第61話:シルヴァディの打算
前半は回想です。
『天剣』シルヴァディ・エルドランドは、もともとは魔法士であった。
そんな彼が、剣を志すことになったのは、一般には、剣士に近接戦闘ができないことを馬鹿にされたからだと言われている。
だが、それは嘘だ。
後年になって、どうして剣を学んだかを問われた際、彼が瞬時に考えた嘘だ。
本当の理由は違う。
もっと、深く、重い、1人の男の、苦悩の果ての結果である。
事の発端は、シルヴァディの妻だ。
彼女の名はソルシア。
『麗剣』という二つ名を持つほどの魔剣士にして、目を疑うほどの美貌を備えた女性だった。
シルヴァディとソルシアが出会ったのは戦場だ。
魔剣士であるソルシアも、魔法士であるシルヴァディも軍人であったのだ。
まだまだ紛争の絶えない地帯で、彼らは出会った。
前衛の魔剣士ソルシアに、後衛の魔法士シルヴァディ。
男女の役割は逆のようにも思えたが、2人の息はぴったりであり、戦場では無敵であった。
2人は当然のように恋に落ちた。
幾度の戦場を越えたラブロマンスの末見事に結ばれ、周りからの後押しもあり、結婚。
程なくして娘も生まれ、喧嘩もせず、仲睦まじい夫婦として通っていた。
そんなとき、悲劇が彼らを襲った。
ソルシアが殺されたのだ。
犯人は不明。
だが、剣によって殺されたことだけは確かだった。
痕跡はなく、事件は迷宮入り。
結局容疑者すら出てこなかった。
だが、シルヴァディだけは気づいた。
彼女の傷口が、彼女自身の剣技の跡に似ているのだ。
誰よりも近くで彼女の事を見てきたシルヴァディだからこそ気づいたことだ。
もちろん、ソルシアが自身で命を絶ったわけではない。
彼女に娘を残して死ぬ理由なんてあるはずがないのだ。
そして、すぐにシルヴァディは思いだす。
かつて、ソルシアが、剣の師匠に求婚されていた時期があったと漏らしていたことを・・・。
フったソルシアが幸せに暮らしていた事を逆恨みした彼女の師匠が犯行に及んだのではないか?
そう考え、シルヴァディはすぐにソルシアの師匠、『天剣のパストーレ』の元を訪ねた。
しかし、パストーレは、「知らん」「証拠はあるのか?」「いい加減にしないと訴えるぞ」
との一点張り。
それでも、シルヴァディはパストーレがソルシアを殺したと信じて疑わなかった。
パストーレの言葉や目に、シルヴァディに対しての少なからずの憎しみを感じた。
そもそもソルシアを殺せるほどの魔剣士など、彼女の周りには限られているのだ。
だが、証拠はない。
「クソッ! わかっているのに・・・俺はっ・・・」
パストーレを糾弾するどころか、仇討ちをすることすら、当時のシルヴァディにはできなかった。
パストーレは大陸最強と呼ばれる『八傑』に名を連ねるほどの魔剣士だ。
所詮は魔法士であるシルヴァディが挑んだところで、勝つことはできない。
シルヴァディは決意した。
「俺は・・・強くなって・・・奴を殺す・・・」
シルヴァディは世界を回った。
あらゆる強者。
あらゆる剣客。
あらゆる流派。
強くなるためなら、どんなものでも取り入れた。
血の滲む努力と、不屈の精神、そして眠っていた天賦の才が、彼を強くした。
そして、彼は挑んだ。
『天剣のパストーレ』。
この世界の最強の一角に。
―――それは激戦だった。
パストーレの屋敷で始まった剣の応酬は、次第に激化していき、最終的に、屋敷はその形を成していなかったという。
最後、立っていたのはシルヴァディだった。
パストーレは死んだ。
しかし、シルヴァディを待っていたのは、殺人者という汚名だった。
そう、シルヴァディは大義名分―――妻を殺されたという証拠を用意しないままパストーレに挑んだのだ。
もちろん、ユピテルで殺人は罪だ。
おまけに八傑であるパストーレは国にとっては重要な戦力の1人だった。
