第237話:間話・砂漠の国
ある部屋で――2人の男が密談をしていた。
「―――して、話は分かったが、それで――余にどうしろというのだ?」
片方は威風のある男だ。
褐色の肌に――そり上げた頭。
髪の代わりとばかりに、巨大な黄金のイヤリングは大いに目立つ。
おそらくメイクだろうが、入れ墨と見まごうばかりに黒く縁取られた目元からは鋭い眼光が伸び、筋肉質な上半身は、殆ど半裸でここにも服の代わりと言わんばかりに黄金の巨大な首飾りが光る。
「ですから――『その時』に我々と共に立っていただきたいと」
疑問を投じたその褐色の男に答えるのは――まるまると太った中年男だ。
それなりに高級な服装を身にまとっているものの、はちきれんばかりのその体形が若干台無しにしている。
それでも不思議と清潔感があるように見えるのは、この中年男の醸し出す雰囲気があるからだろう。
「ふむ……」
そんな太った男の答えに、褐色の男は思案するかのように唸る。
「確かに―――今、我が国には兵を上げるだけの余裕はある。しかしそれで余に何の得がある? 今になって我らがユピテルに反旗を翻せば、我々は世界中から裏切り者の汚名を被り、非難されることになるだろう?」
「……貴国がユピテルに負けてから――既に60年。もはや当時の事を覚えている者もいないと思いますが」
「ふん、だとしても記録は残っている。それに、そもそも余がそちに力を貸したところで―――その対価をどうするつもりだ? よほどの物でないと……我々はリスクを冒さぬ」
褐色の男は瞳をギラリと光らせる。
しかし、肥えた男は決して焦りもせず――済まし顔だ。
肥えた男は静かに口を開いた。
「――ではアウローラを」
「……何?」
飛び出てきた単語に、褐色の男は思わず聞き返した。
「―――アウローラを丸ごと……貴国に差し上げましょう」
肥えた男は変わらず――静かに言い放った。
聞き間違いではなかったのだ。
「―――貴公、その意味を分かって言っているのか?」
「勿論です」
「ほう……」
『アウローラ』。
それはユピテル共和国の東方属州だ。
肥沃な大地と、いくつもの発展した都市。
過ごしやすい気候に、数々の農作物を誇る―――重要な土地だ。
どの国も、どの権力者も欲しがる広大な土地であることは間違いはないだろう。
それを渡すと―――この男は言ったのだ。
一部分ではなく、全部丸ごと。
確かに、貰えるというなら、兵を出す程度……それどころか、多少の非難くらいは全く苦にならないほどの利益がある。
だが……。
「……ふむ、余の得はわかった。しかし、解せぬな。そうまでして戦を起こして――そちらに得があるとは思えんが」
褐色の男は目を細めながら言った。
そう、アウローラは魅力的な土地であるが故に――それをやすやすと手放すといったこの男の真意が測れないのだ。
肥えた男は、相変わらず表情を変えずに答えた。
「―――無論、ユピテルに得はないでしょうな」
「……おかしな話だな。貴公はユピテル人だと記憶していたが」
ここを訪問した際、この男は自身をユピテル人だと名乗った。
それに聞き間違いはなかったはずだが……。
「勿論、私はユピテル人です。ユピテル共和国の国民ですよ」
ここで初めて男は済まし顔を少し崩し、おどけて見せる。
強調するのは「ユピテル共和国」という部分だ。
「しかし――今のユピテルは、共和国ではない。そんなユピテルに――価値があるとでも?」
「ふん、共和主義者……か」
今のユピテル共和国は――ラーゼンという1人の男の物だ。
共和主義を重んじる人間からすれば、全く別の国家と言っても差しさわりないかもしれない。
実際、以前起こった内乱も―――主義を争う戦いだったと聞いている。
「なるほど……戻らぬなら――滅びてしまえ、か」
そこまで思考が至って、一応は納得したのか、褐色の男は頷いた。
「――そなたらの理念はわかった。しかし――本当に勝てるのだろうな」
「それは先ほども申し上げた通り―――ご安心を。我らには神のご加護がついておりますから」
そう言いながら、肥えた男はほくそ笑んだ。
「……いいだろう。貴公らの盟主に伝えろ。『その時』が来れば――我々も立つ、とな」
「……感謝します」
そう言いながら男は、重そうな体を、きびきびと動かし、立ち上がった。
「―――『その時』は、間もなく訪れます。乗り遅れることのないよう」
そして、そのまま振り返りもせず、颯爽と場を後にした――。
「―――よろしかったのですか?」
訪問者が去ったことを見計らったように、部屋の別口から――褐色の男のお付きが声をかけてきた。
先ほどの肥えた男のいう事を鵜呑みにしていいのか、という事だろう。
「……悪くはない話だ。立つか立たぬかはこちらの自由。しかも上手くいけばアウローラだ。精々上手く利用してやるつもりだが……」
