第57話:目指すは北方山脈
新章です。
とりあえず現状確認と、今後の方針をある程度定める回です。
あまりう上手く書けませんでした。
「―――ん・・・んん・・・」
頭にガンガン痛みを感じる。
体の節々も金切り声を上げる様に、悲鳴を上げている。
そんな痛みに押されるように、俺は目を開けた。
「――――」
目の前にあったのは、炎だった。
薪をくべられ、煌々と明かりを放つ焚火の炎だ。
辺りは、真っ暗というほどではないが、もう日が沈みかけている頃だろうか、夕焼けも黒く染まりつつある。
―――あれ、俺は何をしていたんだっけ。
少なくともここは最近ずっと過ごしてきた、寒く、汚く、臭い、肥溜めのような洞窟ではなかった。
―――俺は確か、取引の最中に逃げ出して、それで・・・。
「よう、起きたか坊主」
そこまで思いだしたところで、俺の正面、焚火を挟んだ正面から声が飛んできた。
声の主は中年の男だった。
金髪のオールバックに長身。
獣のように獰猛な目に、引き締まった体。
鎧と、黄金の剣は身に着けていないが、見間違えるはずはない。
―――『天剣』シルヴァディ。
この世界に存在する、圧倒的な強者の1人。
大陸最強の8人――《八傑》に名を連ねる男。
そんな男が、俺の目の前に座っていた。
よもや、眠る前に名前を聞き間違えたという事もあるまい。
全身の身の毛が逆立つような感覚を感じながら、俺は体を起こした。
「大変だったんだぜ? お前、臭いし、怪我してるし、汚いしで、見たくもねえ男の裸を見る羽目になっちまった。しかもなかなか起きねぇしよ」
悪態を吐くかのように言う男の言葉に、俺は自分の体が、全裸であることに気づく。
毛布にくるまっていたので気づかなかった。
俺の体はここ最近からは想像できないほど肌色を取り戻していた。
彼が綺麗にしてくれたのだろう。
脇腹と、右肩の切り傷も塞がっていた。治癒魔法だろうか。
逆に左半身の打ち身―――エメルド川に激突した際のものだが、そちらはまだ痛みを感じる。
治癒魔法は、怪我をしてから時間が経てば経つほど、効き目が薄くなるのだ。
時間は―――俺が気絶したときはまだ夜は明けていなかったことから考えると、明け方近くから、殆ど日が出ている間、俺は眠っていたことになる。
その間、彼が俺の事をずっと見ていてくれたのだろうか?
――だとしたらすぐさまお礼を言わないと。
「――っ――――!?」
お礼を言おうとして、声が出ないことに気づく。
喉がカラカラに渇いていたのだ。
すると、目の前からなにやらこぶし大程の物体が飛んできた。
「―――ほら、コップだ。水は自分で出せ。それくらいの魔力は回復しているだろう?」
言葉と共に飛んできた物体を慌ててキャッチする。
木製のコップだった。
どうして俺が水魔法を使えることを知っているのだろうかと思いながら、言われた通りコップを水で満たし、勢いよく喉に通す。
―――おいしい・・・。
ただの水が、これほど美味く感じたことがあっただろうか。
渇いた喉と、荒れた胃を、コップの中の綺麗な水が、潤していく。
その様子を、男は特に興味もなさそうに眺めていた。
「―――あの――」
水を飲み干し、声が出ることを確認してから、俺はぺこりと頭を下げた。
「――助けていただいて、ありがとうございました」
「おう」
俺の礼を仏頂面で受け取り、彼は話し出した。
