第33話:春休みと謝罪
遅れました。
人を騙すような人間になってはいけない。
生前、俺は母にそう言って育てられた。
今の母であるアティアは、割と俺の教育は放任主義だったので、あまり道徳観念について教えられることはなかった。
まあ、俺に関してアティアが放任主義になるのは仕方のないことだと思うが。
とにかく、人を騙してはいけないというのは俺の信条の一つではある。
つまりその観点から行くと、俺は今、1人の少女を騙している事になる。
別に意識して騙す事になったわけではないが、事実を言わない以上、騙している事と同義な気はする。
「お兄ちゃん、どうしたのぼーっとして」
「ん? あ、ああすまない。考え事をしていてな」
今俺はアイファに勉強を教えている。
アランは最近、家の外に興味を持ち始めたのか、よく理由をつけては外に出かける。今日もリリスの買い物についていったようだ。
かといって、勉強や剣術も充分頑張っているので、俺としては良いことだと思っている。
アイファは、家――――というか俺と一緒に居たいようで、アラン程積極的に外出することはない。
相変わらずのお兄ちゃん子である。
特に最近は、アイファかリュデと一緒に過ごす時間が多い。
というか、学校が俗にいう『春休み』であり、そもそも家にいる期間が長いのだが。
ヤヌスの学校では、2年生から3年生に進級する際、1か月程の春休みが与えられる。
俺も、もう3年生ということで、春休みの真っ最中というわけだ。
去年―――つまりは1年生から2年生に上がるときは、春休みはなかった。
これは、1年生から2年生に上がる際にクラス替えがないから、というのもあるが、1,2年生は、上級生と比べて卒業に絶対必要な必修授業を受けなければならないため、その分、スケジュールに余裕がなく、長期の休みを設けることが難しいというのもある。
3年生からはクラスがなくなり、取りたい科目を自分で選択して履修する事になる。
選択する授業の自由度が増え、時間割も自分の好きなように決めることができ、ゼミ活動や、就職活動・研修、趣味など、学業以外にも没頭することができる。
もちろん、上級生にも最低限、取らなければならない単位数は存在するが、下級生と比べればその量は少ない。
この春休みは、自分で単位やゼミを考え、新生活に向けて準備をするためにあり、また、2年間お疲れ様、という学校側からの慰労の意味もある休みだ。
俺も着々と新学期の準備は進めている。
とりあえず履修科目は多めに取ることにしていた。
上級生から受けられる科目には専門的な科目が多く、俺自身、興味があったものが多いというのもあるが、何個か落とす可能性も考えると多めに取っておくに越したことはない。
また、ゼミも3つほど掛け持ちすることにした。
履修した科目や、ゼミの内容はまた紹介するが、とにかく、今までの学校生活とはまた違った生活を送ることになるだろう。
そんなことを考えていると、天使―――じゃない、妹のアイファが怪訝な顔をしていることに気づいた。
「あーまたボーッとして、ひょっとして、この間ヒナちゃんとデートしたときに何かあった?」
う、我が妹はエスパーなのか?
転校する話しかしていないはずなのだが。
「い、いや、特に何もないさ」
「ふーん、ならいいけど。もう、エトナちゃんといい、ヒナちゃんといい、要注意なんだから」
エトナ、と聞いて俺は内心ギクッとしてしまう。
ヒナと最後に別れて以来、俺はエトナに会っていない。
あれから終業式やら表彰式やらで忙しく、こちらから出向く機会がないままに春休みが訪れてしまった。
まあ休み中に遊びに来るだろうと思っていたが、既に休みは残り1週間というのに、エトナがバリアシオン家を訪れることはなかった。
彼女も進級の準備などで忙しいのかもしれないが・・・・。
――――よし、今日はこちらから出向いてみようか。
「ねえーお兄ちゃーん。勉強終わったから遊ぼー」
よしよしアイファは可愛いな。
でもすまないな、お兄ちゃんは男の甲斐性を証明しなければならないんだ。
「いやごめんよアイファ、今日は午後にやることがあるんだ」
「えー、折角アランがいないから2人きりなのになー」
「はは、今度遊んでやるからさ」
「約束だよ?」
「ああ、約束だ」
そういってアイファと談笑しつつ昼食をとり、家を出る。
目指すはエトナの家、ドミトリウス家だ。
● ● ● ●
