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第75話:シンシアの追憶

 それほど章分けを意識して書いているわけでもないですが、章の区切りどころを見失っている節があります。

 なので、とりあえず進めていますが、すでに投稿されていた分がいつの間にか違う章になっていたりするかもしれません。

 作者の計画性のなさが原因です。ご了承ください。


 今回はシンシア視点です。



● ● シンシア視点 ● ●



 第1独立特務部隊、駐屯地。


 『ミオヘン』の都市部からは東に行った草原地帯で、その部隊は駐屯していた。


 いくつも建てられたテントの数は、全部で10あまり。

 

 これらテントは、前線に赴いたときに現地滞在をする可能性を考慮して、どのような場所でも建てられるように訓練されている。


 そんなテントのうち3つほどは、残りのテントから少し離れた位置に建てられている。

 それらは女性用のテントだ。


 この第1独立特務部隊は、他の部隊に比べて女性の割合が多い。

 理由は、この部隊の隊員全てが「魔法使い」で構成されている事にある。

 強化魔法が使えるならば、身体能力で劣りがちな女性でも剣士として充分に活躍できる。

 もしくは属性魔法が使えるならば、か弱い少女でも屈強な男どもを何人も殲滅することができる。


 そう言った理由で、この部隊には女性が多い。


 シンシアもその1人だ。


 時刻は夜。

 既に就寝時間となっており、皆テントの中で毛布にくるまり雑魚寝をしている。

 

 隣でスースーとかわいらしい寝息を立てながら眠る同年代の友人を筆頭に、シンシアのテントの同僚は既にもう夢の中のようだ。


 そんな中で、シンシアは1人、天井を見上げていた。

 眠ろうとも思ったが、如何せん寝つきが悪い。


 目を閉じると色々なことを考えてしまうのだ。


 ―――アルトリウス・ウイン・バリアシオン。


 思いがけない出会い方をした少年。

 自分よりも2歳年下の剣士。

 シンシアに副隊長を命じた隊長。

 そして、父の弟子。


 彼に対する複雑な心境は、父に対する感情、そして彼との出会い方、彼の不思議な人柄に起因がある。



● ● ● ●



 2歳のとき、シンシアの母親は死んだ。

 正直に言ってシンシアに、母親の記憶はない。


 記憶にあるのは、育児係のハンナと、2人きりだけの日常だ。

 父親は存在したが、物心ついたときシンシアの傍に彼はいなかった。


 父親は年に1度か2度ボロボロの姿で帰ってくるが、そのときもシンシアと話すことはない。


「もう少し・・・もう少しで奴に届く・・・」


 ハンナに給金だけ渡して、そんなことを言いながら次の日にはどこかへいなくなってしまう。

 

「どうして、お父さんはいつも家にいないの?」


 一度、ハンナにそう聞いたことがある。

 すると、ハンナは言った。


「旦那様は剣の修練をしているのですよ」


 どうして父親が剣なんて学んでいるのかわからなかった。

 

 外に遊びにいくと、両親と仲良く並んで歩く同年代の子供を見かけた。

 シンシアには経験のないことだ。

 酷く羨ましく、輝いているように見えた。

 

 ハンナのことは嫌いじゃない。

 よく面倒を見てくれるし、色々なことを教えてくれる。


 でも、ハンナは家族じゃない。

 手を繋いで、一緒に公園で遊ぶような間柄じゃない。

 雇用者と被雇用者なのだ。

 

 シンシアは剣を触ってみた。

 庭に、父が置いていった木剣があったのだ。


 家族を置いてまで、父が夢中になる剣というものがどんなものなのか、気になったのかもしれない。

 当時まだ幼いシンシアには木剣すら重かったが、一生懸命両手で持って、何とか一振りしてみた。


「わぁ・・・」


 思わず声が出た。

 達成感とでもいうのだろうか。

 すぐにハンナに見つかり、危ないからやめなさいと言われたが、隙を見てはシンシアは木剣を振りに庭に出ていた。

 