シルヴァディは罪に問われた。
もちろん、殺人罪は極刑だ。
シルヴァディは罪を受け入れた。
ソルシアの仇は討ったのだ。
彼としてはもう思い残すことなどなかった。
そんな死刑を待つ彼の牢に、1人の男がやってきた。
「・・・私なら君を助けてやれるが、どうだい?」
眼鏡の似合う、銀髪の男だった。
「別に。俺はもういいんだ。思い残すことはない。甘んじて受け入れるよ」
「そうか・・・」
男は、少し残念そうに言ったあと、
「では、君は娘さんのことはどうでもいいのかい?」
淡々とした声でそう言った。
「・・・え?」
思わずシルヴァディは聞き返す。
「君がいなくなれば、娘さんは1人だ。しかも殺人犯の娘だ。そんな子がいったいどんな風に生きていくことになるのか、わからないわけではないだろう」
「シンシア・・・が?」
そう、ソルシアとシルヴァディの間には、娘が一人いた。
シルヴァディがひたすら復讐にとらわれ、剣の修業をしている中、乳母と2人きりで家で待っていた、シンシアという娘だ。
シルヴァディがこのまま死刑になれば、シンシアは身寄りを失う。
それどころか、殺人犯の娘という風聞が一生ついて回ることになる。
まともな人生ではない。
「俺は・・・俺はなんてことを・・・」
復讐に囚われるあまり、シルヴァディは、大切なことを見落としていたのだ。
過去ではなく、未来。
これからのことを―――。
「・・・お願いします・・・俺を・・・助けてください」
気づくとシルヴァディは牢の中から頭を下げていた。
地面に頭を擦り付け、涙で濡らし、すがるように声を上げていた。
「―――もちろんだ」
銀髪の男は力強く答えた。
1週間後。
シルヴァディは釈放されていた。
それどころか、何故かそれなりの地位で軍人へと復帰することが認められていた。
殺人の罪などは消えてなくなっていた。
当然、すぐさまシルヴァディは銀髪の男―――ラーゼン・ファリド・プロスペクターを訪ねた。
「やあ、元気そうだな」
「・・・これはいったいどういうことでしょうか?」
ラーゼンの執務室には、笑顔で机に座る銀髪の男、ラーゼンと、その傍らにいる、黒髪長髪の男の2人のみ。
シルヴァディは黒髪長髪の男を一瞥し、只者ではないなと直感で感じつつ、特に気にすることもなく自分へ届いた辞令を机に置いた。
「・・・どうもこうも、君をユピテル軍に復隊させる辞令じゃないか」
その辞令の中身を見もせずに、ラーゼンは飄々と言い放つ。
「ですから、これはどういうことかと・・・」
意味が分からないシルヴァディは説明を求めた。
ラーゼンはニヤニヤしながら答える。
「簡単だ。もう君は殺人犯ではなく、『天剣パストーレ』から『天剣』を受け継ぎし新たな『八傑』、『天剣シルヴァディ』になったんだよ」
「・・・はあ?」
わけがわからないという顔をするシルヴァディに対し、ラーゼンは苦笑する。
「まあ詳しいことはゼノンから聞いてくれ。私は指示しただけだからね」
「はっ」
呆然とするシルヴァディに構わず、ラーゼンの傍らにいた黒髪の男が、淡々と説明を始めた。
それによると今回、シルヴァディがパストーレを討ったのは、正当なる『天剣』を後継者に受け継がせるための最終試練の結果であるらしい。
実は、シルヴァディは前々から、ソルシアを通じてパストーレから指導を受けている弟子で、証拠として、幾つかのシルヴァディの使い古した剣や鎧がパストーレ邸から出ており、2人が共に剣を振っていたという目撃証言や、パストーレ自身の遺書に、後継者はシルヴァディにする旨も書かれていたという。
よって、国は、今回の事件を殺人事件ではなく、大儀の元に基づく決闘として、シルヴァディの罪を取り消し、新たなる『天剣』として迎えることにしたのだとか。
「・・・・」
