ドラゴンさんと大粒の涙
甲高い悲鳴のような音を聞き。
アランの意識は闇の中から浮上した。
意識が戻ると同時にやってきたのは、全身を覆うほどの痛みだ。しかしそれはものの数秒でおさまり、頭部に鈍痛を残すのみとなる。
何が起きたんだったか……?
アランは頭を抑えながら、ゆっくりと起き上がった。
そして気づく。
「……体が、人間に戻ってる?」
よく分からない。分からないが、どうやらドラゴンの姿から、元の人間の姿に戻っているようだった。
体を見たが、それはドラゴンになる前着ていた服で。何が何だか余計に分からなくなる。白昼夢でも見ていたと言われたほうが、まだしっくりきた。
しかし周りの情景が、今まで起きたことが現実だと。そうアランに教えてくれる。
アランは立ち上がり、愕然とした。
「なんだ、これは……」
そこは、玉座の間だったはずだ。
しかしその部屋はあちこちが傷つき、焼け焦げ、見るも無残な姿へと変貌を遂げている。
捕まっていたはずの使用人や騎士たちもいないし、何やらおかしかった。
そしてどこからともなく破壊音が聞こえてくる。
アランは久方ぶりに使う人間の足の感覚に四苦八苦しながらも、音がするほう――庭園へと足を向けた。
外に出ると同時に、愕然とする。
「トゥーリエ……?」
目の前で恐ろしいほどの魔力を放出しながら、トゥーリエは第二王子と戦っていた。
その表情は人形のように冷たく恐ろしい。天真爛漫を絵に描いたようなトゥーリエとは、真逆の表情だった。
しかし、彼女はトゥーリエで間違いない。あの白銀の髪と、何色とも言いがたい不思議な色味をした瞳は、精霊使いであると言う何よりの証拠なのだ。
トゥーリエは第二王子に向けて、日の槍や風の刃、氷の矢を幾度となくぶつけている。第二王子はそれを受け止めるだけで精一杯、といった様子だった。
あの、実力だけはあるとされていた第二王子が、だ。
いつも傲慢な態度を取っている彼が、惨めに後退しながら震えているのを見て、アランは眉をひそめる。
「どういうことだ……」
そこでアランは、あることを思い出した。
そうだ、確か精霊っていうのは……精霊使いの感情に呼応して、力を行使するんじゃなかったか?
そう、そうだ。精霊使いと精霊は、密接なつながりを持っている。となると今のトゥーリエは、アランの死が衝撃的だったあまり暴走しているのだ。
その予想は正しかったようで。アランの耳に、どこからともなく声が聞こえてくる。
――たすけて。
――トゥーリエをたすけて。
――助けられるのは、アランだけなんだ。
――アラン。お願い。僕らの親友をたすけて。
それは、ドラゴンの姿でいた頃は明確に見えていたはずの、精霊の声だった。
しかし現在は人間の姿であるせいか、声しか聞こえない。
アランは困惑する。
俺はさっき確か……第二王子に、殺されてなかったか?
そう。確かに殺されたのだ。少なくともトゥーリエには、そう見えていたはずである。だから彼女はこうして暴走している。
にもかかわらず死んでいない。
となるとその理由は、思いつく限りではただひとつだった。
トゥーリエに、龍玉を渡したからか……。
そう。龍玉だ。手のひらサイズの、ルビーやガーネットのように美しい色味をした、丸い玉。トゥーリエはそれを宝石だと勘違いしていたが、あれはドラゴンにとってとても大事なものなのだ。
龍玉とは、ドラゴンにとっての心臓のようなもの。アランはそれを以前、トゥーリエに渡している。それが壊れていないからこそ、アランは今こうして生きていられているのだ。
彼はそれをなんとなく、感覚で理解していたものの、事実こうなるとなんとも言えない気持ちになってしまう。ただ、人間ではなくなったのだな、と改めて思い知らされた。そんな感じだ。
ただ、人間に戻った理由はよく分からない。ドラゴンとしての体を維持できなくなったからだろうか。
禁術の類いは使い手も少ない上に使用を禁止されているため、その内容や副作用が明らかにされていなかった。
おそらくなんらかの要因で戻れたのだろう。アランはそれを、今回ばかりは感謝する。
神様というものがいるのであれば、今だけは信じてやってもいいと思っていた。
だって人間の姿じゃなかったら、トゥーリエに声をかけてやることも、気持ちを伝えてやることもできないからな。