言いながら、男は顔をしかめる。
「……しかし、あの狸、少々食えんな。ただの共和主義崩れではない」
「私からは、ただの理想主義者に見えましたが……」
「いや……おそらく、あれは自分の考えで動いていない。何か余の知らぬ後ろ盾があるのか、それとも―――目的が丸ごと違うか……軽くかまをかけたが、上手くはぐらかされた気もする」
「そんなことが……」
「―――ガストン・セルブ・ガルマーク……ユピテルの共和主義唯一の生き残り、か。いずれにせよ、『その時』次第だな……」
肥えた男が立ち去って行った扉を見ながら、男は確かめるようにそう呟いた。
● ● ● ●
ここは、フェルメニア王国。
ユピテルからは遥か東――アウローラよりも東方に位置する国だ。
国の4分の1が砂漠ではあるものの、長く広大な河川に恵まれ、いくつもの豊かな集落が生まれ、幾度かの争いを経て統一されたのがフェルメニア王国だ。
国の規模自体は、ユピテルやユースティティアに及ばないが、歴史の長さ自体はユピテルよりも長い、伝統のある国だ。
60年ほど前、西――つまりユピテルに侵攻しようとして返り討ちに合い、友誼を結んだ。
それ以降、フェルメニアは不可侵を貫いている。
そんなフェルメニアの、とある宿屋の部屋を取った男の元に―――それは唐突に現れた。
「――どうやら上手くできたようだね」
空間が捻じ曲がるような淡い光と共に、笑顔を浮かべながら現れたのは、水色の髪に青いローブを着た少年だ。
「……ラトニーか。ああ、言われた通りにやったさ」
そんな突如現れた少年にも動じず――肥えた男、ガストンは答えた。
この『神族』を名乗る少年、ラトニーも、もはやガストンにとっては見慣れたものなのだ。
「うん助かるよ。やはり君は戦場よりもああいった交渉事の方が向いているね」
「――元老院の門閥派で生き抜くにはこの程度の舌は回らぬとできぬさ」
「頼りにしてるよ」
「ふん、悪魔がよく言う。自分でやればいい物を」
「はは、残念ながらあの王はそれなりの傑物でね。直接干渉するのは難しい類の人間なんだ。だから、君を頼りにしているのは本当さ」
少年――ラトニーは、やけに薄っぺらく思える笑顔を浮かべる。
悪魔、とガストンが形容したこの少年は人外の存在だ。
人を従わせる魔法や、予知のような能力。
神出鬼没に現れてはガストンに何かしらの啓示を授け、しかもそれが外れたことはない。
ガストンがユピテルの追手からここまで逃げおおせたのも、ラトニーの力のおかげだ。
―――ふん、全く……神の加護がついているとはよく言ったものだが…。
内心ため息を吐きながら、ガストンはしばらく前――この少年に初めて出会った時の事を思い出す。
あの日――追手につかまる寸前。
突如として現れ―――追手の兵士たちを無力化したラトニーは、ガストンに契約を迫った。
『――僕と共にくれば……君に機会をあげよう』
『機会……だと?』
『君をこんな目に合わせた奴ら全てを見返し――世界を手に入れる、そのチャンスをさ』
その言いようのない迫力に押され、ガストンは頷いた物だが……未だに半信半疑であったその「機会」というのも――ここまでラトニーがガストンにやらせたことを考えると、実現してしまう可能性は大いにある。
怪しげな存在ではあるが『魔法』がある以上、不可思議なことは起こりうるものだ。
実際にそれでガストンは生きながらえたのだから、信じないわけにはいかない。
それに――元老院の権謀術数の中生き抜いてきたガストンの勘が、この馬には乗るべきだと言っている。
多少怪しげだろうと、これまで味方だった門閥派のアホ共と比べれば、この人外の少年は何倍も頼りになる存在だろう。
「――さて、じゃあ僕は行くよ。向こうの方が忙しくなりそうでね。暫くこちらには顔を出せないかもしれない」
そんなことを考えていると、目の前の少年がそう言った。
今回は指示ではなく、その報告をしにきただけのようだ。
しかし、こちらに顔を出せないとは―――
「まさか、もう動くのか?」
「……ああ、事態が急変したからね。無理矢理でも―――世界を動かす事にした。正直賭けでもあるけど、成功すれば大きく先手を取れる」
少し――いつもよりも険しい顔で、ラトニーは答えた。
「だから、まぁこっちの事は君に頼むよ」
「……ああ、フェルメニア王のご機嫌取りなら……任せておけ」
先ほど面会したフェルメニア国王。
確かに覇気のある男だったが――まだ若い。
目の前に利益を吊り下げておけば、その気にさせるのは難しくはない。
なのでガストンはそう答えたのだが、
「はは、本当に――物は使いようだね」
皮肉交じりにそう言いながら、ラトニーは消えていった。
若干区切りは見失っていますが、次回か次々回から新章ですかね