ドミトリウス家はバリアシオン家のすぐ近くにある。
簡素な住宅街を通り、10分ほど歩いたところだ。
バリアシオン家と同じく、下級氏族であるウイン氏のドミトリウス家は、貴族としては小さい屋敷だ。
まあ、俺の感覚からすると大屋敷であるのだが、どうもこの世界での建物の規模は前世が全く参考にならない。
門の前に来ると呼び鈴を鳴らす。
呼び鈴は魔道具であり、鳴らすと、屋敷中に繋がれた細い『魔鋼』を伝って音が部屋に巡っていくという。
俺もたまに魔道具作成はしているのだが、やはりこれほど大掛かりな魔道具を作るには、《付与》ではなく、金細工技術が必要だ。なかなか手が出ない事である。
もちろん呼び鈴といっても、流石に前世の世界のように、通話機能やカメラ機能は付いていないため、呼び鈴を鳴らすと大抵家の人が直接出て来る。
「はーいお待たせしまし・・・・あらアル君、珍しいわね。エトナに用事?」
出てきたのは黒髪の美人さん―――エトナの母だ。
下級貴族は使用人が少ないことが多いので、こうして当主の奥方が直接出てくることも珍しくない。
「お久しぶりです。はい、エトナとちょっと話したいことがありまして」
「あらまあ。多分部屋にいると思うわ、上がってちょうだい」
美しい黒髪を棚引かせながらエトナの母はドアを開け、俺を招き入れた。
この世界の貴族宅の内装はどこも似たようなものだ。
石造りの壁は所々窓が付いており、夏は基本的に開けっ放しだ。
床はキレイなタイルで舗装されており、常に掃除され、清潔さが保たれている。
廊下を進んで行って3つ目の扉の前でエトナの母は止まり、中に声をかける。
「エトナ、アル君が来てくれたわ。入れるわよ?」
「え⁉︎ アル君が⁉︎ ちょっとまって!!」
中から慌てたような声が聞こえ、ドタバタと音が聞こえる。
―――5,6分後。
「お、お待たせ、どうぞ」
内側から扉が開き、エトナが俺を部屋に招き入れた。
● ● エトナ視点 ● ●
エトナはここのところ混乱していた。
数週間前、カフェで偶然ヒナと出会い、思わぬ邂逅をしてしまった。
こちらから高らかに宣戦布告したつもりが、逆に彼女に火をつけてしまったらしく、向こうからも宣戦布告をされてしまった。
実際エトナは以前から、ヒナはアルトリウスのことが好きなのではないかと予想していた。
そういう意味では、カフェでの問答により疑問が解けて、スッキリした、という思いもある。
それに、ヒナはエトナがエドモンに誘拐された時、アルトリウスと一緒に自分を助けてくれた人間だ。
恩人である。
そんな色々な要因が重なり合ったからだろうか、アルトリウスのことが好きだと公言したヒナに対して、エトナは敵対心というよりは、『同類である』、という仲間意識が芽生えた。
これから、アルトリウスを巡って、この人と戦っていくんだろうな、と、確信が持てた。
そんなときだった。
エトナは、ヒナが転校するということを知った。
それ以来、ヒナに対するエトナの感情は、どこか複雑なものとなった。
いなくなるというディスアドバンテージ。
風の噂でヒナがアルトリウスにテストで勝ったという話を聞く。
――――かっこいいなぁ。
エトナは思う。
アルトリウスの凄さは自分が1番よく知っている。
どんな事にも手を抜かず、どんな事でも1番になる。
それがエトナの知っているアルトリウスだ。
そのアルトリウスに、ヒナは勝ったのだ。
エトナがアルトリウスに対し、その後ろからついて行こうとしているのと対照的に、ヒナはアルトリウスのすぐ隣で共に歩こうとしたのだ。
エトナにはできない芸当だと思う。
アルトリウスを想う気持ちが負けているとは思わない。
でも、自分にできない方法でアルトリウスへの愛情表現をしたヒナを、エトナはどこかで認めていた。
しかし、もうミロティック家が東に発ったという話は聞いた。
ヒナはもういない。
エトナだけがアルトリウスのそばにいることが出来る。
だからこそ、エトナは混乱していた。
――――これはフェアだろうか?
そう考えてしまっていたのだ。
ヒナに対する嫉妬、敵対心、尊敬。
それが入り混じって、この一ヶ月どこかアルトリウスに遠慮してしまっていた。
● ● ● ●
アルトリウスが珍しく、エトナの家を訪問した。
向こうから来ることなんて想定していなかったので、部屋は散らかり、服も完全に寝巻きだった。
―――やばいやばい!