シルヴァディはあんぐりと、開いた口が塞がらない。
当然、そのような意味の分からない事実は存在しない。
シルヴァディの記憶にない事だった。
「もちろん証拠というのは全て偽造だよ」
ゼノンが説明し終わると、ラーゼンがニヤリと笑った。
シルヴァディの顔が歪む。
「偽造って・・・それバレたらまずいんじゃ・・・」
「問題ないさ。元老院の奴らも皆知ってる」
「はあ?」
「国にとっても、『天剣』がいなくなるのはまずいんだ。八傑は、ユピテルの武力の象徴だからね、だから、殺人事件じゃなくて、継承戦という事にして、あとは君が『天剣』として振舞っている限りは何も言われないさ」
「え・・・でも・・・」
戸惑うシルヴァディをよそに、ラーゼンはどんどん話を進める。
「あーでも、本当に君があのパストーレを倒すほど強いのかはわからないんだったな。元老院では強いって断言してしまったけど・・・どうなんだゼノン?」
「大丈夫です。彼は相当やります。おそらく数年後にはパストーレが霞むほどの『天剣』となるでしょう」
「それは良かった。助けた甲斐があったよ」
「あの・・・」
「ああ、仇の男の称号を名乗ることになるのは嫌かもしれないが、それだけは我慢してくれ。これが一番丸く収まったんだ」
仇の男。
ということは、このラーゼンという男は、パストーレがソルシアの仇だと知っているという事だ。
「いったいどこまで・・・」
「・・・色々と調べたんだ。君ら夫妻は元から目を付けていたのに、あんな結末になってしまって。私としても納得いかなくてね」
「目を付けていた?」
「・・・ああ。優秀かつ信頼できる部下を集めているんだ」
これまで笑顔で通していたラーゼンの顔が、どこか威厳のある、真剣な顔に変わった。
つまり、ラーゼンは優秀な人間を傘下に加えようと、以前からソルシアとシルヴァディの事を調べていたということか。
あまり思考が追い付いていないシルヴァディに対して、ラーゼンが口を開く。
「シルヴァディ」
「は、はい」
「別に断ってもいい。君の選択に関わらず、ここまでの支援を急に取り下げたりはしない。それを踏まえた上で問おう」
眼鏡の奥の瞳がギラリと光る。
「私の剣とならないか?」
「――――」
それは、ラーゼンからすれば打算的な救いだったのかもしれない。
手駒が欲しいから、窮地に陥っているシルヴァディを助けただけだったのかもしれない。
だが、シルヴァディが感じた恩と、感謝の感情は、打算など関係ない、まぎれもない事実だ。
シルヴァディは膝をついた。
「――この『天剣』シルヴァディ・エルドランド。いついかなるときも、どんなことがあろうとも、貴方の味方となり、剣となることを誓います」
「・・・ありがとう」
こうして、ラーゼン・ファリド・プロスペクターの右腕、天剣シルヴァディは誕生した。
そのときゼノンが言っていた通り、シルヴァディは才能を発揮し続け、数年と経たずして天剣といえばシルヴァディというのが世界の共通認識となった。
もはやパストーレの名を思い出す者もいないだろう。
● ● ● ●
そんなシルヴァディにも悩みが存在する。
弟子を取るか取らないかだ。
特に最近は、様々な人間から弟子を取らないかと催促を受けることが多い。
直接申し込んでくる者だったり、ラーゼンを介してだったりと、催促の形はいろいろだが、暗に皆、シルヴァディの技術を後世に残せないことを危惧しているのだろう。
シルヴァディは、まだ30代中盤であり、剣士としてはまだまだ現役だ。当分死ぬつもりもない。
弟子を取るにしても、まだ時間的余裕はあると思っていた。
それに何より、弟子を取るならば絶対にこいつだ、と思っていた人物がいる。
何を隠そう、自身の娘、シンシアだ。
シルヴァディもソルシアも非凡な剣の才に恵まれていたし、その娘シンシアも、剣の才能があるに違いないのだ。