「――昨日も言ったが、俺は『天剣』シルヴァディ・エルドランド。ユピテル軍の者だ。病み上がりのところ悪いが、いくつか坊主に聞きたいことがある。いいか?」
「はい」
コップを置き、俺は姿勢を正す。
なるべく礼を欠かないようにしなければ、助けてくれた相手に対して失礼であるし、もしも彼――シルヴァディの気に障るようなことがあれば、俺の命なんて一瞬で吹き飛ばされるだろう。
今は魔力も多少回復しているが、例え満タンだったとしても、この男から逃げ切れる自信もない。
昨日の記憶を思い返すだけで、そう確信させるほどの圧倒的な実力の差が、彼と俺の間にはあった。
「坊主の名前は?」
「・・・アルトリウス・ウイン・バリアシオンです」
そう答えると、シルヴァディはふむ、と少し考えるような仕草をする。
俺の名前は『蠍』曰く有名であるらしいし、彼ももしかしたら聞いたことがあるのかもしれない。
「どうして、あんなところにいた?」
「――それは、えっと・・・」
どう説明したものか悩む。
使節やオスカーの事を言っていいのか悪いのか。
「・・・」
少し迷った結果、なるべく事実を語る事にした。
民衆派と敵対していたらしい『蠍』を殺したところからみて、この男は民衆派―—オスカーの味方である可能性が高いだろう。
もしも彼も民衆派と敵対しているならば、オスカーに同行し、端から見たら完全に民衆派である俺を助けたりしまい。
それに、彼が『天剣』シルヴァディだというなら、イリティアの事を知っているはずだ。
いざとなったら銀のペンダントを見せて命乞いでもしよう。
打算的にそう判断し、俺は初めから説明をした。
ライラの死を伝えるための使節として、オスカーと共にカルティアへ向かっていたこと。
カルス大橋を渡る途中に、雷魔法の襲撃を受けたこと。
橋が倒壊し、エメルド川に落ちたこと。
ゲイツとゲイルという蛮族らしき兄弟に囚われ、『魔封じの枷』のせいで長らく脱走できなかったこと。
『蠍』との取引の最中に隙をついて逃げ出したこと。
シルヴァディが来た時は、魔力も尽き、追手に囲まれて絶体絶命だったこと。
なるべく簡略に、そう答えた。
「―――しかし、カルス大橋がねぇ・・・」
基本的に黙って聞いていたシルヴァディだが、俺が話し終えた瞬間、訝しそうに腕を組んだ。
カルス大橋が雷魔法で落ちた話が気になったようだ。
俺は少しだけ、この男が雷魔法の犯人ではないかとも思っていたが、様子を見るにどうやら違うようだ。
俺も彼に聞きたいことは山ほどあったが、今は彼が質問者だ。
俺は彼の質問に、なるべく差し障りなく答えなければならない。
身構えていると、シルヴァディが腕を組むのをやめる。
「それで『蠍』との関係は? 何か知っているか? その取引に使った小屋の場所とか」
「えっと、多分小屋の場所は分かりますけど、『蠍』については殆ど何も知りません。ただ―――」
少しだけ迷い、言いかけてしまったのでそのまま続ける。
「―――民衆派と仲良くはなさそうでしたね」
「・・・そうか、まあ奴は門閥派セルブ一門子飼いの魔法士だからな、当然だろう」
シルヴァディは特に表情を変えることなく言った。
『蠍』は門閥派―――。
やはりそれを承知の上で斬ったシルヴァディは、やはり民衆派ということか?
正直気になったが、聞く前にシルヴァディの次の質問が飛んできた。
「それで、『修羅兄弟』をやったのはお前か?」
「へ?」
修羅兄弟?
