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第236話:間話・二人の選んだ未来

ヒナ視点です



 ユピテルからの大使アルトリウスの滞在する館は、メインストリートからは逸れた場所にある。

 程よい林を抜けた先にある館は、以前とある上級貴族が別宅として使用していた物で、庭付きの大きな屋敷だ。

 老朽化が進んでいたこの屋敷も、ユピテルの一行が滞在するにあたって、随分修繕された。


 ところどころ雨漏りをしていた屋根はふさがれ、柱も頑強な物に補強された。

 逆に豪奢な装飾はその多くが取り外され、倉庫の中にしまわれた。

 やはりユピテル人の感性には、絢爛豪華な物よりも質実剛健な物が合うといったところか。


 さて、そんな修繕の終わった屋敷の中でも、騒動の後、特に力を入れて作り直されたのが――風呂だ。


 元々は手狭であった浴室はいくつかの部屋を取り壊して拡張された。

 浴槽も脱衣所も室内とは思えないほどの広さを誇る。

 

 浴槽はアルトリウスの土属性魔法によって作られた巨大な物だ。

 おそらく10人は入れると思われるその浴槽は魔道具によっていつでも沸かすことができる。

 洗い場にもいくつかお湯を出す魔道具は設置され、不便はない。

 仮住まいの風呂にしては、いささか本格的すぎるお風呂と言ってもいいだろう。


 このお風呂については、主にこの屋敷を利用する1人、シンシアの要望に沿って改修されたようなものだが、利用者からは概ね高評価を得ている。

 清潔好きなユピテル人は、お風呂に対するこだわりも強いのだ。



 さて、今そのお風呂にやってきた少女も、そんな風呂の利用者の1人だ。

 

 普段着ている肌着を雑に脱ぎ、誰が見ているわけでもないのに恥ずかしそうに下着をかごに放り込んだ赤毛の少女は、大切そうに真紅のヘアピンを取り外し、そっと棚に置く。


 普段はかからない前髪を多少うっとおしそうにしながら、タオルで体を隠しつつ、彼女は浴室へ向かった。


 すると、


「―――あ、ヒナちゃんだ」


 扉の奥から、すぐにそんな声が飛んできた。

 どうやら先客がいたようだ。


 視線を向けると、こちらにニコリと笑いかける見慣れた顔があった。

 長い黒髪を丁寧に洗っていた少女――エトナだ。


「……エトナだったのね。てっきりまたシンシアだと思ったわ」


「シンシアちゃんもさっきまでいたんだけど、のぼせちゃいそうになって出ていっちゃった」


「そう」


 赤毛の少女――ヒナは、そんなエトナからは少し離れた場所に設置されたお湯の魔道具に手をかける。

 

 エトナの隣も空いていたが、若干恥ずかしさもあり、距離を置いた。

 女同士とはいえ、間近で裸を見られるのは、まだヒナには抵抗がある。


 近くでまじまじと黒髪の少女の体を見ると、その均整の取れた女性らしい体つきに敗北感を感じるという理由もあったが――ともかく、若干目を逸らしながらヒナも体を洗い始めた。


 お湯につかる前に体を洗う、というのは公衆浴場文化が根付いているユピテルではそれなりに当たり前の常識だ。

 ヒナは公衆風呂に行ったことはないが、まぁ皆が入る浴槽を汚さないようにするというのは当然の発想だろう。


 おそらく王国産であろう石鹸を泡出てて、体を擦っていく。

 ヒナはシンシアやアルトリウスと違い、剣の稽古などはしていないためあまり汗はかかないが、それでも毎日の生活で、知らぬうちに体は汚れていく。


 遂にアルトリウスと夜を共にするようになった今、できるだけ体は清潔な状態で保っておきたい。


 身体をすすぎ、髪にも手を付ける。

 髪は女の命だ、とはよく言うが、ヒナはそれほど髪に命は懸けていないタイプだろう。

 昔からそれほど伸ばすことは無かったし、丁寧には洗うが、それほど長い間、髪に時間をかけることはない。


「さて、と」


 髪と体を綺麗に濯ぎ終わり、『お湯』の魔法が付与(エンチャント)されたであろう魔道具のスイッチを切り、浴槽へ向かう。


 少し冷えた体を温めなおすのだ。


 すると、丁度同じタイミングで少し離れた位置で髪を洗っていたエトナが立ち上がっていた。


「――あ、ヒナちゃん早いね」


「―――!」

  

