第99話:間話・炎姫の旅立ち
ヒナの話です。
● ● ヒナ視点 ● ●
――強く。
全てをねじ伏せるだけの強さを身につけなければならない。
アルトリウスと一緒になる。
そのためにはいくつかの障害がある。
まずは、2人の身分差。
ヒナはユピテルでは最上級と言ってもいい貴族家の娘だが、アルトリウスは、長男とはいえ下級貴族の者だ。
結婚――つまりは血縁関係を重要視するカレン・ミロッティック家としては、そういった身分の差がある結婚はあまり歓迎されないだろう。
次に、ヒナと同じようにアルトリウスに心を寄せる少女、エトナの存在。
きっとアルトリウスは、ヒナとエトナ。2人を愛するし、同様に扱うだろう。
彼がそう言った以上、約束を違える事はない。
だが、このユピテル共和国という国は重婚は禁止されている。
イリティア曰く、隠れて重婚をしている人間はいるみたいだが、アルトリウスは隠す事は嫌うだろう。
ゆえに、法律を変えるか――はたまた国外――ユースティティア王国なんかに移住する可能性なんかもある。
ヒナとしては、アルトリウスのいるところならば何処へだろうとついていくつもりだが、彼の隣で立って歩くために、それに相応しい「力」が必要だ。
それは権力か、金か、強さ。
ユリシーズへの弟子入りは、ヒナがどのようなら力を手に入れるべきなのかを明確にする、という点で非常に有用だった。
世界最高の魔法士たちの集う館、魔女の館。
身を置く環境としてはアウローラの学院なんかよりよっぽどマシだ。
しかし――300人いる魔女の館の魔法使い達は、ヒナの想像しているよりも想像以下だった。
誰1人、8歳のアルトリウスにすら及ばない。
当然、300人は誰もが魔力神経が通っており、無詠唱を身につけていた。
誰もが得意な属性の上級魔法を使い、現時点のヒナよりは上に位置する人間も多い。
それでも、アルトリウスなら―――。
ヒナは別段、アルトリウスが上級魔法を使っているところは見た事はない。
学生生活で使う機会がなかったのだ。
しかし、ヒナは一度だけ、アルトリウスの本気の『風刃』を見たことがある。
発生スピード、威力、魔力の質。
風刃は中級の魔法であるはずなのに、彼のそれは全てにおいて、この館の人間の上級魔法を凌いでいた。
ヒナが見た弟子の中で、そんなアルトリウスに匹敵するのではないかと思わせたのは、ヒナの他の4人の直弟子たちくらいだった。
ともかく、そんな事を思いながら、ヒナは魔女の館に通った。
住み込みは家が許してくれなかったのだ。
――今に見てなさい・・・。
家というしがらみから解き放たれるような力を身につけるのだ。
必死に詠唱文を学び、性質を理解し、毎日枯れるまで魔法を放ち続けた。
最初のうちは目くじらを立てていた他の弟子たちも、気づいた頃には、ヒナを認めていた。
ユリシーズは変わった人だった。
実年齢は80を超えているという事なのに、見た目は20代の美女にしか見えない。
桃色のたおやかな髪と、豊満なバストは、見るものを引きつける魅力があった。
どこかふわふわとした雰囲気の彼女だったが、ヒナに教える内容は的確なものだった。
「えっとですね、魔法というのは、たとえ中級でも、込める魔力と想像力によっては、上級の魔法越える事はあります」
そういってユリシーズは、2発の氷槍を木に向かって打ち込んだ。
片方は小さく、片方は大きい。
小さい方は木にぶつかった時点で消えてしまったが、大きい方は木を貫いた。
「結局はどんな強力な魔法も、使い手次第ということです」
ユリシーズはそう言った。
そして、込める魔力と想像力意外にも、魔法には重要なことがある。
「制御」だ。
どれだけ強大な炎の塊を呼び出そうと、それが当てられなければ意味はない。
「魔法は才能に依存する部分も多いけど、『制御』だけは、努力しなければ上達しません」
ユリシーズは言った。
館の地下には、水球をひたすら的に向かって打ち込み続けるための射撃場のようなものがあったので、ヒナは毎日そこで制御の練習をした。
もう一つ、ユリシーズが重要だと教えたのが、『無属性魔法』だ。
特に、防御魔法に関しては、より強く、より強固な魔力障壁を作れるかどうかに、魔法士としての本質が問われるとまで教えられた。
他にも、身体強化や加速など、使えれば色々な部分で役に立つのが無属性魔法だ。
イリティアから学んでいた近接戦闘術は、いまだに半端なままだったが、身体強化魔法を併用すれば、大の男相手でも素手で殴り勝てるような気がした。
1年が経って、ようやく、ヒナは自身の立っている位置がわかるようになった。
―――今で、アルトリウスの半分くらいかしら。
