第四話 ~『生きよ』~
<永禄3年(1560年)五月十九日 尾張国 知多郡 桶狭間>
『未来から来たと話すな』
俺は義元の言った言葉の意味がすぐには理解できなかった。
やけにリアルだ。まるで夢ではないかのように。
強い雨が俺と義元の間に降り注ぐ。雨の匂いと森の香りが血の臭いをかき消す。
『もしかして、夢ではない?!』
俺は古典的な夢覚ましの技法を用いた。痛い。頬が伸びてヒリヒリと痛んだだけだった。
「未来から来たと知られれば、初めは重宝されるやもしれぬ。だが人は弱い。お主の底知れぬ知識を恐れ、誰もがお主の命を狙うことであろう」
「……」
現代に「未来からキマシター! ナンデモ知ッテマース!」とかいう奴が現れたら。
そうだな。殺されるわ。取り合いになるし。うざったいし。
「……『生きよ』 儂の分まで生きよ」
「…… はっ!」
義元の遺言だ。俺は絶対に未来から来たと話さないぞ。
「…… それと、頼みがある」
「はっ! 何なりと!!」
そう言うと義元はニヤッと笑った。
「切腹する故、介錯を頼む。痛うて敵わん」
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介錯って……
切腹した人の首を斬ることだ。「相当な技量が必要」って師匠が言ってた。俺にはとても出来そうもない。それに人の首を斬るって……
「何、大丈夫じゃ。」
義元は俺の不安気な様子を察してか、腰に差し戻していた刀を俺に渡した。
「儂の名刀『宗三佐文字』を授けようぞ。岩をも断ち切る名刀じゃ。造作もない。」
「……」
というか介錯って、人殺しにならないのかな。自殺ほう助罪とか何とかで。
だが、今は四の五の言えない。そして現代の法なんて意味がないんだ。
「やります。やらせてください!」
俺は再び覚悟を決めた。
「よい面構えじゃ。頼むぞ」
義元は脇差を構え、辞世の句を詠んだ
「……これを子の氏真へ。願わくば今川家のことを良しなに」
「はっ!」
「儂の首は織田の上総介信長へ渡せ。悪いようにはならぬはずじゃ」
「…… はっ!!」
俺は散り際にある義元の威厳ある姿に涙を流さずにはいられなかった。いつ死んでもおかしくないよう心構えをして、命を失う直前まで淡々と冷静に所作を行う。
……時が来た。来てしまった。
「さらばだ羽原よ! 『生きよ』ッ!!」
そこから先は無我夢中だった。
ためらいなく腹を切った義元。うめき声もない。
俺は渾身の力をふるい、義元の首へ刀を斬りつけた。
ボロリと落ちた首。
俺はそれを両手で丁寧につかみ、天に掲げて叫んだ。
「敵将! 今川義元! 羽原多喜二が討ち取ったり!!」
二度三度叫んだ。世界の果てまで届けとばかりに叫んだ。
「今川義元を……! 討ち取った…ッ!」
雨がさらに勢いを増した。
何も聞こえなかった。聞こうともしていなかった。
近づいている蹄の音も。語りかけてくる人の声も。
しばらくした後、狂ったように叫ぶ俺に向けて馬上から声をかけている人がいることにようやく気付いた。十騎くらいの武者だ。特に中心の者は位が高そうだ。名のある武将に違いない。
俺は失礼のないように下を向いてひざまずき、その人に向かって義元の首を見せた。
「敵将! 今川義元を! 羽原多喜二が討ち取ってございますっ!!」
義元の顔を確認して「おおっ」とどよめく騎馬武者たち。
中心にいたであろう馬上の武将は、こう答えた。
「……で、あるか」
介錯と殺人ほう助罪
現在の法律では、介錯の行為は刑法第202条「自殺関与及び同意殺人(嘱託殺人)」に該当し、「6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する」と定められています。
依頼されたとは言え、他人の首を直接切り落とす行為で絶命させていると見なされます。
作家三島由紀夫が1970年に割腹自殺した際、剣道の心得があるという理由で介錯を務めた古賀浩靖という方が懲役刑に服しています。
義元との別れ。物語はこれから……




