217.選べるようになった今
列に並びながら、ミアちゃんの呼び込みの声や、ミーナの手際よい動きをぼんやり眺める。
ネロくんはどこか照れくさそうに、けれど少し嬉しそうに口元をゆるめた。
「ミア、ほんとに看板娘って感じだな……あのミアが、あんなに元気よく働いてるなんて。ちょっと感動する」
「最初は緊張して、おにぎり渡すだけで顔が真っ赤だったのにな」
レーヴェが懐かしそうに笑い、私もつられて微笑んだ。
「今じゃすっかり接客のプロよ。お客さんの中には、あの子の笑顔目当てって人もいるくらいなんだから」
「……あ、こっち見た。気づいたかな?」
ネロくんの声に視線をやると、ミアちゃんがぱちっと瞬きをして、ぱあっと顔を輝かせた。
すぐに暖簾の奥にいるミーナに何かを伝え、ふたりでこちらに向かって小さく手を振ってくる。
「ティアナ様! リズ様、レーヴェさんに……ネロくんまで! いらっしゃいませーっ!」
ミアちゃんは列の合間を縫って外へ駆け出し、満面の笑みで迎えてくれた。
「今日はどうしたんですか? みなさんお揃いで、びっくりしました!」
「これから、ネロくんの家に行くの。せっかくだから、ここのおにぎりを買っていこうって話になってね」
私が答えると、ミアちゃんはうれしそうに声を弾ませて笑った。
「ネロくんち、みんなおにぎり大好きですもんね。特に“お母さん”! 昨日も来てくれたよ」
「えっ……本当に?」
ネロくんが驚き、リズがふと提案する。
「……だったら、違うものを買って行った方がいいかしら?」
「大丈夫だと思いますよ? 何日も続けて来ることもありますから」
ミアちゃんの返事に、ネロくんが苦笑する。
「相変わらず、あの人は……」
私たちは顔を見合わせて笑い、ミアちゃんも口元に手を添えてふふっと笑った。
「おにぎり全種類、制覇してくれたんですよ」
「それは……完全に常連面してるな……」
「してますね」
ミアちゃんの即答に、ネロくんが目を丸くし、リズとレーヴェが同時に頷いた。
そのとき、店の中からミーナが顔を出す。
「ティアナ様たち、いらっしゃい! 待ってたよ」
「ミーナ! 久しぶりね」
私たちが挨拶を交わすと、ミアちゃんは「他のお客様をご案内してきますね」と手を振って店内へ戻っていった。
「注文、聞くよ! 今月のおすすめは……“スパムおにぎり”だよ」
「……スパム?」
思わぬメニューに首をかしげると、ミーナがにやりと笑った。
「先月、ネロのお母さんがね……
“昔、ティアナ様にスパムと薄焼き卵のおにぎり作ってもらったら、すっごく美味しかったの! また食べたい!”
って言い出してさ」
その場にいた全員が、思わず吹き出した。
ネロくんは「またあの人か……」と呟いて、顔を両手で覆う。横から見える耳は、ほんのり赤い。
ミーナは豪快に笑いながら続けた。
「最初は、スパムなんてご飯に合うの?って思ったけど、ティアナ様が作ってたなら間違いないってことでやってみたら……ほんとに美味しくてさ。出してみたら、お客さんにも大好評!」
「……じゃあ、俺はその“スパムおにぎり”と、“ツナマヨ”をもらおうかな」
復活したネロくんがそう言って、私たちにちらりと視線を向けた。
「みんなは?」
「私も久しぶりに“スパムおにぎり”食べたいな」
私がそう言うと、リズとレーヴェも頷いた。
「じゃあ、“スパムおにぎり”は四つ。私はそれに“卵黄の醤油漬け”を追加で」
「はいよ!」
ミーナが注文を受けながら手際よくメモを取る。
「私は“とろ昆布のおにぎり”がいいわ。塩加減が絶妙なのよね」
「では私は“牛しぐれ煮”を」
「了解っ! あらかじめ言われてた分とあわせて、全部で……八個だね」
ミーナがカウンター奥へ戻っていき、ミアちゃんも袋詰めの準備に入った。
「少々お時間いただきます。ひとつずつ丁寧に握るから」
「もちろん。よろしくお願いします」
私たちは店の外のベンチに腰を下ろし、やわらかな日差しを浴びながら待つことにした。
通りを吹き抜ける風に、おにぎりを握る香ばしい香りがふわりと混じって漂ってくる。
「……不思議なもんだな」
ネロくんがぽつりと呟く。
「昔は、ただ“食えればいい”って思ってたのに。今はこうして、何を食べようかって迷って、笑って……」
「選べるようになったのは、ネロくんたちが努力してきたからよ」
私がそう言うと、ネロくんは何かを言いかけて、けれど少し黙ってから照れたようにつぶやいた。
「……違うよ。確かに俺たちも頑張ったけど、こんなふうになれたのは──ティアナさんたちのおかげだよ」
「え……?」
思わぬ言葉に、私は少し言葉を失う。
すると、レーヴェが静かに口を開いた。
「……俺も。俺とステラも、ティアナ様たちと出会っていなければ、今もきっと、奴隷のままだったと思います」
「そんな……私は……」
言葉を探していると、今度はリズがやわらかく笑い、私の目を見て口を開いた。
「ティアナさんの街を良くしたい。みんなが住む場所や食べることに困らず、“どのおにぎりにしよう?”って選べる──そんな街にしたい。
あなたはそれを本気で考えて、行動してきた。だから、今があるんですよ」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
私はうつむいて、でもすぐに顔を上げた。
「……ありがとう。じゃあ、私はこれからも、もっともっと頑張らないとね」
そう言うと、ネロくんがにっと笑った。
「うん。俺たちも、ちゃんとついていくから」
春の光がやわらかく差し込むベンチで、私たちはほんのひととき、あたたかな沈黙を分け合った。




