第233話:間話・惑いの刃
時は少し前にさかのぼる。
場所はユースティティア王国ではなく、ユピテル共和国首都ヤヌス。
行政の最高機関、元老院の一室にて――2人の男が会話をしていた。
1人は、執務室の机に座る、中年を過ぎた眼鏡の男。
もう1人は、そんな男の前に立つ、青年だ。
特徴的なのは、どちらも銀髪を持っていた、というところか。
「――閣下、どうして、オスカーにアウローラ総督を? 彼はまだ若すぎる。執政官もまだでは、属州総督などは無理ではないかと」
少し問い詰めるような口調なのは、青年の方だった。
青年は不機嫌そうに、男に疑問を投げかけていた。
「マティアス、無理かどうかはやってみなければ分からない。私としては寧ろ、誰よりも勤め上げてくれると思っているがね」
そんな青年――マティアスの言葉をたしなめるように、男は簡潔に答えた。
小柄ながら、眼鏡の奥に見える細い瞳に、独特の声色は、不思議と相対した人間の心を揺さぶるような気がする。
彼こそはラーゼン・ファリド・プロスペクター。
大規模な内戦に勝利し、このユピテル共和国で唯一無二の権力者となった男だ。
「確かに、ご子息の能力には目を見張る部分はあるでしょう。しかし――あまり若すぎる者を登用されては、彼より年が上の者からの反感を買ってしまいます」
そんな権力者に、マティアスは反目するかのように声を上げた。
話題は――マティアスにとっては従弟であり、ラーゼンの息子でもある血縁――オスカーの、アウローラ総督就任についてだ。
オスカーはまだ成人して間もない15歳。
属州総督としては異例の若さだ。
その就任を聞いたマティアスは、いてもたってもいられず、元老院まで訪れた。
彼としては、同じ若手ではあるが、中でも自分より年下でひ弱なオスカーに先を越された、という想いが強かったのだろう。
焦りが、彼をラーゼンの元まで連れてきたのだ。
そんなマティアスに、ラーゼンは毅然とした態度で答えた。
「―――ふむ、反感ね。私としては、実力主義というのは、カルティアにいたころから示してきたはずだが……今更それに文句をつける者がいるのかね」
「それはわかりますが……。ともかく、オスカーを総督につけるのは早すぎます。属州総督は、何度も執政官を務めた年長者を送るのが慣例です。他から見たら――血縁であるが故の忖度を疑われても仕方がありませんよ」
「ふむ、そんなことを言っても――何度も執政官を務めた年長者など、全て島送りだ。かといって属州総督を任命しないわけにはいかないし、若手から選ぶのは仕方のない話だろう?」
「ですが……」
なお、言いよどむマティアスに、ラーゼンは少し声の圧を上げた。
「マティアス、はっきり言おう。確かに君からすると年下であるオスカーが出世するのは気に食わない部分もあるかもしれない。だが、私はオスカーを実力で属州総督に任命した。例えお前を任命したところで血縁であることには変わらないし、若いという点でも変わらない。それとも、私と同じ『執政官』では不満かね?」
「いえ、その―――そういうわけではありませんが……」
ラーゼンの中では、オスカーのアウローラ総督就任は決定事項だ。
何なら、島送りにした元老院の老人たちより適任であると感じている。
それに、別にマティアスとて若手である事は変わらないし、マティアス自身を無下に扱っているわけではない。
毎年2名選出される『執政官』の片割れに、ラーゼンはマティアスを指名していたのだ。
これもアウローラ総督にひけをとらない重要な役職ではある。
それに任命されて置いて不満があるというのは、いささか感情的になりすぎだろう。
「ならば文句は言うな。お前もアウローラの成果では、オスカーに劣る事は自覚しているだろう」
「……それは、はい」
「総督にしろなんにしろ、文句は今の役職で結果を出してから言うことだな。成果を出し、自分の力でオスカーを追い抜くといい」
「……わかりました」
「うむ、ならば下がれ」
「は、失礼します」
それ以上何も言い返すこともなく――マティアスは部屋を後にした。
● ● ● ●
―――何故だ?
暗い自室にて、マティアスはベッドに寝転がり、自問していた。
――私とアイツに……どこで差が付いた?
アイツ、というのはもちろん、従弟であるオスカーの事だ。
―――何故だ……いったいいつから……。
かつて、カルティアでは自分の方が上だった。
1人の戦士としてならば当然、前線の指揮官としても自分の方が優れていたはずだ。
プロスペクター家の後継者として、誰よりも期待されていたはずだ。
それなのに、どうしてオスカーの方が徴用される?
