第250話:南下道中②
「――やっぱり……全然見えない」
アルトリウスが去って暫く経った深淵の谷―――。
地下深くに作られた居住区の一室。薄暗い部屋で、黒髪に黒ローブの少女、ウルはかぶりを振った。
「そうですか……」
言葉に、正面に座っていた緑髪の青年、だるまイヤーは目を伏せる。
「ええ、残念だけど」
占い――。
たった今、ウルは、ダルマイヤーを占った。
――ゾラが生きているか。生きていたとしたら、どこにいるのか。
それを調べようとしたのだ。
しかし――結果は何も示さなかった。
元々――ウルの占いはそれほど万能な物ではない。
占う相手がそれを求めれば求めているほど色濃く結果が出るが、逆に本心から知りたいと思う物でない限りは殆ど何も示さない。
おまけに自分には使えないというのだから、ウル自身がこれを「占い紛いの事」と称するのも分からない事はないだろう。
勿論、占いが失敗しているという可能性もあるが、ダルマイヤーが師の居場所を求めていないという事はないだろう。
やはりゾラはもうこの世にいないと考えた方が現実的だ。
「―――」
目を伏せるダルマイヤーを見ながら、ウルは肩を竦め、思惑していた。
アルトリウスがここを訪れ――ウルの身体が元に戻ったあの日。
めでたいはずだったその日は――ダルマイヤーの報せた事によって一変した。
――ユピテルの権力者ラーゼンの死。
それだけでも衝撃的であるのに――ゾラという男の死までが伝えられたのだ。
魔断剣ゾラという男は、ウルにとってもそれなりに縁のある男だ。
かつて自分で「才能はないから諦めろ」と突き放した事は今でも覚えている。別に、その時の判断を撤回する気はない。
ゾラはその後強者の域にまで達したかもしれないが、結局「魔法使い」にはなれなかったのだ。
それでも――おそらく15か16になった彼と再会したときに、思わず、「ルシウスという名前を知っているか」と聞くほどには―――ゾラの成長はウルを驚かせた。
別段、ウルはゾラと長く行動を共にすることはなかった――というか、彼が自然とウルを避けていたようにも思えるが――ともかく、その程度の交流であったウルですら、ゾラの死というのは衝撃的な物であったわけだ。
ユリシーズの受けた衝撃は、それとは比較にならない物であっただろう。
――あの子には悪い事をした。
弟子として幼いユリシーズを引き取ったはいいものの、ウルが彼女に教えられたのは魔法だけだ。
幼い子供に必要な家族の暖かみや愛情は――少なくともウルが与える事の出来る物じゃなかった。
自身の生い立ちにも関係して、ウルは「家族」という言葉には一歩引きがちである。
そんな中で――ユリシーズに物おじせずに接してきたゾラという男には、本当に感謝している。
彼がいたからこそ、ユリシーズは人の暖かさや愛情を知る事ができたのだ。
「――ユリシーズ……」
心配そうに、ウルは呟いた。
あの日以来……ユリシーズは部屋にこもり切りだ。
物も食べずに、ずっと……。
気持ちはわかる。
彼らが出会ってからもう70年だ。
半生を共にしたとか、そういう次元じゃない。
「……そうですね。本当に……ユリシーズ殿にはなんといったらいいか」
ウルの呟いた声が聞こえたのだろう、ダルマイヤーが反応した。
彼も、ユリシーズとゾラの関係の事はよく知っているだろう。
「ダルマイヤー、仕方のないことよ。自分を責めるのはほどほどにしなさい。ゾラがすぐに貴方を逃がす判断をしたという事は―――貴方が多少強かったところで、どうにかなる問題じゃない」
「……はい」
達人の域。
ダルマイヤーはまだまだその域には達していない。
無論、年齢にしては高い実力を備えていることは確かだが、ゾラや八傑の武人とやり合うには、数段階は上の力を身に付けなければならないだろう。
「ユリシーズも……大丈夫。アレでいて、何度も危機を乗り越えてきてる。時間はかかるかもしれないけど……いずれ立ち直ると思う」
「……はい」
と、ダルマイヤーには言いつつも――目線はユリシーズの眠る部屋の方へ行く。
よく考えたらその「危機」には、いつも傍らに、何本も剣を携えた男がいたような気もしないでもない。「本当はあの人の方が《八傑》に相応しいと思うんですけどね~」なんて事を、ユリシーズはよく呟いていた。
もしかしたら、このままずっとふさぎ込んで――自殺でもしてしまうんじゃないか。