 多分楽しかったのだと思う。

 重い木剣を振り降ろす。

 上手くできるとビュッと風を斬る音が響く。

 そのたびに言いようのない達成感にさいなまれるのだ。


 ―――でも。


 だからこそ、シンシアは許せなかった。

 こんなに楽しいことの―――剣のために、家族を放って家に帰らない父のことを、あり得ないと思った。

 自分の事しか考えていないじゃないか、と。


 シンシアが学校に上がる頃だろうか、父は突然帰ってきた。

 今までは1日滞在したらすぐにどこかに行ってしまうのに、その日からはほとんど毎日家にいた。


「―――ごめんな。これからはずっと一緒だからな」

 

 父はそう言った。

 

 ―――何をいまさら・・・。 


 今更、街で見かける親子のようにふるまう事は、できなかった。

 父を父として認められなかった。 


 さっさと独り立ちして、父とは関係のない場所で生きていこう。

 シンシアはそう思った。


 だが、そんな考えとは裏腹に、シンシアについて回るのは父の名だった。


「君、天剣シルヴァディの娘なんだって?」


「八傑の娘? すごいじゃん!」


 誰もがそう言った。

 世界で最も強い8人の1人、八傑『天剣シルヴァディ』


 それが、父が家族との時間を犠牲にして得たものだった。


 ―――そんなの!


 認めたくなかった。

 どこへ行っても、シンシアは天剣の娘として見られた。


 嫌だった。

 あの人の娘と言われるのも、あの人が褒められるのも嫌だった。


 そんな状況が嫌で、シンシア自体を見てほしくて、無我夢中で色々なことを頑張ったこともある。

 自分にも、父以上のなにかがあるはずだ。

 そう思った。


 だが、シンシアには勉学の才能も、家事の才能も、芸術の才能もなかった。


 あったのは剣の才能だけだ。


 でも、剣を頑張れば頑張るほど、父の名前がついて回る。

 天剣シルヴァディは世界最高峰の剣士なのだ。


「父さんが弟子にしてやる」


 だから、何を思ったのか父がそう言ったとき、シンシアは歯を噛み締めながら断った。


「お断りします」


 ―――父の弟子?


 あの人の弟子なんてあり得ない。

 父と同じ道、父と同じ剣。

 そんなもの、虫唾が走る。 

 

 ―――私は、父以外の剣で父を越える。


 静かにそう決心したのはその頃だ。

 家族を犠牲にして得たような剣を認めるわけには行かなかった。



 そして、シンシアにとっては運命を変えるような出会いがあった。


 『迅王ゼノン』の剣を見たのだ。


 ゼノンは父の同僚にして、実力のある剣士だ。  


 剣を見たのはその時がはじめてだった。


 いつものように、庭で木剣を振っている最中、偶然訪ねてきたゼノンが、シンシアに声をかけたのだ。


「ほお、これは可愛らしい剣士がいたものだ」


 黒髪の長髪の男は、興味深げにシンシアの傍にやってきた。

 そしてじーっとシンシアの素振りをみて、


「・・・重心が右よりだな。型は神速流に近いが・・・どうにも基礎がなってないな」


 といった。

 

 ―――型? 神速流?


 シンシアは、自分が何を言われているのかよく分からなかった。

 まだ本格的に剣を学んでいるわけではないのだ。


「・・・なんだ、教えて貰ってないのか。いいだろう、見本を見せてやる」


 すると、そう言ってゼノンは転がっていた木剣を手に取った。

 やけに自然に構えている。 

 

 そして―――剣を振った。


「―――っ!?」


 それはただの居合だった。

 神速流の基礎に則った、中段の居合。


 しかも今思えば、当時のシンシアが目視できるよう、相当に速さを抑えた一振りだった。


 だが、それでも当時のシンシアからしたら何よりも速く、洗練され、そして何より美しい剣筋だった。

 たった一振りで、シンシアはゼノンの剣に見惚れてしまったのだ。


 ―――この人しかいない!


