第50話:国境線へ①
カルティアへの行程は順調に進んでいた。
最初の街『トラン』から、馬車を走らせ、幾つかの街を経由しながら、北西へと進んでいく。
ヤヌスからカルティア方面へ行くルートはいくつかあるが、やはり北西方面へほとんど直進していくのが最も効率もよく、安全であるらしい。
そのルートには途中にいくつもユピテル共和国の都市か同盟市があるため、こまめに休息をとることもできるし、なにかがあったときにも駆け込めば最低限の援助をしてくれる。まあ公式使節だし、当然っちゃ当然だ。
行程の途中では何度か野営もしたが、特に俺たちに危害が及ぶことはなかった。
2回ほど野盗が近くで確認されていたようだが、こちらの護衛の数に委縮したのか、襲ってくるようなこともなかった。
野営というものは初めて経験したが、まああまり居心地の良いものではない。
いや、むしろ今までの暮らしが快適過ぎたのか。
季節はまだ秋口ではあるものの、首都よりは北に向かっているため、夜はかなり寒く、焚火の前で毛布にくるまって寝る。
貴族の子弟だからってそれ以上快適な空間は求められない。ないものねだりはできないのだ。
「はは、バリアシオン君と一緒に眠るのは初めてだね」
多少気色悪いことを言いながら、オスカーも苦笑しつつ、毛布にくるまった。
ミランダはいない。女性は少し離れた焚火だ。護衛隊にも十人くらい女性がいるのだ。
護衛の方々は半分が寝ずに火の番や、周囲の警戒をしているので、少し申し訳ない気分にはなる。
食事は干し肉と、薄く切られ、乾燥したパンだ。いや、パンというよりはラスクといった方が近いかもしれない。
どちらも長旅に備えて馬車に備蓄してあるもので、保存期間を重視しているため、あまり味は良くない。
稀に、護衛兵が近くで狩ったイノシシの肉などを振舞ってくれたこともあった。悪くはないが、やはりチータの料理に比べれば雲泥の差である。
まあ食事に関しては元からそれほど期待はしていなかったので、文句は言うまい。
いつか食べ物を新鮮な状態で保持するような魔道具を作れば、大儲けできるかもしれない、とは思った。
街に泊るときは、それなりに整った環境で過ごすことができた。
もちろん、その街の規模や領主によって待遇は違うが、基本的には客人として扱われ、そこそこのベッドと、温かい食事にはありつけた。
街に着いたときは、まず、その街の領主かそれに連なる責任者の元へオスカーと共に挨拶に行き、身分の証明と滞在許可を得ることから始まる。
基本的には、物資の補給や今後の行程の相談を2日か3日ほどかけて行って出発するが、悪天候などの関係で1週間ほど同じ街にいたこともある。
そういったときは、バルビッツに許可を貰って街を見て回ったりもした。
やはり、というか案の定というか、どこの街も首都ほど栄えてはいなかった。
道は整備され、商店も立ち並んでいたが、品ぞろえは首都とは比べ物にならない。
大通りから少しでも外れれば、陰鬱な感じの路地が見え隠れしており、乞食や浮浪者のような人も見受けられた。やはり首都の治安の良さは、この世界だと異常なほど良かったと言えよう。
もちろん、俺たちが街に出る時は、何人も護衛が付いて回っていたので、なにか襲われたりすることはなかった。彼らはかいがいしく俺たちを案内してくれた。オスカーの言う通り、門閥派だからといって彼らを疑ってかかるのは俺の早とちりだったな。
俺は最初の長期滞在中に、剣帯付きのベルトを購入した。
カインの剣を帯剣するためだ。
本当はヤヌスで見繕った方が良かったのだろうが、出発日に渡されてしまったので、買う暇がなかったのだ。
これまでは手で持つか、荷物の中に入れてしまっていたので、早いところ買った方がいいだろう。
「へえ、僕はバリアシオン君の剣技をあまり見たことはないが、中々様になっているじゃあないか」
新しいベルトにカインの剣を帯びた俺の姿を、オスカーはそう評した。
