第222話:消えゆく物
―――すごい。
思わず―――『精霊王』リンドニウムは感嘆の意を示した。
その対象は、彼女にとって――2人目となる契約者…アルトリウス・ウイン・バリアシオン。
リンドニウムの力を使い――セントライトと剣を合わせるアルトリウスに、ただただ彼女は驚きを隠せなかった。
―――きっと勝てないだろう。
そう思っていた。
かつて、今のアルトリウスと同じようにリンドニウムを手にしたオルフェウスは――セントライトに勝つことはできなかった。
激闘の末、結果は引き分け。
剣も魔法も、技も、経験も。
全てをアルトリウスを凌ぐ『大魔道』オルフェウスが、生涯唯一勝てなかった相手…それが『獅子王』セントライトだ。
あのオルフェウスでも互角なのだから――彼には無理だろう。
アルトリウスに、リンドニウムは使いこなせない。
そう思った。
アルトリウスは確かにこの時代の中では、強者の一角まで上り詰めはした。
リンドニウムが紡いできた英傑――『八傑』に数えてもおかしくないほどの実力者だろう。
だが――単純な技、剣術では『聖錬剣覇』フィエロに軍配が上がるし、魔法ならば『摩天楼』ユリシーズに劣る。
事実、アルトリウスは『軍神』ジェミニに負けた。
故に。
この大空で――彼の思念を通して見せつけられた光景は、リンドニウムの予想を覆すことだった。
別に――それほど技量が上がったわけじゃない。
二刀流の技量も、ギャンブランの技も――オリジナルには劣るだろう。
読みも経験も、セントライトには負けている。
普通に考えれば、速さが上がっても、意味はなかったはずだった。
ただ――不思議と――セントライトの剣はアルトリウスに当たらなかった。
不思議と――アルトリウスは精霊の力を、限界以上に引き出した。
――そんな…。
衝撃的だった。
オルフェウスではなく――アルトリウスこそが、真のリンドニウムの持ち主だとでもいうように、彼と彼女の意志は、想いは、魔力は深く繋がっていく。
まるで、世界がそれを望んでいるかのように。
世界が彼の想いに応えたかのように。
彼の魔力がこちらに流れ込むほど、彼の心音が――優しい心音がリンドニウムの心に触れる。
こんなこと初めてだ。
かつて見た金髪の英雄が越えられなかった壁を、この少年は徐々に…しかし確実に越えていく。
速く――強く―――限界などないように。
そして――アルトリウスの動きは、ついにセントライトを凌駕した。
いや、動きだけではない。
意志も、言葉も―――そのアルトリウスの全てが、セントライトに突き刺さっていく。
完全な神族じゃないから。他人の肉体だから。
そんな事、関係ない。
きっとこの少年は、例えセントライトが完全体だろうとなんだろうと、越えていく。
その意志が、想いが途切れぬ限り―――。
彼の野望を打ち砕くのではなく、まるで共に溶けあうかのように、その言葉と暖かな光が、大空を包んだ。
――ああ。
そして、リンドニウムは全てを理解した。
700年間、ずっと待っていた――彼女の求めていた物。
誰も取らなかった彼女の手を握ってくれる人。
『――俺はなるよ。過去も未来も、神も英雄も越えて――全てを救う、最強の存在に』
揺るぎない意志と瞳で、そう告げた少年。
そしてそれを、現実にした少年。
――そう、オルフェウス…彼なのね…。
ずっと…待っていた。
ずっと…孤独だった。
誰にも理解してもらえない。
誰にも手を取ってもらえない。
オルフェウスの課した最後の契約を信じて、ペンをとり続けた700年。
『八傑』を繋ぎ、歴史を紡いできた700年。
もう何年も昔――軍神ジェミニと出会った時に、ようやく時間が動き出したと、そう思った。
闇狗ウルが、歴史の表舞台を去った。
双刃乱舞ナタクが死んだ。
ユピテルは、大牙海の覇権国家となったが、その大きさに、機構が耐えられなくなってきた。
ユースティティア王国では王が死に、再び王位継承争いが勃発した。
その風を起こしているのは、ジェミニだと思った。
きっと彼が、リンドニウムを待っていた人なのだと、そう思った。
でも、『軍神』ジェミニは―――戦い以外何も知らない男だった。