 当然のようにシンシアはそう思った。

 この人に学べば、自分もあの美しい剣を使える。

 そして、父を越えられる。


「私、迅王様の弟子になりたいです!」


 気づくとそう言っていた。

 父は意外にも許可を出してくれたが、ゼノンは正式な弟子は無理だと言った。

 その代わり、アドバイス程度ならばしてくれるということになった。


 シンシアは別にそれでも構わなかった。


 シンシアはメキメキと上達した。

 同年代で並ぶ剣士はいなかった。


 当然のようにカルティア遠征にも志願した。

 ゼノンが行くのならば当然だ。


 父は反対したが、実力で黙らせた。

 既にシンシアは、大隊長クラスの魔剣士よりも上の領域にいたのだ。


 カルティアでは、なかなか前線に出してもらえなかった。

 未成年だからだろうか、とにかくずっと従軍講習をやらされた。


 そして最近になって、新規の部隊の隊長を仮で任されることになった。

 ゼノンの管轄の部隊だ。

 しかも総司令官はこの部隊を重視しているらしい。


 ―――ようやく名前をあげられる。


 そんなことを思った。

 前線で活躍して名を上げるのだ。

 天剣シルヴァディの娘シンシアではなく、天剣シルヴァディはシンシアの父だと、誰にでも言わせるくらい有名になるのだ。


 これは父を越える第一歩だと、そう思った。


 そんな折、彼は現れた。


 出会い方は良いとは言えない物だった。


 参謀府のお風呂に忍び込んだのは、冷静になると自分が悪い。

 同僚たちにも内緒で1人、深夜のお風呂を堪能するのは、シンシアの隠れた楽しみの1つだった。 


 他の女性たちは、布で拭くか、川まで水浴びをしに行っている。

 でもこの時期の川はとても寒く、あまり入れたものじゃない。

 他の場所の公共のお風呂は女性専用のものもあるが、人も多く、湯も替えない。

 

 参謀府のお風呂は、他の公共の場所のお風呂よりも広く綺麗だ。

 それに深夜ならば誰も来ない。

 既にお湯は抜かれているが、魔道具が付いているので、浅くならば張りなおすのは苦労しない。


 今まで一度もバレなかったのだから、とあぐらをかいていた部分もある。

 それに、もしも誰かが入ってきたとしても、明かりを消して真っ暗にしておけば、誰かはわからない。

 そんな打算的な考えで、その日もシンシアは深夜駐屯地を抜け出し、参謀府の風呂場に向かった。


 そういう意味では、あの日、無詠唱で照明魔法が使える少年が風呂場に入ってきたのは完全にシンシアの予想外の事だった。


 急に明るくなった視界。

 初めて見る異性の裸体。

 そして同じく明るく照らされている自分の体。


 それらの事態にシンシアの頭は完全に混乱した。

 気づいたら叫び声をあげてその場にうずくまっていた。


 暫くして顔をあげると、その少年はいなかった。

 

 ―――夢? 幻覚?


 そう思った。

 だが、未だに明るく照らされている視界が、先ほどの事が現実であるという事をシンシアに分からせる。


 ―――どうしよう。


 不安な気持ちで、急いで駐屯地に帰ってきた。


 同年代の異性に裸を見られたのは初めてである。

 もちろん見たのも初めてだ。

 ひどく動揺した。


 しかし、冷静になると自業自得である。

 参謀府の風呂は混浴だ。

 誰かに会う可能性なんていくらでもあった。


 でも、シンシアが深夜に参謀府の風呂に忍び込んでいたなんて噂が立つのは、少し嫌だった。

 シンシアは本人にとっては不本意な意味で有名だ。


 かといって少年の事をシンシアは知らない。

 謝罪や口止めを頼もうかと思っても、居所が分からないならばできることはない。

 無詠唱魔法を使える点で、魔法士であるだろうとは思ったが、部隊に彼のような人はいなかった。

 だが、不思議と噂は広がっていなかった。

 