まあオスカーと俺が会うのはほとんど学校の中であったし、剣を振る機会などあまりなかった。
たまに家に来た時に、カインとの訓練に鉢合わせたくらいか。
ちなみに、俺たちの服装は、少しクリーム色が混じった襟付きの白いシャツに、同色の動きやすいズボンといった感じだ。そして、なるべくその上から紅い刺繍の入った白いローブを羽織っている。俺もオスカーもミランダも殆ど同じ格好だ。
なんでも、ユピテル共和国の政務に就くものは、白を基調とした服装が推奨されており、特に、この赤い刺繍の入った白ローブは、制服に近いものであるらしい。元老院議員など、ある程度上の位になるとこの赤い刺繍が、紫色の刺繍に変わるようだ。
俺たちも公式使節ということで、基本的にこの格好で通している。幸いローブは厚くもなく薄くもなく、丁度いい生地だったので、取り回しは良い。
護衛隊の人たちは俺たちと違い、各々のスタイルに合わせた防具に、紅いマントだけは統一してある。護衛が政務用のローブなんて羽織ってても仕方ないしね。
また、長期滞在の最中、広めの空き地で手すきの護衛兵たちが剣の訓練をしているのを見かけた。
俺もカインの剣を多少振っておきたかったので、混ぜてくれと頼んでみたが、
「・・・貴族のご子息に剣は振れませんよ。勘弁してください」
と苦い顔で断られてしまった。
まあ当然か。
彼らからすると、俺が怪我をしただけでも、一大事なのだろう。
実際はしがない下級貴族の息子なので大したことではないのだが、オスカーの友人ではあるし、下手に派閥間の争いを刺激するようなことはできないのかもしれない。
とはいえ、接してみてわかったのだが、彼らは門閥派に選ばれたと言っても、平民上がりも多く、政治にはあまり興味がなさそうな人ばかりだった。軍は実力主義だというし、派閥争いなんて関係なく、ただ言葉通り貴族の子供に怪我をさせたくなかっただけかもしれないな。
バルビッツは門閥派というが、オスカーの言っていた通り寡黙で真面目な人物だった。旅の最中に後ろから刺される心配はしなくてもよさそうだ。
しかし、結局俺は1人でカインの剣の素振りをすることになってしまった。
まあ、基本は木剣と変わらない。
木剣は、見た目の割に重く作られており、重量でいえば実剣と同じくらいだ。実剣の重さに戸惑って振れないなんてことはない。
カインの剣は一般的なユピテル人が使う片手用直剣よりは少しだけ長い剣だ。
刃渡りをきちんと眺め、何度か素振りをしたうえで間合いを確認する。
すると、ミランダがやってきた。どうやら彼女も剣の素振りをしにきたらしい。
「・・・バリアシオン、模擬戦、しよ」
自身も剣を振りながら横目で俺の事を見ていたミランダだったが、暫くするとそんなことを言い出した。
俺もカイン以外との対人戦の経験があまりなかったので、丁度いいと思い承諾した。
護衛隊の人たちには断られちゃったしね。
実剣は流石に怖かったので、木剣で軽い模擬戦を行う。
「―――バリアシオン、やっぱり貴方、すごく強い」
何度か手を合わせた後、息を切らせながらミランダが驚愕しながら言った。
一応全て俺が優勢な状態で軽く終わらせたのだ。
まあ、俺も、世代屈指と言われているカインと長らく競い合ってきたのだ。同年代では上の方の実力だろう。
とはいえ軽くといったし、お互い、カインといつもやっている程のガチバトルではない。俺も女の子を強く打ち付けるなんてことはしたくなかったしな。
ミランダは、小回りの利く片手用ミドルレンジの剣に、同じく小回りの利く小さめの盾を用いたオーソドックスな甲剣流を使っていた。
俺の剣をしっかりと盾で守り、隙を伺って攻撃をする。実に単純。
とはいえ、オーソドックスと言っても、ミランダが使う装備は小回りの利く類であり、足をよく使って動いて的を絞らせないよう立ち回っていた。考えられた動きだ。体力もあり、きちんと鍛えていることが伺える。