 エトナの方が先客だったが、彼女はヒナと違い、どちらかといえば髪に命を懸けているタイプだ。

 エトナの艶のある長い黒髪は美しく、元々端正な顔立ちである彼女をより一層美しく際立たせている。

 学生時代も、綺麗な黒髪の子、としてエトナはそれなりに有名であった。

 手入れに時間をかけるのも、当然だろう。


「じゃあ、一緒に入ろっか!」


「え、ええ」


 タオルで申し訳なさげに前を隠すヒナと違い、エトナは前を隠そうともしない。

 タオルは、浴槽のお湯に触れないよう、その黒髪をまとめるのに使っているらしい。

 故に、彼女のきめ細やかな肌も、スタイルに合った絶妙なバランスで膨らんだ胸元も、全てがあらわになっている。


 豊満、というよりは美しいという形容が似合う彼女の裸体を前に、ヒナは思わず一瞬自分の体に視線をやる。

 

「……ま、まだまだ勝負はこれからよ……」


「――? ヒナちゃん、何か言った?」


「な、何でもないわ! さ、さっさと入るわよ!」


 そして、誤魔化すように叫び、浴槽に足を踏み入れた。




● ● ● ●




 ――カポーン。


 不思議とこの浴槽につかっていると、そんな音がするような気がする。


 アルトリウスが大枠を作り、ヒナも手伝ったこの大浴槽は、それなりの出来になった。

 王都までの旅の途中で作った簡易的なお風呂なんかよりは随分進歩しただろう。


 源泉のある温泉ではないが、温かいお湯は体の隅までしみわたる。

 ユピテル人の中ではそれほど風呂好きというわけでなかったヒナも、このお風呂を利用しだしてからは考えを改めた。


「ふぅ~、でもすごいよね、魔法って……。こんな物まで作れちゃうなんて……」


 浴槽の壁にもたれながら、隣でエトナはしみじみと呟いた。

 ヒナとの距離は人一人分といったところだろうか。近すぎず遠すぎず、といったそんな距離だ。


「この浴槽もだけど――魔道具も。仮住まいなのに、こんなに豪華なお風呂がすぐできちゃうなんて、驚いちゃったよ~」


 部屋の拡張を含め、この浴室を作るのに費やした期間は、3日ほどだろうか。

 概ねアルトリウスとヒナが魔法で解決した部分が多い。

 アルトリウスはもっとこだわりたい部分はいくつかあったらしいが、それはいずれ自分で家を建てる時にするらしい。


「―――そうね。歴史をさかのぼれば、魔法で巨大な橋を造ったって人もいるくらいだし……」


「へぇ~。すごいなぁ、私には想像もできないや」


 そう言いながら、エトナは大きく伸びをする。


「でも、エトナもすごいじゃない。マヨネーズ、だっけ? 新種の調味料なんて、長らく開拓されていなかったのよ?」


 ヒナはつい最近、エトナが試食を頼んできた調味料について言及した。

 とろりとした黄色いその調味料は、見た目はすこぶる怪しかったが――舐めてみると独特の辛みと酸っぱさが癖になる物だった。


 「マヨネーズ」とかいうその調味料はエトナが新たに開発した物らしい。


 料理や家事等、女子らしいことから遠ざかっていたヒナからすれば、新たな調味料や料理の開発など、上級魔法を習得するよりも難しい。

 魔法にしろ料理にしろ、新しい物を開発する事の大変さはよくわかるのだ。


「はは、そんなことないよ。元々はアル君に貰ったヒントから挑戦してみただけだし……形になるのに随分かかっちゃったしね」


 はにかみながらエトナは答える。


「あとはショーユと、ソースと……色々と考えてはいるんだけど、なかなか難しいね」


「そう……」


 その調味料がいったい何なのかヒナには想像もできなかったが、どちらにせよ、あのマヨネーズは美味だった。

 もしかしたらエトナは今後世界の食文化に名を残したりするのかもしれない。


「―――」


 ―――それにしても。


 そんな談笑をしつつ、ヒナは思う。

 改めて、エトナと2人でこうしているという事を考えると――不思議な物だ、と。


 もう何年前になるか、アルトリウスを間に挟んで、言い争いをしていた時代が懐かしい。


 よくよく思い返せば、ヒナはアルトリウスに想いを告げて、逃げるようにアウローラへ行った。

 実際エトナとはきちんと話をしたわけでもなく、アルトリウスを通した事後承認のようなものだ。


 アルトリウスからの手紙と、後からリュデに聞いた話で、エトナが受け入れてくれたという事を知ってはいたが、内心王都で再会したときは、緊張していたことは言うまでもない。


 とはいえ、シンシアの事というある種の後輩もいた。

 アルトリウスにシンシアの事を力添えすると言った以上、逃げるわけにもいかない。

 初対面は避けれなかったが――。


『ミロティ――ううん、ヒナちゃん、久しぶり』


 魔力切れから回復し、目を覚ました後――そう言ったエトナを見て、どこか安心したことを覚えている。


「――どうしたの? 変な顔して」


 そんなことを思い出していると、エトナがきょとんとこちらをのぞき込んでいることに気づいた。


「へ? いや、その――色々と変わったなぁと思って」


「変わった?」


「ほら、その……昔は、私たち……それほど仲良くは無かったじゃない? それが今やお風呂で二人きりで笑い合うなんて、当時は想像もしていなくて」


 いがみ合っていた、という実感はないが、少なくとも当時は友人の言うところの「デットヒート」を繰り広げていた。仲が良いというわけではなかっただろう。

 

