ジャックの焦りと後悔
水面下で増えていく不審死事件や、そこまではいかなくとも謎の症状が現れ、医療院にかかる者、普通の生活を送ることが難しくなっていく者。そういう者たちはどんどん増えていく。
ジャックは焦っていた。心は、中に鉛が沈んだかのようにずしりと重い。
執務室で、自分にも情報を流すようにと頼んでから回ってくるようになった報告書を指でなぞる。本来ならば全ての事件や症状が関連付けて考えられるようになり、例の植物のせいではないかと判明するまでは自分の管轄外のもので、情報は入らないはずだった。
気付いたのは、偏に1度目の経験があったから。ジャックが時戻りを祈った理由に、この事件のことも含まれていたからだ。
ジャックは焦っていた。
(知っているのに防げなかった死は、私が殺したも同然だ)
1度目、多くの人が亡くなり、職を失くし、普通の生活を送る幸せを失くし、グライト王国に大きな影を落とした。
ジャックは大きな期待と希望を抱いて時戻りを決意した。
死んだ多くの民の命を救い、愛するミリアと幸せな結婚をする。結婚しても愛せないと思っていたルーシーも、愛し合っているのに日陰の身になるミリアも、命を落とした民や、その者を大事に思っていた者たちも、全員が幸せになるにはこれしかないと思ったのだ。
だが、期待はすでに消え去ろうとしている。
生徒会室で久しぶりに温かいお茶を口にして安らいだジャックは、ルーシーがアルフレッドの元へと出ていくのを黙って見届けた。
(――1度目に君ときちんと向き合っていれば、当たり前に君の淹れたお茶を飲み、君の隣で安らぎの時間を過ごす未来もあり得たのだろうか)
ルーシーが帰る場所が、アルフレッドではなく自分の元だったら。そんな妄想が頭をよぎる。都合がいいことは分かっていた。しかし、追い詰められれば追い詰められるほどそんな「もしも」を考えずにはいられなかった。
自分勝手にミリアを愛し、有無を言わさず時戻りを決めた自分を、怒り、なじりながらも最終的には「ミリアさんという最愛が見つかってよかったですね」と笑い飛ばしたルーシー。
ルーシーが人に囲まれ、幸せそうに笑う度に、ジャックには彼女が眩しく見えるようになっていった。
あんなに明るく笑う人だったのか。笑顔で幸せを手にした彼女は、なんと美しいのだろうか。
1度目、彼女がそうでなかったのは全て自分のせいだ。それはジャックも分かっていた。しかしそれは、自分が向き合っていれば、彼女の隣でその笑顔を慈しんでいたのは自分だったかもしれないと言うこと。選択権は、いつもジャックが持っていた。
これ以上ルーシーに視線を、心を奪われてはいけない。自分は愛する人を選び、彼女を選ばなかったのだから。これこそ傲慢で自分勝手な感情だ。そう思った。
しかし、選んだ愛する人はどんどん自分の知る無邪気で明るい存在からかけ離れていく。
(ミリア……君は、何を考えている?)
生徒会室の窓の外に、最近見慣れた光景が広がっている。
楽し気に男に寄り添い、笑いかける最愛の人。相手は自分の側近の1人だ。もう胸は痛まない。それほど見慣れてしまっていたし、側近にそうするようにと頼んだのは自分だ。
正確には、そうしてはどうかと提案され、受け入れた。
ある時、自分が最も信頼する側近、ディオ・スミス侯爵令息が真剣な顔で切り出した。
「殿下は参っておられる。今の彼女の側で安らげますか?信用できますか?信用できると思えるならば、それこそ判断力を失っていると思います。不遜な物言いをお許しください。しかし、彼女はとても信用できない。少なくとも、殿下が気にしておられる例の事件が落ち着くまで、私や他の者が彼女を監視することを命じてはもらえませんか」
(ミリア、まさか本当に……関与しているなんてことはないよな?)
最初に引っ掛かりを覚えたのは、今思えばルーシーとアルフレッドの婚約を聞いたとき。バルフォア家に没落の兆しがかけらも現れず、アルフレッドがミリアなど歯牙にもかけずルーシーを溺愛している姿を何度も目にするようになって。
まず疑問が浮かんだ。
『1度目にバルフォア家が没落寸前まで追いつめられたのは、本当に自分が思っていたような理由だったのだろうか?』
ミリアに聞いたアルフレッド・バルフォアと、目の前でルーシーに笑いかける人物とはあまりにもかけ離れていた。
いつだったか王妃は嬉しそうに言った。
「私の開いたあのお茶会で、バルフォア家の子息はルーシーに恋に落ちたそうよ?」
嬉しそうにうっとりと。王妃の好きそうな話だ。きっと本当なのだろう。
だが、そうだとするとミリアの話と辻褄が合わない。
ミリアの話は嘘かもしれない。それはジャックにとって、絶対に考えてはならないことだったように思う。そして、考えねばならない大事なことでもあった。
ミリアが嘘をついているなど、考えたこともなかった。ジャックも初恋に浮かれあがり、盲目になっていたのだ。
(ルーシー嬢がミリアを虐げていたというのも嘘。アルフレッド・バルフォアがミリアに異常な執着を見せていたのも嘘。ならば、ミリアの真実はどこにある?)
そして、アルフレッド・バルフォアが自分の家を没落寸前まで追いつめ、家格の釣り合わないミリアと婚約する理由を作り出した、というストーリーが成立しなくなった今。あの婚約劇と没落騒動は違う色を見せる。
(もしも……もしも、あの婚約はアルフレッド・バルフォアではなく、ミリアが望んだものだったとしたら…………)
何よりも考えたくはない可能性。しかし、そう考えると全てのおかしな事実の辻褄が合う。
あってはならない『もしも』が。最悪の可能性が止まらなくなる。
ジャックはこうなってもまだ、ミリアを信じたかった。時を戻ってまで望んだ存在。それはもはや愛ではなく、自分が間違っていたという事実を認める恐怖からの思いだということは、今のジャックにはまだ受け入れられない。
(とにかく、あの植物を見つけなければ)
1度目、ついにあの植物がどこで入手されているのか、突き止めることは叶わなかった。
分かったのは何か特殊な生育環境でなければ育たないものであるということ。
解毒薬を作るために、植物そのものを育てようとしたが出来なかったのだ。
ジャックは今になって、あと少し、植物のことが分かるまで時戻りを待たなかったことを猛烈に後悔している。
間に合うと思った。あと少しというところまでは来ていたのだから。少なくとも原因は分かっていたのだから。止められると思っていた。
同じ脅威が、前以上の威力をもって襲い掛かるとは思ってもいなかった。時間ばかりが過ぎていき、被害を食い止めることもできない。
ジャックは焦っていた。
自分が時戻りを選択したせいで、本来なら不幸になるはずではなかった者が不幸になることだけは許されない。
そうして過ごし、学園での2年生が終わる頃。
王宮に密かに激震が走った。
ずっと体調の思わしくなかった王妃が、ついに倒れたのだ。




