206.ぷちぷちの粒に、希望を込めて
しばらくすると、ふわりとやわらかな湯気が立ちのぼり、そこにほのかに香ばしい香りが混じりはじめた。
「……あ、なんか匂いが違う?」
マリーが鼻をひくひくさせながら、鍋に顔を寄せる。
「うん。ちょっと香ばしくて、甘い香りもする気がする」
エミリーも興味津々な様子で鍋をのぞき込む。
「でも、いつものお米に近いですね」
リズが静かに言い、私は内心ほっと胸を撫で下ろした。
火を止め、しばらく蒸らしてから──
「では、開けてみます」
オリバーさんが鍋の蓋に手をかけた。 皆が固唾をのんで見守る中、蓋がゆっくりと持ち上がる。
「……!」
「すごいっ! 見た目は大成功じゃない?」
「香りもすごくいい!」
次々に感想が漏れ、顔がほころんでいく。
オリバーさんが小さな匙でひと口すくい、慎重に味を確かめた。私もそれに続く。
(……どうかな)
もぐ、とひと口。
「……おいしい」
イル特有の風味がほんの少し残っていたが、それは嫌味ではなく、むしろ良いアクセント。精米によって雑味が抑えられ、お米の甘みとよく調和していた。
「うまくいった……?」
思わずつぶやくと、オリバーさんがにっこりと笑う。
「少し固めかと心配でしたが、まろやかで、かえって風味が引き立っていますね。これは、立派な料理になりますよ」
「ほんとに!? やりましたね!」
エイミーが嬉しそうに笑い、他のみんなも次々に口へ運んでいく。
「うん、おいしい……っ!」
「やわらかいお米だけでも美味しいけど、イルが入ってると、ぷちぷちした食感も楽しいですね」
思い思いの感想が交わされ、自然と笑顔が広がっていった。
その和やかな空気の中、ふと視線を感じて振り返る。
じっとこちらを見つめていたのは、カールさんとカミラさん夫婦だった。
「……よかったら、食べてみる?」
「えっ!?」
カミラさんが驚いたように私と鍋を交互に見た。隣のカールさんも、小さく息をのむ。
マリーがそっと駆け寄り、カミラさんの腕を取る。
「カミラ! これ、すっごく美味しいのよ。一緒に食べよう?」
そう言ってふたりを私たちの側へ連れてくると、オリバーさんがよそったご飯を手渡した。立ちのぼる香ばしい湯気が、ふたりの頬にふわりと触れる。
「……私たちが、食べてもいいのですか?」
「もちろん。カールさんたちからいただいたイルで作ったんですから。どうぞ」
私が笑いかけると、ふたりは顔を見合わせ、控えめに頷いた。
最初に手を伸ばしたのはカミラさんだった。 そっとひと口、口に運ぶ。
「……」
しばらく噛みしめて、静かに目を閉じた。そして、口元に手を当てる。
「……こんなに、やさしい味になるなんて……」
ぽつりとこぼれた声は、かすかに震えていた。
「元は飼料だったはずのイルが、こんな……あったかくて、おいしくて……」
その言葉に、カールさんも恐る恐るひと口。 噛むほどに顔に驚きが広がり、やがて目を見開いた。
「これは……すごい。本当に、食えるんだな。いや、“食べたくなる”味だ」
「ふふ、うれしいです。少し手を加えただけなんです。“精米”という処理で表面を削ると、雑味が減って甘みが引き立つんですよ」
私が説明すると、ふたりは顔を見合わせて小さく笑った。
「……すごいですね。あのイルが……手をかけるだけで、こんなにも変わるんですね」
「ええ」
私が頷くと、カールさんはふと目を伏せ、懐かしむようにつぶやいた。
「……イルはずっと、鶏のエサでしかないと思ってた。“食べるものじゃない”って。だけど、こうして味を知ってしまうと……これからは鶏にやるのが、ちょっと惜しくなってきますね」
その言葉に、思わず笑いがこぼれる。 驚きと喜びの入り混じった、あたたかな笑いだった。
カミラさんも微笑みながら、もうひと口、ご飯を口に運ぶ。 目を閉じ、丁寧に味わっている。
「……イルって、私たちにとっては“買ってくる飼料”でしかなかったんです。安くて栄養があるから、鶏にとって必要なもの。でも……人がこうして食べるなんて、考えたこともありませんでした」
カールさんも腕を組みながら、しみじみとうなずいた。
「本当に、目から鱗というか……ただの飼料だと思ってたものが、こんなにおいしい食べ物になるなんて。 それにしても……よく、これを食べてみようと思いましたね」
その言葉に、皆の視線が自然と私へ集まった。
「確かに……。お米に似てるとはいえ、よく鶏のエサを口に入れようなんて思ったわよね」
マリーが私を見てニヤリと笑い、オリバーさんとエイミーも頷く。
「まあ……そうだな。俺たち平民でも正直ちょっと抵抗あるのに、まさかお貴族様が率先して“食べてみよう”なんて言うとは」
「それに、まさか魔導コンロを持ち歩いてるって……」
「ぷっ……!」
思わず吹き出したのは、リズだった。
「……ごめんなさい。でも、ティアナ様って本当に……そういう方ですよね」
口元を押さえて笑うリズに、マリーもつられて肩を震わせる。
「うんうん。真顔でとんでもないことやるタイプよね!」
「ちょっと、それひどくない!?」
頬をふくらませて抗議するが、自分でもこらえきれずに笑ってしまう。
オリバーさんが目を細めて言った。
「でも……本当にありがたいんです。今回のこともそうですが、ティアナ様の柔軟な発想には、いつも驚かされています」
「……それって、ちゃんと褒めてます?」
「もちろん。心から、ですよ」
「……まあ、そういうことにしておいてあげるわ」
そのやりとりに、また笑いが広がった。
その輪の中で、私はふと手元を見つめる。
炊きたてのご飯──イルとお米のブレンド。 見た目は控えめだけれど、そこには確かな希望が詰まっている。
もう一度、そっとひと口。
ぷちぷちとした食感と、やさしい甘み。 その中に、“はじまり”の味があった。




