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第65話:間話・オスカーの到着


 カルス大橋でアルトリウスの捜索を打ち切って以来、オスカーは、何かに追われるように動き出した。

 バルビッツに出発の指示を出し、馬車を走らせる。

 

 基本的には田舎道が続き、街などはない。

 広く、木に囲われた道が永遠と続き、たまに集落を見つけたくらいか。

 

 夜はほとんど野営だったが、オスカーは特に気にしなかった。

 その眼鏡の奥で、オスカーが何を思い、何を考えながら旅をしていたのかは、ミランダにもわからない。


 アルトリウスがいなくなって以来、それまで楽しさすら感じていた旅路も、一瞬の気も抜けない過酷な旅に変わった。

 使節の全体的な雰囲気も暗い。


 盗賊は何度か遭遇したが、バルビッツ達が見事に撃退した。


「本来なら毎日のように襲ってくるんですが、やっぱり人数が多いと襲撃は少ないですね」


 と、バルビッツは苦笑していた。

 確かに襲ってくる盗賊はそれなりに数を揃えているグループばかりだった。


 結果としてはバルビッツ達護衛隊の圧勝だったが、数自体はそう大差はない。


 何度か集落に寄り、物々交換で食料を確保した。

 規模の割には大きい畑や、石造りの小屋などがある集落があったが、


「金髪の魔法使いさんが建ててくれたんじゃよ」


 集落の村長が言っていた。


 そんなこんなで1か月半ほどかけて、オスカー達使節はカルティアへと到達した。

 その間、オスカーは一度もアルトリウスの話題は出さなかった。


 カルティア地方は、聞いていた通り、そこそこ温暖な気候だった。

 季節は冬なので、それなりには寒かったが、北方山脈の寒さとは比べ物にならない。


 カルティアに入ったとはいえ、ユピテル軍の本隊が居を構えているのはもう少し前線に近い場所だった。

 兵士の案内で、オスカー達は都市『ミオヘン』まで移動をした。


 流石に都市部ともなればそれなりに発展しており、戦時中とはいえ、商工業は再開されていた。

 もちろん、征服地で扱う貨幣はD(デナリウス)であるが、それでも、既にカルティアの南東部のいくつかの都市はユピテルが征服している。

 征服された土地同士での貿易は、ユピテルの統治の元始まっているのだ。

 属州化する下準備だ。


 基本的に、ユピテルは征服した地方を、属州として取り入れる。

 それらの指揮をするのは、既にカルティア属州の総督としても任命されているラーゼンだ。


 属州は少しづつユピテル化がされていく。

 具体的には、ユピテル国民の入植だ。

 例えば、その土地に派遣された兵士が、現地の住民を妻に取り、そこで家を建てたり。 

 ユピテルであぶれた小作人を連れてきて、農地を安く買わせて自作農にしたり。


 もちろん、まだカルティアを完全に征服したわけではないうえ、オスカー達が体験してきた通り、ここまで来るのも一苦労である。

 したがってそれほど本格的な入植はまだだが、兵士の何人かは既にこの土地でパートナーを見つけた者もいるようだ。


 さて、そんなカルティア地方の征服の前線基地ともいえる都市ミオヘン。


 オスカー達が到着すると、ミオヘンでは、ユピテルから到着した使節団を出迎えるささやかな宴が行われた。

 もちろん規模は小さい。

 参加するのは、軍の中でもそれなりの地位のある参謀と、オスカー達使節や、ミオヘンの有力な地主だけだ。

 それ以外――つまり末端の兵士たちには、酒のみが振舞われたらしい。


 戦時中に宴など・・・と思うかもしれないが、たまになにか話題を見つけてパーティーなどを執り行うのは、長期間の従軍ではそれほどおかしいことではない。

 

