202.塩の結晶と芽吹かぬ米
「本当に……海水から塩が……っ! とうとう、できたんですね!」
エイミーが目を輝かせ、感動の声をあげた。
その隣では、ミアちゃんがぱちぱちと小さな手を打ち、満面の笑みでベルさんを称える。
「ベルおじさん、すごいっ!」
「……いろいろ大変だったけどな。完成して、ほっとしたよ」
ベルさんは照れくさそうに頭をかきながらも、どこか誇らしげに笑った。
だがその横で、エイミーがふぅっと大きなため息をつく。
「最初、“海水から塩を作る”って聞いたときは、そんなの本当にできるのかって、信じられませんでした。
でも、こうして完成して……それなのに私は……」
ぽつりとつぶやき、エイミーはテーブルに顔を伏せた。
肩が小さく震えているのが見える。
──そう。塩作りが順調に進む一方で、エイミーたちの挑戦──米作りは、思うようにいっていなかった。
ベルさんが心配そうにエイミーを見つめる。
私も思わず、そっと声をかけた。
「エイミー……」
「……うん、大丈夫です」
顔を伏せたまま、かすれた声でそう返したが、その肩はわずかに震えていた。
「……塩ができたのを見て、本当にすごいと思ったんです。
海の水から結晶ができるなんて、まるで魔法みたいで……
それに比べて私たちは、田んぼを作って苗も植えたのに……芽すら出なくて……」
ぽつぽつと、机の上にこぼれるように言葉が落ちていく。
その一つひとつに、彼女の努力がにじんでいた。
「何度も調べて、水も引いたし、土も耕したのに……
塩はできたのに、どうしてお米は育たないんでしょう……悔しくて……」
言葉の最後が震え、エイミーはぎゅっと目を閉じた。
「……悔しいのは、頑張った証拠だ」
静かに、しかしあたたかくそう言ったのはベルさんだった。
いつものぶっきらぼうな口調ではなく、やわらかく優しい声だった。
「俺も昔は、いろんなことを諦めてきた。料理も、夢も。
でもこうして塩ができて……少しだけ、やり直せた気がするんだ。
だからエイミーも、もうちょっとだけ、やってみようぜ。諦めるには、まだ早ぇよ」
ベルさんの大きな手が、そっとエイミーの頭をぽんと撫でた。
エイミーは驚いたように顔を上げ、そして、少しだけ笑った。
「……はい。もう一度、がんばってみます」
ミアちゃんが「えいえいおー!」と元気に拳を突き上げる。
その姿を見て、エイミーの表情がやわらかくほころんだ。
「海の水から塩が作れるなんて……魔法みたいなことができたんですもの。
お米だって、きっと育てられるはずです」
そんな彼女を、私はもどかしい思いで見ていた。
──米。この世界では知られていない、異世界から持ち込んだ作物。
けれど私自身、どう育てればいいのか、はっきりとは分かっていなかった。
「米作りって……確か、水田が必要で、種まきの時期とか、土の準備とか……いろいろ注意がいるんだっけ……」
独り言のようにつぶやきながら、自分の記憶の曖昧さに顔をしかめた。
なんとなくしか覚えておらず、人に説明できるほどの知識もない。
もっと調べておくべきだった、と胸の奥が痛んだ。
──エイミーに米作りを頼んだのは私なのに、彼女をこんなに悔しい思いにさせて、何も力になれていない。
そのときだった。
「……おーい、みんなー?」
軽やかな声とともに、マリーがふらりと小道から現れた。
手に抱えていたカゴを下ろし、周囲を見回してから、田んぼの方へ歩み寄る。
「オリバーから、そろそろ皆の小腹がすいた頃じゃないかって、軽食を預かってきたのよ!
……あ! ベルさん、聞きましたよ。塩、完成したんですってね? おめでとう!」
「おう、ありがとう! マリーさん!」
ベルさんが元気に手を振る。
マリーは手を振り返しながら、やがてエイミーのそばにしゃがみ込んだ。
その視線が、隅に置かれた米の束へと向かう。
「ねぇ……それ、あなたたちが育てようとしてた作物よね? 前から思ってたんだけど……」
そう言って、マリーはじっと米の実を見つめた。
一粒を手に取り、指の中でくるくると転がす。
「……やっぱり。初めて見たときから、どこかで見たことあると思ってたんだけど……」
少し考え込んだあと、マリーはぽつりとつぶやいた。
「これ、養鶏場で使われてる餌……じゃない?」
「……えっ?」
その場にいた全員が、一斉にマリーを見つめた。
「たぶん……だけどね。粉になる前の状態を見たことがあるの。農場の納屋でね。
鶏にやるエサの中に、似たような粒が混じってて……これと、ほとんど同じ形だった」
私は思わず息をのんだ。
この世界には、米を“主食”とする文化がない。
だから誰も米の存在を知らず、私も上手く説明できなかった。
でも、餌としてなら──どこかで誰かが扱っていた可能性がある?
「ってことは……米そのものじゃなく、“飼料用の米”みたいな扱いで、この国にも存在してたってこと……?」
「かもね。食べ物としてじゃなく、あくまで動物用の雑穀扱い。
お米って、ティアナに炊いてもらったらすごく美味しかったけど、
そのままだと地味で硬いし……この国じゃ、わざわざ炊いて食べようとは思わなかったのかもしれないね」
マリーの言葉に、エイミーが小さく目を見開いた。
「つまり……育て方を知っている人が、もしかしたらどこかに……?」
「少なくとも、農場に詳しい人なら、何か知ってるかも。
私の知ってる範囲じゃ、そこまでは分からないけど」
少しだけ、光が差したような気がした。
真っ暗だったトンネルの先に、ほのかな明かりが見えたような──
私は思わず、マリーの手を取っていた。
「マリー、ありがとう……! 本当に助かった!」
「でも……本当にあれが“お米”だったかどうかは、まだ分からないわよ?」
──それが本当に米かどうかは分からない。
けれど、似たものがあるというだけでも、きっと手がかりになる。
まだ道は遠いかもしれない。
それでも、あきらめるには──やっぱり、まだ早すぎる。