と考え込んだ瞬間、確か『蠍』が、ゲイツとゲイルのことを「エメルド川の修羅兄弟」って呼んでいたことを思い出した。
「あ、はい。アイツら2人が先行して追って来たので、戦闘になり、殺しました」
――殺しました。
何でもないように言ったが、俺にとってはとても重い言葉だ。
「ふむ、どう殺した?」
シルヴァディはやけに食いついてきた。
俺としてはあまり話したくない内容だったのだが、まあ聞かれたのなら仕方がない。
「いや、その、剣でグサッと」
「――属性魔法は使わなかったのか?」
「えーと、その時点でほとんど魔力が尽きていたので―――」
何故かそのまま、兄弟との戦闘を根ほり葉ほり聞かれた。
思いだせる限りで、説明したが、正直ユニが死んでからは無我夢中だったから、あまり詳細には覚えていない。
「――それで、最後は、読み通り速さのない剣撃だったので、先んじて心臓を一突きしました」
「なるほどね・・・」
結局、一部始終を話すことになった。
ユニが死んでしまった話も、言おうか迷ったが、何故か話した。そこに嘘をついてはいけない気がしたのだ。
俺が躊躇したせいで、1人の少女が死んでしまったと、そう言った。
シルヴァディは最後まで考え込むような表情で聞いていた。
数分の無言の後―――、
「――また敵と相対したとき、お前は迷いなく剣を振れるか?」
まるで試すようにシルヴァディが言った。
獰猛な目がギラリと光る。
・・・憶することはない。
俺の答えは決まっている。
「・・・はい。もう迷わないって決めたので」
「そうか」
シルヴァディの言葉はそこで途切れた。
彼は俯いて、未だになにやら考え込んでいる。
沈黙が流れた。
何か言うべきだろうか。
いや、変なことを言って不興を買うもの嫌だしな・・・。
「――よし、わかった」
すると、シルヴァディは不意に顔を上げた。
「坊主」
「はい」
「――お前を、俺の弟子にしてやる」
「あ、はい。ありがとうございます・・・って、えぇ?」
その日、俺は『天剣』シルヴァディの弟子となった。
● ● ● ●
どうやらシルヴァディは、俺が気を失う寸前に「弟子にしてください」と言ったことを覚えていたようで、質問中、ずっと弟子にするか考えていたらしい。
俺はぶっちゃけ忘れていたし、助けてもらった上にそんな図々しいことを頼むつもりはなかったのだが、話しているうちに、彼の琴線に触れたようだ
「いや、イリティアからは、木剣で人を打ち付けることにすら躊躇する甘ったれって聞いていたから、弟子にする気なんてサラサラなかったんだが―――」
どうやら、修羅兄弟を殺した話を聞いて、前向きに検討する気になったらしい。
だからあんなに根掘り葉掘り聞かれたのか・・・。
ちなみに、俺の体を水魔法で洗浄する際に、銀色の薔薇のペンダントに気づき、身体的特徴から、俺がアルトリウスであることは気づいていたとか。
最初からそれを言ってくれればいいのに。
「イリティアのやつ、いつもそっけない文面の手紙しか出さねぇくせに、お前の紹介だけはやたら長ったらしく書いていたんだよ。だから印象に残ったんだ」
シルヴァディ曰く、俺の身体的特徴だけでなく、どんな性格か、得意な魔法はなにか、何の流派をどこまで教えたか、など、とにかく詳しく書かれていたようだ。
オスカーの使節についても当然のように知っていた。
まあ『蠍』も知っていたくらいだし、そりゃそうだよね。
それとなく民衆派であるのか聞いてみたが、
「民衆派―――まあそうともいうが、俺が忠誠を誓うのは民意ではなく、ラーゼン・ファリド・プロスペクターという個人だ。俺は平民上がりだし、細かい思想の違いなんてどうでもいいね」
とのこと。
使節の護衛隊の方々といい、案外派閥争いに関しては俺たち貴族が気にし過ぎなだけなのかもしれない。
しかし、民衆派ってだけで殺されかけたばっかりだからな・・・神経質になるのも仕方があるまい。
ひとまず、俺はシルヴァディという男を信用することにした。
