第248話:王都を発つ②
明けましておめでとうございます。
その夜。
俺は自室で1人、ベッドに横になっていた。
「……リン、いるか?」
「―――なに?」
呼びかけて現れたのは、灰色の髪の少女―――リンドニウムだ。
ここのところはあまりゆっくり話す暇はなかった。
「これで――いいんだよな」
「これでって?」
「アウローラへ行くという事。その――内戦が起きるという前提でさ」
すると、リンドニウムは考えこむように視線を揺らす。
「……いいか悪いかは私には分からないわ。赤毛のお嬢さんとそのあたりはよく話し合ったんじゃないの?」
「まぁそうだけど……ほら、神族が関係しているとなると色々と不安だからさ」
「不安って?」
「きっと違うとは思うけど――もしもマティアスでなく、オスカーが奴らの協力者だったらどうしよう、とかさ」
「……聞いた限りなら――オスカーはあり得ないと思うけど。オスカーに手が出せるなら初めからそうしているはず」
「……うん。それはわかってるけど」
どちらの味方をするかわからないとか言いながら――もしもオスカーを相手にしたとき、俺は剣を振れる自信はない。
行ってみても……場合によってはそのまま帰ってくる可能性だってある。
「……内戦、起こるかな」
「さぁ、それは……分からないけど」
彼女は首を振った。
それはそうだ。
彼女に見えるのは過去だけ。
未来なんて物は誰にも分からないのだ。
「でも――この内戦、もしも『神族』が勝利するようなことがあれば……次は内戦なんかじゃすまなくなると思う」
「……そうだな」
いわばこれから起こる戦いは、ユピテルの雌雄を決する戦いだ。
オスカーか、マティアスか――。
ラーゼンという指導者の後継者として、相応しいのはどちらか。
勝った方が、今後のユピテルを率いていくのだろう。
そして――それがもしもマティアス……『神族』の勝利に終わった場合、それは内戦なんかじゃ終わらない。
ユピテルを内戦により制した。
では次は?
簡単だ。
王国を――世界を制覇し始めるだろう。
――『世界大戦』の始まりだ。
結果何が勝とうと、世界は荒れ果て、人々は混乱と混迷の渦に身を置くことになる。
神族の思うツボだ。
考え込んでいると、ふとリンドニウムが言った。
「でも――少しだけ安心してる」
「安心?」
「貴方がラーゼンの死を聞いても、落ち着いて一度王都に戻る決断をしたこと……。赤毛のお嬢さんが言ったように――貴方が1人でアウローラへ行くって言いだしていたら、私も止めるつもりだったから」
どうやら、リンドニウムも――俺がそのままアウローラへ飛んでいくと思っていたようだ。
俺としても、迷ったことではある。
たとえ俺だけでもオスカーの元へいち早く駆け付けるべきじゃないか。
少なくとも俺には、『八傑』と戦えるだけの力があるのだ。
「……正直迷ったけど―――。そんなにマズいか? 正直……俺1人でも数千人分の戦力にはなると思うが」
「でも貴方は1人。二方面の相手はできないでしょ?」
「二方面?」
「敵が――ヤヌスからだけ来るとは限らない」
「……」
ヤヌス以外……。
王国はないとして――カルティアや、フェルメニア?
