第245話:オスカーの選択②
「―――オスカー‼ ああ、良かった……」
客間にオスカーが入った瞬間、席を立ち上がり駆け寄ってきたのは細身の中年の女性だ。
顔立ちは高貴なものの、簡素なローブに――どこかやつれた風貌をした―――オスカーにとっては見慣れた人物である。
「―――母上……」
そう――オスカーが見間違えるはずがない。
産まれてから――あの日、カルティアへ旅立つまで毎日見続けた――自身の生みの親。
そして殺人の疑いをかけられた人物。
――ヘレネだ。
オスカーの予感は――当たった。
「オスカー……あの人が……あの人が……」
ヘレネは息子に駆け寄り、力なく膝をつく。
顔色は悪い――。
どこか泣きそうな顔で、彼女は嘆くように言った。
「私じゃないの……オスカー。私は―――何も知らなくて……話を聞いた頃には、こんなことになっていて……信じて……」
「……分かっています」
薄く涙を流す、母親の肩を、オスカーはそっと抱く。
「――分かっていますから……母上が父上を殺そうなんて……ありえない。私は母上の味方ですから」
「あぁ……オスカー……ありがとう……ありがとう―――」
母は涙を流しながら、そう、何度も何度もお礼を言った。
大分痩せたその肩を抱きながら、ソファーに座らせる。
向き直るのは、母と共にいた―――2人の男性だ。
がっしりとした体躯の老人に、痩躯の中年男。
この2人にも見覚えしかない。
「―――バロン将軍に……ミストラル卿」
そう……父――ラーゼンの部下の中でも重鎮である2人だ。
母の連れが、2人である事は意外であったが――しかし、この2人がいたからこそ、母が無実であるという予想は、正しいと、直感でそう思った。
「うむ……久しいな、ご子息殿―――いや、オスカー総督」
バロン将軍は、神妙な面持ちで、オスカーに挨拶をした。
役職の地位としてはオスカーの方が上だが、将軍としての歴の長さを考えれば殆ど同格と言っていい二人だ。
「――ご無沙汰しております、総督」
続いて、隣の痩せた男も挨拶をする。
「――ミランダも……暫くだな」
「父さん……」
そう、この男――グリーズマン・レーヴ・ミストラルはラーゼンの重鎮の1人にして……ミランダの父親だ。
2人とも、母程ではないが疲れた顔をしていた。
「とりあえず……ようこそ、アウローラへ。お二人だけですか?」
尋ねると、バロンが答えた。
「いや、他にも何人かの議員はいるが……とりあえず我々が代表としてここに赴いた」
「そうですか……」
頷きながら、オスカーもソファーに腰かける。
「……マティアスの使いってわけでも――なさそうですね」
「もちろんじゃ!」
この質問にはバロンはやけに力強く答えた。
「じゃあ……そうですね。とりあえず――話を聞かせて貰ってもいいですか?」
「そうじゃな……」
バロンは頷く。
「丁度―――一月ほど前じゃろうか」
何から話そうかという感じで、バロンは口を開いた。
「ラーゼン・ファリド・プロスペクター閣下は――殺された」
「……やはり、間違いはないのですか?」
「……ああ、ワシも――ご遺体をこの目で見た……」
悲壮感を溢れさせながら、バロンは肩を竦める。
そして、顔を上げて、話し始めた。
「そして、数日と経たずして首都は……マティアスの手に落ちた……」
● ● ● ●
茶菓子を摘まみながら、バロンの長い話は始まった。
「……閣下の死の報告は――唐突に訪れた。その日は収穫祭の準備で、ワシも元老院を離れていたのだが――戻ると、元老院が大騒ぎでな。事情を聞くと――誰もが口々に『閣下が殺された』という。当然はワシは信じる事ができずに、人を無理やり掻き分けて進んでいった」
そのまま大広間まで進んでいくと――人だかりができていた。
大声を出して中心まで行き……バロンは言葉を失くしたという。
「……いたんじゃ、閣下が―――胸から血を流して……ピクリとも動かずにな」
