148.路地裏の希望
住宅街を抜け、路地裏の小さな階段へ足を降りていく。
道の端に乱雑に置かれた生活用品、ひび割れた壁。
人々の顔にはどこか影が差し、スラム街の光景が広がっていく。
空はまだ青いはずなのに、この場所だけは妙に薄暗く感じられて、思わず眉をひそめた。
「クリスディアにも……こんな場所があったんですね」
呟いたのは、この場所に初めて来たステラ。不安げに辺りを見回している。
それに対して、レーヴェが応えた。
「この国は年々困窮しているからな。怪我や病気で働けなくなる者はもちろん、突然職を失う者も珍しくない。多かれ少なかれ、どの町にもこういう場所はある」
……レーヴェの言う通り、この国──フォレスタ王国の情勢は芳しくないらしい。
魔力量の測定をした時、リズが言っていたように、年々魔力量は減少していて、かつてのように動かせない魔術具も増えてきているという。
例えば、うちの屋敷のオーブンもそうだ。
たまたま私の魔力量が多かったおかげで使えたけれど、昔ならクリスティーナ付きの上級側近がいれば、数日で稼働できたらしい。
「私の専属が少ないせいじゃないの?」と聞いてみたが、リズによれば、今では王族の側近でさえ苦労するほどだという。
……オーブンの設定と、私の魔力量。いったいどれほどなのか。少し怖くなった。
* * *
スラムの中心にある、井戸の広場。
そこには何人かの子どもたちがいた。
「あっ! きたー!」
「ティアナさん、おはよう!」
彼らの多くは、素材採取を手伝ってくれた子どもたちだ。
私たちの姿を見つけ、元気に挨拶してくれる。
「みんな、おはよう! 待たせてごめんね。すぐに準備するからっ!」
私の声に、子どもたちから「わぁっ!」と元気な歓声があがる。
「俺、テーブル並べるねっ!」
「わたしは皆に声かけてくるっ!」
子どもたちはそれぞれ、自分にできることを手伝ってくれた。
準備は簡単だ。いつもの素材採取と同じように、完成した料理を時間停止のマジックバッグに入れてある。あとはそれを取り出すだけ。
ただし、スープだけは出した後に冷めてしまうので、カセットコンロのような魔術具で大鍋を温めながら提供する。
配膳も、慣れている子どもたちがスープカップやスプーンを用意してくれるので、あっという間に準備が整っていった。
詰所での件があってか、ロベールさんとダンさんはどこか沈んだ様子だった。
だが、広場を眺めながら、ロベールさんがぽつりと呟く。
「すごいな……」
「すごいよな。採取を手伝うと毎回、ふわふわの白パンと具だくさんのスープが提供されるんだ」
と、ダンさん。だがロベールさんは首を横に振る。
「いや、もちろん食事もすごいけど……俺が驚いたのは、この広場の“空気”だよ」
「空気?」
「俺は脚が悪くて、家からほとんど出られなかった。でもこの広場は、以前はいつも重苦しい空気に包まれてた。
人々の顔は暗く、笑顔なんて滅多に見なかったのに……今は、笑い声まで響いてるなんて──」
そう言いながら、まぶしそうに広場を見つめるロベールさん。その耳に、微かに名を呼ぶ声が届いた。
「……ロベールさん?」
声のした方を振り向くと、そこには──
「……あ」
森での採取初日に出会った、あの小さな女の子と、その母親の姿があった。
声をかけたのは、母親の方だ。
「お久しぶりです。娘から、スラム街を出られたって聞きました。……本当によかったですね」
柔らかく微笑む母親に、ロベールさんはしばらく言葉を失った。
驚きと、懐かしさと、胸の奥が熱くなるような感情が、渦を巻いていた。
そして、自分たちはスラムを出られたが、この母娘は──そう思うと、何も言葉が出てこなかった。
その心情を察したのか、母親が続ける。
「ありがとうございました」
「──えっ?」
突然のお礼に戸惑うロベールさんに、母親は言葉を継ごうとした、その時──
「ミア、おばさん、おはよう! おばさん、久しぶりだね!」
ネロくんが駆け寄ってきて、その声に遮られた。
「おはよう、ネロくん。ミアを素材採取に誘ってくれてありがとう」
母親にそう言われたネロくんは、明るくニカッと笑う。
「ミア、行こっ! 今、食事の準備してるんだ。手伝って!」
ネロくんはミアちゃんの手を引いて、私たちの方へと向かってきた。
私もミアちゃんに挨拶をし、お手伝いをお願いする。
ロベールさんの方を見ると、ミアちゃんの母親と目が合い、お互いに軽く会釈を交わした。
少し離れた場所で、母親は娘の姿を見つめながら静かに語り始める。
「ありがとうございました。ネロくんが娘を素材採取に誘ってくれたおかげで……娘の笑顔を、久しぶりに見ることができました」
風が吹いた。彼女は目線を落とし、続ける。
「──主人が亡くなってから、私はその悲しみにばかり囚われていて……幼い子どもがいる私では、仕事もなかなか見つからず、スラム街で暮らすことになってしまいました。
でも……もう一度、頑張ってみようと思います。
仕事はどうにか見つけるつもりですが、見つからなければ、ミアと一緒に素材採取をしながら……少しでも、ミアが幸せになれるように、頑張っていこうと思います」