 不安半分、困惑半分で過ごしていたころ、シンシアは少年と思わぬ再会を果たす。


「あ―――ッ!」


 シンシアの剣の師、ゼノンが連れてきたその少年。


 焦げ茶色の髪に、焦げ茶色の目。

 凛々しさと幼さを足して2で割ったような雰囲気。

 そして、どこか達観したような瞳。


 アルトリウスというのはあの日、風呂場で出会った少年だった。 

 

 ―――謝罪? 感謝? 言い訳?


 とにかく何かを言わなければと、言葉を考えているうちに、そんないろんな考えを吹き飛ばすようなことをゼノンが言った。


「彼は君の父の弟子だ」


 ―――え?


 父の弟子。

 天剣シルヴァディの弟子。


 そう聞いた瞬間、お風呂のことなど頭から吹き飛んだ。

 自分でもよく分からない感情がシンシアを襲った。

 でも、とにかく負けられないと思った。

 他の誰でもない、自分の父親の弟子―――父の剣なんかに、隊長を譲るなんて嫌だった。


 気づくとあることないこと理由を付けて立ち合いを望んでいた。

 少し大人げなかったかもしれない。

 少年は多分自分より年下だ。

 それに、照明魔法を使っていた時点で、彼はおそらく魔法士だろう。

 対してシンシアは剣には自信があった。同年代相手に負けなしだ。


 だが、そんなシンシアの考えは、ひとたび剣を交えた時点で改められることになる。


 カンッ!


 木剣の交わる音と共に、シンシアの脳裏から油断の文字は消える。


 ―――この人・・・強いっ!


 そう思った。

 数合打ち合い、速さと技―――剣術自体はシンシアの方がわずかに上であることはわかる。

 だが、それでも今まで試合をした誰よりも強いと、そう思った。

 見たところ、神撃流と神速流の併用。

 どちらも同世代の誰よりも洗練された―――そして芯のある動きだ。


 ―――崩せない!


 速さで勝っても、技をかけても、少年の動きは崩せない。

 隙という隙が見えない。


 それどころか、少年はどこか上の空・・・余裕のようなものがみえる。

 シンシアの攻撃が効いているようには見えない。


 ―――でも・・・あの人の弟子なんかに負けるわけには・・・!


 そう思ったとき、不意に少年の動きが変わった。


 何をされているかわからなかった。


 こちらの方が速く動いているはずなのに、少年の動きがシンシアの上を行くのだ。


 まるで読まれているかのような・・・。


「水燕流―――!?」


 そう思った。

 そしてこの目の前の少年が、父の弟子であるということを実感する。

 いくつもの流派を合わせて使う―――まるで父の―――認めるわけにはいかない剣術だった。


 負けたくない。

 必死に剣を振った。


 過去で最も速い加速をした。


 それでも―――。


「・・・もう一手だ」


 気づくと、彼の左手―――予想もしていなかった手刀が迫っていた。


「・・・そこまで」


 ゼノンの声が響く。


 シンシアは敗北していた。 


 その後の記憶はあまりない。

 のろのろとテントに戻り、呆然としていた気がする。



● ● ● ●



 名実ともに、隊長となったアルトリウスという少年だが、だからと言って何か指示などをするわけではなかった。

 