そんな悪い予感が、なんとなくウルを襲った。
と、ここで―――
『―――しかし、すぐに立ち直って貰わなければ困るのだろう?』
部屋に響くような声が――発せられた。
同時に視界に入るのは、禍々しく光る水晶玉より、淡い煙のように現れた―――黒い猫だ。
「……ルフス――」
『うむ』
そう呼ばれた黒い猫――闇の精霊ルフスは、尻尾を振りながら宙を舞い―――ウルの肩へちょこんと乗った。
「―――へ!? ね、猫? いったいどこから……」
正面では、ダルマイヤーが顔を上げて素っ頓狂な声を出していた。
突然現れた精霊――もとい黒猫に驚いたのだろう。
『――ふむ、ゾラの弟子を見るのは久しいな……。精霊ルフスである』
黒猫はあくびをしながら声を発した。
「せ、精霊ですか……。これは失礼を。その――他の精霊の方と比べると……少し可愛らしかったので」
『ふん、普段から魔力を垂れ流しっぱなしのだらしない奴らと一緒にするな』
ルフスは舌でぺろぺろと毛づくろいをしながらそう言った。
確かに見た目は、他の精霊と比べると覇気はない。
「ダルマイヤー、他の精霊を見たことあるの?」
「はい。アウローラにいたころ……ユリシーズ殿に見せていただきました」
「そう」
ダルマイヤーとゾラは、一時期ユリシーズと共に行動をしていた。
何かで見せる機会もあったのだろう。
別に一子相伝の魔法とかにしているわけでもない。
そこで、ダルマイヤーが不思議そうに尋ねてきた。
「しかし……詠唱していたようには思えませんでしたが、いつ召喚したので?」
『精霊召喚』は失伝―――つまりは、詠唱の必要な類の魔法だ。
ウルが詠唱をしていなかったので、気になったようだ。
「――ルフスはこの《魔水晶》を介して――常時召喚しているから。まぁたまに消えるけど」
ウルは手元で不気味に光を放つ水晶玉を差してそう答えた。
「《魔水晶》?」
「――100年ほど前に見つけた―――古代に初代『摩天楼』スカーレットが使っていたという水晶。魔力を保有する魔鋼とは違って――魔力を生産する水晶」
「ほう……」
興味深そうに、ダルマイヤーは水晶を眺める。
まぁ口で言うほど万能な物ではないが、一般で手に入るような物でもない。
分かる人なら、億単位の金で買い取るだろう。
先日、白魔鋼を集める際、これも質に入れるか迷ったものだ。
「それで―――ルフス、ユリシーズに立ち直って貰わなければ困るって?」
そんな水晶玉から現れた黒猫に、ウルは尋ねた。
何も用がないのに出てきたわけではないだろう。
黒猫のルフスは、毛づくろいをやめて、首をウルに向けた。
『……そなたが自分で言ったのではないか。あの少年に―――「気になる事がある」とな。大方――昔の占いのことだろう?』
あの少年――アルトリウスと別れる際、「気になる事があるので、帰国前に立ち寄れ」という旨を伝えた。
「……まぁ……そうね」
ウルは頷いた。
そう、それは――実際、気になる事があったからだ。
彼がアウローラへ行くなら……いや、再びユピテルで内戦があるのならば、起こるであろう事。
それにはきっと、ウルの――ウル達の力が必要になる。
「……あの、占いとは?」
水晶玉を見ながら話を聞いていたダルマイヤーが首をかしげた。
彼が知らないのは当然だ。
「それは……―――!」
と、が説明しようとしたところで――ウルは眉を寄せた。
「……どうかしましたか?」
ダルマイヤーに、ウルは少しため息を吐きながら答えた。
「―――来客。思ったより――早かったわね」
● ● ● ●
程なく――扉から現れたのは、1人の少年だった。
「―――案の定、久しぶり――でもないな」
焦げ茶色の髪に、焦げ茶色の髪。
引き締まった体躯に、身軽そうな皮鎧。
腰に下げられた黄金の柄の剣。
予想通りの人物だ。
「アルトリウス……。早いわね」
ウルにとっては恩人であり――父ルシウスと縁の深いらしい、異世界からきた少年――アルトリウス。
約束通り、立ち寄ってくれたようだ。
「――ああ、こっちは結構スムーズに進んでさ」
身振りで椅子を指すと、彼は少しせわしなく席に着いた。
「ラーゼンが死んだっていうのは……既に王都でも噂になっていたよ。ゾラの事やフードの剣士の事は何も分からなかったけど」
アルトリウスは手短に、王都での事を説明した。
王都で既にラーゼンの死とその犯人が妻だという事が、様々な尾ひれをつけて噂になっていること。