好きな人が家に来る、という高揚感もあったが、それにしてもこんな部屋と自分を見せるわけには行かない。
急いで着替え、部屋の掃除をして、見られてはいけないようなものを隠し、アルトリウスを招き入れた。
「―――久しぶりだな。突然お邪魔して済まない」
言いながらアルトリウスは、エトナの部屋を眺める。
「随分と部屋の雰囲気が変わったな」
幼年期の頃はよくカインと3人で遊んだ部屋だが、今では内装もガラリと変わり、年相応の部屋になっていた。
「そうだね、アル君が来るの、凄い久しぶりじゃない?」
「ああ、昔はよくカインと遊びに来たものだが」
置いてあった椅子に座りながらアルトリウスは答える。
エトナは側にあるベッドに腰掛ける。
するとまもなく、コンコンと扉を叩く音がして、母がエトナの部屋に入って来た。
「はい、飲み物とお菓子よ~。アル君は紅茶でよかったんだっけ?」
「はい、お気遣いどうも」
母は飲み物とお茶の入ったカゴを机に置き、そそくさと扉に向かう。
「お邪魔しました~。あとは若い者2人でごゆるりと~」
そう言って出て行くかと思いきや、余計な一言を付け足して行く
「――――あ、エトナ、避妊はしっかりするのよ?」
「ぶっ!!!」
アルトリウスは口に含んだ紅茶を吹き出してしまった。
「ちょっと! お母さん!」
エトナも顔を真っ赤にして叫んだものの、母はどこ吹く顔で扉を閉めて立ち去ってしまった。
「ごめんねアル君。うちの親のせいで服が・・・・」
アルトリウスの服は紅茶まみれだ。
タオルで彼の服を拭く。
「いや、いいんだ。気にするな。うちの親も似たようなものだしな・・・・」
苦笑しながらアルトリウスは再び紅茶を口に含む。
エトナも座り直し、カップを手に取る。
「避妊といってもまだ俺に精通は来ていないんだがな」
「ぶっ!!!」
何気なく呟かれたアルトリウスの一言に、思わずエトナが吹いてしまった。
「―――そうか、流石にもうわかる年齢か・・・」
しまった、という表情でアルトリウスは言った。
精通についてエトナが知っていた事だろうか。
でも学校の保険の授業でも習うものだし、最近の女子会はもっぱら、彼氏のブツが大きいとか、彼氏のパンツが子供っぽくてキモいとか、そういう下ネタが話される。
性についての知識は皆把握しているのだが。
「すまないな、失言で君の服まで汚れてしまった。部屋の外に出ているから着替えてくれ」
そういうとアルトリウスは部屋から出て行ってしまった。
彼に見られる分には、着替え程度全く構わないのだが、11歳にしてこの紳士ぶりこそ、アルトリウスらしいな、と思う。
予想外のゴタゴタはあったが、エトナは着替え終わり、お菓子などを食べつつ学校の選択科目や、ゼミの話に花を咲かせた。
暫くして、アルトリウスはこちらに向き直ると、唐突に話し始めた。
「―――それで、今日わざわざ来た理由についてだが」
なんとなく、真剣な話であるというのがわかる。
「ヒナが転校するというのは知っているかな」
ヒナという名前を聞いて、エトナは内心、ギクっとした。
最近の自分の悩みのタネの一つだからだ。
嫌な予感や、嫌な想像が、エトナの頭をよぎる。
エトナは平静を装いつつ答えた。
「―――うん。ミロティック家が引越しするっていうのは聞いたよ」
「ああ・・・・そうなんだが・・・・その・・・・」
アルトリウスは多少言いにくそうにしながら言葉を濁す。
そして一呼吸空けると、意を決したように話し出した。
「転校する前日、ヒナに告白された」
「そう・・・・なんだ」
自然とエトナに驚きはなかった。
カフェでのヒナを見て、そして転校を知って、彼女は気持ちを伝えているだろうと思っていた。
アルトリウスはつらつらとその時の話をしだした。
好きだと言われたこと。
キスをされたこと。
成人後に一緒になりたいと言われたこと。
そのためなら、家も氏も捨てるということ。
そして、アルトリウスがそれを承諾したということ。
エトナは言葉を失っていた。
悲しくて、とか、悔しくて、とか、そういう理由ではない。
ただただ、ヒナ・カレン・ミロティックという人間に圧倒されていた。
アルトリウスを想うという気持ちでは負けていないかもしれない。
