211.昼風の畑と、おにぎり
イリアさんは、エイミーの差し出した小さな布袋を、両手で丁寧に受け取った。
中をそっと覗き込み、袋の口から種をひとつまみ、手のひらに移す。
「……なるほど。
見た目は似ていますが……イルはもっとずっしり黒くて固いんです。
これは、それよりも細くて小粒──それに、殻の色がとても明るいですね。こんなに白っぽい種は、初めて見ました……っ」
指先でそっと転がすようにしながら、イリアさんは感心したように言った。
「これ、ちょっと畑の土と合わせてみましょうか。何が合ってないのか、もしかしたらヒントになるかもしれません」
「えっ……ほんとにいいんですか?」
エイミーがぱっと顔を輝かせる。私も、心の奥がふわりと明るくなった気がした。
「もちろん。うちは品種改良もやってますから、試し蒔き用の一角くらいあります。芽が出るかはわからないけど、やってみなきゃ何も始まらないでしょ?」
イリアさんの言葉に、胸がじんと熱くなる。
この世界でずっと理解されなかった“コメ”という存在に、初めて「試してみよう」と言ってくれる人が現れた。
「ありがとうございます……本当に」
私たちは立ち上がり、もう一度畑へ向かった。
さっき案内してもらった本畑の手前。端に、小さく囲まれた試験区画があった。
「ここの土は少し改良してあって、通気も水はけも調整しやすいんです。
イルでも、品種を変えたときはここで様子を見てるんですよ」
イリアさんがスコップで土を軽く掘り返す。
その土は、ふわりとした黒土で、握るとほどよく湿っていて柔らかかった。
「これなら、もしかしたら……」
エイミーがそっと、“コメ”の種を数粒手に取る。
私たちは息をひそめるようにして、彼女が慎重に土の上に種を置くのを見守った。
──ぽとり。ぽとり。
「……コメの種、ひとつひとつが、重く感じますね」
エイミーがぽつりとつぶやいた。
その言葉に、私も静かにうなずいた。
「うん……何度も失敗して、何度も諦めかけて……それでも、持ち続けてきたから」
「まるで、自分の夢みたいですね」
イリアさんが、そっと笑った。
「芽が出るかどうか、期待しすぎないでくださいね。でも……」
彼女は優しく土をかぶせながら言った。
「願いをこめて蒔いた種は、きっとちゃんと届く場所があると思うから」
私たちは、しばらく無言でその小さな畝を見つめていた。
やがて吹いてきた風が、イルの畑を、コメの畑を、そして私たちの頬を、やさしく撫でていった。
それはまるで、「ようこそ」と、この世界がささやいてくれているようだった。
◆
ぽかぽかとした陽射しの中、畑から戻る道すがら、私の隣でマリーがそっとつぶやいた。
「……もう、お昼ね。なんだか、お腹すいてきちゃった」
その言葉に、レーヴェも小さく笑った。
「たしかに。風に当たると、余計にお腹が空きますね……」
平屋に戻ると、イリアさんが奥をちらりと見て、気まずそうに笑った。
「ごめんなさいね。このあたりには見ての通り、お店なんてなくて……。
うちには簡単に温める設備くらいはありますが、用意できるのは粗末なパンとスープくらいで……」
「いえいえ、そんな!」
エイミーが慌てて首を振った、そのとき──
「だったら、こちらからお礼も兼ねて、何か作らせていただけませんか?」
私はそう言って立ち上がった。
「食事はいつでも取れるように、食材の準備をしてあるんです。
せっかくですし、さっきご覧いただいた“お米”を使った料理を、ぜひ食べてみていただけませんか。オリバーさん、一緒に作りましょう」
私がオリバーに目配せを送ると、彼はすぐに察して、にっこり笑った。
「おにぎりですね? 昨日炊いた“ごはん”が残ってます。
あれなら、皆さんにもきっと喜んでもらえるでしょう」
「おにぎり……? それに、“さっきご覧いただいたお米”って……あれを、人が食べるんですか!?」
イリアさんが目をぱちくりさせる。
リズがくすっと笑いながら補足する。
「飼料と思っていると驚きますよね。でも、お米は家畜の餌ではなく、人間の食用なんです」
驚いたままのイリアさんに、私は笑顔を向けた。
「お米に合うスープ──お味噌汁も用意します。もし、抵抗があればパンもありますけど……」
(でも、できれば食べてほしい)
そう願いながらイリアさんを見つめると、彼女はくすっと笑うと言った。
「なんだか……逆にもてなされちゃう感じですけど……いいんですか?」
「はいっ! 今日はたくさん教えていただきましたから。種のことも、畑のことも……これは、私たちからのささやかなお礼です!」




