第223話:終結へ
天に――遥かな光が見えた。
この夜空を照らすような、太陽のような光。
王城の方だ。
――いったい…何が…。
神聖教――四司教の1人、プトレマイオスは、その光に困惑していた。
既に――既定の時刻は過ぎているというのに、王都から、知らせは来ない。
それどころか、プトレマイオス率いる決起も――押され始めている。
女王の「親衛隊」と、「烈空アルトリウス隊」。
これらの動きが予想よりも早かったのだ。
巧みな連携と、迅速な行動で、王都の神徒たちは徐々に制圧されつつある。
――数では圧倒しているはずなのに…!
プトレマイオスがそう唸るのもわからないことはないが――実際は順当な結果である。
なにせ―――本来神徒達は、戦闘のプロではない。
ビブリット商会経由で、強力な武装は装備しているものの、ついこの間までは一般人であった人間がほとんどだ。
対して女王の親衛隊も、アルトリウス隊も――凄腕ばかりを集めたエリート部隊。
選び抜かれた《神聖騎士団》以外は、対抗できないのが必然だ。
「――ええい、ネルソンとモーリスは何をやっているのですか!」
そもそも本来ならこうなる前に、もう一方――王城と女王を制圧するはずだったのだ。
まさか《八傑》を2人も擁して、小娘1人捕らえられないとは思えないが…それにしても遅すぎる。
目下脅威は『聖錬剣覇』くらいしかなかったはずだ。
いったい何の見落としを―――。
「―――見つけたぞ! この混乱の元凶!」
そんなプトレマイオスの元に――遠目から声が届いた。
「――何!?」
「――司教猊下、お下がりください! コイツ等――烈空アルトリウス隊でも――常に先陣を切り続けたと言うファーストチームです!」
すぐそばにいる騎士が、プトレマイオスに言った。
「――烈空隊!?」
暗闇の中迫るその中で、迫りくる影は――わずか数名。
10名にも満たない人数だ。
そんな――無勢で何が…。
神徒の指揮をするプトレマイオスの守りは――当然硬い。
司教であり、この決起の扇動をしている彼が落とされるわけには行けないのだ。
そのため彼を守るのは、屈強な選び抜かれた神の使徒――神聖騎士団のその本隊。
その数、48名。
間違いなく神聖教の最大戦力だ。
その気になれば、『八傑』だって相手できる数だと、プトレマイオスは自負している。
だが――目前の一団は、猛然とそんなプトレマイオスめがけて、迫ってくる。
それは――数人の若い男女。
いずれも、剣を帯びる――兵士のような少年少女たち。
――コイツ等…そんな人数で…正気か!?
「――猊下! 後退を!」
「あ、ああ」
「――逃がすか…!」
明るい茶髪の青年を筆頭に、数人程度の兵士が、怒りの形相を帯びながら――下がるプトレマイオスを猛追する。
「――騎士団、隊列を組め! 司教猊下をお守りしろ!」
その数人の剣士――アルトリウス隊『1班』を止めようと、神聖騎士団は立ちふさがる。
だが、
「――フランツ!」
「――フォーメーションD! 誰でもいい、抜ける奴が抜いていけ!」
「「――了解!!」」
―――縦横無尽。
その7人の戦士は、止まることなどしない。
散会し、密集し、突き進む。
あるいは騎士を一刀に切り伏せ、あるいは、騎士の間を抜けて―――彼らはうねりとなってプトレマイオスへと迫る。
「―――コイツ等…速いぞ!」
「囲め! 一人一人を数で押せ!」
戸惑う声と、剣の響く音。
そして――確実にプトレマイオスへと近づいてくる殺気―――。
「――ちょこまかと…!」
「――鈍い!」
茶髪の青年に、騎士は斬り伏せられる。
着々と――プトレマイオスと彼らの距離は縮まっていく。
「――猊下! 早く!」
「―――!」
圧倒――。
48名の騎士が、その7人の若者に、圧倒されていた。
別に――『1班』の面々と騎士団の間の個々の実力差がそれほど離れていたわけではない。
神聖騎士団のメンバーは、いずれも軍なら百人隊長相当の実力を持つ実力者であることは間違いない。
実際、元軍人や元傭兵も多いのだ。
だが、それでも――この場は、確実にその7人に支配された。
理由は色々とある。
ビブリット商会から、潤沢な装備をしていた騎士団だが、それゆえに、機動力という点で劣っていたこと。
アルトリウス隊1班の連携は、彼らとて初めて目にする物だったこと。
あるいは、彼ら7人の――この大義のない暴動に対する怒りが、騎士たちの想定を超えていたこと――。
そして、何より、その天に上った太陽のような光が、彼らの親愛する隊長の出現を予感させたこと――。
「―――司教猊下、速く!」
「――わ、わかっています!」
騎士団長に引かれながら、プトレマイオスは足を動かす。
―――なんだ…? なんだコイツ等は!?