身体強化魔法もそれなりに嗜むようで、同年代ではかなり強いほうであると思う。
俺の中だとカインが基準だからよくわからないが――カインは世代だとトップクラスに強いらしいし、多分ミランダもこれだけ戦えれば優秀な方なんだろう。オスカーも太鼓判を押していたしね。
しかし、ミランダは女子なのに、どうして剣を学んだのだろうか。
これほどの実力を得るには、幼少期から修業しないと難しいと思うのだが。
「・・・私は、オスカーを守らなきゃいけないから――」
聞くと、意外にも流暢に話してくれた。
ミランダは口下手で、寡黙な印象があったのだが、どうやら俺にもある程度心を開き始めてくれたようだ。
・・・あるいは、今まではエトナに気を使っていたのかもしれないな。
俺とミランダが仲良くしているのをみて、エトナが不安にならないように。
ミランダは優しい子だ。
話を聞くと、どうやらミランダは、オスカーが小さいころからの幼馴染であるらしい。
親同士が仲が良く、2人で遊ぶことも多かったようだ。
しかし、当時からオスカーは運動音痴であり、引きこもり気質であったため、少なからず周りからいじめられることがあったのだという。
まあ、根暗な人間がいじめの対象になりやすいのは仕方のない事だろう。
俺も似たような経験はある。
返り討ちにしたが。
・・・もちろんカインのことだ。
とはいえオスカーは別段いじめを気にすることもなく、何を言われてものらりくらりとしていたようだ。
「・・・子供の頃からとんだ大物ぶりだな」
「うん。家格はオスカーの方が良いから、親に言えば解決するのに、オスカーは何も言わなかった」
オスカーの家は大貴族ファリド一門のプロスペクター家だ。いじめなんていう事実があれば、いじめっ子の親は叱責くらいは受けるかもしれない。
ともかく、オスカーは気にしなかった。言わせておけばいいさ、とか言って引きこもり生活を楽しんでいたようだ。
だが、ミランダは我慢ならなかった。仲のいい友達がバカにされているのだ。
猛然といじめっ子たちに抗議し、いじめ行為を非難した。
―――すると、今度はいじめの対象がミランダへと変わった。
「まあ、よくある話だな」
「うん、今思えば余計なこと、だった」
そして、当時のミランダはオスカーほど図太くなかった。
バカにされ、物を失くされ、毎日泣いて過ごしたという。
少し経って、オスカーは泣いているミランダを見つけた。
ミランダは何も理由を言わなかった。
だが、オスカーは何かを察したように頷くと、静かに目をぎらつかせ、どこかへ走り出した。
オスカーが向かったのはいじめっ子たちの集団だった。
オスカーは着くなり、前置きもなくいきなり彼らに殴り掛かった。
「――へえ、あのオスカーが」
俺からすると意外なことである。
なにか謀略や策略でやり返したりするのは想像できたが、いきなり殴りかかるとは。
今の彼からは想像できないが、なかなかに男らしい事である。
「それで、どうなったんだ?」
そう聞くと、ミランダが苦笑した。
「ボコボコに負けて、帰ってきた」
「ははっ」
思わず微笑みが漏れた。
まあそうだろう。昔から運動音痴だったらしいし、相手は多人数だ。勝てる要素はない。
「でも、その日から、いじめの対象はまたオスカーに戻った」
そのいじめを、オスカーはまたのらりくらりとやり過ごしたという。
わざと目を付けられて、自分がいじめられることで、ミランダを守ったということだろうか。
「だから、そんなオスカーを守れるようにならなきゃって、強くなろうと思った」
それが引き金となって、腕っぷしが弱いオスカーの盾となるために、強くなろうと思ったらしい。
習う予定だった礼儀作法や家事の予定を全て中止して、剣術と魔法を習えるように親に泣いて頼みこんだとか。
ミランダは満足そうに話して終えると、立ち上がった。オスカーの元へ戻るらしい。
「オスカーには、秘密ね」