もちろん、よく考えたら、命を助けて貰っといて信用とかおこがましいかもしれない。
でも、そういう意思決定はしておかないと、いざというときにまた俺は『迷う』ことになるからなぁ。
まあラーゼン・・・つまりはオスカーの父に忠誠を誓っているということは、オスカーの味方と判断していいだろう。
弟子入りについては俺としては断る理由はない。
元々カルティアへ行く目的の1つだったわけだし、弟子にしてくれるというならなってしまえばいいだろう。
彼の事はまだよく知らないが、イリティアが紹介するくらいだから、大丈夫だろう。
また、唐突に弟子入りを許可されたあと、色々と質問する機会はあった。
「イリティア先生とはどういう関係だったんですか?」
「・・・同じ師に学んでいたんだ。ほんの少しの間な。」
「へえ」
意外だ。兄妹弟子だったのか。
兄弟弟子というのは、俺にはないものだ。
一応、イリティアは学校で教師をしているが、俺が一緒の時期に学んだわけではないからなあ。
そもそも生徒と弟子では大きく意味が違う気がする。
「シルヴァディさん―――いえ、師匠は、僕のほかに弟子を取ったりしていないんですか?」
『天剣』シルヴァディといえば、天下に名をとどろかす魔導士だ。
弟子入り志願者なんていくらでもいると思ったが、
「いや―――取ろうと思っていた奴が1人いたんだけどな・・・」
シルヴァディは少し遠い目をしながら言った。
断られてしまったということだろうか。
『天剣』シルヴァディの誘いを断るなんて、どこの馬の骨だろうか。
「その人は・・・もうよかったんですか?」
「戦時中に2人も面倒は見れないからな・・・それに、お前の方が強くなりそうだ」
ニヤリと、シルヴァディが嗤った。
「―――期待に添えれるよう頑張ります」
存外、俺への評価は高いのかもしれない。
● ● ● ●
ともかく俺はとんとん拍子に彼の弟子になることになった。
俺たちは今、修羅兄弟と『蠍』が取引していた小屋に向かって歩いている。
流石に全裸のまま移動するわけにもいかなかったが、今まで着ていた服は、
「あんな糞まみれの服、一瞬で燃やしちまったよ」
と、シルヴァディが処分してしまっていた。
仕方がないので『蠍』の部下の死体から、なるべく綺麗な布地を剥ぎ取って着ることにした。リアル羅生門である。もちろん水魔法で綺麗に洗濯した。
当然大人用なので、サイズはブカブカだった。ベルトをきつく締めて誤魔化す。腰には取り戻したカインの剣だ。
カインの剣は、シルヴァディも一目見て、
「イクシアの剣か・・・ローエングリンに知り合いでもいるのか?」
とか聞いてきた。
どうやら、この剣はローエングリンに所縁のある『イクシア』という人が打った剣らしい。
随分有名な名工なんだとか。
譲ってくれたのは友だが、母がローエングリン家の出身だと言っておいた。
さて、何故俺たちが、『蠍』の使っていた小屋へ向かっているかだが――大きく2つの目的がある。
一つ目は、物資の調達。
シルヴァディはともかく、俺は長距離移動ができるような装備ではないからな。
二つ目は、シルヴァディが『蠍』を追っていた理由に由来する。
これも昨夜きいた話だ。
「―――《鷲》ですか?」
「ああ。《鷲》を盗んだ実行犯が、『蠍』のスコルピアという男だ。隠蔽魔法だとか、追跡魔法だとか、そういう陰湿な闇魔法の達人で、盗みやら暗殺やらを得意とする《裏》の仕事人だ」
どうやら、カルティア平定軍の旗印である《鷲》が盗まれたことが原因らしい。
それでシルヴァディは、司令官ラーゼンから、《鷲》の奪還と、首謀者の捕縛もしくは殺害を命じられていたとか。
「師匠はユピテル軍の最大戦力と聞いていますが・・・前線を抜けて大丈夫だったんですか?」
「あーまあ、攻勢力は下がるかもしれないが、『ゼノン』は残してきた。戦線が膠着することはあっても下がることはねぇよ」