その時の衝撃は――どうにも伝えられない、とバロンは言う。
「マティアスが、そんな閣下の事を抱いていた。どうしてだ、どうしてだ、と泣き叫びながらな」
バロンも叫びながら、マティアスに尋ねた。
いったい誰がやったのか。
どうしてこんな事になったのか、と。
「―――聞くと、容疑者は既に捕らえられたという。プロスペクター家の近衛……ヨシュアだ」
「……ヨシュアが?」
ヨシュアという近衛の事は、オスカーも知っている。
プロスペクター家に仕える人間だ。
彼も心から父に心酔していたはずだが……。
「……ワシが来た頃には、マティアスの一派に連行された後だった。今思えばその時点で何かを気づくべきだったのじゃが―――『閣下の死』の衝撃が、思考を奪ったとでもいおうか……考えが回らなかった。収穫祭も中止という事でそれなりにやらねばならぬこともあったのでな」
後悔するように、バロンは説明をした。
「それから、1日経って……頭が冷えてから、色々と考えた。そもそも、どうしてこんなことが起きたのか。いったいゼノンは何をしていたのか――」
彼がついていながらラーゼンが死んだ理由については、一日経って疑問をもったようだ。
「だが……調査を開始しようと人を集めようとした時――元老院の開催が宣言された。執政官マティアスによってな。欠席するわけにもいかず、ワシはそれに参加した」
緊急事態だ。元老院は開くべきだし、重鎮であるバロンが欠席するわけにもいかないだろう。
「元老院でマティアスが提案したのは一時的な措置として、ヤヌスの全権をマティアスに移譲する事。そして、ただちにラーゼンの葬儀を行う事だ。無論、それ自体はおかしいことではない。マティアスは執政官だからな」
ラーゼンの葬儀を行う事は、当たり前だ。
ラーゼンに集中していた権力を移譲するとしたら、執政官の片割れであるマティアスであるというのもおかしくはない。
「だが―――元老院のメンツが少々おかしかった」
「メンツ?」
「そう、要するに……ワシのような古参――。特にラーゼン閣下に徴用されていた議員のうち、何人かが欠席していたのじゃよ。確かに役職の地位自体は執政官には劣るが、発言力や影響に関しては、マティアス以上の奴らばかりがな。勿論―――ゼノンも居なかった」
バロンは続ける。
「不審に思いながらも―――ワシはマティアスに尋ねた。あのヨシュアとかいう奴はどうしたのか、と。聴取は進んでいるのか、と」
ヨシュアはマティアスが引き取ったままだ。
全てが――マティアスの一派によって行われたそうだ。
「すると、奴はこう答えた。『こちらで全て進めておりますので、ご安心ください。閣下を殺した首謀者は必ず見つけ出します』とな。やけに――きな臭いと感じたよ」
そこで、バロンはすぐさまマティアスを疑った。
確信とまではいかないが、この青年が何か隠しているとは思ったのだ。
「――すぐにワシは調査を開始した。マティアスが裏で何かしているのではないかと疑ったのだ。しかし――奴の動きの方が早かった」
ここでまたバロンは歯噛みをする。
「まず、ワシが調査に出した兵たちは――もれなく次の日、死体で見つかった。報告によると、どれもが同じ太刀筋―――1人にやられたらしい」
「……たった1人に?」
「発見したときに生き残っていたのは数名。しかしそいつらももれなく息絶えた。ただ一言――『フードの男』にやられた、と言ってな」
「フードの男……ですか」
「流石に――ワシも悪寒を覚えたよ。間違いない――ゼノンもそいつにやられたのだ、と直感で思った。全てにマティアスが関連していると確信したのもこの時だ。ワシはグリーズマンと話し合い――手勢を集め――次の元老院で奴を告発することにした。少なくとも――ヨシュアは引き渡せとな。じゃが―――その前に、葬儀が行われてしまった。そのせいで――あんな暴挙が……」
自嘲するかのように、バロンは言った。
「暴挙?」
