159.偽りの正論
「そうだ。君、まだ上級ポーションを持っているんだよね?」
不意にかけられた言葉に、私は顔を上げた。
「……はい。詰所の皆さまへのお礼として、数本持参しております」
「うんうん、素晴らしい心がけだ。実に立派だよ」
ゴルベーザは笑顔を崩さずに、わざとらしくゆっくりと頷いた。
そして、まるで特別な慈悲でも授けるかのように、さらりと言った。
「せっかくだから──そのポーション、私に献上してくれないか?」
時が止まったような気がした。
「……は、献上……?」
思わず問い返してしまう。
ゴルベーザは少し困ったように微笑んで、丁寧に言い直した。
「ほら、君も“感謝の気持ち”を持って来てくれたんだろう?
でもね、私がこうして直々に出向いた以上、詰所の人間に渡すのはちょっと……筋が違うと思わないか?」
「…………」
「君の好意は、まず“しかるべき立場の人間”に届けられるべきだ。
そうすれば、こちらから詰所へも然るべき形で配分できる。
順序、というやつだよ。ね?」
まるで“正論”のような口ぶりだった。
だが──それはただ、彼が私のポーションを当然のように懐へ入れるという意味でしかなかった。
部屋の空気が、凍りついたように静まり返る。
私は一瞬、何かを言いかけた。
けれど、息を吸って──そのまま、静かに飲み込んだ。
「……かしこまりました」
声が、ほんの少しだけ震えたのが自分でもわかった。
それをゴルベーザは“素直な態度”とでも受け取ったのだろう。
彼は頷き、手を差し出すと、満足そうに笑った。
「良い子だ」
そう言われた私は、くるりと振り返って彼女を見る。
「──リズ」
「はい」
それだけで、リズは鞄から魔紙を取り出した。
そして、その紙に向かって、澄んだ声で告げる。
「──スティーブ。エリザベスです。
貴方の孫、ゴルベーザ・マニュールは何も変わっていないようですね。
今すぐ、貴方の息子を連れて、街の詰所まで来なさい。──これは命令です」
はっきりとした口調で言い切ると、魔紙はふわりと宙に浮かび、青い光をまとって蝶の姿へと変わった。
ひらひらと舞いながら、窓の外へと飛び去っていく。
沈黙を破ったのは、ゴルベーザだった。
「そこの女……今、何をした?」
リズはゆっくりと顔を上げ、静かに答える。
「貴方の祖父、スティーブ・マニュールを呼び出しました。
彼とその息子は、貴方の教育に失敗しただけでなく──最後のチャンスも、無駄にしたようですね」
「……祖父を、呼び出しただと?」
ゴルベーザの声が低くなる。
怒りを抑えたその声音には、初めて余裕のない色がにじんでいた。
「君は、何様のつもりだ。スティーブなどと──その名を軽々しく呼ぶな!」
リズは一歩も引かず、まっすぐに彼を見返した。
──その時だった。
ふわりと、どこからか赤い蝶がひらひらと現れ、舞い降りる。
リズがそっと手を差し出すと、その蝶は指先に止まった。
蝶から──声が聞こえる。
「スティーブです、エリザベス様。
頂いた最後のチャンスを生かせず、誠に申し訳ございません。
すぐに愚息を連れ、そちらへ向かいます」
蝶はその言葉を残すと、光となって消えた。
──そして。
バンッ!
大きな音を立てて現れたのは、一人の騎士と数人の兵士たち。
その騎士の顔を見て、ゴルベーザは笑みを浮かべた。
「ジスラン! よく来てくれた。こいつらをさっさと捕らえよ!」
ジスランと呼ばれた騎士は表情ひとつ変えず、まっすぐこちらへ歩み寄る。
──と思いきや、私を素通りし、ゴルベーザの腕を掴んだ。
そして素早い動きで、手枷をはめる。
「ジスラン……? お前、何を……っ」
動揺するゴルベーザを無視し、ジスランはスッと片手を上げた。
すると、共に来ていた兵士たちが一斉に動き、ゴルベーザの護衛たちを次々と拘束していく。
呆然とするゴルベーザを兵士に預けると、ジスランはゆっくりとリズの前へと立った。
「お久しぶりです、エリザベス様」
ジスランの言葉に、場の空気がさらに張り詰めた。
誰もが息を呑む中、リズはわずかに頷く。
「ご苦労でした、ジスラン。
場所を移します。……この男たちも、連行を」
「はっ」
ジスランが一礼すると、兵たちが手際よく動き、ゴルベーザとその護衛を拘束したまま引き立てていく。
「離せっ、ジスラン、貴様ッ!
これは何かの冗談だろう!?
私が、私が誰だと思っているんだッ!」
ゴルベーザが喚くが、その声はもはや哀れだった。
かつての高圧的な態度も、虚勢も、崩れかけた自尊心の上に成り立っていただけだった。
リズは一瞥もくれず、静かにドアの方を見る。
「……来たわね」
バタバタと慌ただしい音が聞こえたかと思うと、新たな兵士が現れ、叫んだ。
「ご報告いたしますっ!
ただいまこちらに──領主様と先代マニュール家当主、スティーブ・マニュール様がご到着されました!!」




