第九十四話 神獣の深慮
神獣という奴は大昔からの戦闘狂だ。生前の私も何度こいつに絡まれたか分からない。それも思いつきで挑んでくるので面倒臭い。
私は何千年と付き合いがあるものの、未だにこの神獣のペースには慣れないでいる。
今だってそうだ。
王都クーチからリールへ戻ると、私はすぐに神獣に連れ去られた。
とは言え遠くへ運ばれたわけではない。王都外縁に併設されている軍の訓練場だ。そこは以前リジー様と神獣が戦った場所だ。
「ほれ、早く構えんか。それとも構え方でも忘れたか?」
訓練場の中心で悠々と佇む神獣は私を煽ってきた。
それが私への挑発にならないことは知っているはずだが、言わずにはいられないのだろうか。
「その安い挑発に乗るのは私の目の前にいる哀れな神獣だけだよ……ライカ」
私は鼻で笑って徒手の構えをとった。
この獣と戦う時は大体素手だ。武器を使えば勝つこともできるが、それだと私が満足しない。こいつは対等の条件で捩じ伏せてこそ戦いがいがあるのだ。
「はんっ、わしの昔の呼び名を覚えておったか。どうやらボケた訳じゃなさそうだの」
私がライカと呼んだのが気に食わなかったのだろう。言葉とは裏腹に苛立たしげに前足を地面に叩きつけている。
軽く踏みならした足元には亀裂が入り、鋭い爪で地面は軽く抉れていた。
「いいからさっさとかかってこい、戦闘狂。リジー様をお待たせするつもりか?」
私は神獣をさらに煽ると同時に体を半歩横にずらす。そこへ砂塵と共に神獣が飛び込んできた。だが既に回避の体勢に入っていた私には当たらない。
突進攻撃を外した神獣は、後ろ脚だけで飛び込みの勢いを殺した。そして、身を捩って浮いた前脚を振り回した。
体重が乗った前脚は当たれば骨が砕けてしまう一撃だが、煽った手前避ける訳にはいかない。
私は全身を収縮させるように攻撃を受けて衝撃を受け流す。しかし流しきれない衝撃に少し腕が痺れた。
「ははっ、さすがジークだな! 今のを受け止めるとは!」
リジーは受け止められなかったぞ、と嬉しそうに言ってもう片方の前脚を振り下ろした。
私は攻撃が当たる前に、収縮させていた体を一気に伸ばした。
反対方向に突然押されたことで、神獣はバランスを崩す。神獣は体勢を立て直すため、振り下ろしていた前脚を地面に叩きつけた。
神獣の一振りは鈍い音を響かせ土煙を上げた。硬い地面も割れていてその衝撃の強さを物語っていた。
「相変わらず手加減しない獣だ。少しはリジー様を見習ってくれ」
私は風で運ばれてくる土煙を魔法で避けながら言った。
確かにリジー様も全力で攻撃してくるが、当たる直前で止めてくれる優しさがある。だがこの獣は振り下ろした攻撃は止めることがない。
私が一人愚痴をこぼしていると、神獣は何がおかしいのか笑い始めた。
「やけにリジーにお熱じゃないか。一節前は興味本位とか言うとったが、どう言う心境の変化じゃ?」
長い牙を見せながら笑う姿は相変わらず憎たらしい。何となく腹が立った私は魔法弾を遠慮なく撃ち込んだ。
だが神獣はニヤついたまま軽く躱した。そこへ容赦なく詰め寄って蹴りを放つ。
「お前には関係のないことだ」
後ろに飛び退いて様子を伺う神獣に向かって吐き捨てるように言った。
だが、私の睨みなど意に介さない神獣は見透かしたように言った。
「そうつれないことを言うな。わしとお前の仲じゃないか。その様子なら神話戦争もリジーに話したのだろう?」
野生の感なのだろうか、こいつは的確に言い当てた。昔から鋭かったが、こう言う深読みをされるとやりにくさを感じる。
私が動かずにいると神獣は大きくため息を吐いた。
「その反応、どうやら当たりだな。たが、余り深入りするな。リジーの業は深い。また昔のように傷つくだけだぞ?」
神獣は少し諭すように伏し目がちに言った。
こいつの心配事は分かっている。リジー様の危うさのことだろう。
リジー様は灰に身を浸し、自らも穢れて行こうとしている。それは復讐という悲願を達成するため。
そんな彼女を慕えば、いずれは同じ苦しみを味わうことになる。彼女が志半ばで途絶えることになれば、残される私は永遠にその苦しみを受け続ける。
長年連れ添った仲間だからこいつの考えてることは手に取るようにわかった。だがーー
「リジー様は違う。あの方は、例え業を全て背負うことになっても必ず成し遂げられる。そのために、私が彼女を守るのだから」
私は語気を強めて言った。神獣にではなく私自身に向けてーー
生前の私は大きな失敗をした。それは、必ず護ると誓ったリリー様をこの手で殺したことだ。
私は世界と姫を天秤にかけ、世界を選んだ愚か者なのだ。
この世を永久に彷徨うことになった私は、そのことをずっと後悔していた。私は彼女と共に戦い滅ぼされるべきだったのだと、何度も雪原の夢を見た。
だが、リジー様は私に新たな光をくれた。私の罪を知っても尚手を差し伸べてくださる。太陽のような暖かいご主人だ。
だから私はもう迷わないと決めた。彼女が何者になろうと、今度こそ地の果てまで付き合ってみせる。
私の熱弁を聞いた神獣は呆れたようにため息をついた。そして、
「そうか……なら何も言うまい」
ぼそっと言った神獣は私に再び突進した。私の間合いに入ったところで後ろ脚蹴りを繰り出してくる。
私は迫りくる風圧と共に上空へと逃げ、腰から下を思いっきり捻って真下にいる神獣へ踵を振り下ろした。
踵がぶつかる鈍い音が響き、遅れて足に神獣を蹴った感触が伝わってくる。やっと入った有効打に安堵していると、腹に強い衝撃が入った。
「くそっ」
腹に受けた衝撃で後ろに吹き飛ばされた。
少し気が緩んだ隙をついて、神獣が打ち込んだ魔法弾にやられたようだ。
こんな初歩的なミスを犯すとは、私も相当鈍っているようだ。それを裏付けるように神獣の指摘が飛んでくる。
「攻撃が入ったからって油断するな! 常に反撃を警戒せんか!」
遠い昔、騎士の訓練時代に神獣から受けた指摘だ。
今になってもう一度指摘されるとは、このままではリジー様のお役に立つどころか足手まといになってしまう。それは断じて許されることではない……!
私は両頬を張って気合いを入れ直し、再び徒手の構えをとる。それを見た神獣は不敵に笑った。
「そうだ、それでいい。灰のボスは相当強いらしいからな。リジーを守れるくらいには強くないといけないぞ?」
神獣はそう言って、再び前脚の攻撃を再開した。
……こいつは私の目を覚ますために訓練場に連れてきたのかもしれないな。
神獣の攻撃を躱しながら私は薄く笑った。
神殿にいた時もシーズは何かと私に話しかけてきた。口は悪かったが、あれもシーズの心遣いだったのだろう。そして今も口は悪いが叱咤激励を投げかけてくる。
それに釣られるように私も感情を見せてしまった。だが、それで私の決意も揺るがぬものになったのも事実だ。
結局私はシーズに上手く乗せられてしまった訳だ。全くもって敵わない、本当にいい奴だよ。
そう思った私は、シーズが満足する夕方になるまで戦闘に付き合うことにした。