速やかにクロイツ一門や女王と話し合った事。
「――まぁ、噂になるって言っても―――王国じゃユピテルの事は所詮《他国》の事だし、そんなに深刻そうに話しているわけじゃなかったが……リーゼロッテ陛下には、王国も気を付けるよう言っておいた」
「そう」
王国も気を付けろ――。
彼がそう言うのは、ユピテルの事の陰には《神族》が絡んでいると睨んでいるからだろう。
《神族》の目的がユピテルだけと楽観視はできない。
「それで――俺たちは、アウローラへ向かうことにした。最悪の事態――内戦が起こるかは分からないが、奴ら――《神族》が関わっているなら、確実にユピテルで何かが起こる。それを――何とかして止めたいんだ」
どこか覚悟を決めたような面持ちで、少年は告げた。
「まぁそれで――ここには、ヒナを無理やり丸め込んで飛んできたんだ。正直あんまり長居はできないんだけど―――」
彼の目がウルへ向く。
「その―――俺の力になれるって言っていたよな? それは――いったいどういう意味だ?」
言葉を選びながら彼は尋ねた。
急かしてしまって、申し訳ない、といったところだろうか。
「そうね……結論から言えば――私も同行するという事なんだけど。これには――理由がある」
「……理由?」
そう、理由がある。
長らく感じていた予感と――予想。
それを加味すると――ウルは彼と共にアウローラへ行かなければならない。
ウルは少し間を空け……言った。
「だって……内戦は――確実に起きるから」
「―――!」
アルトリウスの表情が強張る。
「どうして断言できるんだ?」
当然の疑問だろう。
内戦とは――想定される《最悪の事態》なのだ。
最悪にならない可能性もある。
アルトリウスの言葉を受け止めるかのように、ウルは目を閉じ、
「……昔――まだ貴方が生まれる前。私は……ある1人の男を占った」
そう――思い出すように語り始めた。
「傲慢な男だった。たった1人で国を滅ぼし、自分の為に世界中の強者に挑んで回った――傲慢な男」
「……」
アルトリウスもダルマイヤーも黙って聞いていた。
「――幾度にも及ぶ戦いの中、彼は一度も倒れなかった」
当時名を馳せていた英雄英傑のほとんどは、彼によって亡き者にされた。
――『世界最強』。
嫌でも世界中の人々に、彼の名は記憶された。
「そして――この世に挑む強者がいなくなったとき、彼は殺戮をやめ――私を訪ねた」
当初はウルにも戦いを挑むのかと思った。
だが――違った。
彼の求めたのは――『占い』だった。
ウルは了承した。
「……彼は尋ねた―――『俺よりも強い者が存在するか?』、と」
強さを求めた――というよりは強き者との戦いを望んだ彼の――心の奥底から出た願望だろう。
―――占いは答えた。
「『――そなたより強い者は存在しない。しかし――そなたを倒す者は現れる』……」
「……」
アルトリウスの目が、少しだけビクリと震えた。
ウルは続ける。
「……男は言った。『それはいつだ?』と」
世界最強と言われた彼を倒す者が、いつ現れるのだ、と。
それは――
「『――ユピテルが、二つに割れるとき――』……。私はそう答えた」
ダルマイヤーもアルトリウスも――ごくりと、息を飲んだことが分かった。
「確かに、一年前――ユピテルは二つに割れた。天剣シルヴァディを相手に、彼は戦争に勝つことはできなかった。でも―――彼は倒れはしなかった」
――倒す。
それは抽象的な物ではない。
真の意味で―――殺すという事だ。
「だから、この先、ユピテルは再び二つに割れる。そして―――その場に、その男は現れる」
静かに――ウルは言い放った。
「――『軍神』……ジェミニが」
「―――」
しばしの間――静寂が流れた。
ダルマイヤーはこの話に驚くかのように目を見開き、アルトリウスはどこか考え込むように目を細めていた。
「もちろん、今回ではないという事もできる。遥か未来に、再び二つに割れる時が来るのかもしれない……。でも――ジェミニの寿命と『倒せる可能性』を考えたとき、今回以外には考えられなかった」
ウルはそう補足した。
「……ウル」
アルトリウスが顔を上げる。
「その戦いで―――ジェミニを倒すのは……俺か?」
真っ直ぐと……焦げ茶色の瞳が揺れていた。
動揺――というよりは、より決意を固めようかとするように、揺れていた。
「……そうよ。でも――少し違う」
「――違う?」
