ドラゴンさんとピクニック
『ピクニックに行こう』
そう言い出したのは、トゥーリエではなく。
なんと、ドラゴンだった。
正しく言えば、精霊たちを介してドラゴンがそう伝えてきたのである。
精霊たちには、ドラゴンの意思が聞こえるようだ。今までなぜ聞こえなかったのか、不思議である。
そのことに関して問いかけると、彼らは皆一様に『ドラゴンの魔力が弱ってたから、意思を伝えられなかった』と口にした。それを聞いたトゥーリエは思う。
(ドラゴンさんの生態って、本当どうなってるんだろう……)
ドラゴンは幻獣だ。人里に降りてくることは滅多にないし、姿を見ることができる場所も定まっていない。ゆえにその生態は、未だに多くが謎に包まれていた。
ただ人によっては、ドラゴンのことを「狂った人間が生み出した成れの果て」と呼んだりもするらしい。そう呼んだ人たちは、その後大抵死んでしまうらしいので、真意が明らかになることはなかった。意味が分からないゆえに、恐ろしいことである。
精霊使いのほうも似たり寄ったりなので、人のことは言えないのだが。
そんなこんなで、トゥーリエとドラゴンはピクニックに行くことになった。場所はドラゴンが決めてくれるらしい。
この国の領土さえ出なければ、どこへ行こうが契約違反になることはないので、そこだけは注意するように言っておく。
こくこくと頷いてくれたので、分かってくれたのだろうなと思った。どうやらドラゴンの知能は、人間並みに高いようだ。気も効くし、人間なんかよりも強い。ドラゴンがピクニックに行こうなどと言ったのも、トゥーリエが先日「つまらない」とぼやいたからだろう。
もしかしなくても、そこらへんの男などよりも夫に必要な要素を持ち得ているかもしれない。
(……なーんてね)
トゥーリエは朝早く起きて、ピクニック先で食べる昼食を作りながら、思わず笑ってしまった。その首には、小さな袋が付いた紐が引っかかっている。その中には先日もらった玉が入っていた。なくさないように作ったのだ。トゥーリエはそれを大事に身につけていた。
昨日のうちに焼いておいたバケットは、ハムとチーズを挟んでバケットサンドに。
耳を落とした食パンには、先日作ったコケモモのジャムを挟んでサンドイッチを作る。
他にもキッシュやマロングラッセを使ったタルト、クッキーや果物などを揃えると、トゥーリエはそれをバスケットに入れた。
量が多いので、バスケットがふたつになってしまったが、ドラゴンがいるから問題なかろう。
この間摘んできた山葡萄はジュースにもしてあったので、それに砂糖を混ぜ瓶に詰めておいた。
トゥーリエはそれを外に運ぶと、ふう、と息を吐く。精霊たちが手伝ってくれたからそこまでではなかったが、かなり重たかった。
「ちょっと作りすぎちゃったかな……」
いつもよりかなり張り切って作ってしまった気がする。しかしそれだけ嬉しかったのだ。森ではない場所に行けるというのは、トゥーリエにとってワクワクすることだったのである。
相手がドラゴンだということも。そして誘ってくれたのがドラゴンだったということも、トゥーリエがテンションを上げている要因であろう。
最近、ドラゴンが婚約者に見えて仕方ないのだ。見た目はあんなにも違うのに、時々婚約者の姿がチラつく。
「……なーんて、ね」
トゥーリエはあははと笑った。それを見た精霊たちが「……どうしたの?」と言わんばかりに首をかしげていたが、そのまま笑って誤魔化す。
(自分の好きな人と、なんにも関係ないドラゴンさんの姿を重ねるなんて。ドラゴンさんとしても迷惑な話だよね)
好きな人の代わりに別の何かを愛することが、どれだけ不誠実なことなのか、トゥーリエは分かっている。そんなことをすれば、トゥーリエが嫌う第二王子と同じ人種になってしまうからだ。
(わたしは、人のことをお飾り人形のようにしか考えていない男とは違う)
トゥーリエはあらためて、それを胸に刻んだ。
そうこうしていると、ドラゴンがいつも通りやってくる。
トゥーリエは割れやすいものを入れたバスケットをひとつ抱えると、ドラゴンの背に乗った。
先日とは違い精霊たちが説明なく背に乗せてきたわけではないので、今回は前よりも心穏やかに飛行を楽しめそうだ。