少し剣を持たせてみたところ、実際に片鱗は見えた。
シンシア自身も剣に触れるのは楽しそうだ。
だから、娘が10手前になる頃には、正式に自分の弟子と宣言し、厳しくも愛しながら育てていく気であった。
そして、シルヴァディは満を持して娘に持ちかける。
「父さんが弟子にしてやる」
当然、娘は自分に教えを乞うだろうと思っていた。
なんといっても、シルヴァディは『天剣』。
世界最強の剣士の1人なのだ。
娘も当然それは知っている。
だが、娘の反応は思っていたものと違った。
「お断りします」
とても冷たく、ぴしゃりと言い放った。
だが、シルヴァディはこの時点では特に落ち込まなかった。
―――ああ、娘は剣がそれほど好きじゃないんだ。
魔法か、勉学か、はたまたもっと女の子らしい、家事や裁縫の方がやりたいのかもしれない。
と判断したのだ。
ならば、しょうがない。
次は違う分野の物を進めてみよう。
そう思い、しばらくたってから、魔法書や、勉学の教本を集め、娘を探していると―――。
ふと、剣を振る音が聞こえた。
木剣の音だ。
家の庭先である。
音に釣られて、庭に出てみると―――。
「――――!?」
そこには、自分には見せたことのないような笑顔で剣を振る、娘の姿があった。
そして、傍には、シルヴァディの同僚にして、お互いに力を認め合う実力者、『迅王ゼノン』。
家に来ていたゼノンが、シンシアの剣にアドバイスをしていたのだ。
その光景は、シルヴァディの脳天に大きなショックを与えた。
そして―――。
「私、迅王様の弟子になりたいです!」
一通り素振りをした後、そう言った娘の明るい声と、興奮したような笑みは、シルヴァディに止めを刺すには十分だった。
この日、シルヴァディは初めて、自分が娘に嫌われている事を知った。
娘は剣術が嫌いだったのではない。
父のことが嫌いだったのだ。
思えば当然なのかもしれない。
娘が幼い時。
母親がいなくなって不安な時。
本来ならば最も一緒に居なければいけない時。
シルヴァディは復讐に駆られ、家にいなかった。
自業自得だった。
娘からすれば、剣士としていくら優れていようとも、父親として―――人間として失格なのだ。
シルヴァディはゼノンへの弟子入りの許可を出した。
出すしかなかった。
もっとも、シルヴァディに気を使ったのか本人の信条かは知らないが、ゼノンは弟子入りは拒否した。
その代わり、たまにアドバイスをしに来る、という事になった。
それでも娘は喜んでゼノンのアドバイスを受けていた。
その時分にイリティアから手紙が来た。
イリティアは、かつてシルヴァディが東の方で神撃流を学んだ際に、同じ剣士の元で学んだ兄妹弟子みたいなものだ。
彼女が言うには、ものすごい才能を持つ生徒を得たが、自分で教えるには役不足であるため、もしも会う機会があれば神速流を教えてやって欲しいとのこと。
シルヴァディからすれば、実際のところ流派なんてものはあってないようなものだ。
こだわることは馬鹿らしい。
どの流派にもいい点はあり、悪い点はある。
その流派の全てが向いているということも、その流派の全てが向いていないこともないのだ。
つまりは、剣士の数だけ流派がある、とシルヴァディは考えている。
まあ、四大流派を全て学んだシルヴァディだからこそ言えることなのかもしれないが―――。
そんなことを思いながら手紙は捨てた気がする。
そして、数年後。
シルヴァディはその手紙の少年、アルトリウスと、思わぬ場所で会うことになった。
場所はエメルド川以西。つまりはユピテル共和国の外。
しかもまともな人間は寄り付かないような、『蠍』の縄張り。
酷い状態だったが、銀のペンダントをみて、アルトリウスであることはなんとなくわかった。
アルトリウスは気絶する寸前、「弟子にしてくれ」と言った。