闇の中、見えるのは足元だけ。
先はよくわからない
頭が働かない。
――嘘だ。こんなことは…あり得ない。
神の意志は、絶対のはずだ。
プトレマイオスは――神聖騎士団は、神の御心に従っている。
神の兵が――神の使徒が、敗北することなどあり得ない。
そうだ、今日は――神罰の日だ。
至高の神が愚かな人類に―――神への感謝と尊敬を忘れた人間に、裁きを下す日だ。
それなのに――何故…。
「チッ! ――猊下、2人抜けてきます! 私の後ろに!」
傍についていた、騎士団長が、舌打ちを打つ。
「―――この…異教の民がッ! 我が信仰の前に、屈するがいい!」
高らかに叫びながら、騎士団長は剣を抜き放つ。
白騎士を除けば、神聖教徒の中では随一の実力者と言ってもいい彼だが…。
―――その剣の前に出るのは、三つ編みの少女だった。
「――フランツ、行って!」
「ああ!」
「―――何!?」
騎士団長の――最大魔力を込めた剣は――そのひ弱そうな三つ編みの少女の剣に止められていた。
そして、脇を抜けていくように茶髪の青年の影が――猛然と騎士を追い越していく。
「――しまっ…!」
騎士が声を上げたときには、もう遅い。
プトレマイオスは――戦闘員ではない。
速度に置いて、身体能力強化と加速を乗せた剣士に及ぶはずはない。
茶色の髪の青年が、眼前に迫る。
「―――ひっ!」
思わず、司教は、その場に尻餅をつく。
恐怖と――驚愕と――混乱。
「―――そんな…こんなはずでは…! 神の意志は――絶対のはずだ……」
苦しい時も、悲しい時も、神はプトレマイオスを救ってくれた。
孤独で心が荒んでしまいそうなとき、神は3人の兄弟を贈ってくれた。
空腹で死んでしまいそうなとき、神は父と出会わせてくれた。
「王国の罪が…どうして許される…! 神の使徒を殺して、自由を奪った王国が……その王国でのうのうと生きている愚かな人類が、どうして許される!」
司教は叫ぶ。
剣が突き付けられる中、自らの信仰を、自らの信念を独白する。
「神の意志が絶対なのだ! 享受してきた物のありがたみも知らずに、王に媚び、敬虔な神徒を害する愚かな異教徒どもがそれに逆らうなどと……」
しかし、青年の冷ややかな目は変わらない。
「―――貴様らに神の意志などありはしない」
「なんだと……」
「――神を信じているくせに、人攫いで神を自作し、暴動を扇動して神罰を自演している―――矛盾しているとは思わないのか?」
「―――なッ!?」
自作自演…。
司教たち4人が……神を――自演している。
―――まさか…だって―――私は…父は「声」が聞こえたと…私たちは、それに従って―――
「――ふ、それに神の意志があったところで、そんな物は関係がない」
おののく司教に、青年は言い放つ。
「――人を裁くのは法だ。王でも神でもない」
「―――何を…!」
「人を傷つけていい法などありはしない。法を犯した貴様らは、ただの犯罪者だ」
「―――ッ!」
司教の反論する余地も残さず――青年の剣は、プトレマイオスを貫いた。
「―――げ、猊下―――!」
「――よそ見はさせない…!」
そんな声が、遠く聞こえる。
「―――ああ…我が神よ…」
信仰が――消えていく。
プトレマイオスの命と共に、その信仰の意志が折れていく――。
――そうか…きっとこれも――試練なのですね―――。
神の課した試練。
これを――この痛みを乗り越えた先に―――きっと、神の世界が…素晴らしい世界が待っている――。