 まぁ今もとても仲が良いというわけではないかもしれない。

 でも、こうして笑い合って、思い出を共有して――今後もずっとそうなのだろうという確信と安心感はある。友人というよりは運命共同体、といった感じか。


「……ああ―――うん、そうだね。私も――変わらなきゃと思ったから」


 すると、エトナもどこか思い出すように話し出した。


「あの時期、ヒナちゃんがアル君に勝ったって聞いて、そして告白したって聞いて―――私本当にすごいって思ったの」


 学生時代。

 転校を控えたヒナは、最後の学年末テストの点数で初めてアルトリウスに勝利した。

 そして、対等だという事実を引っ提げて告白した。

 当時の事は、ヒナもよく覚えている。


「正直に言えば、圧倒されて――ちょっぴり憧れちゃった。私の中では世界一すごいアル君に勝って、その上で、正々堂々と告白して―――受け入れて貰って。素直にすごいなって思った。だって、それは私には絶対できない事だから」


 エトナは苦笑する。


「最初は、色々と思ったよ? アル君の愛情が他の人にも向くのは、やっぱり嫌だった。未来を想像しても取り合いにならないかとか、跡取りはどっちの子供になるのかなとか、不安に思った」


「……」


 それは普通の反応だろう。

 跡取りの事なんてむしろヒナはあまり考えていなかったが――確かに未来ではそういう問題もあるのかもしれない。


 エトナは続ける。


「でも、リュデちゃんも、アル君の事が好きって気づいて―――色々と考えたの……。私も結局、最初にアル君を好きになっただけなんだなって。もしも私が逆の立場で、もしも拒絶されていたらどうなっていたんだろうって」


 逆の立場。

 最初にアルトリウスに出会っていたのが、ヒナで、エトナが後から好きになったら、という事だろうか。

 ヒナは黙って聞いていた。


「大好きな人に――アル君に拒絶される。そんな事を想像するだけで怖くなったし、悲しくなった。未来が急に真っ暗になった」


 アルトリウスに拒絶されたら。

 あの日、もしも駄目だと言われたら、その先どういう風に生きていたのか、ヒナもその未来は想像したくはない。少なくとも、立ち直れないほど落ち込んだことは確かだろう。


「もしかしたら……何かが違えば、私はアル君に拒絶されていたかもしれない。私はヒナちゃんほど大人じゃなかったし、リュデちゃんみたいに頭もよくなかった。アル君が、ヒナちゃんやリュデちゃんだけを選んでいた未来もあるかもしれないって」


 アルトリウスが誰か1人だけを選ぶ世界――。

 確かにもしかしたらあったかもしれない未来だ。

 別にアルトリウスだって複数の女性と関係を持つことがそれほど褒められた行為じゃないことはわかっていたはずなのだ。

 軽々しく「結婚」という言葉をアルトリウスが使わないのも、そう言った事を重々承知しているからだろう。


「そう考えると―――私も同じなんだなって思った。私が認めたんじゃない。私も他の子達に認められて、アル君の傍にいれるんだって」


 エトナは最初に好きになっただけ。

 エトナが他の子を認めるんじゃなく。

 エトナも、ヒナも、リュデもシンシアも。

 4人が4人ともを許し、認め、受け入れる。

 だから4人ともが今アルトリウスの傍にいられる。

 そういう事だろうか。


「料理を本格的に頑張りだしたのもその頃。ヒナちゃんやリュデちゃんみたいに――私もなにか頑張らなきゃって。そう思ったの」


 そう言いながら、エトナは立ち上がった。


 ザバァという音と共に、エトナの美しい裸体が眼前に広がる。


「ふぅ、なんだか長話しちゃった。のぼせちゃいそうだし、先にあがるね?」


「え、ええ」


 堂々と歩くエトナの姿に若干照れながらそう答えると、ふと何かを思い出したようにエトナは湯船のへりで立ち止まった。


「―――ヒナちゃん」


「な、なんでしょうか?」


 振り返った彼女に、思わずヒナは敬語になった。


「私を、受け入れてくれて――歩み寄ってくれて、ありがとう」


「―――!」


「アル君を好きになってくれて―――アル君を振り向かせてくれて、ありがとう」


「エトナ……」


「――なんてね。じゃあ、ヒナちゃんものぼせないようにね!」


 そんな言葉を残し、黒髪の少女はニマニマと微笑みながら風呂場から去って行った。



 

「………いきなりなによ、もう」


 バタンと閉まった扉を眺めながら、赤毛の少女は照れたように体を湯につける。


 そして―――


「……こちらこそ、ありがとう」


 そんな言葉だけが、誰もいない風呂場に響いた。




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