彼が何気なく使っていたさまざまな魔法。
それがどれほど凄いものだったのか、ヒナはようやくわかったのだ。
アルトリウスから手紙が来たのはそんなころだった。
手紙を届けに来たのはイリティアだ。
ヒナへの手紙はイリティアへの手紙と一緒に来る。
これまでも、そのように手紙のやり取りはしていた。
が、どうやら今回の手紙は重要なものであるらしい。高そうな便箋に、高そうな紙を使って書き連ねられていた。
内容は、オスカーというプロスペクター家の友について行くため、もしかしたら民衆派として見られるかも知れないということ。
しかし、たとえ家の派閥が違えど、気持ちは変わらないので、ヒナが想い続けてくれている限り、添い遂げるつもりだということ。
彼にしては珍しく情熱的な文章に、思わず顔が火照る。
隣でヒナを見ていたイリティアがニヤニヤとしていたので、無理やり真顔を作り、手紙を読み進める。
そして、ヒナとしては少し衝撃的な文面を見つける。
「・・・カルティア・・・戦争に・・・?」
オスカーという友人と共に従軍する事になったと書かれていた。
戦争はいつ終わるかわからないので、15になったときに会えるかもわからないと。
別に15になったとき再会するというのは、ヒナが勝手に決めた独り立ちの期限だ。
それは別にいい。
問題は・・・。
「ヒナの方にも書かれていましたか」
イリティアも顔をしかめている。
イリティア宛の手紙にも、戦争に行く旨が書かれていたようだ。
「・・・」
思わず2人して顔を見合わせて押し黙ってしまった。
ヒナもイリティアも、アルトリウスがどんな人なのか、充分に理解していた。
アルトリウスは凄い人だ。
年齢にそぐわない成熟した精神力に、類稀なる魔法の才能、そして身体能力。
ヒナが心配するようなことはないのかもしれない。
でも、ヒナは知っている。
アルトリウスがとても――優しい人間だということを。
他者を気遣い、友人を尊重して、家族を愛する。
アルトリウスはそんな人だった。
きっとアルトリウスは誰よりも人間が好きなのだ。
そんなアルトリウスが、人が人を殺すための場に行って――体はともかく、心が無事で済むのか、心配でならない。
「でも、単に戦争をしにいくだけじゃないみたいですね。『天剣』か『迅王』を見つけて剣を学ぶ目的もあるみたいです」
「『天剣』に、『迅王』ですか?」
「ええ、どちらも私が逆立ちしても敵わないようなトップレベルの剣士です。以前アルにはオススメしておいたのですが・・・どうやらヤヌスにはいなかったようですね」
イリティアは、少しばかり責任を感じているようだ。
イリティアが勧めた剣士の名が、アルトリウスが戦場へ赴く一因にも思えたのだろう。
しかし、イリティアですら敵わない剣士とは・・・正直ヒナにはあまり実感がわかない。
それから暫くヒナは悶々と過ごした。
これまで修羅の如く取り組んでいた魔法の勉強にもあまり身が入らない。
レベッカに相談した。
レベッカは喜怒哀楽の激しい面白い子だ。
魔女の館では数少ない同年代の少女であるので、食事などを共に取ることも多い。
最後は茶化されたが、なんとなく、彼女に相談して気持ちが軽くなった気もする。
――そうよね。アルトリウスは、きっと大きく成長して戻ってくるのよ。
彼が軍人になるというのは、ヒナの目指した「強さ」が無駄にならないことの証明でもある。
彼が折れてしまいそうなら、その隣に立って、彼を支えれるだけの力を、ヒナが持てばいい。
彼の代わりに、ヒナがその業を背負えばいい。
だったら、ヒナもこれ以上差をつけられないように頑張るしかない。
それから、ヒナは一層魔法に打ち込んでいった。
そして、2年が経った。
● ● ● ●
「さて、ヒナちゃん、これであなたは免許皆伝です」
その日、ヒナはユリシーズに呼び出されていた。
「まさか、たった数年で、本当に《至伝》までマスターしてしまうなんて思いませんでした。他の弟子たち、今頃悔しがっているでしょうね」
ユリシーズは半分呆れるように言う。
《至伝》とは、ユリシーズが直弟子にしか教えない《秘伝》の魔法の中でも、彼女にしか使えないと言われていた高難易度の魔法である。
他の4人の直弟子も、まだそこには到達していない。
「・・・いえ、まだ私は覚えただけなので」
ヒナはすまし顔で返す。
覚えはした。
だが、まだまだだ。
結局のところどれだけ強力な魔法でも、使い手次第だ。
そう言う意味で、ヒナはまだユリシーズには及ばないだろう。
「ふふ、ヒナちゃんらしいですね。大丈夫。あのとき、軍神が言った通り――魔道を進み続ければ、あなたはきっと私を越えられます。あとは、自分との戦いですよ」