正直弟子はもう取る気はなかった。
シルヴァディが剣を教えたかったのは、実の娘。愛する娘である。
代わりなどいないのだ。
が、この少年の話を聞いているうちに、逆に取ってやろうという気になった。
理由は二つ。
1つは完全に当てつけだ。
娘とゼノンに対する当てつけ。
―――こいつを凄い剣士に育てて、あいつらを見返してやる。
おそらくそんなことを思っていた。
もう1つは、打算。実益だ。
ギレオンが北に逃げたという事は、『山脈の悪魔』と対峙する可能性が高い。
北虎は頑固だから、おそらく力ずくになるだろう。
そうなった場合、北虎、白蛇、浮雲を同時に相手にするのは流石に厳しい。
一対一ならばどれにも負ける気はしないが、北虎の戦闘力自体は《八傑》の下位レベルに匹敵する。
油断できないうえ、他の若い二人も、以前より成長していた場合、同時に相手取るのは危険だ。
―――だが、この坊主をもう少しマシにすれば・・・。
倒せはしなくてもいい。少しの間でも白蛇か浮雲を引き付けてもらえれば、確実に勝てる。
シルヴァディがアルトリウスを弟子にしたのはそんな理由だった。
そんなよこしまな気持ちで弟子なんか取ったからだろうか。
シルヴァディは当然のようにしっぺ返しを喰らった。
● ● シルヴァディ視点 ● ●
「ガアアアアッ!」
戦端を開いたのはシルヴァディだ。
戦力比率は、簡単な人数比だけでいうならば、2対200弱と言ったところか。
本来ならば、ターシャかセンリのどちらかをアルトリウスに任せ、シルヴァディはグズリーと残った方を相手にすれば、高確率で勝てる戦いのはずだった。
だが、この100人はゆうに超える男たち。
2つ名もいなければ、半分以上は魔剣士ですらないだろう。
有象無象と言っても差し支えないかもしれない。
だが、想定外だ。
この数は、片手間で無視できるほどの物でもない。
シルヴァディはともかく、アルトリウスに二つ名持ちとプラスαで戦うことは不可能だ。
正直に言って、グズリーがここまで徹底抗戦の意思を示してくるのはシルヴァディの予想外の事であったのだ。
前回を踏襲するかのように、3人だけを相手にする気でいたシルヴァディの目算は見事に崩れ去った。
あるいは前回と同じように相棒が《迅王》であれば、この場でも余裕を保っていただろう。
だが今回連れてきたのは同僚ではない。
どちらかといえば、守らなければならない対象である弟子。しかもまだ1か月しか指導していない少年だ。
―――何やってんだ!
シルヴァディは自分に言い聞かせる。
なにが、当てつけだ。
なにが、実益だ。
弟子っていうのはそういうもんじゃないだろう。
―――俺は・・・娘だったら連れてこなかった。
つまり、こうなるかどうかはともかく、死ぬ危険があったという事を分かっていたということだ。
なのに、アルトリウスのことは連れてきた。
アルトリウスの方が強いからとかではない。アルトリウスならば死んでもいいと、どこかで思っていたからだ。
―――何が師だ。
挙句の果てに、想定以上の敵に面食らい、そのアルトリウスに助力を求める始末だ。
―――情けねえ。本当に情けねえ。
思えば、だから娘はシルヴァディの弟子となることを断ったのかもしれない。
父親としてだけではなく、剣士としても、師匠としても失格だと、見抜いていたからかもしれない。
―――だから。
なんとしても、シルヴァディはここで、自身が師であることを、証明しなければならない。
アルトリウスに有象無象を任せた以上、自分はこの3人を確実に倒さねばならない。
「アアッ!」
雄たけびを上げながらシルヴァディは黄金の剣を振りかぶった。
イクシアと並ぶ名工、ナバスの打った一振り『イクリプス』。
金色の剣閃が煌めきながら、戦場の空をかっさらう。
ガキンッ!
