第44話:間話・盗まれた鷲
間話です。短いです。
ヤヌスより北西へ向け、いくつもの川や、北方山脈を越えた先にあるのが『カルティア地方』だ。
発展した都市から、辺境の田舎まで、様々な民族が入り乱れるこの地方の中でも、最も東にあるのが、カルティア第2の都市と呼ばれる『ミオヘン』だ。
かつてはカルティアで最も栄えた貿易都市だったこの都市は、カルティアの中で最も東にあるがゆえに、最もはやくユピテルに占領されるに至った。
もっとも、守備を担当していた将軍が、ユピテルの大軍を前に、戦う前から兵を連れて逃げ出し、市民は都市を明け渡すしか生きる手段がなかった。
ほとんど無血でこの都市を手に入れたユピテル軍は、『ミオヘン』を本拠地として足がかりに、近くの市や町に侵攻し、そのことごとくで勝利を収めていた。
つまりは『ミオヘン』はユピテル軍にとっての戦争の最前線であり、最終防衛ラインである。
そんなミオヘンの中でも、ひときわ立派な建物がある。
かつてそこはミオヘンを守護していた将軍が建てた、将軍府。
つまりはヤヌスでいう元老院である。
もっとも将軍府にいる人間は現在ではそのほとんどがユピテル人である。
「失礼します」
そんな声が響いたのは、かつての将軍の執務室。
今ではユピテル軍の最高司令官室となってしまった部屋である。
司令官室に入ってきたのは一人の中年の男だ。
その鋭い目つきは彼が只者ではないことを匂わせ、顔や体に無数に広がる切り傷は、彼が歴戦の勇士であることを確信させる。
そして、オールバックに整えた金髪は、その長身に合わせて作られ、鈍く光る鎧と相まっていささか輝いているようにもみえる。
彼こそはユピテル軍の最高戦力。
世界で最も強いといわれる『八傑』に名を連ねる男。
名を、『天剣』シルヴァディ。
「お呼びと聞きましたが」
司令官室に入るなり、軍隊式の敬礼をして、中に座る人物に語りかける。
彼、シルヴァディが敬語を使う人間は、少なくともこの都市には一人しかいない。
「ああ、忙しい中悪いな」
低い―――しかし聞き心地のいい声を発するその人物は、執務室の机に着きながら、シルヴァディの方へ顔を上げる。
歳の頃は、シルヴァディよりいくらか年上だろうか。
しかし、シルヴァディと比べると、一見威厳のようなものは感じられない。
その銀髪には珍しさを感じるものの、パッと見た印象は、痩せた中年の優男、と言った感じだろう。
しかし、誰もが知っている。
彼の見た目に騙され、彼を侮り、彼に敗北した人間の末路を。
そして、誰もが知っている。
我らユピテルが勝利し続けているのは、彼の指揮・カリスマ・戦略が並外れているからだと。
彼の名は『ラーゼン・ファリド・プロスペクター』。
ユピテル軍カルティア方面軍最高司令官である。
「いやあ、閣下が直接お呼びとあれば、よほど重要な用件だと思いますんで」
自らの上司に向かって、尊敬と畏怖を込めてシルヴァディは接する。
「ふむ、そう言ってもらえると助かるよ。実はな―――」
やはり、聞き心地のいい声を響かせてラーゼンが話し出す。
「―――《鷲》が盗まれた」
「まさか!? 《鷲》が!? それは本当ですか?」
驚きの事態に、シルヴァディの声も荒ぶる。
「ああ、数人の百人長クラスに守備させていた筈だが・・・・今朝方、彼らの死体を発見されたと同時に《鷲》が消えていることがわかった」
《鷲》とはユピテル人にとって神聖な生き物だ。
かつて最高神ユピテルが天上から使わしたという神の使者。それが鷲であるとされていた。
そのため、ユピテル人は戦争するとき、最高神ユピテルの加護があるようにと、金で鷲の彫刻を掘り、それを戦争のフラッグシップとする。
つまりは《鷲》とはユピテル軍の象徴だ。
「―――あり得ない話ですな。まさか、この期に及んでカルティア兵がミオヘンに残っていたとは考えにくいと思いますが」
《鷲》がなくなるということは、兵たちの士気にも関わることだし、なにより、敵将を捉えたとき、鷲の元にユピテルに忠誠を誓わせる古来からの儀式も行えなくなる。
「・・・まあ鷲が盗まれたこと自体は大した問題ではない。今の私の軍ならば、士気を高める方法なら他にもいくらでもあるからね」
ラーゼンが静かに言った。
たしかに、今のカルティア遠征軍は総じてラーゼンのカリスマ性、人間的魅力によってその練度と団結力を上げている節がある。
彼が一度演説を行うだけで、下がった士気など一挙に回復するだろう。
「ではなにが問題と?」
「―――魔法が使われた形跡があった。攻撃魔法ではなく、補助魔法だ・・・《隠蔽》のな」
「―――!?」
疑問に思い、シルヴァディが尋ねると、ラーゼンからは予期せぬ答えが帰ってきた。
カルティア人は身体能力に優れる強力な人種だが、魔法はそれほど発展していない。
もちろん炎槍などの攻撃に使える属性魔法を使う人間はいるが、複雑な詠唱や、魔力変換を必要とする、闇属性―――つまり補助系の魔法はほとんど発展してないと言っても良いだろう。
そして《隠蔽魔法》とは、闇属性魔法の中でもかなり高度な魔法に位置する。
なにせ、《隠蔽魔法》を熟達した人間が使えば、足取りを完全に掴めなくするのだ。
ユピテルでも使える人間はごく少数だ。
つまり、
「カルティアではなく、身内による犯行と?」
シルヴァディは驚きを抑え、冷静に分析に入る。
「まあカルティア人にできぬとも言い切れないが・・・」
「可能性は低い、と」
身内だとすると、門閥派による犯行という可能性が高いが、だとしても今のラーゼンの軍に、彼に反旗を翻そうなどと考える者がいるだろうか?
もともとは門閥派だった貴族の子弟でさえ、彼の人間的カリスマ性と、類まれなる指揮力、さらには常勝によって、完全にラーゼンに心酔しているのだ。
あるとしたら、完全な外部からの犯行と考えた方が自然だが―――。
「真偽はわからぬさ。ともかく、君には《鷲》の捜索と、盗んだ犯人の捕縛を頼みたい」
「はっ! 必ずや!」
こうして、一人の男が、ミオヘンから出立した。
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