魔道に限界はない。
かつてアルトリウスも、イリティアも、そしてユリシーズも。
ヒナに多くの影響を与えた人物が総じてそう考えている。
「はい」
深く、ヒナは頷いた。
「ああ、そうそう、貴女に二つ名を贈らないと。ずっと後回しにしていたもの」
「別に二つ名なんて・・・」
と、言いかけてヒナは考え直す。
最近になって、カルティアで活躍しているというアルトリウスに『烈空』という二つ名がついたという噂を聞いた。
自分もなにかあった方が良いのかもしれない。
「いえ、では適当なのをお願いします」
「そうですね、じゃあ、『炎姫』はどう? 別にヒナちゃんなら水でも風でもいいんだけど、もう他の子たちが名乗っているから、消去法だけど・・・」
「構いません」
ヒナに苦手な属性などないが、得意不得意以前に炎は好きだ。
炎の赤はヒナの赤毛の髪の赤であり、アルトリウスから贈られた髪留めの赤なのだ。
彼から貰った赤の髪留めは、以前、ヒナの額で綺麗に光っている。
「それで、これからどうするつもりですか? 私としては別にこのまま『魔女の館』にいてくれても一向にかまわないけど」
「・・・まずは、お爺様に、独り立ちを認めてもらおうかと」
カレン・ミロティック家。
厄介な自分の血統。
もしかしたら、祖父は許さないかもしれない。
政治的に利用できる駒であるヒナを、手放したくないかもしれない。
だから力をつけた。
断られれば、実力行使をしてでも、家を出る。
大魔法士ユリシーズから免許皆伝を受けたヒナは、もはや軍人にならずとも、充分に独り立ちできる能力を持っている。
「その後は? その――アルトリウス君のところに行くんですか?」
「・・・いえ、まだ戦争は終わっていないので、その間に旅に出ようかと思っています」
「旅、ですか」
「はい。とりあえずは王国あたりに行こうかと」
学んだだけでは意味はない。
培った技術で、覚えた魔法で、本当に自分が生きていけるのか、試してみたい。
行先が王国――つまりユースティティア王国であるのは、王国が重婚の認められている国だからだ。
もしかしたらいずれ暮らすかも知れない場所。
そうでないとしても、見聞を広めるという意味で行っておいて損はない。
「そうですか・・・王国に行くなら、『闇狗』という魔法使いを訪ねるのが良いかもしれません」
「『闇狗』?」
「はい。私の師匠です。多分・・・王国のどこかにいると思います」
「師匠の師匠・・・って、その人いくつですか!?」
そもそも、目の前の桃色の髪のユリシーズは見た目は20代の癖に実年齢は80歳を越えている。
そんな彼女の師匠というのだから、そのユリシーズと同じか、それ以上の年齢であることが推察される。
「・・・さあ? あの人は私と違って、完全な『不老』ですから・・・」
「―――!?」
『不老』。
そんな事象が存在していいのか。
そんな魔法があっていいのか。
間違いなく、『失伝』に分類されるような超常現象だ。
「完全な・・・ということは、師匠のは・・・?」
「私のは失敗作です。あの人をマネただけ。だからヒナちゃんには教えなかったでしょう?」
明らかに魔法であるはずなのに、確かにユリシーズは見た目を若く保つ魔法をヒナに教えなかった。
秘伝でも至伝でも、そんな魔法はなかった。
――失敗作。
彼女なりに思う所があったのだろう。
「・・・まぁ気になるなら、実際にあの人に会って聞いてください。ヒナちゃんなら、無下にはされないでしょう」
「そうします」
別に不老の魔法なんかはまだ若いヒナにとって大して需要はなかったが、ユリシーズの師匠と言うからにはその人もさぞかし凄い魔法使いなのだろう。
無碍にされないというなら会って損はないはずだ。
「・・・じゃあ、元気でねヒナちゃん」
最後に、どこか悲しそうな――やけに悲壮感の漂う顔をしながらユリシーズはそう言った。
「・・・はい、今までお世話になりました」
ヒナは魔女の館を後にした。
その後、アウローラの総督府において、火災騒ぎが起きた。
はや暗殺か襲撃かと騒ぎになったが、どうやら身内による単なる諍いらしい。
どうやらネグレドの孫娘が、部屋を1つ焼き払って祖父を脅したという。
赤毛の少女が、どこかすがすがしい顔でアウローラを発ったとき、既にカレン・ミロティック家に、彼女の名前はなかった。
アウローラに「カルティア戦役の終了」の知らせが届くのは、彼女が王国に向かった2か月後である。
アウローラとカルティアは距離があり、情報は半年くらい遅れて届きます。
読んでくださりありがとうございました。