カルティアはマティアス勢力圏だからともかく、フェルメニアが何かをするとは思えないが……。
「――フェルメニア国王は一度会ったことがあるけど――かなりの野心家だった。多分、前回の内戦で介入しなかった事も後悔しているはず。次があるなら――確実に介入してくる。神族が関わっているなら、なおさら」
「フェルメニア国王が、神族の協力者だと?」
「その可能性も全然あり得る」
「そうか……」
流石にそこまでは俺にも分からない。
フェルメニアはアウローラ以東にある中規模な国だという記憶はあるが、俺には精々学校で習った程度の知識しかないし、現在の国王と会ったこともない。
確か――60数年ほど前にユピテルに敗北し、それ以来は不可侵を貫いていた国のはずだが……。
「それに――」
俺に思考をよそに、リンドニウムは言葉を続ける。
「――もしも『彼』が出てきた場合は、流石にどうにもならない」
「……彼?」
「軍神、ジェミニよ」
「――――!」
「貴方も分かっているでしょ? あの男の強さは――言葉で測れるような物ではないってことを」
軍神ジェミニ。
俺にとっては苦い――苦すぎる記憶だ。
大切な師を失い、全てを打ち砕かれた――敗北の記憶。
強さという事象の頂点。
理不尽なまでもの暴力。
ジェミニという男はその権化だった。
「アイツも……出てくるのか?」
「さぁ? アレは『神族』がコントロールできるような部類の人間ではないけど――戦いがあるというだけで、彼は気まぐれに現れるから」
「そうか……」
俺は目を閉じた。
「なぁ……俺が今ジェミニと戦ったとして……勝てると思うか?」
勿論、俺だって――ジェミニという男が出てくる可能性は考えてはいた。
戦いのあるところに軍神あり―――。
ジェミニは戦いの為だけに生きているような男だった。
内戦があると知ったら、出てくるのではないか。
そんな予感だ。
ただ――今なら。
リンドニウムという力を手にした今なら、アイツにも手が届くのではないか。
前とは違う結果を見せれるのではないのだろうか。
少なくとも――セントライトという歴史上稀有な剣客とは勝負になったのだ。
強さの質の違いは分かってはいるが……それでも、もしかしたら、という気持ちがどこかにはある。
しかし、
「……私を使えば――最大出力で五分といったところね。ただ――貴方の魔力が切れた瞬間、勝負は終わり。あの男には魔力切れなんて概念はないから。精霊でも勝負にならないもの」
リンドニウムは静かにそう言った。
「……五分、か」
ずっと――長い間彼を見てきたリンドニウムが言うのだから、間違いはないだろう。
どうにも嫌な確率である。
「――だから、あの時は正直驚いたわ」
「何が?」
「貴方の師――天剣シルヴァディがジェミニと戦ったときの事」
「……!」
「――シルヴァディの剣が、ジェミニの肉を切り裂いたとき、流石に私も――驚きを隠せなかった。少なくともあの時のシルヴァディはメリクリウスすらも越えていたのだから」
メリクリウス……。
前にユリシーズにも聞いた。
歴代の聖錬剣覇でも最強と呼ばれた男だ。
「つい数年前までは白騎士に一歩劣る程度の実力であったシルヴァディが、どうしてあそこまで戦えたのか、どうして絶対領域を破り――あれほどジェミニを追い詰めたのか。私にはわからなかった。実力差はあるのに、どうして、と。『明鏡止水』に入ったからとか――そういう次元の話じゃなかった」
「……」
俺は――実際にシルヴァディの戦いを見ることはできなかった。
きっとあの場で戦いを見ていたのは、この灰色の少女ただ一人だろう。
「――なんて。貴方にとっては……それほど面白くはない話ね」
「……いや。また今度詳しく聞かせてくれ」
気づいたように肩を竦めるリンドニウムに、俺は言った。
確かに結果的にはシルヴァディが負けてしまった戦いの話だ。
でもそれは同時に――俺を救った……俺達を勝たせた人の話でもある。
知る手段があるなら、きちんと聞いておきたい。
「……わかった―――」
そう言って――リンドニウムはうっすらと消えていった。
今後の事についてもう少し話しておきたかったが……まぁ彼女とはいつでも話せるか。
それに、彼女がこういう風に消えるのには理由がある。
俺の私室の扉の前に――人の気配があったのだ。
客だろう。
と言っても、こんな時間に訪ねてくる人なんて限られるが……。
「――アル君、入ってもいい?」
案の定、聞きなれた声だ。
「ああ」
俺は短く答えた。
● ● ● ●
扉から現れたのは、2人の少女だ。
「――失礼します」
「――あ、もう寝るところだった?」
行儀よくお辞儀しながら入ってきたのは、亜麻色のポニーテール……を下ろした少女リュデ。
特に遠慮もすることなく入ってきたのは、いつも通り黒髪ロングの少女エトナ。
どうやら2人で来たようだ。
「まぁ、もう少ししたら寝ようかと思っていたけど」
俺は答えた。
ベッドの上に座っていたので、もう寝るところだと思っただろう。
「そっか、良かった」
そう言いながら、エトナは俺の右側に腰かける。
リュデは左側だ。
いったいどうしたのだろう。
2人とも――いつものように薄着だ。
普段ならこのまま身ぐるみをはがされ襲われていたところだが―――しかし、2人同時に訪ねてくるのは初めてだ。
まさか――3人で?