どうやら、『迅王ゼノン』は前線に残っているようだ。随分信頼が厚いな。
それに、とシルヴァディは続ける。
「『蠍』の隠蔽魔法のわずかな残滓から追跡できるほどの魔法士なんて、俺以外にはいないからなぁ」
おお、自画自賛。
いや、単なる事実か。
イリティアといい、この世界の強い奴っていうのは、謙遜という言葉を知らない気がする。
「どうして、『蠍』は《鷲》を盗んだのでしょうか?」
「『ギレオン』の指示だろう」
「ギレオン?」
知らない名前だが――『蠍』とシルヴァディの会話で出てきた気はしないでもない。
すぐにシルヴァディが教えてくれた。
「『ギレオン・セルブ・ガルマーク』。門閥派貴族の急先鋒だよ。人攫いや詐欺や闇金―――前々から黒い噂の絶えない奴だが、なかなか尻尾を出さない狸だ」
その後も、詳しく話を聞いているうちに、俺が疑問に感じていた点がいくつか解消された。
ギレオンという男は、ユピテルの外で人攫いや犯罪組織を手懐け、特にエメルド川の中流付近で幅を利かせていたらしい。
『蠍』は中々ユピテルから出てこれないギレオンに代わって、ここら一帯をまとめていたのだとか。
ちなみに、「ここら一帯」というのは、俺が遭難した地域、エメルド川以西の中流域にあたる場所のようだ。
橋が落ちる以前にも、川に落ちた人間はこの辺りに流れ着くことが多いのだとか。
「しかし、どういうつもりかは知らないが、ギレオンは今回ユピテルの外にまで出て来たらしい。よほど早く《鷲》を自分の手に納めたかったんだろうなぁ」
色々と見えてきた。
整理しよう。
まず、門閥派であるギレオンは、ラーゼンの影響力を削ぐために、旗印である《鷲》を強奪しようとした。
下手人として使ったのが、元からここら一帯で幅を利かせていた子飼いの魔法士である『蠍』だ。
『蠍』は見事《鷲》を盗み出し、ユピテルの外まで受け取りに来ていたギレオンに《鷲》を譲渡してから、再びここら一帯に戻ってきた。
そしてゲイツ達から、いつもの人攫いの一環として俺を受け取ろうとしたが、無詠唱を使う俺を見て、オスカーの副官として抜擢されたアルトリウスだと看破。
民衆派と判断し殺害しようとするも、ギリギリのところで、『蠍』を追いかけてきたシルヴァディが登場、と。
なるほど確かに、そう言われれば筋書きとしては成り立つ気はする。
しかし、大きな疑問が残るな。
「どうして、そのギレオンという人は《鷲》を盗もうとしたのでしょうか? 今の情勢下では、少しでも下手なことをすれば最悪武力による闘争を招きかねないと聞いていますけど」
そう、民衆派、門閥派が双方、戦争における正当性を確保するための大義名分を与えたくない状況で、ラーゼン軍の戦意を削ぐためだけに《鷲》を盗むなんことを行うのはいささかリスクが高いような気がするのだ。
そう言うと、シルヴァディは少し驚いたように目を見開き、
「・・・門閥派も一枚岩じゃないってことだ」
とだけいい、それ以上派閥のことは語らなかった。
ともかく、シルヴァディは、《鷲》の奪還と、強奪の首謀者の拿捕という目的がある。
『蠍』が言うには、《鷲》は既に「北のルート」でギレオンの元にあるとのことだが、一応念のため、俺が逃げ出してきた小屋を一応調べておきたいようだ。
「お前は貴族だし、使節の副代表だ。本来なら然るべきルートで首都に戻るか、使節に合流すべきなんだが・・・今回は俺と行動を共にしてもらう」
「ギレオンを追うのを手伝うということでしょうか?」
「ああ。カルス大橋が落ちたという話が本当ならば、ギレオンはまだユピテルに帰れてはいないだろう。となると、北方山脈を通るか、底の浅いエメルド川下流域に行くしかないが―――『蠍』の言っていた通り、おそらく北――前者のルートで間違いない」
まあ、あの時の『蠍』は漏らすほどテンパっていたし、嘘を言っているようにも見えなかったが・・・。
しかし、確か北方山脈は過酷な環境だと聞く、なぜわざわざそんなルートを選んだのだろうか?
