第70話:捕まえた豚はただの豚
ラーゼン・ファリド・プロスペクターは、1つの物事を1つの目的のためにする男ではない。
なにかを成すときには必ず複数の意味と目的を持たせ、確実に何かしらの成果を上げる。
例えば、先日敗北に終わった侵攻作戦にしても、「兵士たちの不満の解消」のほかに、「敵軍の捕虜を得る」という目的、さらには「あわよくば勝利」という3重の意味を持たせていた。
捕虜の獲得というのは、戦争をする上では常かもしれないが、今回はその重要性が高い。
なにせ、最近、目に見えて敵軍の動きが明らかに違うのだ。
どう考えても「誰かの指示」で統一された意思を持って動いている。
捕虜の尋問によってその内容を把握するのは、ラーゼンからすると重要なことである。
捕虜は全員が口を割らなかった。
どの部族のどの兵も、口を割るくらいならば死ぬと言って実際に舌を噛んで死んでいった。
情報は得られなかった。
だがこの事実によって、少なくとも現在のカルティア人が、1人の人物によって「一枚岩」であることを、ラーゼンは確信した。
彼らの、祖国と同胞を守りたいという忠誠心が全カルティアの統一を示してしまったのだ。
―――しかし、恐るべき指導者だ。
ラーゼンは思った。
誰だかは知らないが、森林地帯でマティアスの軍を破った手腕は見事だ。
森林という隠れ蓑を文字通り隠れ蓑にして、「地下に潜む」という真の目的を最後まで悟らせなかったのだ。
まさにお手本のような奇襲作戦といっていいだろう。
―――もしも、最初からカルティアが一枚岩であったら・・・我々はすでに負けていたかもしれない。
そう思う程度に、ラーゼンは見たこともない敵の指導者を認めていた。
さて、話はそれたが、ともかくラーゼンは1つの物事を1つの目的で行わない男である。
そして、それはかの『鷲』強奪事件にも言えることだ。
「ギレオン・セルブ・ガルマーク卿をお連れしました」
アルトリウス達が去ってから暫くして、再びラーゼンの執務室に、シルヴァディが訪れた。
シルヴァディの手には縄。
縄の先には豚―――のようにまるまる太った中年の男、ギレオンがいた。
「そうか、ご苦労だったね」
ギレオンを一瞥し、冷たい声でラーゼンは言う。
「さて、ガルマーク卿。一応、何か申し開きがあれば先に聞いておこうか」
「ふん、ラーゼン、貴様・・・このようなことをしてタダで済むと―――ぐはっ!」
猿轡を外された途端、ギレオンが金切り声をあげたので、隣のシルヴァディが軽く殴りつけた。
「・・・『鷲』の件は全てわかっている。聞きたいのは他の事だ」
ラーゼンは気にせず続ける。
もちろん全て彼が仕組んだことなので『鷲』について聞きたいことなどない。
聞きたいのは他の事――それがわざわざセルブ一門の人間をターゲットにした理由でもある。
彼にしては珍しく殺意すら感じる声が部屋に響いた。
「2年前―――私の妻を襲うように指示をしたのはお前か?」
そのゾッとするほど冷たい声に、ギレオンは体を震わせた。
「・・・ち、違う・・・私じゃない」
「では誰だ?」
「・・・・・・」
ギレオンは答えない。
彼は知っている。誰が犯人か。
冷や汗をかきながら答えるべきか迷っている。
言った瞬間、裏切ることになるのだ。
「・・・真実を言うならば、命は助けよう」
「―――っ!?」
ラーゼンの言葉に、身じろぎをしながら、ギレオンは答えた。
「・・・兄上だ・・・ガストン・セルブ・ガルマーク。彼が指示をした」
震える声で紡がれるギレオンの言葉に、ラーゼンはわずかに目を見開き、
「そうか。よし、連れていけ。約束通り殺しはするなよ」
そう言い、目を閉じた。
「ハッ!」
シルヴァディは敬礼の後、再びギレオンに猿轡をし、縄を引きながら退室していった。
「・・・やはり、ガストンか」
ラーゼンが言った。
シルヴァディが去ったこの場にはラーゼンの他には1人、ゼノンしかいない。
そのゼノンが答えた。
「まあ・・・妥当でしょうね。ギレオンはこのまま生かすので?」
「当然だ。彼は私の大義の生き証人なのだからね」
ラーゼンはそう言ってほくそ笑んだ。
もともとギレオンを殺すつもりなどはない。
『鷲』の強奪にしろ、彼がいて初めて証拠として1つの意味を持つのだ。
そしてラーゼンは1つの物事を1つの目的のために行わない男だ。
今回のギレオンにしても、1つは門閥派による鷲強奪に伴う大義名分の獲得。
そして2つめは、それによって兵の士気が落ちていると門閥派に錯覚させ、かく乱すること。
最後に、かつてラーゼンの妻を襲った犯人を突き止めること。