きっと―――
● ● ● ●
「――フランツ、やったの?」
「――ああ、そっちは?」
「そっちの司教さんを気にして胴がガラ空きだったから――ゼロ距離で『氷槍』をぶち込んじゃった」
三つ編みの少女――アニーの声に振り返ると、腹に風穴を開けて、天を見上げている騎士の姿が映った。
最後まで司教を守ろうとしていた騎士…この場では一番厄介な相手だったが、何とかやってくれたようだ。
「―――フランツ! こっちは片付けたぞ!」
「どうなった!?」
そこに―――続々と集結してくる1班の面々。
誰もが苦戦をしつつ――神聖騎士団を処理してきたようだ。
無傷な者は一人もいないが、死んだ者は一人もいない。いつものアルトリウス隊だ。
「―――司令塔とみられる奴は始末した」
視線を移すのは――目の前で、胸から血を流す、司教の姿だ。
明らかに戦闘員ではなかったが、その影響力は100人の騎士を凌ぐだろう。
神徒達を扇動している奴は――間違いなくコイツだ。
コイツを抑えてしまえば――やがてこの暴動は沈静化していくだろう。
「―――早く……首席秘書官殿に連絡を」
「――ああ」
そうして、フランツ達がそこを立ち去ろうとしたとき――ふと光が差し込んだことに気づいた。
都市壁を越えて、東の方から登る――明るい光―――。
「――夜明け、か」
「…そうみたい」
多くの血が流れた凄惨な夜――その終わりを告げるかのように――朝日は昇った。
● ● ● ●
「―――報告します! 1班より――《神聖教》首謀者の討伐の知らせが!」
「――!」
王城より程ないその天幕。
もう全てを指示し―――戦士たちの無事と勝利を祈るばかりだったポニーテールの少女の元へ、そんな知らせが届いた。
「――メラトス殿の親衛隊による暴徒の鎮圧もかなり進んでいるようです」
「…そう…ですか」
ポニーテールの少女、リュデは、ぐったりと机に突っ伏しながらそう答えた。
これでようやく少しだけ――肩の荷が下りたような、そんな気がする。
あとは――。
日が差し込む中――少女は、一人、王城を見つめた。
● ● ● ●
王城より少し離れた郊外。
歴戦の兵士たちに守られながら――不安げに夜空を眺める一団があった。
「――あ、見て見てお父さん、お日様が昇ってきたよ!」
そんな中の1人、母親に似たブロンドの少女が、はるか遠くを指さした。
「…ああ、ようやく…夜が明けるな。長い――長い夜だった」
答えるのは、茶髪の父親だ。
「――お兄ちゃん…大丈夫かな」
心配そうな声を漏らす、少女に、父親は優しく微笑む。
「大丈夫さ。アイファも知っているだろう。アイツは――すごい奴なんだ」
「そうよ――貴方のお兄ちゃんは…私たちの自慢の息子なんだから」
伝説の隊を引き連れて――家族を助けてくれた自慢の息子。
見ない間に、随分立派になった――バリアシオン家の長男。
父親と母親の言葉に、少女は、ニコリと笑顔になる。
「うん…そうだよね。アランなんかとは違って、お兄ちゃんはお兄ちゃんだもんね」
「アイファ、うるさい」
隣で寝むそうにしながら反論するのは、見た目だけは兄とよく似てきた弟だ。
「――ふふーんだ。本当のこと言っただけだもん~」
「アル兄と比べたらアイファだって僕と変わらないよ」
「私はちゃんと最優秀賞取ったもん!」
「――まだ一回だけじゃん」
「今年も学校あれば獲ってたし!」
