第五十話 友の最期
土を掘り起こしたような匂いがする。それに混じって血特有の鉄の強い香りが混ざっていた。
朦朧とする意識の中、目を開けると、空高く昇る土煙が見えた。周囲からはいくつもの呻き声や浅い息遣いが聞こえてくる。
ああ、さっきのは夢ではなく現実に起こったことなのだな……。頭の中に入ってくる情報を整理しなくても状況が分かった。
セレシオン軍は負けた。それもたった一人の少女の手によって。最後は何をされたのかすら分からなかった。
気が遠いせいか、体の痛みはほとんど感じない。耳も悪くなっているのか、さっきまでの呻き声も息を吐く音も聞こえなくなっていた。
これで死ぬのならまだ救いはあるのかもしれない。自分の理想とする死に方とは違ったが、苦しまないよりはましだろう。
そう思っていると、徐々に視界がはっきりとしてきた。微かに土埃が漂っていたが、殆ど晴れて雲ひとつない空が顔を覗かせている。
ここが戦場でなければ一眠りしたいくらいの晴れ模様だった。
……どうやら私は死んでいないようだな。
そう思って腕を動かそうとすると激痛が走った。
「つっ、折れてるな、間違いなく……」
腕に走る痛みを堪えて上半身を起こした。
そして、自軍の凄惨な状況を目の当たりにした。
見渡す限り兵達が転がっていた。体が土に埋まっている者、一部が吹き飛んだ者、原型を留めていない者。そこには目を背けたくなる現実が待っていた。
「これは! 何ということだ……みんな、本当にすまない。私が、私が頼りないばかりに……」
絞り出した声は嗚咽混じりになっていた。
腕の痛みなどもはや感じない。死んでいった仲間たちに懇願するように私は頭を地面に擦り付けた。
胸が焼かれるように締め付けられる。
「アレク……無事、だったか?」
近くで声が聞こえた。かすれ声だったが聞き間違えるはずがない。ドルビーの声だ!
「ドルビー! どこにいる!」
声の方に振り向き必死で探す。彼が生きているだけでも嬉しかった。
だが、どれだけ探しても見つからない。自分でも焦っているのが分かる。
「ここだ……」
「そこにいた……おいっ! しっかりしろ!」
はっきり聞こえた方に目を向けると、上半身だけになったドルビーがいた。下半身は無くなり、臓器が露出している。
ちぎれたショックなのか、血は殆ど出ていないように見える。だが、この状態ではもう長くはない。
彼の元に向かおうとすると、足に力が入らずに転んでしまった。よく見れば私の両足は向いてはいけない方向に曲がっている。
だが、そんなことを気にしている暇はない。
ドルビーの元まで必死に這って進み、彼を覗き込む。目が合うとドルビーの口角が微かに上がった。
「よかった……お前だけでも、助けられて……」
「もう喋るな! 今すぐ治療班を呼ぶから、じっとしてろ!」
自分の声が震えているのがわかる。親友の今際の際など見たくなかった。
私は親友の手を取ろうとしたが、彼の両手は無い。肘から先が吹き飛んでいた。
「気を、使わなくてもいい……この傷は、助からないのは、分かってる、さ」
もはや彼の最期の言葉を聞くことしかできなくなっていた。何もできない自分に腹が立った。
歯をくいしばる私に反してドルビーは気持ちよさそうに笑っていた。
「考えることは、皆同じ……俺も、俺の部下達も、躊躇わずにお前に防御魔法をかけた……お前が生き残れるようにと」
そう言われてはっと思い出した。
あの時、地面に激突する前に何重にも防御魔法がかけられた感覚があった。それがドルビー達の決死の行動だったのだと気付かされた。
自分が死ぬことも厭わない。それだけ慕われていたことに嬉しさもあったが、悲しい気持ちの方が大きかった。私は、私はそんな大層な人間じゃない。
私が生きるために何故、何故部下達が犠牲にならなければいけないんだ!
自責の念に囚われて頭を抑えているとドルビーは小さく笑った。
何でこの状況で笑えるんだ。
私の小さな呟きにドルビーははっきりとした声で答えた。
「例え、この戦争に負けたとしても、大将が生きていれば、いずれ立ち上がることができる。アレク、それはお前にしかできないことなんだ。俺達は、お前を助ける、当然の責務を果たしたんだ……騎士の誇りにかけて」
騎士の誇りだと? 馬鹿野郎!
死んだら何もかもお終いじゃないか!
私の叫びは一際強く吹いた風に消し飛ばされる。それでも聞こえていたようで、ドルビーはニヤっと笑った。
「今まで、恩を返したいと思ってたんだ。こんなどうしようもない俺を、相棒に選び、親友でいてくれた。これで、返せたかな……」
そう言うとドルビーば大きく息を吐き、目を閉じた。
「もう、目も開けてられないか……お別れの時間だ、アレク。頼むから、すぐこっちに来るような真似はしないでくれよ……」
「ドルビー! おい、嘘だろ! 目を開けてくれよ! ドルビーーー!!」
私の叫びを聞いても友は動くことはない。
ドルビーはあっさりと息を引き取ってしまった。その表情は、まるで痛みなど感じていないかのように安らかだった。