ドラゴンが残りのバスケットを手に持つと、翼をはためかせる。
ドラゴンの体がふわりと浮くのを感じ、トゥーリエはわあ、と声をあげた。
翼が一度、二度とはためくたびに、ドラゴンの体がぐんぐん上昇していく。それがあまりにも新鮮で、トゥーリエの気持ちは楽しくなった。風が気持ち良い。年中気候が穏やかな土地で良かったと、トゥーリエは思った。
「わああ……!!」
バスケットを抱えたまま、流れていく光景に目を見張る。以前とは違い周囲を見る余裕があるせいか、恐怖よりも好奇心が勝った。
ドラゴンの背に乗って進んでいると、自分がちっぽけな存在だということがよく分かる。
ドラゴンと一緒にいれば、どこへだって行ける気がした。
(ドラゴンさんと旅ができたら、とても楽しいだろうなぁ)
そんな気持ちをこっそりと胸に秘め、トゥーリエは空から見える景色を楽しんだ。
そんなとき、遠くに平原が広がっているのが見える。
トゥーリエは声を張り上げた。
「ドラゴンさん!! もしかしてあそこ!?」
指を立て、平原を指す。するとドラゴンはちらりとトゥーリエを一瞥した後、また視線を前に戻した。
どうやら、目的地はあそこなようだ。
平原が近づくにつれて高度が下がるのを感じ、トゥーリエは胸をときめかせる。
(こんな場所あったんだ……!)
さすが、広大な土地を誇る王国なだけある。人間たちが入ったことのない場所がたくさんあるようだ。
トゥーリエは着地したドラゴンの背から降りると、大きく深呼吸をする。
トゥーリエはバスケットの中から大きな布を広げると、そこに荷物を置いた。
「すっごく良い場所だねー! こんな場所知ってるなんて、さすがドラゴンさん!」
全身を使いそう褒めると、ドラゴンはゆらゆらと尻尾を揺らす。どうやら、褒められて嬉しかったようだ。
トゥーリエはそんなドラゴンを労うために、布いっぱいに料理を並べた。
「見て見て! 今日はたくさん作ったの! 好きなもの食べて良いよ〜」
そういうとドラゴンはじい、とキッシュを見る。それを鼻でつついた。
しかし食べようとはしない。むしろトゥーリエのことを見つめてくる。
トゥーリエは、どうしたら良いのか分からず困ってしまった。
「ええっと?」
思わず首をかしげれば、精霊たちがくすくすと笑い出す。
『食べさせて欲しいって言ってるよー!』
『言ってるよー!』
「……ええっ?」
精霊たちが冷やかすようにキャハキャハ笑う声を聞きながら、トゥーリエはキッシュとドラゴンを交互に見た。
(ええ……そんな、甘えるみたいな……)
それに意味があるのかは分からないが、知らず知らずのうちに恥ずかしくなってしまう。
(落ち着けわたし! 相手はドラゴンさん! ドラゴンさんは彼の代わりじゃないの!)
何度も何度も自分にそう言い聞かせてから、トゥーリエはキッシュを手に取る。
卵と生クリーム、炒めたベーコンを使った、一番シンプルなキッシュだ。タルト生地はサクサクで、フィリング部分はとろっとしている。口に入れれば、さくさくととろとろ両方が楽しめるはずだ。
(そういえば彼、タルト生地を使った料理が好きだったなぁ……)
トゥーリエは再び浮かんでしまった婚約者の残像を消しつつ、ドラゴンに向かってキッシュを差し出す。
大口を開けて待っていたドラゴンが、なんだか可愛かった。
キッシュをそっと口に落とせば、ドラゴンはむしゃむしゃと咀嚼する。
そしてもうひとつと言わんばかりに、再び口を開いた。
「……もうっ! 今日はなんだか甘えたさんだねー?」
トゥーリエは恥ずかしさをこらえるためにそう言いつつ、再びキッシュを口に入れてやる。
それを何度か繰り返していると、顔が火を噴きそうなくらい熱くなってきた。
(落ち着け、落ち着けわたしー!)
何がこんなにも恥ずかしいのか、わけが分からない。
トゥーリエは逃げるようにしてドラゴンから離れると、山葡萄ジュースを瓶から直接飲む。
口いっぱいに広がる渋みが、今はなんだか心地良かった。
トゥーリエはそれから一心不乱になって、持ってきた食事を食べたが。
残念なことに、味はほとんど分からずじまいだった。
そんなトゥーリエとドラゴンの周りを、精霊たちが楽しそうに飛び回っていた――




