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スキルをよみ解く転生者〜文字化けスキルは日本語でした〜  作者: よつ葉あき
クリスディアの領主

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208.甘い香りのはじまり


「──黒パンが苦手、か……」


ぽつりと呟きながら、私は視線を落とした。


脳裏に浮かぶのは、その日の食事さえまともに取れなかったスラム街の子どもたちの姿。

それを思えば、「黒パンがおいしくない」なんて、ずいぶん贅沢な悩みに思えてしまう。


──だけど。


「おいしいものが食べたい」──その気持ちは、誰にとっても当たり前の願いだ。


私だって、この世界に来たばかりの頃、同じことを思った。

スラム街の子たちのことを思えば、わがままに聞こえるかもしれない。

それでも、そんな当たり前の願いを、誰もが口にできる街にしたい。


私が、その街をつくっていくんだ。


──まずは、この目の前の問題から。


私は顔を上げた。


「……あの、お昼のパンと、あと卵を何個か、私に分けてもらえませんか?」


「え? もしかして……黒パンのことですか?」


戸惑うカミラさんに、私はこくりと頷く。


「それは構いませんけど……黒パンですよ? 固くて、味気なくて、あまりおいしいものでは……」


やっぱり、大人でもそう思ってるんだな。


心の中でそう思いながら、私はにっこり笑って言った。


「ちょっと、おいしく変身させてみたいんです」


オリバーさんには火の準備を頼み、カールさんは新鮮な卵を用意してくれる。

カミラさんは、黒パンの入ったかごを家から運んできてくれた。


「これ、けっこう固いですよ……?」


「むしろ、それがいいんです」


私は卵を割り、ミルクと砂糖を混ぜた液に、厚めに切った黒パンをたっぷりと浸す。

しっかり染み込んだところで、バターを溶かしたフライパンへ──。


じゅっ。

甘く香ばしい香りが、ふわりとあたりに広がった。


「わあ……なんか、すごいね!」


「パン焼いてるの? でも、甘いにおいがする!」


カインくんとカリンちゃんが、目を輝かせてフライパンをのぞき込む。


「これはね、“フレンチトースト”っていうの。黒パンを使った、ちょっと特別なおやつよ」


「おやつ!?」


おやつという言葉に、ふたりの目がぱっと輝いた。……かわいいなあ。


焼き上がったパンに粉砂糖を軽くふりかけると、見た目もぐんと可愛らしくなった。

オリバーさんがふたりの皿に、そっと取り分けてくれる。


「うわぁ……!」


「うまそう……これ、食べていいの!?」


「ええ、もちろん。ふたりのために作ったのよ」


私の言葉に、カリンちゃんは元気よく頷き、焼き色のついたひと切れをそっと口に運んだ。


「……やわらかい……」


カリンちゃんは目を丸くし、ぽつりと呟いた。


「おいしい……!」


「うっわ、なにこれ! うまっ! 本当にあの黒パン!?」


カインくんの瞳も、きらきらと輝いていた。

その様子を見て、カミラさんが驚いたように口元を押さえる。


「……黒パンを、こんなに嬉しそうに食べる子どもたちを見るの、初めてかもしれないわ」


「すごいわよね。うちの子たちも黒パンは苦手だけど、あのフレンチトーストなら喜んで食べるのよ」


答えたのはマリーだった。

うれしそうに食べるカインくんたちを見つめながら、穏やかに続ける。


「ねえ、料理って……ちょっと魔法みたいじゃない?」


「えっ?」


「だって、いつもなら眉間にしわを寄せて食べていた黒パンが、卵液に浸して焼いただけで、あんなに嬉しそうに食べるんだもの」


マリーの言葉に、カミラさんはふっと笑みをこぼした。


「……たしかに、魔法みたいね」


鉄鍋の余熱に残るバターの香りが、まだ空気の中に漂っている。

子どもたちは皿の上を名残惜しそうに見つめながら、フォークの先でパンくずをつついていた。


「……おかわり、する?」


「いいの!?」


私の問いかけに、カインくんの顔がぱっと明るくなる。


「うん。今から作るから、ちょっと時間はかかるけど……材料はまだあるから、待っててね」


私はもう一度フライパンに火を入れ、黒パンを卵液にくぐらせる。

その様子を、今度はカリンちゃんがじっと見つめていた。


「それ、どうやって作るの?」


「うん。卵を割って、ミルクと砂糖を混ぜてね──」


私はひとつひとつの動作をゆっくり見せながら、説明していった。

カリンちゃんは真剣な顔でうなずき、カインくんも隣に来て、同じようにのぞき込んでくる。


「なんか、かんたんそう!」


「うん、ぼくもやってみたい!」


ふたりの瞳は、さっきよりももっときらきらしていた。

パンの焼ける音に混じって、心まで温まっていくような気がする。


小さなふたりの笑顔。

それをやさしく見守る大人たち。


甘い香りがふわりと漂うなかで、そこにはまた、ほのかな温もりが満ちていった。




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