151.少年がしたこと
──あのときのやりとりを思いながら、私は今、目の前の光景を見つめている。
子どもたちは、自分たちの“ご褒美”を、家族と分け合うことを選んだのだ。
そして今──
スラム街の広場には、大きなテーブルがいくつも並べられ、その上には湯気を立てるスープ鍋と、白パンのかごが置かれている。
人々は列を作り、ゆっくりと食事を受け取っていく。
広場の中心には、笑顔でスープを分け合う子どもたちと、その家族の姿があった。
「あっちのおじいちゃんにも届けてくる!」
「兄ちゃんにも持っていかないと!」
子どもたちは手伝いながら、自分の家族らにスープを運んでいく。
ミアちゃんは、お母さんと並んでベンチに座り、湯気の立つスープを、ゆっくり口に運んだ。
「……お母さん、どう?」
「……うん。すごく、あったかいね。美味しいよ」
お母さんの目元が少し潤んでいたのを、私はそっと見守る。
「……あたたかい食事なんて、本当に久しぶりだよ」
ゆっくりと話すおばあさんは、スープのカップを両手で大事そうに持ち、食事を運んできてくれた少年を見上げた。
──あの、孤児の少年だ。
おばあさんは目に光るものを浮かべながら、少年に言った。
「こんなにあたたかい食事は本当に美味しいし、こんな柔らかいパンは、長い人生で初めてだよ。
でもね、なによりも──みんなで食べるごはんって、本当に美味しいね。……ありがとう」
「っ! 俺は……何もしてない。……食事を持ってきてくれたのは、ティアナさんたちだ」
お礼を言われた少年はうつむいた。
その様子を見守っていた私は、少年が拳を強く握りしめているのを見た。
おばあさんはじっと少年を見つめたあと、穏やかに微笑んだ。
「でもね、さっきあそこにいた綺麗なお姉さんに御礼を伝えたら、こう言っていたよ。
『この食事は、子どもたちが採取を頑張ってくれたおかげで得た利益によって、“スラム街のみんなにも美味しいごはんを”という子どもたちの願いを受け、我が主・ジルティアーナ様がご用意されたものです。
御礼なら、子どもたちに言ってあげてください』──とね」
少年はその言葉を聞いて顔を歪めた。
そして、ぽつりぽつりと言葉を絞り出すように話し始める。
「だったら……やっぱり、俺にお礼なんて言わないでほしい……っ。
みんなが『“ご褒美”は家族のためのスープがいい。お菓子はいらない』って言ったのに……俺は……」
それ以上は言葉にできなかったが、おばあさんには少年が何を言いたいのか、きっと伝わったのだろう。
「──そうかい。
けどね、今こうして私のところに食事を運んできてくれたのは、まぎれもなくキミだよ」
少年は、おばあさんの穏やかなまなざしを受け止めきれず、目を伏せたまま、小さく唇を噛みしめていた。
──けれど。
ほんの少し、ほんのわずかに、その肩が震える。
「……俺……ほんとは……」
ぽつりと、また言葉がこぼれ落ちる。
「みんなと同じこと……言いたかった。……けど、俺だけ、言えなかったんだ」
彼の声は、掠れていた。
「お菓子……ほんの少し、食べてみたかっただけなんだ。家族がいるみんなが羨ましくて……。情けないよな」
そう言って、少年は俯いた顔を腕で隠すようにして、静かにすすり泣いた。
おばあさんは、その細い背を見つめ、静かに手を伸ばす。
そして、そっと少年の頭に手を置いた。
「……情けなくなんか、ないよ」
優しい声だった。
「ほんの少し、自分の願いを言うことが、どうしていけないんだい? あたたかいごはんも、お菓子も──どれも、君が努力した結果だ。受け取っていいものなんだよ」
少年の肩が、びくりと震えた。
「……俺は、そんなこと言ってもらえる資格はないよ。
この炊き出しのこともだけど俺、ネロにひどいことしたんだ。
ネロはスラム街に住んでいたけど、頼もしい父ちゃんもかわいい弟も居て……ダンさんのところで仕事までもらえて……正直、ネロのことが妬ましかったんだ。
だから、あいつが『ルトの誕生日プレゼントも買ってやれない』って悩んでた時に言ったんだ。
だったら──」
言葉が止まった。
少年は、ひと呼吸したあと苦しげに、絞り出した。
「『金持ちの使用人からでも財布を盗めばいい』って……」
聞き耳を立てていた私は息を呑んだ。
ずっと疑問だった。あんなに真っ直ぐで、曲がったことが嫌いそうなネロくんが──どうしてスリなんてしたのか、と。
──少年の言葉は続けられる。
「ネロは『人のお金を盗むなんてできない』って言ったのに、俺が……さらに言ったんだ。
『金持ちなんて、ネロの父ちゃんに酷いことをしたお貴族さまみたいに、悪いやつばっかりだ。汚い金に決まってる。だからちょっとくらい、いただいたってバチは当たらない』って」
少年の声が震え始めた。
「俺がそんなことを言ったところで、いつもの真っ直ぐなネロなら、スリなんてしないだろうと思ってたんだ……。なのに、まさか……本当にやるなんて……それもお貴族さまのお金を盗むなんて夢にも思わなかったんだ」