オスカーの方が上にいる?
ラーゼンもラーゼンだ。
「執政官の片割れでは不満か?」とは言いつつ、実際、その権力は全てがラーゼンの物だ。
ラーゼンが1人で行政を行い、マティアスはそれを追認するだけのお飾り。
誰でもこんなことはできるし、この状態で結果を出すことなどできない。
つまりは、もうラーゼンは、マティアスを後継者にする気などないという事だ。
今日のラーゼンとのやり取りを経て、あの年下の少年に完全に立場が追い抜けれていたという事を、マティアスはひしひしと自覚した。
「――クソ……あの件さえなければ…」
歯噛みする様にマティアスは言った。
そう、あの件――。
国庫の金を持ってガストンを追った際に起こった、謎の現象。
ガストンを追い詰めたところまでは記憶にあるのに、何故かその後に記憶が全くないのだ。
気づいたときには、兵ともども、地べたで眠っていた。
この現象のせいで、大きくマティアスの評価にケチが付いたと言ってもいい。
それまでは……都市アウローラ攻略戦では魔導騎兵を率い、充分な戦果を挙げていた。
ここまでにそれほど差は無かったはずだ。
イルムガンツ要塞の陥落後に行われたアウローラ残存兵力の掃討作戦も、きっとあの件が無ければオスカーではなくマティアスが指揮官に選ばれるはずだった。
あのガストンの一件で、全てケチが付いたのだ。
「クソ……あんな引きこもりのガキに、この私が……」
マティアスは、血縁上は、オスカーの従兄に当たる。
ラーゼンの弟の息子だ。
マティアス・ファリド・プロスペクターは、プロスペクター家の男子の中では最も早く生まれた。
プロスペクター家の男子では非常に珍しく身体が強く、運動神経も抜群で、幼いころから武芸にも優れていた。
当然、その当時から、周りに将来に期待された。
身体の弱い人間の多かったプロスペクター家の人間は、他の家と比べ、軍政のうち、「軍」の部分で劣りがちだったのだ。
このユピテル共和国に置いて、最高指導者を務めるには、単に優れた政治家だけでは務まらない。
『執政官』はいざというときの将軍も任命されるのだ。
指導者には、政治家だけではなく、軍の司令官としても優れている事が求められた。
軍人――特に司令官というのは、単に知略に長けているだけでは務まらない。
「従軍」という行為は体力を非常に使うし、前線に出ない将軍に、兵は付き従わない。
政務に長けるプロスペクター家の政治家が司令官として戦場に出たものの、その身体の弱さから従軍の最中に死亡したり、後方に引きこもるせいで兵士からの信頼を失くした事例などいくらでもある。
そう言う意味で――武芸に長ける男子であったマティアスは、プロスペクター家の中では一身に期待を集めることになった。
当時頭角を現しつつあったラーゼンの後継者の第一候補と目されるのもおかしくはなかっただろう。
数年後に生まれ、一般的なプロスペクター家の男子と同じくひ弱で、引きこもり気味であったオスカーなど、当時は見向きもされなかっただろう。
期待されているという事は、マティアス自身、自覚していた。
そして、マティアスはその期待に応えようという気概も持ち合わせていた。
文武両道。
それができる自分こそが、のちのユピテルのリーダーには相応しいと、そう思っていた。
伯父であるラーゼン自身が、『迅王』と『天剣』がいなければ、一介の政務官で終わっていた、と漏らすくらいなのだ。
きっと、「武」というのはそれほどまで重要な意味を持つと思ったのだ。
実際、その認識は正しい。
迅王と天剣がいなければ、ラーゼンとて、『執政官』でも、『カルティア総督』でもなく、単に優秀な政務官として人生を終えていただろう。
力があったからこそ、ラーゼンは軍でも兵の信頼を得続けることができたのだ。
そして、マティアスも、武芸に優れていたからこそ、この若さで将軍と呼ばれる地位にまで上り詰めた。。
いくらラーゼンが実力主義とはいえ、マティアスの若さで将軍など、ユピテルの慣習では大抜擢と言って差し障りないのだ。
「アイツだ……アイツが現れてから、全てがおかしくなった……!」
唇を噛みながら、マティアスは思い出していた。
マティアスにとっては苦い記憶である、カルティアでの敗戦。
「砂塵」の作戦に上手く乗せられた結果、マティアス指揮のユピテル軍は敗北した。
シルヴァディと……その少年が現れなれば、さらに酷いことになっていただろう。
――そう、アルトリウス。
オスカーの親友だとかいうアイツが現れてから、マティアスはいいとこなしだ。