俺の疑問に、シルヴァディはすぐに答えた。
「奴は俺が《鷲》を追っていることを知っている。そして俺がカルティアから『蠍』を追って来たこともな。多分、『蠍』は俺を北方山脈から遠ざけるための囮だ。そしてその『蠍』を南下させた以上、奴は逆、北上している」
「つまりは、ギレオンは、北方山脈の過酷な環境よりも、師匠に追われることを恐れた、と」
「そういうことだな。それにまあ、向こうで『案内人』を上手く雇えれば、北方山脈を抜けることはそれほど難しくもないだろ」
そう言いながら、シルヴァディは獰猛な笑みを浮かべた。
褒めたから喜んだのだろうか。
しかし、案内人か・・・。
彼らしか知らない隠された抜け道や近道があったりするのだろうか。
「というわけで、俺にはお前を首都に送る余裕も、使節に届ける暇もねえ。なら、同行させてついでに修業でもつけてやろうってことよ。その後無事に《鷲》を取り返したら、カルティアまで連れて行ってやる」
シルヴァディは、どこか含みのある顔でそう締めくくった。
俺は静かに頷いた。
さて、そんな昨日のやりとりを思い出しているうちに、もう小屋の前まで来ていた。
『蠍』とゲイツ達が取引をしていた小屋だ。
記憶はおぼろげだったが、何とか辿り着けて内心安堵している。
中に人の気配はなく、俺が『風撃』で開けた屋根の破片があちこちに散らばっていた。
小屋の傍には馬車が2台ほど止まっており、馬は長めの縄を繋いだ状態で放ってあった。
シルヴァディは屋根の惨状を顔をしかめながら小屋に入っていった。
俺も続く。
小屋の中は、殺風景だった。
少し奥に机が置かれ、あたりには木の破片が散らばっている。これも俺が吹き飛ばした屋根の破片だ。
「・・・特に何もないな」
シルヴァディは、部屋の中を一通り調べ、抑揚なくそう言った。
「馬車の方を調べるぞ」
再び俺たちは外に出て、2台の馬車を調べる。
馬車は、片方が食料類を乗せた備蓄用のものであり、もう片方が衣類や小道具、金銭などが置いてある生活感溢れるものだった。
「入用なものがあれば貰っておけ。戦利品みたいなものだ。特に防寒具だな」
「はい」
俺は適当な麻袋を見つけたので、その中にいくつか物を詰める。
多少のパン類と、金銭。後は予備の衣服と毛布くらいか。
軽そうな皮鎧が干されていたのを見つけたので、それも装備しておいた。
布一枚で旅をするのは流石に不安しかないからな。
皮鎧は腰に2本のナイフをスロットするホルダーがついていた。
ナイフ本体も近くに落ちていたので、一応差しておいた。ナイフは何かと便利だ。野営の時にも使えるし、いざというとき、投げナイフとしても使える。
最後に、防寒具として灰色のローブを見繕った。肩口の辺りの切れ目から腕が出せる機能性重視のマントのようなローブだ。丈は長かったが、気になれば切ればいいだろう。
俺が準備を終えると、既にシルヴァディは馬車を調査し終わったのか、小屋の入り口で待っていた。
こうしてみると、彼は随分軽装だ。分厚そうなローブこそ羽織っているものの、肩から下げる麻袋は、俺のものよりも小さく見える。
「よし、じゃあ行くとするか。幸い馬が2頭いるから、山脈に入るまでは楽ができそうだな」
俺の姿を確認するなり、シルヴァディは傍で草をむしっている馬の方へ歩いて行った。
ん?
馬で移動するのか?
いやしかし俺は―――。
「あの、僕、馬乗れませんけど・・・」
そう言うと、シルヴァディはゆっくりと振り返り、
「・・・マジ?」
青ざめた顔でそう言った。
こうして、『天剣』シルヴァディに最初に学ぶことになったのは、神速流はおろか、魔法でも剣でもなく―――乗馬になった。
ちなみに、いきなり乗せて走らせるっていう荒療治で、2日で覚えた。
全身筋肉痛になった。
鐙はなかった。
正直、どうしてシルヴァディが、ここまで俺の面倒を見てくれるのかは分からない。
もともと弟子を取らないと聞いていたのに、こんな簡単に弟子入りができたのは少し驚きでもある。
よほど素質があったのか、イリティアに対する義理があったからなのか・・・。
まあ悪い人間ではないだろう。
少なくとも命を助けてもらったのだ。
その恩に反するようなことはしないようにしようと思う。
・現状解説
「蠍」のボスである「ギレオン」と、盗まれた「鷲」を追って、北上することになりました。
アルトリウスは都合の良すぎる弟子入りに多少困惑していますが、命を助けてくれたシルヴァディの事は信用しています。
読んでくださり、ありがとうございました。合掌。