ウルの肯定とも否定ともとれない言葉に、アルトリウスは怪訝な声を出した。
「……ジェミニを倒すのは貴方。でも――貴方だけじゃない」
そう呟き、ウルは目を閉じた。
正直言えば――占いでアルトリウスが出てきたわけじゃない。
誰がその相手かなんてわからなかった。
だから、これは――ウルの予想だ。
ずっと思っていた疑問と、積み重ねた物、そして事実が合わさって辿り着いた、ウルの予想。
「――貴方が現れてから……ニルヴァーナの滴を手にしてから、私はずっと考えていた」
ゆっくりとウルは言葉を紡ぎ始めた。
「どうして父は……ルシウスは、私を200年もの間、生き長らえさせたのか。どうして私が不老不死になる必要があったのか」
「それは――」
「本当にニルヴァーナの滴を壊すため? それだけなの? わざわざそのために――200年が必要だった? 命を懸けてまでこんな形にする必要があった? 別に私じゃなくとも――白魔鋼か何かに付与すればよかったんじゃないの? だってそれが――貴方に届きさえすればいいのだから」
少し早口で、疑問をぶつけた。
そうだ。
こうである必要はなかった。
ウル自身がニルヴァーナの滴を手にし、それを解析したからわかる。
わざわざ人の身体に『不老不死』を埋め込む必要はなかったのだ。
ルシウスが、嫌がらせをしようとしたのかとも思った。
でも、単なる悪意と断じるには――いささか抵抗があった。
アルトリウスの話にも矛盾が生じる。
「だから考えた。もっと……もっと何か意味があったんじゃないかって。この200年、私が魔法を研鑽し続けてきた――その意味が」
ゆっくりと、ウルは目を見開いた。
「―――アルトリウス」
そして、少年の名を呼びかける。
「貴方だけじゃない。私だけでもない。私達で……軍神を倒すの。きっとそれが―――運命よ」
「―――!」
アルトリウスの顔が――驚愕に変わった。
まさか、とでも言わんばかりだ。
「えっと……まぁでもそのためには、あの子の助けも必要なんだけど―――」
と、ここで……ウルは彼女の事を思い出した。
そう、それには――彼女と、彼女の弟子の力もいるのだ。
『彼女には立ち直ってもらわないと困る』というのは、そういう理由だ。
だが、流石にあれほど弱った状態では連れてはいけない可能性が……。
そう、ウルが思った瞬間。
「―――行きますよ」
凛とした――声が響いた。
「―――!?」
皆の目が、奥の廊下へ向く。
その先にいたのは、桃色の髪の妖艶な美女……ユリシーズだ。
「ユリシーズ、その恰好は……」
ウルはそのユリシーズの装いに、目を見張った。
ユリシーズが着ていたのは、部屋義ではない。
戦闘でも使うような機能性重視の魔法士用ローブに荷物を背負う―――完全に旅装だ。
「――ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「もう――大丈夫……なの?」
「大丈夫―――ではないかもしれませんけど」
ユリシーズの目元には、泣きはらした跡がまだ残っている。
「でも、もう分かってますから……。もうアイツは――いないって……」
「ユリシーズ……」
「だから、大丈夫です。私の力が必要なんでしょう? だったら行きますよ。私も――知りたいんです。アイツが戦った物がなんなのか――。この世界の……混迷の真実を」
桃色の髪を揺らしながら、ユリシーズは真っすぐと師を見つめ、そう言った。
「――わ、私も行きます!」
机の淵で、ガタっと音を立てて青年が立ち上がった。
「……ダルくん……」
「……私は――皆さんと違ってまだまだ未熟者だ。最後まで師に迷惑をかけた半端者だ。でも……私も知る義務がある。いったい誰が師匠を殺したのか―――。復讐なんかじゃなく――ただあの人の弟子として――恥ずかしくないように……!」
ダルマイヤーがそう言い放ったところで、視線がアルトリウスに集まった。
焦げ茶髪の少年はまだ少し放心したようだったが、視線に気づき……すぐに真顔になる。
「……3人とも――本当にいいんだな?」
その言葉に、3人は目を見合わせる。
そして、迷う事はないとばかりに頷いた。
「そうか……」
そういいながら、アルトリウスは立ち上がった。
「じゃあ――行こうか。全ての――決着をつけにさ」
そして、一行は深淵の谷を発った。
まだ見えぬ戦いの予感を――ひしひしと噛み締めながら―――。