と、俺は多少どきまぎしていたが、どうやら2人はそういうつもりではないらしい。
怪訝な目で見ていると、エトナが気づいたように説明した。
「えっと、ほら、アル君、明日にはもう行っちゃうんでしょ? だから――できるだけ一緒にいたいなぁって。ね、リュデちゃん」
「は、はい」
俺の左右で会話が飛び交う。
ああ、確かに――来たのはエトナとリュデ。彼女達は非戦闘員――つまりは王国残留組だ。
明日王都を発つ――という事は、既に触れ回っている。
彼女達も、何も言わずに承諾してくれた。
俺が行くことも。彼女達が残る事も。
彼女達と違い、ヒナとシンシアは俺と共にアウローラへ行く。
剣士としても指揮官としても優秀なシンシアに、魔法士として俺以上に完成されているヒナ。
どちらも頼りになる存在だ。
2人がいなければ、俺は既に戦場で命を落としていただろう。
そんなヒナ達と違い――リュデとエトナは、「戦場」で戦う力はない。
連れてはいけない。
「……そっか」
俺は頷いた。
ともかく、これから暫くの間、離れ離れになるのだから、最後の夜くらいは一緒にいたかった、という事だろうか。
俺としては――断る理由はない。
「そうだな。じゃあ――一緒に寝ようか」
そう言いながら、俺は左右の腕で彼女達を傍に寄せ――ゴロンと横になった。
「ひゃっ」
「えへへ、やったぁ」
リュデは少しびっくりしながら。エトナはやけに幸せそうに、俺に身を任せる。
2人の柔らかい感触が、俺の腕を――肩を伝ってくる。
聞こえてくるのは、交互に聞こえる2人の心音だ。
少し大きく弾むのがリュデで、ゆっくりと刻むのがエトナのだろう。
きっと俺の心音も、聞かれているに違いない。
こころなしか早くなっているのはバレているだろう。
来るべき最後の戦い。
知人や友人の安否。
重くのしかかるプレッシャー。
まだ見えていない敵。
まだ見えていない、俺の未来。
もしかしたら、今日がこの2人と過ごせる最後の夜になるかもしれないなんていう、言いようのない不安。
俺が背負うと決めた多くの事。
そんな……俺が心の奥底で感じている不安や葛藤も――彼女達には隠せていないのかもしれない。
「―――」
でも、彼女達は何も言わずに――そっと俺を抱きしめた。
俺がアウローラへ行くということに、彼女達だって何か思うところはあるだろうに……何も言わずに。
俺は目を閉じた。
やけに、ぐっすりと眠れた夜だった。
● ● ● ●
次の日。
俺たちは王都の都市門まで来ていた。
俺の隊100名。
これに加えてクロイツ派の志願者を加えた500名弱ほどの一団だ。
多いように見えて、軍団としては少ない。
フランツなどは、「このメンツなら1万の軍団だって相手にできますよ」なんて笑っていたが、相手にできるかどうかはともかく、相手にはしたくはない。
都市門には多くの見送りが来ている。
多くが、クロイツ派の家族だろうが、中には俺の家族もいた。
「……じゃあ、しっかりな」
「無事で帰ってくるのよ?」
「……はい。父上、母上。行ってきます」
父親のアピウスに、母親のアティア。二人と言葉を交わす。
ここ王都でようやく再会し、ささやかな時間だが、共に過ごすことができた。
その時間は決して多くは無かったが、やはり俺は彼らの子供なんだなぁ、という―――当たり前のようで、長らく実感の無かった事を、改めて再確認することができた。
「うぅ……お兄ちゃん、また行っちゃうの?」
成長した我が妹は、涙ぐんでいた。
「アイファ。済まないな」
「うん……うん……大丈夫だよ」