 長い従軍で兵士たちにもストレスが溜まるのだ。

 上司が率先して宴でも開かなければ、彼らはおちおち酒すら飲めない。


 それに、戦時中と言っても、年がら年中戦闘をしているわけではない。

 攻勢に出る時期、守勢に回る時期、そしてその準備期間。

 だいたい一度攻勢に出て、相手の反撃を耐えきり戦闘を終えると、1か月程度は双方の軍に準備期間が入る。

 そう言った時期は、最前線の兵を残し、定期的に息抜きをさせてやるのだ。

 これも、ラーゼンに兵が付き従う理由の一つである。


 そんな宴の一席、この宴の主役と主催者が2人、開催場のバルコニーで会話をしていた。


「オスカー。長旅ご苦労だった。先行の伝令で使節が来るというのは知っていたが、まさかお前が来るとはね。驚いたよ」


 口を開くのは中年を少し過ぎた銀髪の小柄な男、ラーゼン。

 この宴の主催者にして、ユピテル軍の司令官である。


「ご冗談を。父上が知らないわけないでしょう」


 答えるのは同じく銀髪の小柄な少年。


 ラーゼンとよく似た少年だ。

 使節の代表にして、宴の主役、オスカーである。


 つまりは久しぶりの親子の対面だ。

 他の面々も気を使って2人きりにしてくれたのだろう。


 久しぶりに見た息子の、どこか張り詰めたようなものを感じながら、ラーゼンはほほ笑む。


「ははは、私にもわからないことくらいあるさ」


 とは言いつつ、もちろんラーゼンはオスカーが使節として来ることはオスカーが出発する前から知っている。


「ほう、たとえばどんな?」


「ふむ。未来のこととかね」


「はあ」


 それは父に限らず、誰にも分からないのではないかと思いながら、オスカーは苦笑する。


 そんな息子に、ラーゼンは愉快そうに話しかける。


「お前の持ってきた元老院からの通達は読んだよ。やけにお前は向こうで厄介者だったみたいだな」


「なんて書いてありました?」


 どうして元老院から預かった巻物に、自分のことなど書いてあるのかと疑問を感じつつ、オスカーは尋ねた。


「いや、ライラの死の報告のほかに、お前を代表に任命した理由が長文で書かれている。どれも内容のない物ばかりだ。これを読めば、どんな理由を付けてでも元老院がお前を首都から遠ざけたい思惑は伝わってくる」


「そうですか・・・」


 ラーゼンの強みは、こういった部分からあらゆることを洞察できる部分だ。

 まさに1を聞いて10を知るのだ。

 そしてラーゼンは、その自分の洞察を、確信をもって信じることができる点で、ただの策士とは一線を画する。

 元老院の門閥派は、そんな彼の実力を痛いほど理解している。

 その息子のオスカーを恐れるのも当然のことだ。


「ところで、首都の様子はどうだ? ヘレネは元気か?」


 ラーゼンが話題を変えた。


 ヘレネはラーゼンの妻にして、オスカーの母である。

 一見、久しぶりに会った父と息子のする会話としては当たり前であるが、その中には、政治的な意味も含まれる質問だ。


「そうですね・・・母上は元気です。ヨシュアに守りを頼みましたし・・・情勢からみて下手なことはしないでしょう」


「ほう、意外にも落ち着いているという事か・・・ネグレドの指示ではないな・・・バシャックか?・・・」


「カレン一門は主要な家は全て東へ発っているので、今の首都の門閥派を率いているのはおそらく『ダンス』か『セルブ』じゃないでしょうか? 『クロイツ』は穏健派を保っているようですし」


「そうか・・・」


 オスカーの言葉に、ラーゼンは顔をしかめる。

 きっと今の情報から、常人では思いもよらないような洞察をしているのだろうとオスカーは思った。

 どうせ既に知っている内容だろうに・・・。


「それで、民の反応は?」


「それこそ分かっているでしょう? 誰もが父上の帰還を心待ちにしていますよ」


 ヤヌスの市民は―――いや、ユピテル国民はもう元老院自体には愛想を尽かす傾向にある。

 元老院に政策の実行も国の統治も出来ないだろうというのだ。

 故に、かつて執政官として元老院を黙らせ、いくつもの政策を実行に移したラーゼンの帰還を、誰もが心待ちにしている。


「ははは、ではさっさと帰れねばなるまいな」


 ・・・軍を引き連れて。

 という言葉が続いているような、そんな気がした。

 ミオヘンに来て、オスカーはなにか異様な雰囲気を感じ取っていた。


 会う兵士の誰もが、ユピテルではなく、ラーゼンに忠誠を誓っているような、そんな雰囲気があったのだ。

 ラーゼンがそれを狙ってやっているのか、はたまたラーゼンに近しい軍の幹部がそう働きかけているのかはわからないが・・・。


 とにかく、どちらにせよライラの死をラーゼンが受け取った時点で、盟友ネグレド・カレン・ミロティックとの盟約は潰えた。

 これからはお互いが爪を研ぎつつ―――もしも大義名分が出来てしまった場合、戦端は開かれる。

 

