153.クッキーとスープの約束
スラムの広場に、ようやく穏やかな空気が戻ってきた。
風が少しだけ涼しくなり、沈み始めた夕日が、炊き出しの片付けを急かすように影を伸ばしていた。
「さて……そろそろ、片付け始めようか」
私がそう声をかけると、ネロくんがぱっと動き出した。
「よっしゃ、俺、鍋洗うよ!」
「じゃあ、私とミアちゃんは食器をまとめますね。行こ、ミアちゃん」
ステラが小さく手を振りながら、ミアちゃんの手を掴んだ。
「うんっ!」
ミアが元気よく返事をして、ふたりはまだ返却されていない食器を探しに去っていった。
その様子を、少し離れたところでミアのお母さんが見守っている。やつれたように見えるけれど、その目には今、安堵の色が浮かんでいた。
「……ミアが、あんな風に笑うの、久しぶり見ました」
お母さんは目を細めて微笑み、静かに続ける。
「あの子、ずっと『おなかすいた』って言わないように我慢してたんです。私に心配かけたくないって……」
「……ミアちゃん、いい子ですね」
「はい。自慢の娘です」
晴れやかな笑顔ではっきりと言った。
その笑顔が素敵で、あまりにも眩しすぎて──
心の奥がチクリとした気がした。
そこへ、ネロくんが鍋を抱え戻ってきた。
後ろにはステラとミアちゃん。さらにはリズとエレーネさんの姿も。
「ただいまっ!」
「おかえりなさい!
じゃ、ちゃっちゃっと洗っちゃおう」
私は胸の痛みを誤魔化すように、明るく言った。
「リズとエレーネさんも洗い物手伝ってくれるの?」
「はい。あちらのことはロベールさんたちがやってくれてるので、私とエレーネも洗い物をお手伝い致します」
そのまま、7人で楽しくおしゃべりをしながら洗い物をしていたが、どこかミアちゃんの表情が暗いような気がした。
声をかけようか迷っていると、ステラが先に口を開いた。
「ミアちゃん、大丈夫? 疲れちゃった?」
「……うんんっ! そんなことないよ。ただ……」
声をかけられ否定したミアちゃんだったが、言葉を止め目線を下げた。
少しの沈黙のあと、顔を上げたと思うと私をまっすぐに見つめてきた。
「森で、ティアナさんは『採取を頑張ったお礼にお菓子を作る』って言ってくれたのに。私が……『お菓子はいらない。みんなへのスープが欲しい』なんて、ちがうこと言いだしたせいで……お菓子を食べたかったみんなに嫌な思いさせちゃった。
ティアナさんにも、スープだけじゃなくてパンと……結局クッキーまで用意させちゃって……ごめんなさい」
そう言ってミアちゃんは頭を下げた。
ミアちゃんのお母さんは心配そうに娘を見つめ、ネロくんとステラのふたりは顔を見合わせた。
そのあとふたりが、私をじっと見てきたので、私は「言っていいよ」という意味を込めて頷いた。
「ミア、大丈夫だよ」
ネロくんに名前を呼ばれ、そちらを向いたミアちゃんとお母さん。それを確認して、ネロくんは続けた。
「実はな、ティアナさんは、本当は最初から……
ご褒美のお菓子も、スラム街での炊き出しも両方やるつもりだったんだよ」
「……えっ!?」
反射的に私を見てきた。
「うん。実はそうなの」
頷いた私をみて、驚くミアちゃんにステラが補足する。
「大鍋を鳴らしたお詫びに『クッキーを作って下さい』なんて言ったけど、本当はもう作ること決めてたの」
「ステラちゃんも知ってたの!?」
「うん。まさか大鍋を思いっきり叩かれるとは思わなかった。……ですけどねぇ」
そう言って、意地悪な笑顔でこちらを見てくる。
「だからごめんって! みんなへのクッキーにプラスして、ステラにはナポルで作ったお菓子を作ってあげるから許して下さい」
「っ! ほんとですか!? やったぁ。じゃ許してあげますっ! ミアちゃんも一緒に食べようね」
ステラが最初から怒ってたわけではないことは分かっていたけど、私がお詫びを提案すると、嬉しそうに笑った。
その笑顔が可愛くて、私は
(おいしいリンゴ……じゃなかった。ナポルのお菓子を頑張って作らなきゃなぁ)
と考え始めたとき、今度はネロくんがゆっくり口を開いた。
「──ねぇ。あのさ……」
緊張しているようで、喉をごくりと鳴らし、ひと呼吸置いてから続けた。
「今、父ちゃんとダンおじさんがいない間に、聞いておきたいことがあるんだけど……」
不穏な話の始まりに、みんなの手が止まり、場に緊張が走った
リズと目配せを交わし頷く。リズが代表して返事をした。
「……何でしょうか?」
「コルパおじさんがやったことって……かなり不味いことだよね?」
「……ええ。それは、もちろん」
リズの静かな答えに、場の空気が少しだけ重くなった。
ミアちゃんもステラも、真剣な顔で私たちを見つめている。
エレーネさんも口をつぐんだまま、黙って話の続きを待っていた。