正面―――『北虎』グズリーは、背中の長剣を引き抜いていた。
銘があるかは知らないが、無骨ながらも業物と見て取れる剣だ。
丸太のような太い腕で支えられたグズリーの剣は、しっかりとシルヴァディの剣を受け止める。
『北虎』グズリーは、シルヴァディの域―――強者の領域に届いている人物だ。
無論、このまま一対一で戦うならば、それほど時間をかけずにシルヴァディが勝利するだろう。
だが―――。
「オオオ―――ッ!」
後方から突っ込んでくる青年が見えた。
トレードマークはバンダナ。
『浮雲』のセンリだ。
「チッ!」
シルヴァディは剣を返す。
センリは、まだまだ成長途中の剣士だ。
あと10年、20年たったら分からないが、現時点ではシルヴァディには遠く及ばない。
返した剣で、すぐさまセンリを吹き飛ばす。
「どらあああ!!」
すると間髪入れずにグズリーの巨体が視界いっぱいに広がる。
その熊のような体躯には見合わないほどのスピードに一瞬思考を奪われるものの、速さにおいてはシルヴァディに軍配が上がる。
余裕をもってグズリーの剣を避け、黄金の追撃が走る。
「させません!」
が、そこに白い影が間に入る。
人ではない。
いや、人ではあるが、眼前は、人を覆いかぶせるような巨大な白塗の盾だ。
ガッキンッッ。
金属音にしては鈍い音を立てて、シルヴァディの剣は盾に阻まれる。
もちろん、シルヴァディの剣を受けた白い盾も、グズリーもろとも衝撃で吹き飛ばされていく。
白い盾は《白蛇》ターシャのメイン武装だ。
本来なら、巨大な盾で防御しつつ、後方から蛇のような氷の魔法で攻撃する変則型の甲剣流魔導士だ。
もちろん剣技も嗜むが―――今回はどうやら盾役として集中するようだ。
どうせ氷魔法も彼女の剣撃も効かないのだから、むしろ賢いと言って差し障りないだろう。
「―――っ」
落ち着く間もなく、右手から迫るのは、センリだ。
単体でなら、シルヴァディの敵ではない。
真っ向から黄金の一撃をお見舞いする。
センリは剣を構える。
シルヴァディの一撃に対して《奥義》を放とうとしているのだ。
「―――奥義『雫・・・」
「『流閃』」
「―――なっ!」
センリの放とうとした水燕流の返しの《奥義》は同じくシルヴァディが放った水燕流の《奥義》で流された。
センリは水燕流の剣士であるが、その水燕流においてもシルヴァディには及ばない。
「どっせええええい!」
しかし、奥義の応酬をしている間にも、既に他の2人が態勢を整えている。
間を割って突っ込んでくる髭面の巨体の長剣が、シルヴァディの頬をかすめた。
「―――ちっ!」
「まだまだぁ!!」
好機とみたグズリーが再び攻勢に出ようとしたとき―――。
広間を、冷気が覆った。
極寒。
北方山脈の環境で生きてきた人間でもこれほどの凍土は見たことがない。
シルヴァディ達のはるか後方から悍ましい量の魔力と共に放たれたのは、水属性上級魔法。
『氷上絶界』
魔力障壁を展開しなければ、地に足つく限り生物を絶対零度へと誘う、水属性広範囲凍結魔法。
もちろん、一定以上の防御魔法を用いる人間には何の意味もない。
だが、今回のような―――おそらく200人近くもの兵士が同じ空間にいる状況は―――まさに格好の餌食。
振り返らなくてもわかる。
このレベルの属性魔法が使える人間はこの場には1人。
「ちっ、あのガキ、魔法士だったのかよ」
悪態を吐くかのようにグズリーが剣を肩に乗せる。
もちろん、シルヴァディは釣られて振り返ったりはしない。
見なくともわかっている。
アルトリウスが敵の大量の戦闘員に対して大魔法を放ったのだ。
気配から察するに、おそらく雑兵の数は今ので200から20程度には減った。
おそらく、この200人のうちほとんどは魔法の使えない人間だったのだろう。
「だとしたら、魔剣士以外は置いてくるんだった。無駄死にさせちまったな・・・」
「・・・・」
シルヴァディは答えない。
雑兵の数が減ったからと言って、アルトリウスが自由になるわけではない。
彼にとってはここからが勝負。
なにせ残ったのは軒並み属性魔法をレジストできる人間―――つまり魔剣士なのだから。
「・・・なるほど、先に魔法士として完成させてから、剣術を教えているんだな。面白い育て方を・・・」
「ガアアアッ!」
話を聞いてやる必要はない。
アルトリウスの助けを待つのではなく、シルヴァディがさっさとこいつらをなぎ倒し、アルトリウスの救援に行かなければならない。
シルヴァディは加速する。
ただの加速ではない。
《八傑》の最大加速だ。
この場で見えているのはグズリーだけだろう。
「ッオオオオ!!」
グズリーの雄たけびは遅れて聞こえる。
剣の音も、地面が擦れる音も、氷の割れる音も、全てが彼らの加速の後に、置いていかれたように鳴り響く。
「頭領――――ッ!」
雑音のように入ってくる《白蛇》の盾が、なんとかシルヴァディの剣を受け止める。
バッギャァァアアン!