「――マティアスによる――『追悼演説』だよ。全く――奴は政治家でも軍人なんかでもなく――演者になった方がいいんじゃないかと―――そう思ったさ」
● ● ● ●
ラーゼンの葬儀は、ヤヌスの中央広場で行われた。
巨大な薪がくべられ、炎が宙を舞う。
その前には、木の棺に入れられた――ラーゼン。
広場にはたくさんの人が集まった。
勿論、バロンもグリーズマンも、ヘレネも参列していた。
『―――集まってくれて――ありがとう』
棺の置かれた檀上に――執政官マティアスは上がった。
『今日は――諸君に――世界で最も悲壮な……酷く悲しい事を伝えなければならない』
燃え盛る炎をバックに、マティアスは聴衆に向き直って、口を開いた。
やけに通る声で――誰もが黙って彼の言葉に耳を傾けていた。
『彼は――ラーゼンは、偉大な政治家だった。偉大な軍人であり、偉大な指導者だった。皆のリーダーであり、皆の憧れだった。それは――諸君もよく知っていると思う』
ラーゼンという男がどういう人物だったかを、マティアスは語る。
その偉大さを知らぬ人間はこのヤヌスにはいない。
『私も――彼の事を尊敬していた。偉大な伯父であり、愛すべき上官だった。彼は貴族の身であるのに、民衆と共にあった。指揮官であるのに前線へ出た。そして――ユピテルに多くの勝利をもたらした。民に職と安全をもたらした。暗黒のバルムンク戦争の時代を経て――ユピテルがこれほどまとまったことはない。全ては彼の揺るぎない意志と、何者にも負けぬ手腕があったからだろう』
マティアスは、目を閉じ――静かに語った。
決して大きくはないが、よく通る口調は、それこそラーゼンを思い出した者も多かっただろう。
『今日のユピテルがあったのは、彼のおかげだ。彼こそ、国家の父であり――そして今後もそうあり続けると――私は思っていた。きっと諸君もそう思っていた事だろう』
そして、マティアスは聴衆に向き直る。
『しかし―――それなのに……それなのに――――悲劇が起こってしまった』
そう言った顔は――悲しみに包まれていた。
『――あぁ、どうしてだろうか。私は――私は未だにこのことを――信じることができない。どうして……どうして私にこれを言わせるのか―――』
マティアスは身体をよじらせ、嘆く。
『だが、私は――私は執政官として――彼の片割れとして、諸君に言わなければならない。諸君に伝えなければならない』
胸に手を当て……声を震わせながら、青年は言った。
『我らの愛すべきラーゼンは―――凶刃に討たれた』
シンと――場が静まり返った。
別に――皆ここで初めて知ったわけではない。
その「事」が起こった日に、首都中に噂は広まっているのだ。
マティアスの言葉と共に――誰もがその事実を、改めて飲み込み、噛み締めた。
それゆえに起こった静寂だろう。
そして、マティアスは自らその静寂を破る。
『あぁ、友よ……どうして――どうして逝ってしまったのだろう。どうして私を残して逝ってしまったのだろう。私に――私に、この先どうしろというのだろうか』
棺に手を触れ――彼は涙を流した。
顔を覆い、嘆き、苦しむように――棺に体をゆだね、叫んだ。
『私は愚かだ。貴方を助けることが――貴方を襲う凶刃に気づくことができなかった。知っていれば、この身を挺して身代わりになったのに。この身を賭して守り抜いたのに――』
徐々に声は小さくなる。
マティアスは棺にうずくまる。
そして――再び訪れる静寂の中――ゆっくりとマティアスは顔を上げる。
『私は憎い―――貴方に刃を放った人間に――憎しみを抱かずにはいられない。卑怯にも裏切りという手段を持って貴方に刃を向けた人間に……』
その言葉で、場の空気が変わった。
悲しみに暮れていた空間が、一気に「怒り」に染まったのだ。
静寂を貫いていた民衆からは、遂にヤジが飛んだ。
『そうだー‼』
『殺せー!』
『殺人犯を許すなー!』
そんなヤジだ。