「こらこら、二人とも」
先ほどまで幽閉されていたとは思えないような家族の会話が流れる。
こんな喧嘩ができるのも――あの暗い地下から解放されたことと、兄が近くにいるという安心感から来るものだろう。
――アルトリウス。
愛しい息子の姿を思い描く夫婦を――日の光は暖かく照らしていた。
● ● ● ●
《神族》――赤いローブの少年、リードが消えたのを見計らったように――夜は明けた。
後光のように王城を照らす光は、やけに新鮮で――この夜がどれだけ長く、大変だったかをひしひしと感じられるものだった。
「――アル君!」
光と共に、少女の姿が飛び込んできた。
真っすぐと、俺の元へ飛び込んでくる、黒髪の少女だ。
「エトナ」
「――お疲れ様っ!」
「…ああ」
勝利など信じて疑いもしなかった少女は、ただ一言、ニコリと労いの言葉を贈ってくれた。
お疲れ様、か。
「そうだな、少し――疲れたよ」
俺は目の前の少女に体重を預ける。
魔力切れ以前に――体力が限界だ。
「――うん、頑張ったね」
少女の包んでくれる暖かな身体は、優し気な声は、やけにここちよくて――癒される。
俺の守りたかったもの、守ったもの。
きっとこれもその一つ。
とても暖かい……人のぬくもり。
「――陛下、これで…最悪の事態は防げました。悪いけど―――後は任せます」
消え入りそうになる意識の中で――辛うじて目を、倒れたフィエロの傍らに寄り添うリーゼロッテと、ギルフォードの方へ向けた。
「――アルトリウス殿…」
「―――トトスや攫われた人は《龍眼の湖》です。まぁもう解放されて――こちらへ向かっているでしょうが…王都の混乱が収まり次第、迎えかなにかは寄越したほうがいいかと」
「――へ、あ、ああ…了解した」
答えたのはギルフォードだ。
まぁ…今のフィエロよりはギルフォードの方が動けそうだ。
なんかやけに強くなっているような気もするし――。
「――隊長…」
近づいてきたのは――眠ったヒナを抱えた金髪の少女――シンシアだ。
「――シンシア、君たちも無事でよかった。遅くなって、ごめん」
「いえ、そんなことは…」
「――悪いけど少し眠るよ。こっちの作戦は良く知らないけど…もしも動ける隊員がいたら、できる範囲で彼らを手伝ってやってくれ」
「…了解、です」
もう俺は目を閉じていたけど、彼女は真面目そうに返事をしていた気がする。
セントライトとリード。
多分…今回の騒動の真の原因はこれで倒した。
リード――神族の最期には、思うところもあったが……まぁ今は、前に進むしかない。
この王都に広がった火を鎮めるのが、とりあえず先決だ。
残念ながら俺はここでガス欠だが―――。
「ふ、全部救うって言っておいて、少し不甲斐ない気もするけど…」
「ううん」
俺の髪を撫でながら、エトナはニコリと微笑んだ。
「大丈夫。アル君は――きっと全部を救ったよ」
「…そっか」
「だから、安心して…」
「うん……」
エトナの心臓の脈打つ音が、やけに心地よく俺の眠気を誘う。
俺の記憶よりは膨らんだように思うやわらかい感触から、彼女の暖かさが伝わってくる。
これが俺が、取り戻した物。
そう思うと―――ちょっとは頑張った甲斐がある。
オルフェウス――アンタもこういう気分だったのかな―――。
「―――」
久しぶりに、安心した気持ちで、俺は眠りについた。
ブクマ1000件達成しました!ありがとうございます!