およそ金属の音に聞こえないような摩擦音と共に、ターシャの身は氷の地面の上を吹き飛ばされる。
だが、それだけでも十分な時間稼ぎとなる。
シルヴァディの剣が一撃逸らされるだけで、グズリーには随分と余裕ができる。
さらには、グズリーとシルヴァディが鍔迫り合いになった瞬間、右手側からセンリが突っ込んでくる。
軽くあしらえるほどの余裕はない。
そんな激しい打ち合いが幾度も続いた。
絶妙なバランスで、シルヴァディは3人の連携を崩せないでいる。
攻めようと思った瞬間巨大な盾に視界を狭まれ、盾を吹き飛ばしたら、防御に回される。
受けてばかりだと、側面から飛んでくるセンリの遊撃。
かといって、盾と遊撃を追撃しようとするとグズリーが野放しになる。
そう、順序を間違えてはいけない。
最悪、センリから一撃貰おうとも、グズリーを視界から逸らすことが一番危険だ。
だが、このまま続けてもジリ貧だ。
いずれシルヴァディが劣勢になる予感もあった。
「ハアアッ!」
シルヴァディは地面を蹴った。
勝負に出る。
「―――ターシャ!」
「ハイ!」
グズリーの声に反応してターシャが前に出る。
黄金の剣閃とグズリーの間に白い盾―――。
だが、
―――打撃音は響かない。
「ラアァア――ッ!」
雄たけびが響く。
使うのは足。
身体強化のなされた足は、ターシャの眼前で、体を大きく弾ませる。
「まさか! 上!?」
シルヴァディは跳んだ。
ターシャの大盾を正面から飛び越える高さ。
ターシャの声よりもシルヴァディの跳躍の方が先手を打つ。
グズリーからは、ターシャの盾から急に黄金の髪が出てきたように見えるだろう。
「―――だがそんな空中で―――ッ!」
グズリーが剣を構える。
下段、切り上げ。
確実に、シルヴァディが降りる位置に置きにきた斬撃。
だが―――。
『旋風』
シルヴァディの左腕から発射された風の魔法が、彼の位置をズラした。
属性魔法を近接戦闘に取り入れるのは、魔導士だけの特権だ。
「くそが!」
グズリーも、すぐさまノーモーションで刃を切り替えそうとするが、もう遅い。
黄金の剣は、真っ直ぐ流れるようにグズリーの剣を弾く―――。
グズリーの胴はがら空き。
ターシャも間に合わない。
好機だったが―――
「頭領はやらせん!」
刹那、右方から叫び声と共に、剣を振り上げ、突っ込んでくるバンダナの青年に対応が遅れる。
――センリをやるか、グズリーをやるか・・・
バンダナの青年の行動は、シルヴァディに一瞬の思考を押し付ける。
それは一瞬だ。
アルトリウスなどからしたら、何の隙にもみえない、ほんの一瞬だ。
だが、それでも、その一瞬は、グズリーにもう一撃分の猶予を与えることになる。
剣ではない。
それは拳。
空拳となったグズリーの左手は、シルヴァディの下腹部に吸い込まれるように入る。
「―――かはっ」
もちろん拳自体に大した威力はない。
だが、グズリーは少しだけでもシルヴァディの動きを止めるだけでよかった。
迫るのはセンリ。
シルヴァディに比べれば遥かに格下とはいえ、彼とて2つ名を持つ剣士。
ここまで隙の出来た相手の逃すはずはない。
―――このとき、彼らは、シルヴァディの動きを常に見ていた。
―――こいつは天剣。
―――こいつは八傑。
―――目を離せばやられる。
そう思ったからだ。
それは間違いではない。
間違いではないが―――結果的にもう少し―――もう少し他の場所をみていたら。
誰か1人でも、この空間で行われていたもう1つの戦闘が終わっていたことに気づいていれば、また結果は違ったかもしれない。
―――カキンッ!
高い剣音が響いた。
現れたのは1人の少年。
ブラウンの髪に、ブラウンの瞳、どこか儚げな顔に、激しい戦いを繰り広げてきたと一目でわかる体の消耗。
シルヴァディの体を貫かんとするセンリの剣は、アルトリウスによって止められていた。
「―――余計なことしちゃいました?」
「・・・いや、助かった」
シルヴァディの目が獰猛に嘶いた。
山脈の戦いは最終局面を迎える。
読んでくださり、ありがとうございました。合掌。