怒号にもにたその言葉に、マティアスは頷き、手を挙げる。
すると――不思議とヤジは止まった。
『――諸君。分かっている。私は――私はその男を……ラーゼンを殺した男を、許すつもりはない』
マティアスはゆっくりと立ち上がった。
『見よ! ラーゼンに刃を放った男―――ヨシュアはこの手で葬りさった!』
そんなマティアスの言葉を受けて――その傍らに丸太が立ち上がった。
そこに打ち付けられていたのは――生首だ。
そう、ヨシュアの―――。
しかし、悲鳴は起こらない。
起こるのは――歓声だ。
ラーゼンに剣を放った男の死。
それは誰もが望んでいた事なのだ。
そして、再びマティアスが手を挙げ――歓声は止む。
『しかし――諸君。これで終わりではない』
人々の反応に、満足そうにしながら、マティアスは口を開いた。
『あくまでこの男は―――真の首謀者の手先に過ぎないのだ』
その言葉に、観衆の表情は驚きに変わった。
『だが、幸運なことに、拷問の末――この愚かな男は……自身にラーゼンを殺せと命じた人間の名を吐いた』
その瞬間に、再び観衆の怒号が飛ぶ。
『誰だ―!?』
『教えてくれ――!』
そんなヤジが、空を舞う。
『それは――いや、駄目だ。私にそれを言うことは――できない。もしも言ってしまったら、きっと……きっと彼の名に傷が吐く。きっとヤヌスに混迷と憎しみが飛び交う結果になる……』
マティアスは躊躇した。
それを言うわけにはいかないと。
しかし、怒号は止まない。
『駄目だ! 教えてくれ!』
『俺達のラーゼンを殺した奴の名を言ってくれ!』
と。
『頼む!』
『マティアス! 教えてくれ!』
ヤジは飛び続けた。
そして―――そんな何分間にも及ぶヤジの中――ようやくマティアスは手を挙げた。
『……わかった』
諦めたかのように……いや、覚悟を決めたかのように、マティアスは口を開く。
『諸君のラーゼンへの愛が――尊敬が―――よくわかった。そうだろう。許しては置けない。私も――諸君と同じ気持ちだ。泥を被る覚悟で――私はその名を口にしよう……』
マティアスはひと呼吸を置く。
誰も飲んだ。
『その首謀者の名は―――』
そして、ゆっくりとその名を口にした。
『―――ヘレネ・ファリド・プロスペクター……。彼の妻だ』
――首都は怒りに包まれた。
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「……圧巻の演説だったよ」
口惜しそうに、バロンが言った。
「証拠など一つも提示していないのに――本当だと思わせる何かが、その演説にはあった。いよいよ閣下の遺体が炎の中に入るというのに、民衆は怒り狂い――ヘレネ殿に迫ろうとした」
そう、その追悼演説は、ヘレネも参列していたのだ。
夫の葬儀なのだから当たり前だが。
「衝撃だったよ。ワシも、一瞬信じかけた。ヘレネ殿が閣下をなどと――昔から二人を知っているワシからすれば、あり得ない話だ」
バロンはため息をついた
「だが、一瞬で思考を戻した。そう、『あり得ない』のだ、と。よく考えれば、直前まで自分はマティアスを疑っていたではないか、と」
その時点で、確実にマティアスは「黒」だと、バロンは判断した。
「衝撃の中、ワシらはすぐさま慌ててヘレネ殿を連れて、その場から逃げ出した。少しでも遅れていれば……再び何かしらの血は流れていただろう」
「……」
「だが、もはや首都にはいられなかった。閣下とヘレネ殿の仲を知っているような古参の議員は、軒並み姿が見えない。僅かな――本当に僅かな信頼できる人間のみを連れて、ワシらは首都を脱出した」
「それで、今に至る、と」
「そうだ。他にも王国へ行きバリアシオン将軍を頼るという手もあったが……ヘレネ殿の息子である貴公の方が、間違いはないだろう」
間違いないというのは、オスカーがマティアス陣営である確率が皆無である、という事だろう。
重苦しい雰囲気の流れる中、バロンの話は終わった。