今までマティアスが行っていた別動隊の任務は全てアルトリウスが行うことになった。
最年少の将軍という立場も、アルトリウスに奪われた。
カルティア戦役が終わっても、文官として―――アルトリウスは活躍した。それどころかまるで便乗するかのようにオスカーが頭角を現してきた。
アウローラでのイルムガンツ要塞攻略戦も、アルトリウス隊の力があったから、オスカーは成果を上げれたと聞いた。
今じゃ、王国だ。
全権大使だかなんだか知らないが、15程度のガキが、随分出世したものである。
「――クソ……何もかもが上手くいかない……」
本当は、自分がその立場になるはずだった。
戦争で活躍して、ラーゼンの後継者になるのも、王国の大使という重要な役目を負うのも……全部マティアスの物になるはずだったのだ。
あんなガキ共に先を越されることなんて、絶対になかったはずだった。
「そうだ、本当なら、この私が……」
そう悪態をつき――壁を殴りつけようとした時だった。
「―――ははっ、やっぱり君、いいね」
「―――!?」
唐突に、声が響いた。
人を小ばかにするような、若い少年の声だ。
慌ててマティアスは、自室の扉の方を見た。
扉が開いた形跡はない。
だが―――そこには―――人影があった。
いつの間に入ってきたのだろう、水色の髪に青色のローブを羽織った10歳程度の少年だ。
やけにニヤニヤと笑うその表情には、どこか見覚えがある。
――なんだ? 子供のいたずらか? それにしては……。
「――あ~、そう言えば覚えていないんだっけ。忘れてたよ」
状況に違和感を覚え、警戒を強めるマティアスに対して、少年は不適に笑う。
「忘れていた? いったい何を―――」
そこまで言って―――唐突に、マティアスの頭に、ある光景が流れた。
それは……ずっと抜け落ちていたと思っていた記憶。
あの日、ガストンを追い……全てにケチがついた夜の、無くなっていた記憶だ。
ガストンの馬車を確保したところで現れた―――水色の髪の少年。
それは今、目の前にいる少年だ。
「お前が――あの時の‼ ガストンを……国庫の金をどこへやった‼ アレのせいで私は……」
マティアスは、飛び上がり、すぐさま脇に置いてあった剣を構えた。
そう、コイツが……コイツこそが、全ての元凶なのだ。
「ははっ! まぁまぁ、落ち着きなよ」
「何を……」
剣を突きつけられているというのに、少年は不適に笑っていた。
その姿は、やけに不気味に映った。
警戒を強めるマティアスに、少年はニヤニヤとしながら、ゆっくりと疑問を投げかけてきた。
「本当に、あの時僕が現れなければ、君が後継者に選ばれたのかな?」
「なに?」
その言葉に、思わずマティアスは眉をピクリと動かす。
「考えてみなよ。たとえ見事にガストンと国庫を回収したとしても……本当にラーゼンが君を後継者にすると思うかい?」
「……」
「思わないだろう? 彼は実力で選んだと言っているが……息子と甥、同じ成果を上げたとしたら、息子を選ぶに決まっているんだ。そもそも最初からおかしいだろう? 魔導騎兵の指揮官と、別動隊の司令官では、最初から上げられる戦果のスケールが違うんだ」
言われて、マティアスは、あのガストンの件が無かった時の事を想像する。
ガストンを捉え、国庫を確保していたとして―――それで、本当にあのオスカーの成果を越えれたのか。
いや、確かに言われてみれば……役割を任命された時点で、差があった。
マティアスが、精々一部隊の指揮官なのにたいし、オスカーは一軍の司令官だ。
上げられる戦果も、全く違うのではないか。
ガストンを捉えたところで、イルムガンツを落としたオスカーに並ぶことができたのか。
いや、おそらくそれは否だろう。
この少年の言った通り、スケールが違うのだ。
「なら……最初から閣下は、オスカーを……」
「そうだ。ラーゼンは君を選ぶ気なんて最初からさらさらない。君の時代が来ることはあり得なかったんだよ」
「そん……な」
薄々、分かっていたことだ。
だが、言葉にすると――誰かに言われると、その言葉はガツンとマティアスの懐を抉った。
マティアスの時代は来ない。
これから先に、後継者になる事も、時の権力者になる事もない。
自分は、オスカーの下だ。
それを、嫌でも自覚した。
しかし―――。
そんなうなだれるマティアスに対して、少年はやけに笑顔で、語り掛けた。
「―――だが、まだできることはある」
「……なんだと?」
できる事?