ブロンドの髪をワシワシと撫でてやると、頑張って笑顔を作ってくれた。
「もう、アイファは泣き虫だなぁ。アル兄なんだから大丈夫に決まってるじゃん」
隣ではアランが呆れている。
昔は彼の方が泣き虫だったものだが――随分彼もたくましく育ってくれたようだ。
家族との別れ――。
今生の別れではない。そんなことにしてたまるか、とは思っている。
だが、やはり、離れるというのは心細い事ではある。
家族の後ろには――バリアシオン家に仕える使用人一家がいた。
ヌマにチータにリリスにリュデ。
ヌマもリリスも王国では随分頑張ってくれたようだし、リュデやチータは言わずもがな俺もお世話になっている。
リュデは当然だが……彼らも家族のようなものだ。
一言ずつ挨拶を交わし、最後はリュデだ。
今日はいつも通りポニーテールだ。
「アル様……」
昨夜何も言わなかったように、今も彼女は何も言わない。
少しだけ不安そうだったろうか。
「リュデ、こっちの事は任せたから―――俺のいない間……頼んだぞ」
「……はい」
リュデは頷いた。
彼女にはしっかりとしてもらわないと困る。
彼女には、俺の大使としての全ての権利を預けている。
もしもという事が起こった時――陛下との交渉役は彼女だ。
彼女が不安そうなのは、その「もしも」の事を話してしまったが故だろう。
「大丈夫、無茶はしないよ。ヒナもシンシアもついているからさ」
「はい、わかっていますけど……―――って、ひゃっ!?」
彼女が何かを言うよりも早く、俺は彼女を優しく抱きしめた。
「ちょっ、何やっているんですか!? こんな人目に付く場所で私なんかと……」
胸の中でリュデがもがく。
当然、周囲からは冷やかしの声が響くが――もはや隠すつもりもない。
隊員たちには既に俺の四股は周知の事実だ。
「――リュデ、大丈夫だから」
「――アル様……」
リュデの顔が真っ赤になっていることを確認して、俺は彼女を離す。
「だから、頼んだ。俺も頑張るから」
「……はい。お帰りをお待ちしております」
少し照れながら、彼女は頷いてくれた。
「あー! リュデちゃんずるいー!」
そこへ、騒がしそうに黒髪の少女が駆け込んできた。
「――エトナ」
名前を呼ぶと、エトナはここぞとばかりに俺にしなだれかかりながら、口を開いた。
「えへへ、先にカイン君に挨拶しとこうと思ったんだけど、メリルちゃんがいたから退散してきちゃった」
「へぇ」
今回はカインも同行するのだが――彼は彼で別れを惜しんでいたらしい。
俺の腕にしがみついていたエトナだが、息を落ち着けると、ゆっくりと手を離し――向き直った。
そう長い間こうしていることができないという事も分かっているのだろう。
「じゃあ――アル君、いってらっしゃい」
かつて、カルティアへ俺を送る際、泣きはらしていた黒髪の少女は――今はしっかりと俺を見つめて、そう言った。
「今度も……悪い人達をやっつけにいくんだよね?」
「――どうだろ。正直――行ってみないと分からないかな」
「そっか。でも……きっと大丈夫。アル君なら――全部何とかできるよ」
「……ああ」
翡翠色の瞳が、真っ直ぐと俺を見つめていた。
彼女の信頼は、俺を裏切らない。
だから俺は、安心して俺を信じることができる。
「……じゃあ。行ってくる」
そう言って、俺はローブを翻した。
既に別れを惜しむ人もはけ、門の前では馬に跨った兵達が待っている。
振り返ることはない。
――さぁ行こう。
おそらくこれが……アルトリウスの最後の仕事だ。