 バルビッツが首都に帰還し、使節の任務の完了を告げてからが、その探り合いの本番になろう。

 

 そんなことを考えながら黙っていた2人だったが、ハッと気づいたようにラーゼンの方が言った。


「―――いや、まあそんな無粋な話は後でいい。オスカー、お前の話を聞かせてくれ。旅路は大変だっただろう? お前は私に似て体力がないからな」


 なにせ久々の親子の対面である。

 それにこの宴はオスカー達の旅をねぎらうという意味もあるのだ。

 その点を履き違えるラーゼンでもない。


 そう受け取り、オスカーも自身の事を話し出す。


「・・・旅自体はそれほど。護衛たちはよくやってくれました。ただ―――大切な友を失くしました」


「友?」


「はい。父上も聞いたことがあるでしょう? 私の学友で、《神童》と呼ばれたこともある者です。無理を言って同行を頼んだのですが・・・私の命を助けるために、その命を散らしてしまいました」


 オスカーが唇を噛み締めるかのように言った。

 

 もちろんラーゼンも聞いたことがある。

 首都(ヤヌス)の学校に凄まじき天才が現れた、と。

 法務官アピウスの息子だ。


 言われてみれば、オスカーは到着して以来、どこか顔色が優れないような気もする。

 以前首都で見たときはもっと、あっけからんな少年だったはずだが、もしかしたらその友の死が関係しているのかもしれない。


「それは・・・惜しいことをしたな」


「はい。彼は・・・父上にとってのシルヴァディ殿やゼノン殿のような―――私の剣であり盾になってくれるであろう存在でした」


「ほう」


 その後、しばしアルトリウスについて、オスカーが語った。

 アルトリウスの人柄。

 学校での成績や魔法。

 剣の腕。

 そしてその最後。


 カルス大橋が落ちたという話は、やはりラーゼンからしても驚かざるを得ない話だった。


「橋が落ちた・・・か」


 もしかしたら、シルヴァディの到着が遅れているのは、それの影響があるのかもしれないな、とラーゼンは思う。


 あのカルス大橋を落とすとなると、少なくとも八傑のレベルの実力者でなければ不可能だろう。

 もちろん細かな実力の差異など、全く武の才能に恵まれないラーゼンにはわからない。

 しかし、思い当たる人物は何人かいる。

 

 なにせユピテル国内にいる八傑は少ない。


 ラーゼンの部下である『天剣』シルヴァディ。

 多くの弟子を抱える大魔法士『摩天楼』ユリシーズ。

 はたまた、最強最古の八傑『軍神』ジェミニ。


 後者2人とシルヴァディが戦闘になっている可能性もある。

 あるいは国外にいる強者か。

 それともまだ見ぬ実力者か。


 もしかするとラーゼンの今後の方針に差し障る可能性もある。

 シルヴァディに限ってよもや死にはしないとおもうが、帰ってきたらきちんと話は聞いておくべきだ。


「父上のほうはどうですか?」


 一通り旅の話を終えると、オスカーが尋ねた。

 彼としても、今後従軍していくにあたって、カルティア遠征の状況は聞いておきたいところだろう。


 ラーゼンは答える。


「今は・・・戦線は膠着している。なにせシルヴァディがいないからな」


「天剣殿が? いったいどうして?」


 シルヴァディは、ラーゼンの軍の攻勢の要。

 最前線で戦端を切り開き、万夫不当の戦果を挙げる、軍の最高戦力だ。

 戦線から外すなんて普通なら考えられないが・・・。


「・・・ある別命を帯びてもらっている。彼にしかできない、重要な任務だ」


「・・・別命」


 そこで、オスカーは思いだす。

 カルティアに来る前、いくつか立ち寄った集落で、金髪の魔法使いが訪れたという話を聞いたのだ。

 もしかしたらそれがシルヴァディだったのかもしれない。

 彼は剣士としてだけでもなく、魔法士としても一流だ。


 彼が軍団と別行動をしている理由はわからないが、おそらくこの場で話せないような重要な事なのだろう。


「では、彼が帰還するまでは、攻勢にはでないということでしょうか?」


「うーん、それは悩んでいるところなんだ。兵は長い膠着状態にフラストレーションを溜めている。そろそろ何かしらアクションを起こさないとまずいんだがね」


 ここ暫く、戦線は上げていない。

 カルティアの動きが以前よりも洗練されているのも気になるし、攻勢に出るのはシルヴァディの帰還を待ってからでもいいと思っていたのだが、想定よりもシルヴァディの帰還が遅い。