これ以上……これ以上何をしろというんだ。
アウローラ総督となったオスカーに、ここから追いつくなど不可能。
もう戦争もないのだ。
武勲の上げようもないし、内政の実権はラーゼンに全てを握られている。
ラーゼンがいる限り、マティアスはいわば飼い殺しだ。
「そうだ。あの親子がいる限り、君の時代はこない」
そんなマティアスの心を読んだかのように、少年は言葉を綴った。
「―――だけど、あの親子がいないなら?」
「……いったい何を言っているんだ?」
あの親子……ラーゼンとオスカーがいないなら、だと?
そんな未来は、あり得ないはずだが……。
「わかるだろう? ラーゼンとオスカーさえいなければ、もうこの国に君に敵うような指導者はいない。なにせ、ネグレドは死に、元老院の貴族共はプロス島送りだからね」
「それはそうだが……まさか私に、伯父と従弟を殺せとでもいうのか?」
「ははっ話が速くて助かるよ。そうすれば――君にとって邪魔者はいなくなるだろう?」
「ふ、確かに、そうだが……そんなことできるわけがないだろう?」
少年の言葉に、マティアスは苦笑する。
「……何故だい?」
「ラーゼンは伯父だ。恩もある。それに――この国の民衆が求めた指導者なんだ。そんな人を殺したら、私にどれほど非難が集まるか、考えるまでもない。しかも、そもそも伯父の傍にはいつも『迅王』ゼノンがいる。彼がいる限り、伯父を殺すことなどできないさ」
確かに、ラーゼンとオスカーが死ねば、このユピテルの権力はマティアスの物になる。
なにせ、片割れとはいえ『執政官』だ。
伯父さえいなければ、唯一の国政の最高責任者となる。
だが、それは不可能だ。
迅王ゼノンという剣客の強さは、マティアス自身が戦場で何度も見た。
あの男が傍にいる限り、ラーゼンは最前線にいても、傷一つ負う事はない。
「――大丈夫だ。君がラーゼンを殺す必要はない」
しかし、少年は不適に笑った。
「なんだと?」
「……場は僕が整えよう。君は――決断するだけでいい」
「何を……」
殺さなくていい?
決断?
いったいコイツは何を言っているんだ?
そう逡巡するマティアスに構わず、少年は諭すように続ける。
「迷う必要はないよマティアス。君は、心の奥底では憎んでいるんだ。自分を使わない伯父のことや、ひ弱なくせに自分より先にいく従弟のことをね」
「そんなこと……私は彼らの―――」
「隠すことはない。その憎しみと恨みが――僕を呼んだんだ」
「―――!?」
やけに……やけにその時の少年は不気味に映った。
そうだ、思い返せば―――あのガストンとの一件の際、この少年はわけの分からない魔法を使っていた。
どうしてあの場に現れたのか。
そして今どうして再びマティアスの前に現れたのか……その謎が、いっそうこの少年を不気味に映す。
「お前は……お前はいったい何者なんだ―――?」
震えるマティアスの声に、少年は口元をゆがめながら答えた。
「……僕はラトニー。世界の行く末を決める唯一の調停者にして――君と目的を共にする者だ」
「ラト、ニー?」
「マティアス、契約だ。僕と共に――邪魔な奴らを一掃して、世界の覇者となるか。それとも、従弟の二番手に甘んじ続ける人生を送るか……今、選ぶんだ」
「――――!」
従弟の……オスカーの二番手だと?
ずっと先を走ってきた私が――オスカーの?
「私は……私は……」
夢か真か、この少年が何者か。
分からないことはいくらでもある。
だが、これは――最後のチャンスなのかもしれない。
二番手であり続けるか、反旗を翻すか。
これを逃したら、一生自分にまき返す機会はないのかもしれない。
この少年の力は、ガストンの一件でも見た。
少なくとも、只者ではない。
あるいは悪魔か、悪霊か。
この部屋に音もなく入ってきたことを考えても、尋常の存在ではないだろう。
「………ラトニーといったな」
「ああ」
――そうだ。決断しろ。
生き続けても苦痛と屈辱にまみれるのなら、せめて最後に花を咲かせて見せろ。
例え血縁を裏切ってでも……悪魔に魂を売ってでも―――。
「いいだろう……。私を――世界の覇者にしてみせろ」
「―――ハハッ! やっぱり君は――期待以上だ!」
マティアスの言葉に、少年―――ラトニーは不適に笑った。