第二王子がどうなろうと、アランは一向に構わない。むしろアラン自身の手で殺してやりたいくらいだ。
しかしそれを、トゥーリエがやらなくていいと思った。
だって彼女は、トゥーリエなのだから。
自身の手が血に汚れ、後で愕然とする姿など見たくなかった。
アランは、ふらふらと頼りない体を根性で支えながら、トゥーリエのもとへと足を踏み出した。
一歩。また一歩。
トゥーリエも第二王子も、アランの存在には気づかない。そんなことに目を向けていられるほどの余裕がないのだ。
そんなアランの背中を、風の精霊たちが押してくれる。導いてくれる。
アランはおかげで、トゥーリエの背中から安全に近づくことができた。
すると、声が聞こえてくる。トゥーリエの声だ。
「お前なんか、死んでしまえばいい……アランが味わった以上の痛みとともに、死んでしまえばいい!!」
それは、呪詛だった。
アランはそれを聞き、顔を歪める。
まさか自分の死が、トゥーリエにここまでの影響を与えるとは思っていなかったのだ。ゆえに安易にあのようなことをした。否。死なないと感覚的に分かっていたからこそ、あんなことをしたというわけだ。
「前にドラゴンにされたときも、そして今回死にかけたときも。俺、お前のこと何にも考えてあげられてないんだな……お前に悲しい気持ちを抱かせてばっかりだ」
そうつぶやきながら、アランはそれでも進む。
今からでも間に合うと。そう、信じて。
そうやってたどり着いたトゥーリエの背中は、驚くほど小さく華奢だった。
アランはなんとなく緊張しながら、彼女を背中から抱き締める。トゥーリエは、何が来たのかわからず混乱し、がむしゃらに暴れた。
そんなトゥーリエを離すまい、とアランは抱擁する力を強くする。
「トゥーリエ。トゥーリエ、戻ってこい。お前に、人殺しなんか似合わねえよ」
「……え? …………アラ、ン?」
トゥーリエはそのセリフを聞き、ぴたりと暴れるのをやめた。しかしなおも、精霊たちによる攻撃は続いている。
しかし、トゥーリエの意識が戻ってきていた。それを感じたアランは、さらに言葉を重ねる。
「そうだ、アランだ。俺はちゃんと、生きてるぞ」
「……う、そ、うそうそ……」
「生きてるに決まってんだろ? だって俺の心臓は、お前の首にかかってんだから」
アランはそういうと、トゥーリエの首にかかっている袋をつまみあげた。
瞬間、あれほどまでの攻撃が嘘のように止み、辺りの空気が柔らかくなる。
第二王子はようやく止んだ攻撃に安堵したのか、そのまま失神してしまった。最後の最後はあっけないな、とアランはそう思う。
すると、トゥーリエが後ろをゆっくりと振り返るのが分かった。
トゥーリエと目が合った瞬間、彼女の虚ろな瞳に光が灯る。
同時に瞳が潤み、そこから大粒の涙が溢れ出した。
「アラン、アランだ、アランだ……!!」
トゥーリエは勢い良くアランに抱き着く。残念なことに、アランの足はへろへろだった。そのため後ろに倒れ込んでしまう。
かっこ悪ぃなとアランは思ったが、トゥーリエは額をアランの胸に押しつけながら大声をあげて泣いていた。
「アランのばかぁっ!! わたしなんておいて逃げればよかったのに、なんで、なん、で……!!」
「トゥーリエがいないと意味ないだろ?」
「で、も、わ、たし……あんな、とこ、みたくなかっ……!」
「うん、それは悪かった。ほんとごめんな。助けに入ったのに、あんなへなちょこで」
アランはぼろぼろと泣きながら不満をぶつけてくるトゥーリエをあやしながら、謝罪を続けた。
そして、一番疑問に思っていたことを口にする。
「なあ、トゥーリエ。俺、ドラゴンになっちまったけど、まだお前の婚約者でいていいのか?」
そう言えば、トゥーリエは真っ赤に泣き腫らした瞳でアランを睨んできた。
そしてまたぼろぼろと泣きながら叫ぶ。
「いいに、決まってるでしょ……!? そんなこと言わせんな、バカぁぁ……ぁっ……!!」
そんなふうに泣きながら言うトゥーリエを見て、アランは心の底から愛おしさを感じる。
むしろ、これ以上に愛らしい生き物はいないのではないかと本気で思った。
アランは衝動のままに、トゥーリエに口づけを落とす。
そして、トゥーリエのことを抱き締めた。
今度こそ決して離すまいと、強く。
城の者たちがだんだんと集まってくる中、アランはトゥーリエが泣き止むまでずっとそうしていた。