 兵たちはそんな状態に不満を感じている節がある。


 ラーゼンが気にするのは、戦果を挙げることではなく、自分の軍の兵士の士気を保つことだ。

 戦果はその後についてくるものである。

 いつ帰るかもわからないシルヴァディが戻ってくるまで兵を抑えておくのは少々難しいところだ。


 士気が下がり戦争をやめたいわけではなく、逆に士気が高すぎるため戦いたくて仕方がないというラーゼンの軍団の弊害が出ている。


 マティアスの提案した森林地帯方面の作戦に乗じて、平原方面でも大規模な攻勢に出てもいいかもしれない。

 最悪負けても構わないだろう。 


 あるいは、例の部隊を用いれば、現在の膠着状態を打破したうえで、兵の不満の払拭にもなるかもしれないが、残念ながら指揮官を決めかねている。

 もしもオスカーの言っていたアルトリウスという少年が生きていれば、彼に任せるのも一興だったかもしれない。

 なにせ、例の部隊は彼の書いた論文を元に考えられたと言っても過言でもないのだ。

 もちろんない物ねだりはできないが。


 そんなことをラーゼンが考えていると、ふと目の端に、見慣れた人物がいることに気づいた。


「どうしたマティアス」


 ラーゼンの甥、マティアスがベランダへの入り口からこちらに赴いてきたのだ。

 彼も火攻めの作戦準備で忙しいだろうに、オスカー達をねぎらうために宴に参加しているのだ。


「いえ、閣下。主催者と主役がいつまでも2人で外にいては、お2人と話したい他の方々が困ってしまいますので」


 苦笑しながらマティアスが言った。


「ははは、それもそうだな。そろそろ戻ろうかオスカー」


「はい、父上」


 2人はマティアスについて室内に戻っていった。


 その後、宴はつつがなく終わった。



● ● ● ●



「それで、久々のご子息との対面はどうでしたか?」


 ニヤリと笑いながら、長い黒髪の男、迅王ゼノンが言った。


「ああ、相変わらずだったよ。友人を失ってやさぐれていたが・・・一応、『盾』になりそうな娘も傍にいたし―――本人が望むなら、後方ではなく前線に出してもいいかもしれない」


 そんなゼノンの問いかけに身じろぎもせずにラーゼンが答えた。

 

 ここはラーゼンの執務室。

 宴から明けて、次の日である。


「貴様こそ、ちゃんとバルビッツには言っておいただろうな」


「ええもちろん。ユピテル軍は『鷲』が盗まれたせいで士気が落ち、戦線が膠着しているせいで兵の不満も溜まりっぱなし。閣下は軍を掌握しきれておらず、カルティアを攻略するにはまだまだ時間がかかる。それどころか援軍を要請したいくらいだ。と、あることないこと言い含めておきましたよ」


 ―――あることないこと。


 つまり、鷲が盗まれたのも事実だし、戦線が膠着しているのも本当だが、ラーゼンは軍をきちんと掌握しており、援軍の必要は全くないということだ。


 ゼノンはバルビッツに嘘の情報を流したのだ。


「ご苦労」


「しかし、こんなことで意味がありますかね? バルビッツは確かに門閥派ですが、寡黙な男ですし、貴族というわけでもありませんよ?」


「あるさ。門閥派の連中は私が何を考え、何をするのか興味津々だ。実際にカルティアへ赴き、我々と接したバルビッツに、根ほり葉ほり様子を聞くに違いがない」


「そうですか」


 バルビッツたち護衛隊は、オスカーと違い、この後ヤヌスに帰る。

 そのため、バルビッツに虚偽を混ぜた情報を渡すことで、門閥派を混乱させるのが彼らの狙いだ。


 バルビッツ自身は無自覚の扇動者というわけだ。


「しかし戦線は動かさなければならないな。シルヴァディの帰還をこれ以上待ってはいられない。負けてもいいから一戦は交えるべきだ。マティアスの作戦に乗じてもう一方の戦端も開くつもりだ」