 自主訓練というなんとも中途半端なことを言いつけるだけだ。


 隊員は多少不満に思っていた節もみられが、口に出して文句をいう者はいない。

 アルトリウスを隊長として認めているからだろう。


 シンシアを剣術で下すことなど、この部隊の誰にもできないのだ。

 少なくとも実力において、文句をつけることはない。



 そんな彼が駐屯地にやってきたのは次の日だ。


 どこかで見たことのあるような石の小屋がいつの間にか建っていた。

 どうやら彼が魔法で建てたらしい。

 参謀府からこちらに移るようだ。


 そして、フランツから伝言が来た。

 出頭しろとのこと。


 色々とわだかまりや、言いたいこともあるが、上官命令に逆らうことはない。


 シンシアは言われた通りに彼のいる石小屋に赴いた。


「―――失礼します」


 そう言ってシンシアが部屋に入ると、アルトリウスは何やら書き物をしていた。


 着席を促されたので、敬礼の後、素直に着席する。


 正直、シンシアは、アルトリウスが呼び出した目的をはかりかねていた。

 自分の彼に対する態度は、はたからみてもいいとは言えないだろう。

 よほどのバカならともかく、彼がそれに気づいてないとはいいがたい。


「―――そうだな。俺と君は既に剣を交えたほどの仲ではあるが、言葉を交わしたことはない。とりあえず自己紹介でもしないか?」


 そんなシンシアの逡巡とは裏腹に、どうにもアルトリウスはのんきなことを言う。

 シンシアが困惑しているのをよそに、彼は勝手に自己紹介を始めた。


 年齢は13歳。

 予想通りシンシアよりも年下だ。


 そしてやはり彼は、属性魔法も剣術も使える「魔導士」であるようだ。

 しかも、「一応両方使える」というだけのなんちゃって魔導士ではなく、どちらも高いレベルで修め―――しかもまだ上を目指している本物だ。


 シンシアは属性魔法の才能はなかったが・・・それでも魔法士の同僚の話を聞く限り、その道のりは相当苦しいものだと聞いている。

 剣術も魔法も、才能だけで身に付くものではない。その点は素直に尊敬できることだ。


 趣味やら将来の夢、聞いていないようなことまで勝手に喋った後、彼はシンシアにも自己紹介を求めた。


 淡々と、シンシアは答えた。


「・・・趣味は?」


「―――ありません」 


 よく考えればある気もしたが、そういうと、少年はそれ以上は聞かなかった。


 あってないような自己紹介は終わり、アルトリウスは用件を話し出した。


「まず、初めに・・・謝罪を」


「謝罪?」


 シンシアからならともかく、彼から謝罪をされるようなことなどあっただろうか。

 

 すると、彼は、唐突に頭を下げた。


「風呂場の件は・・・その、すまなかった」


 ―――!?


 風呂場―――。

 正直、このときまで忘れていた案件だ。


 そう言えばそんなこともあったが、彼が父の弟子という事に比べれば些細な事だと勝手に思っていたのだ。


 それに、別にあの事件は、彼が悪いわけでもないだろう。

 どちらかといえば深夜に侵入した挙句、遭遇して叫び声を上げてしまった自分の方が悪いような気がする。


「―――っそれは・・・」


「いいんだ。わかっている。婚前の女性が、他人の男の前で素肌を晒されるなんて、大変侮辱に感じたとしても仕方がない」


 シンシアが何かをいう前に、アルトリウスの言葉が先に紡がれる。

 彼は、裸を見たことに罪悪感でも感じているのだろうか。


「・・・いえ、あの―――」


「まあ、確かに俺にも言い分が無いことはないが・・・とにかく、君が怒るのも当然―――」


 頭を下げたまま少年が言葉を並べてしまう。


「その! 頭を上げてください」


 思わず大きい声が出てしまった。


「・・・?」


 少年はキョトンとしながら顔を上げた。


「あの時の件は―――もともとは私が悪いんです。私もあなたの・・・その、見ていますし、できれば忘れていただきたいところですが、私の未熟が招いた自業自得です。あなたが気にする必要はありません」