でもヒナほど大きな枠で彼との関係を考えたことがあっただろか。
女としてではなく人間の器で圧倒された。
エトナはそう思った。
「俺は、来たるべき時、エトナがまだ俺のことを想ってくれていたならエトナの気持ちに答える気でいた」
ふいにアルトリウスが話し出す。
「しかし、どうしてもヒナのこの気持ちも蔑ろにはできなかった。ヒナも、俺にとっては大切な人間だ」
「この件で君が俺に愛想を尽かすと言われても、仕方のないことをしてしまった、と思う。ヒナを受け入れるというのは、今までの君の好意を裏切ることになる。本当にすまない」
アルトリウスは頭を下げる。
「アル君・・・」
「でも俺はヒナが好きだ」
「え・・・」
嫌な想像が巡る。
もしかしたら、アルトリウスは別れを言いに来たのではないか。
ヒナのことが好きだから、もうエトナの事は受け入れられないと、そう言うのではないのだろうか。
そんな想像が頭をよぎり、泣きそうになったが、
「そして、エトナ、君のことも好きだ」
間髪入れずにアルトリウスが言った。
堂々とした二股宣言だ。
「俺は君たちを―――等しく愛することを誓える。だが、君が、もうこれで俺のような二股男に愛想を尽かせてしまうなら、この気持ちは忘れ、君とはただの友人。―――いやそれではムシが良すぎるな。望むなら2度と顔を出さないと約束・・・」
――――そっか、アル君は・・・・そうだもんね。
「アル君」
エトナはアルトリウスの話を遮る。
ヒナにしろ、アルトリウスにしろ、何故これほど潔く、器が大きいのだろうか。
答えは決まっていた。
エトナは正面に座るアルトリウスの顔を真っ直ぐ見る。
アルトリウスは何か言いたそうな顔をしている。
物憂げな表情だ。
――――かっこいいなぁ。
あまりに凝視すると、彼の整った顔に見惚れてしまう。
「アル君、目瞑って?」
「え? あ、ああ」
エトナが催促すると、戸惑いながらアルトリウスは目を瞑る。
そしてエトナは、今まで正面に立っていた位置から、アルトリウスの隣に移動する。
むず痒そうに目を瞑って正面を向くアルトリウスの顔をこちらに向ける。
「―――エトナ?」
エトナはそのままアルトリウスにキスをした。
「んっ・・・・」
アルトリウスは一瞬呻くが、抵抗はしない。
薄いが、柔らかく、甘いアルトリウスの唇。
いつまでも触れていたかったが、エトナはすぐに唇を離した。
「目、開けていいよ」
そういうとアルトリウスは目を開く。
面食らった顔をしている彼に、エトナは話しかける。
「アル君」
「はい」
「これでおあいこね」
「はい?」
「先に抜け駆けしたのはミロティックさんだもん・・・・」
「エトナ・・・・」
アルトリウスがヒナを好きだと言ったことはそこまで不快ではなかった。
その直後に自分を好きだと言ってくれたからかもしれない。
そもそもエトナの答えは決まっている。
アルトリウスに拒否されない限り、どんな事があっても彼を愛する。
エトナはそう心に誓っていた。
他に好きな人がいるにせよ、アルトリウスは自分を好きだと言ったのだ。
愛想を尽かす?
そんなわけがない。
たとえ100人他に女がいようと、アルトリウスが拒絶しない限り、エトナは彼を想い続ける。
その程度で愛想を尽かす程度の想いじゃない。
「アル君」
「はい」
「アル君からチューしてくれたら、ミロティックさんとのこと許してあげる」
「え、―――い、いいのか?」
「うん」
「・・・そうか」
アルトリウスは既に隣に座っていたエトナの腰に手を回し、自分の方に近づける。
心なしかアルトリウスの顔は赤面しているように見えた。
―――アル君でも恥ずかしがることあるんだ。
アルトリウスはエトナの顎に右手を当て、自分の方に引き寄せる。
アルトリウスの顔が目の前にくる。
「ん」
エトナの唇に、先ほどの柔らかい感触が広がる。
柔らかくて、そして暖かい。
数分間、あるいは数十分間経ったかもしれない。
エトナはアルトリウスから唇を離した。
「アル君」
「なんだ?」
「大好き!!」
そう言ってエトナはまたアルトリウスにキスを浴びせた。
男の甲斐性なんて存在しないんです。
いつだって男は、女の心の広さに甘えてるんです。
読んでくださり、ありがとうございました。合掌。