「平原地帯の方はご自身で指揮を?」


「そうだな・・・敵がどのように動くかもみたいし、お手並み拝見といったところだな」


 とはいうものの、カルティア戦役は、初めからラーゼンの中で既に勝利が決まっている。

 問題は、どのようにして、どのような時期に、どれだけ士気を保った状態で勝つか。

 これに尽きる。

 一度の敗北は大した問題ではない。

 結果的に大きな枠組みで勝てばいいのだ。


 そもそもラーゼンが見据えるのはその更に先―――カルティアを平定したあとの話である。


「しかし、わざわざ負ける戦をするくらいなら、シルヴァディは残しておけばよかったじゃないですか」


 ラーゼンの言葉に、ゼノンが苦い顔をしながら言った。

 そもそもシルヴァディがいれば、既に戦端は開かれ、優勢な状態で侵攻は進んでいただろう。

 兵に不満が溜まることもない。


「仕方があるまい。名うての隠蔽魔法を追跡できるうえ、信頼できる駒は彼くらいしかいなかったんだ」


 と、ラーゼンは言い訳をするが、ゼノンはこの言い分にも無理があることを知っている。


「よく言いますね。『鷲』はご自分で()()()()()()()くせに」


 そう、そもそもラーゼンは、わざと鷲をギレオンに盗ませたのだ。

 しかもわざと盗ませたことをギレオンに悟られることなく。


「ふん、あれは引っかかったギレオンが悪い」


 ギレオンをそそのかしたのは大した調略ではない。

 彼の側近に紛れ込ませていた密偵に、「ラーゼンの軍の旗印を盗めば、士気は落ち、大打撃を与えることができる」、とさりげなく進言させる。

 これを、何度か手を変えて行っただけだ。

 『蠍』を使えば確実に盗める、とも。


 これにギレオンが乗ったのは、本人の短絡的な性格、あるいは実際には戦場に出たこともない彼の不徳の成すところだろう。


「しかし、引っかけたのは貴方でしょう。全て自作自演。大事な戦力までもを割いて、『門閥派に鷲が盗まれた』という既成事実を立てようとした。本当に恐ろしい人ですよ」


「それも仕方があるまい。大義名分なんてものはいくらあっても足りない。なにせ―――」


 と、ラーゼンはここで言葉を区切り、


「なにせ私は―――独裁者になろうとしているのだから」


 どこか遠い目をしながら言った。


 彼が好きで内乱の旗印になろうとしているのか、それとも民衆に押されて仕方なくなろうとしているのか、未だに語ったことはない。

 だが―――彼の妻が門閥派に害されたという報告を聞いたとき、ラーゼンは静かに覚悟を決めたような目をしたと、そうゼノンは記憶している。


 そこで一端言葉を止めると、ラーゼンは思いだすかのように言った。


「・・・しかしカルス大橋が落ちたのは少し痛いな。今からまた『山脈の悪魔』の元に赴くのはあまり得策でもないし、大人しく下流域を使うべきか」


 そう、カルス大橋が落ちて問題なのは、カルティアを征服した帰路だ。

 どのようにしてユピテルへ帰るか。

 カルス大橋の崩壊というのは、ここにきてラーゼンを悩ます種となった。

 本来ならば、軍団の大多数はカルス大橋を通って帰国する予定だったのだ。


 そんなラーゼンの心情を察しながら、ゼノンがすまし顔で言った。


「まあ、もしかしたらカルス大橋が落ちている事に気づいたシルヴァディが、単身で『山脈の悪魔』と話を付けに行ってくれているかもしれませんよ。あれでいて彼は目ざとい男ですから」


「・・・簡単にいうが、前回はシルヴァディとゼノンの2人がかりだったじゃないか。1人でも勝てるのか?」


「まあ、怪しいラインではありますが・・・。奴に限って死ぬことはないでしょう」


「・・・そう信じたいな」


 なんにせよ、これからのラーゼンの計画には、シルヴァディという存在は必要不可欠である。

 様々な意味で、ラーゼンにとってシルヴァディの帰還というのは、重要な意味があるのだ。


 それが、彼を独裁者にするものなのか、それとも解放者にするものなのか、世界はまだ知らない。


 未来は、彼にすら分からないのだから。





 読んでくださり、ありがとうございました。合掌。

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