207.いいにおいにつられて
“イル”の味を噛みしめていた、そのとき──
「……ん、なんか……いいにおい……」
ふと背後から、小さな声が聞こえてきた。
入口のほうを振り返ると、数歩だけ身を乗り出すようにして、ひとりの女の子が立っていた。
年の頃は四つか五つほどだろうか。そっと鼻をひくひくさせながら、じっとこちらの鍋を見つめている。
そのすぐ後ろから、男の子がひょっこり顔をのぞかせた。
「ねえ、あれ……ごはんかな? すっごくいいにおいがする!」
その声に、カミラさんがはっと立ち上がる。
「こらっ、あんたたち! お客様のところに勝手に入っちゃだめって言ったでしょ!」
慌てて駆け寄ったカミラさんは、ふたりの肩にそっと手を添えて引き戻そうとする。
「でも、だって……いいにおいで……」
女の子が、しょんぼりとつぶやいた。
「母さんたちだけずるいぞ! おれたちもお腹減った!!」
その言葉を聞いた瞬間、私は思わず立ち上がっていた。
「こっちにおいで。一緒に食べましょう?」
呆れたように頭を押さえていたカミラさんが、驚いた顔で私を見る。
「でも、ティアナ様……子どもたちが、失礼を……」
すると、今度はマリーが立ち上がり、子どもたちに駆け寄った。
「こんにちは! 私のこと、覚えてるかな?」
お兄ちゃんである男の子が少し考えたあと、ぱっと顔を明るくした。
「あ……マイカのお母さん!?」
「正解っ! 久しぶり、カインくん。大きくなったね!」
にっこりと笑いながら、マリーは男の子──カインくんの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「うん! あれ、マイカとルークは?」
「ごめんね。今日は子どもたちは連れてきてないの」
「……そうなんだ」
少し残念そうにするカインくんの袖を、女の子がつんつんと引っ張る。
「お兄ちゃん、この人だあれ?」
「母さんの従姉妹のマリーおばさんだよ。なんだよ、カリン。覚えてないのか?」
カインくんにそう聞かれて、そっと首を振る女の子──カリンちゃん。
マリーは苦笑し、「最後に会ったのは二歳のときだもんね」と言ってから、そっと手を差し出した。
戸惑いながらも、カリンちゃんはマリーの手を取る。
マリーはカインくんとも手をつなぎ、ふたりをこちらへ連れてきた。
それを、心配そうに見つめるカミラさん。
「マリー……」
「心配しなくて大丈夫よ! なんたってティアナは、マイカとルークとも友達なんだから」
片目を閉じてそう言ったマリーの言葉に、カミラさんとカインくんは目を丸くした。
「えっ、マイカたちの友達なの?」
「そうなの。君も友達になってくれるかな?」
にこりと笑って聞くと、男の子は腰に手を当て、胸を張って答えた。
「しょうがないなぁ。お姉さん、友達少なそうだもんな」
その言葉に、カミラさんとカールさんが青ざめる。
「こらっ! あんた、なんてこと言うの……っ」
「え!? 分かっちゃう? そうなのよ。だからカインくんが友達になってくれたら、すごくうれしいなあ」
「うん、いいよ。まかせとけ!」
私たちが笑い合うのを、真っ青な顔で見ていたカミラさんたちに、オリバーさんが「大丈夫だよ」と優しく声をかけながら、新たによそったご飯を運んでくれた。
「……たべて、いいの?」
「ええ。いっぱい食べて、感想を聞かせてね?」
そのやりとりに、カミラさんの目元がうるんでいく。
カールさんも、静かに息を吐いてから、子どもたちの頭をぽんぽんと撫でた。
「今日は特別だぞ。よく味わって食べるんだ」
「うんっ!」
小さなふたつの声が重なって、ぱっと笑顔が咲いた。
オリバーさんがそっと器をふたつ差し出すと、ふたりは「ありがとう」とぺこりと頭を下げた。
そして──ひと口。
「……おいしい……!」
「ぷちぷちしてる! 食べたことない味だけど、すげぇうまい!」
口いっぱいに広がる味に、ふたりは目をまるくして歓声を上げる。
その純粋な反応に、大人たちの間にも、あたたかな笑いが広がっていった。
あくまで試食用。もともと量の多くなかったご飯は、あっという間になくなってしまった。
「おかわり!」
「ごめん、もうないんだ……」
元気よく言ったカインくんに、オリバーさんが申し訳なさそうに答える。
「えー!」
「カイン! わがまま言わないの。昼食用にパンがあるでしょ?」
「だって、黒パンなんて、うまくないじゃん。こっちのほうが断然おいしかったよ」
「……カリンも黒パン、固くて苦手……」
──そういえば、マリーも以前、“子どもたちは黒パンが苦手”って言ってたわね。
子どもたちの声を聞きながら、胸の奥が少しだけ、きゅっと締めつけられるような気がした。