「・・・ああ」
去り際にそんな言葉を残していったミランダを見送り、俺はもう少しだけ素振りをした。
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そんなこんなで首都を発ってから1か月半が経った。
ひたすらヤヌスから北西へむけて一直線に馬車を走らせてきたと言ってもいい。
色々な都市に行ったし、何度も野営を経験したが、割と既に慣れてきた。特に危険な目にも合わなかったしな。
しかし、ここからは気を抜けない。
現在俺たちが滞在しているのは、ユピテル勢力内の都市『クルジア』だが、ここから先は未だ完全にユピテルが征服したとはいいがたい地域―――というかまとまった街がない地域だ。
カルティア地方は、『クルジア』から先、さらに北西にある。
ここから北西―――カルティアまでの間には、大きく2つの関門がある。
1つ目は『エメルド川』という、深く、広く、なおかつ急流であるという巨大な川だ。
どのようなルートを通ろうとしても、カルティアへ行くうえで、絶対に避けては通れない。
『クルジア』から、『エメルド川』までは、結構な距離があるが、整備された広い道―――『カルス街道』が続いており、あたりの木も伐採されている。見晴らしがいいため、待ち伏せによる襲撃はほとんどない。
少し道からそれれば、小さな集落などはあるようだが、基本的に道行く人には不干渉であるようだ。
『カルス街道』を進み、『エメルド川』に架かる『カルス大橋』を越えれば、そこはもうユピテル共和国の外になる。つまり、『エメルド川』はユピテル共和国の国境線だ。
そして、『エメルド川』を越えると、第2の関門が待ち受けている。
『北方山脈』だ。
ユピテル共和国の北西部から北部までにかけて連なる山脈は、高く、険しい山々である。
1年中、雪が降り続け、気温は劇的に低い。ユピテル人どころか、体の強い蛮族ですら近づかない山脈だ。
もっとも、今回、この山脈を正面から突っ切ることはしない。
大きく南西から迂回し、なるべく平坦で温暖な地域を通ってカルティアまで行く。
もちろんその分、時間もかかるし、異民族との接触も増える。彼らはユピテル人ではないので、場合によっては襲われる可能性もあるが、『北方山脈』を越えるよりはマシであるようだ。
そして、『北方山脈』を横からぐるりと迂回しきれば、もうカルティアは目の前だ。
―――『カルス街道』を進み、『エメルド川』を渡り、『北方山脈』を迂回する。
これらの行程は、概ね2か月程度の道のりだと、バルビッツは言っていた。
つまりは、『クルジア』までの時間を考えると、首都からカルティアまでは、3か月から4か月程度というわけか。往復7か月くらいと考えると1年やそこらでは絶対に帰ってこれないな。向こうでの従軍もあるし・・・。
まあ、俺たちは割と体感すごくゆっくりと来た感じもあるけどな。移動時間よりも、街にいた時間の方が長く感じるくらいだし。
バルビッツが子供である俺たちに配慮した、優しいスケジュールにしてくれたのかもしれない。
さて、ともかく、もう国境線だ。
ここを越えれば、ユピテル共和国の権威が及ばない世界。
外の『蛮族』に、ユピテルの法は通用しない。
俺も―――覚悟を決めなければならないのかもしれない。
いつのまにか第50話まで来ていました。
少々駆け足気味ではありますが、読んでくださっている方がいれば嬉しく思います。
どこかのタイミングで一度投稿を止めて読み返し、描写不足・誤字脱字・辻褄の合わない部分の修正は行おうと思っておりますが、とりあえずは、インスピレーションがあるうちに先を書きたいと考えています。もう原本にも追い付いてしまっているので・・・。
至らぬ点、多々あると思いますが、もしもこの作品を読んで楽しんでいただける方がいれば、幸いです。
読んでくださり、ありがとうございました。合掌。




