203.知られざる実り
すみません。夫婦の夫の名前、変更しました。
数日後、私たちは養鶏場を訪れていた。
同行してくれたのは、リズ、エイミー、マリーとオリバーさん、そして護衛のレーヴェ。
私にとっては初めての養鶏場の見学だったが、思いがけず、出迎えた相手はひどく緊張しているようだった。
「ティアナ様、エリザベス様……! こんな田舎の鶏舎にようこそおいでくださいました。
わ、私はこの養鶏場を営んでいるカールと申します。こちらは妻のカミラです」
経営者である夫婦は、そろって深々と頭を下げる。
背筋はぴんと張り詰めており、まるで何かの儀式にでも臨むかのようだった。
「そんなに緊張しなくて大丈夫よ。このふたりはお貴族様ではあるけど、優しい人たちだから」
そう声をかけたのはマリーだった。
ここは、彼女の従兄弟が営む養鶏場だ。
なんでもマリーの母方の実家は代々養鶏業を営んでおり、例の宿で使われていた卵も、そうした縁で仕入れていたらしい。
最初は、その仕入れ先を見学できないかと考えていたが、そこはルセル近郊にあり、クリスディアからは遠すぎた。
そこで代わりに提案されたのが、この養鶏場だった。
マリーの従兄弟の嫁ぎ先でもあるこの場所は、クリスディアの街から半日ほどの距離にあったのだ。
──マリーが声をかけても、まだ緊張の抜けない夫婦に、私も口を開いた。
「そんなにかしこまらなくて大丈夫よ。今日はあくまで見学だし、私たちもとても興味があって来ているんだから」
私がやんわりと返すと、夫婦は目を見開き、やがて安心したように表情をほころばせた。
さっそく鶏舎へ案内してもらった。
リズはすぐ隣で穏やかな笑みを浮かべ、エイミーは興味津々といった様子で周囲を見回していた。
「……ここの鶏たちは、毎日こんな静かな場所で暮らしているのね。いい環境だわ」
「はい。なるべくストレスを与えないように飼育しています」
マリーの従兄弟が胸を張って答える。その顔には、鶏たちへの誇りがにじんでいた。
養鶏舎の中には、羽音が穏やかに響いている。
整然と並んだ鶏たちは、人の気配に驚くこともなく、のんびりと羽を広げたり、地面をついばんだりしていた。
「……ずいぶん人馴れしてるのね」
私がそうつぶやくと、カミラさんが微笑んだ。
「毎日話しかけているんですよ。声をかけると、ちゃんと覚えてくれるんです。鶏って、案外賢いんですよ」
「へぇ……そうなんですね!」
エイミーが目を輝かせ、前のめりになる。
「餌はどんなものを使っているのですか?」
今度はリズが尋ねた。
「主に穀物を混ぜた配合飼料ですね。うちでは納屋で混ぜてから配っています」
「ねぇ、カミラ。その餌、見せてくれない?」
マリーがすかさず声を上げた。
「えっ……!?」
驚いたカミラさんは、私たちの方をちらりと見やり、小声で言った。
「この鶏舎はお貴族がいらっしゃるって聞いて、急いで掃除はしたけど……飼料置き場まで見るとは思っていなかったから……っ」
「ティアナたちなら大丈夫よ。そんなの気にしないから」
「マリー! あなた、お貴族様に向かって呼び捨てなんて……っ」
カミラさんが困ったように私を見たその瞬間、私と目が合った。
「あ……っ」と何か言いかけたが、言葉にならないまま顔色が曇る。
「あの、マリーの言うとおり、散らかっていても気にしないので、見せてもらえませんか?
それに、呼び捨ての件も大丈夫よ。マリーとは友達なので」
私が微笑みながらそう伝えると、カミラさんは一瞬きょとんとした後、小さくうなずいた。
「……わかりました。では、ご案内しますね」
まだ戸惑いを残しつつも、カミラさんが先頭に立つ。
私たちはそのあとに続いて、鶏舎の裏手にある小さな納屋へと向かった。
案内された納屋の中には、いくつかの麻袋が積まれていた。
そのうちのひとつは、口が開いたままになっている。
「これが……鶏の餌?」
私は袋の中をのぞき込んだ。淡い茶色の粉の中に、ところどころ粒のようなものが混ざっている。
「この粒……」
ふと、見覚えのある形に、心臓が小さく跳ねた。
私は一粒を指先でつまみ、じっと見つめる。
形も大きさも──エイミーたちが植えた、あの“米”とそっくりだった。
「これ……どこから仕入れているの?」
「え? これは農場向けの商人さんからですね。特別なものじゃないです。昔からこういうのが雑穀飼料に混ざってるんですよ」
「これ……食べたこと、ありますか?」
「ええっ!? いやあ……人間が食べるもんじゃないですよ。味もしないし、硬いし……食べたことなんて……」
夫婦は顔を見合わせ、困ったように笑った。
けれど、私の胸の奥では何かが確かに繋がり始めていた。
もし、これが本当に“米”なのだとしたら──
「エイミー、ちょっと見て。これ……あなたが植えた“種”と似てない?」
「えっ……!」
エイミーが袋の中をのぞいた瞬間、顔をこわばらせた。
すぐにポーチから乾燥させた種を取り出し、二つを並べてじっと見比べる。
「そっくり……です……!」
「やっぱり……!」
思わず、私は息をのんだ。
この世界では知られていないはずの“米”が、動物の飼料という形で、すでに流通していた。
誰も食用だとは思っていないだけで、その存在は、この国に根付いていたのだ。
「つまり……育て方を知っている人も、もしかしたら……」
エイミーが小さくつぶやく。
その横顔には、ほんの少しだけ、希望の色が差していた。