これらのことを目的として行ったことだ。
妻を襲ったというセルブ一門の人間をターゲットにしたのはそのためである。
ギレオンはセルブ一門の中でも、筆頭であるガルマーク家の者だ。彼自身が下手人ではないにしろ、内情は把握していると確信していた。
ラーゼンが顔を上げた。
「―――これで、手札は揃った」
「はい」
「あとは、カルティアを手中に収め――地盤を固める」
そしてラーゼンは宣言した。
「―――2年後だ。私は首都に帰還する」
ゼノンは静かに頷いた。
● ● アルトリウス視点 ● ●
『魔導士のみで構成された部隊編成による高機動戦闘についての予見と可能性』。
俺が学生時代に兵法研究ゼミで書いた論文だ。
確か、元は、かつてのキュベレーの将軍、バルムンク・サーベルージの運用していた魔導士部隊『暁月の連隊』にコンセプトを得た論文だ。
論文の根底にあるのは、少数の戦力を持って、大多数の戦果を挙げるための効果的な部隊運用を目的にした考え方だ。
もともと、魔法使い―――とくに「魔法士」に対して、魔法を使えない人間というのは無力に等しい。
実際に北方山脈で戦ったときにも思ったが、最低限無属性魔法が使えないと、どれほど屈強な男でも、俺のような子供になすすべなく負けることになるのだ。
だから、戦争において「数を揃える」ということの意義を、俺は見いだせなかった。
たとえ兵の数が1万上回っていたとしても、敵に優秀な魔導士が10人もいれば、それは優位とは言えない。
ここまでが前提だ。
言い方は悪いが、そもそも魔法を使えない兵を戦場に連れてくること自体足手纏いなのだ。
それを前提として、部隊を組むとき、少ない魔法使いを、魔法を使えない大多数と共に運用するのは効率が悪い。
むしろ独立させ、優秀な魔法使いを集中して運用した方が、戦果効率が上げやすいのではないだろうか。
と、魔導士部隊の重要性を説いたあと、強力な魔導士ないし魔剣士のみによる部隊によっての様々な運用方法を、俺なりにいくつか例をあげつつ考察し、時代が進むにつれて起こりうるであろう魔導士隊と魔導士隊同士における戦闘の可能性の予見を書いたのが、その論文だったはずだ。
しかし、まさかその論文の内容を自分で実行することになるとは。
・・・まぁ細かいことは、実際に辞令が下ってからでいいだろう。
正直、魔剣士ならまだしも、魔導士による部隊というのは難しい。魔導士は絶対数が少ないのだ。
実際は俺の任される部隊もほとんどが魔剣士だろう。
それならば俺の論文ともまた話は違ってくる。
そんなことを考えながら、俺は今、都市ミオヘンで最も偉い人達がいる建物、参謀府の廊下を歩いている。
数階建てのでかい建物だが、この建物にいるのは参謀と言われる、それこそ一部の偉い人か、ある程度以上の指揮官であるため、基本的に一般兵士の数は少ない。
いても伝令か参謀府の運営をしている下っ端か、はたまた偉い人の従者か何かだろう。
俺は少し場違い感を感じながらそんな下っ端の兵士の人に自分の部屋まで案内してもらった。
下っ端兵士の青年は、俺みたいな子供に対しても、やけにペコペコしていて、少し申し訳なくなった。
「まだ正式に軍人になったわけじゃない」と言っても、「貴族で、しかも天剣様の弟子の方に失礼はできません」と言ってペコペコされた。
どうやらシルヴァディは相当畏怖されているようだ。
部屋は、ところどころ気品はあるが、簡素な部屋だった。
トイレと風呂は共用で別の場所にあるらしい。
「でも、風呂は既にこの時間は湯を抜いているんで、入れないかもしれないです!」
「そうですか・・・別に浸かれなくてもいいんですが、入れもしないんですかね?」
「すみません・・・この時間は普通、私のようなものは参謀府にはいないもので・・・」
「わかりました。じゃあ場所だけ教えてください」
「ハイ!」
下っ端兵士の人は、そんな感じで俺にお風呂とトイレの場所を教え、お手本のような敬礼をしてそそくさと立ち去っていった。
確かに現在は既に結構な夜更けだ。
体感的には深夜を越えている。皆寝静まる時間なのかもしれない。
しかし、寝る前に汚れは落としたいな。
湯が張ってなくても、最悪俺は魔法でお湯が出せるので、行くだけ行ってみよう。
そう思い、俺は風呂に向かって歩いていた。
廊下はギリギリ前が見える程度のランプがかかっているだけで、薄暗い。
誰かとすれ違うこともない。
基本的に明かりが少なく、やはりこの時間は殆どの人は眠っているのかもしれない。
突然の襲撃などがあったらどうするのか、と思うが、この都市ミオヘンは前線から少し距離がある。