 そんな少年に向けて、シンシアはそんなことをまくし立てていた。

 少し思い出して顔が赤くなっていたかもしれない。


 元々、参謀府の深夜の風呂を勝手に使っていたのはシンシアの方だ。


 彼はシンシアの裸体を見たことを気にしているようだが、それはお互い様であるし、そもそもシンシアは自分の体が気にするほどの価値があるとも思っていない。

 男性はもっと、出るところが出ている体型が好みなのだ。


「怒ってないのか?」


 アルトリウスは拍子抜けしたように言った。

 もしかしたら、彼は、シンシアが彼に対して厳しく当たっているのはそのせいだと思っていたのかもしれない。

 だとしたら、少し罪悪感を感じる。

 よく考えれば、彼は言いふらしたりもせずに黙っていてくれたのだ。

 感謝こそすれ、怒る道理はない。


「はい、私こそ、お目汚しをしてしまい、申し訳ありませんでした」


 なのでそう言ってぺこりと謝ったのだが、


「・・・すごく良かったと思うけど」


 と、少年の口から予想外のことが聞こえた気がした。


「へ?」


 すごく良かった?


 ―――私の体が?


 まさか。

 自分の体が貧相であることは自覚がある。

 男性はもっと出るところが出ているものが好みなのだ。


 思わず俯いて自分の胸元を眺めるシンシアをよそに、アルトリウスは話を進める。


「・・・いや、なんでもない。とにかくこの件は手打ちでいいな。あの時俺は何も見なかった。君も風呂場にはいなかった。これでいいか?」


「え、あ、はい」 


 面食らいながら答えると、満足した様に彼は次の話に移る。


 隊の引き継ぎの話だ。


 あの立ち合い以来、アルトリウスとシンシアはまともに会話していない。

 仮とはいえこれまで隊を率いていたのはシンシアなのだから、引き継ぎはしなければならない。


 これまで行ってきたことに対する説明を終えると、アルトリウスは今後の隊の構想について話してくれた。


 どうやら、8人1組を最小単位とした指揮統制を行うようだ。


 彼の中で、この部隊の役割は、正面切っての戦場だけではないということだろう。

 

 何にも部隊に指示をしないと思っていたら、1人でこんなことを考えていたのだ。


「―――よし、シンシア・エルドランド。君を部隊の副隊長に任命する。班の割り振りは君の仕事だ」


 意見を求められたので、気になったことを言うと、急にそんなことを命じられた。


「私が副隊長・・・ですか?」


 正直、驚いた。


 今までのシンシアの態度からして、アルトリウスは自分のことを嫌うのは当然だと思っていたのだ。

 

 風呂場の件は手打ちとしても、一方的に絡んで無理やり立ち合いをさせたのだ。

 いい気分ではなかっただろう。


 しかし、


「・・・俺はまだ好き嫌いが判断できるほど君のことを知らないよ」


 肩をすくめながら、彼はそう答えた。


 そして苦笑しながら続ける。

 

「・・・これから一緒の隊でやっていくんだ。俺としては仲良くしてもらえると嬉しいけどね」

 

 ―――仲良く。


 きっと、彼自身はいい人なのだろう。

 悪いと思えば、部下であろうと頭を下げるし、基本的には歩み寄ってくれる人だ。

 年下とは思えないほど他人に気を使える人だ。

 人の弱みも言いふらしたりはしない。

 なんだかんだで、隊のことも真剣に考えているし、指揮官としても優れているのだろう。


 でも。


「―――指示には従いますが、それは難しいでしょうね」


 仲良くは、できない。


「・・・何故だ?」


「あなたがあの人の弟子だからです」


 少年―――アルトリウスは父の弟子だ。


 使う剣は父の剣だ。


 それは、シンシアが認められない、認めるわけにはいかない剣だ。


 仲良くは―――できない。


「―――用件がこれだけでしたら失礼します」


 そのままシンシアは少年の元を後にした。 





 風呂場の遭遇の下りが大していらなかったことに今気づきました。


 読んでくださりありがとうございました。

 

 誤字報告して下さった方、ありがとうございます。

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