを施し、チョークの代用品には石灰を細かく砕いたものを使った。
そんな即席の教室に、最初に集まったのは数人の子どもたちだった。
給食でよく見かける顔ぶれだったが、その瞳はどこか緊張と期待に輝いていた。
「はい。まずは、“基本文字”から始めましょうね」
ステラはやさしく微笑みながら、板に文字を丁寧に書き出していく。
少しだけ手は震えていたけれど、その声には迷いがなかった。
子どもたちもまた、一生懸命に文字をなぞっていく。
初めて自分の手で書いた“文字”に、思わず声をあげる子。
なかなかうまく書けず、唇を噛んで悔しがる子。
それでも、誰一人として途中で投げ出す子はいなかった。
──そんな様子を、私は扉の外からそっと見守っていた。
最初は不安そうだった子どもたちが、真剣な表情で文字を追い、時折笑顔を見せる。
ステラもまた、ひとつひとつの言葉に心を込めて、ていねいに教えていた。
“学ぶ”という行為が、こんなにもあたたかくて、力強いものなのだと──あらためて実感させられた。
週に三回だった教室は、すぐに評判を呼んだ。
「うちの子にも教えてもらえないか?」
「娘が、兄ちゃんと同じノートを欲しがってて……」
「甥っ子も連れてきてもいいですか?」
そんな声が次々と届き、あっという間に教室は手狭になっていった。
──だが、順調なことばかりではなかった。
当初は、採取に参加していた顔見知りの子がほとんどだった。
けれど、参加者が増えていくうちに、次第に初対面の子どもたちも混ざるようになっていった。
──そして、ある日。新たに参加した、ひとりの少年がぽつりと言った。
「先生って……獣人なのかよ?」
教室の空気が、ぴたりと凍りついた。
気まずい沈黙の中、その少年は肩をすくめ、鼻で笑った。
「知ってるか? 獣人って馬鹿ばっかで、未だに奴隷のヤツも多いんだってよ。
そんなやつに教わることなんてねぇだろ」
──はあ?
教室の外で様子を見ていた私は、思わず飛び出しかけた。
だが、その足を止めたのは、隣にいたレーヴェだった。
彼は無言で、そっと私の肩を掴んだ。