ここまで敵軍がたどり着くには、その前にいくつかの防衛ラインを突破しなければならないだろう。
それに戦があったばかりだ。敵も味方も疲れている。
半ば手探りで進み、風呂と思える場所に着いた。
一応目を凝らして確認したが、男湯女湯の標識はない。
――どうせ戦場には男しかいないか。
深く考えずにそう判断し、俺は風呂の扉を開けた。
すぐ前は脱衣所のような場所だ。公共風呂ということでそこそこ広いが―――やけに暗い。
一応薄い明かりを放つランプが天井から吊り下げられているだけだ。
棚があったので、無造作に服を脱ぎ、置いた。
元は『蠍』の一味から奪った服だ。
結局なんだかんだとカルティアに来るまで着続けてしまった。
剣で斬られ、所々が破れ、穴も空き、よくこんなの着ていたものだと改めて思う。
しかし、前はブカブカだったものだが、最近はやけにフィットするような気もする・・・返り血で服が縮んだのかもしれない。
別に未練はないので、できることなら新調しよう。
そんなことを考えながら俺は全裸になり、肌寒さを感じながら風呂場――浴室に進んだ。
扉を開けた先は、ほんのりと温かく、水の音がする気もする。
湯が張ってあるのかもしれない。
しかし、
―――真っ暗じゃないか。何も見えない。
この体の動体視力はかなりいいはずだが、目の前に何があるかもよく分からないほど暗かったのだ。照明がないらしい。
仕方がないので、俺は魔法を放った。
――『照明』。
イメージは浴室全体を明るく照らす程度の証明だ。
体を洗い終わるくらいまでなら、光を持続させるのは容易である。
だが――――。
照らされた世界。
おもわず俺は眼前の光景に目を奪われた。
浴室は、戦場の一角とは思えない程度に小ぎれいな空間だった。
石タイルの床に、大理石のような精巧な磨きあげられた石による浅めの浴槽。
大きさもそこそこで、浴槽の他に、体の洗い場も確保されている。
だが、俺が目を奪われたのはそんなものではない。
俺の目の前には、ここにはいてはいけない―――予想だにしていない者がいた。
それは少女だった。
まず目に飛び込んでくるのは照明の魔法に反射して、輝くような長い金髪。
空色の大きい瞳は、鷹のような鋭さも思わせる目元に囲われ、高貴さを演出させる。
水が滴る輪郭は、芸術品のような均整なラインを描き、大人っぽい目つきの割には幼さを感じさせる鼻筋と唇―――。
そして、長い金髪に見え隠れする、細身ながら、きちんと鍛えられているであろう肢体。
引き締まっているのに、女性らしさを損なわないフォルムに、スラリと流れるようなお尻と太腿のライン。
起伏の少ない胸元は―――長い金髪によって重要な部分を隠しきれていない。桃色の色彩が、ちらりと俺の視界を奪う。
つまり、何が言いたいかというと―――、
金髪の美少女が、一糸纏わぬ姿で俺の目の前に立っていた。
「―――へ?」
変な声が出ていた。
そのとき俺は随分間抜けな顔をしていただろう。
―――どうして?
―――女湯?
―――いやしかし何も書いてなかったよな?
多分必死で理由を考えていた。
瞬時に動けなかったのは、思考していただけで、決して少女の姿に見とれていたわけではない。決して。
少女は時が止まったように固まっていた。
いったい何が起こっているかわからないといった感じだ。
だが、俺が間抜けな声を出すなり、急にぱちくりと目を瞬かせる。
そして、自分の体と、目の前の俺(もちろん全裸)と、明るくなった周囲を見渡す。
そして再度俺を見て―――。
「キ―――キャアアアアアアア―――ッ!!」
腹の底から出ているのではないかというくらいの叫び声をあげた。
「―――し、失礼しましたあああああ!」
少女の高い声が聞こえた瞬間、俺は叫びながら走りだしていた。
一目散に脱衣所に入り、おそらく前世も含めて最速の速さで服を着て、きっと見ていたらシルヴァディも驚くほどの速さで部屋まで加速していた。
―――なんで?
―――どうして?
―――少女が、こんな戦場にいるわけないだろ?
―――風呂場?
―――混浴?
―――女湯?
俺の思考は間違いなく加速していたが、間違いなく混乱していた。
「―――落ち着け―――落ち着け―――こういうときこそ、冷静にだ」
枕に顔を埋めて声に出してこう言っている時点で、まったく冷静ではない。
冷静ではないが―――冷静ではないなりに考え―――そして―――。
・・・寝よう。
そう決断した。
長らく感じていないベッドのぬくもりは、そう決断した俺を眠りに誘うのに、そう時間をかけなかった。
読んでくださり、ありがとうございました。合掌。