ただ、オルフェウスの剣――『不壊剣モンジュー』を持っているだけ。
ただ、単に――世界の気まぐれで、『最強』として生まれ落ちただけ。
――ああ、彼も違う。
きっと、もう――リンドニウムの求めた物は、現れない。
歴史を綴る運命からは逃れられない。
そう思った。
彼女の名前など誰も知らない。
いくら本を書いても、いくら歴史を綴っても、誰も――彼女を求めない。
そう思った。
でも―――。
『――精霊王リンドニウム。最初の契約だ』
彼は名を呼んだ。
手をとって…力を貸してくれと、そう言った。
彼女が紡いできた700年に意味があったと、そう言ってくれた。
絶望を乗り越え、過去に打ち勝ち、そして過去の英雄すらも越えて、何よりリンドニウムの傍にやってきた―――焦げ茶髪の少年。
――ジェミニなんかじゃなかった。
ずっとこの時代、世界を巡るましく動き続けたその風。
それを起こしたのは、軍神ジェミニなんかじゃない。
――アルトリウス、貴方なのね…。
世界が加速する。
星々の煌めきすら置いていくその世界。
彼らの言葉と想いのみが、その速度についていく。
そして――。
虹色の光は、セントライトを貫いた。
世界を救おうとした少年が、本当に世界を救ってしまった――そんな瞬間だった。
● ● ● ●
「―――精々、証明することだな。本当に――全てを救えるのか…お前自身も含めて、な――」
そんな言葉を残して、光が――大空を舞った。
闇を浄化して、溶かしていくように――セントライトの身体を包んでいく――。
そして――光は薄く――空へと散っていく。
その「王」の魂を導くように―――星々は綺麗に輝いていた。
「――これは…」
『…不完全な状態で身体を保つのに、限界が来たみたい。セントライトの全力に…その状態じゃ耐えられなかったんでしょう』
頭の中に精霊の声が響いた。
精霊剣リンドニウムの声だ。
「――不完全な状態、か」
王族でない人間の身体で現界を保つことが不可能になるほど―――セントライトの力は高かったと、そう言うことだろうか。
「――勝ったのか?」
『―――うん』
リンドニウムは短く答える。
「……そう、か」
最後に――どう動いていたのか、よく覚えていない。
でも、俺の想いは――魂は全てぶつけた。
最後…俺の剣を――アイツは何もせずに受け入れた。
俺の言葉を――意志を、受け入れてくれたかのように。
想いが通じたかはわからない。
でも、剣でも技でも負けていた俺が、どうしてアイツに勝てたかと言われたら――それしか思い浮かばない。
「…どうか――安らかに、眠ってくれ」
『獅子王』セントライト。
彼のとったその手段は、確かに俺とは相いれなかった。
だけど、目指したものはそう違わない。
俺と同じように世界を救おうとした…紛れもない英雄だ。
『――アルトリウス』
「―――!」
そして、目の前のセントライトを包んでいた光が――止んだ。
現れたのは――宙に浮かぶ…黒いビー玉と、見知らぬ男の姿だった。
「――っと!」
慌てて俺は剣を鞘に納め、そのビー玉と、男を掴む。
ここは上空だ、放っておいたら落ちてしまうだろう。
「―――コイツは…」
「――軍務卿ザンジバル。軍属派の筆頭で…神聖教の司教の1人ね」
「――!」
いつの間にか剣の姿から――少女の姿になっていたリンドニウムがそう答えた。
「―――もう、貴方の魔力が限界だったから…」
「…そうか」
確かに、緊張の糸が途切れたかのように、全身に力が入らない。
強がってはいても、負けてもおかしくない戦いだった。
ただ、ここで倒れるわけにもいかない。
下に落下したら無事では済まないし…確認しなければならないこともあるしな。
「そして、これが――」
「――《ニルヴァーナの滴》」
右の手の平の上で、鈍く光る…黒色のオーブ。
《神族》が作り出したという、人に永遠の命と絶望の力を与える――《災厄の力》。
それが、この……《ニルヴァーナの滴》。
考えてみればコイツが全ての元凶だ。
イオニア帝国ができたのも、セントライトが蘇ったのも――全部…。
「これ、壊せないのか?」
「…多分、無理だと思う。オルフェウスも色々と試したけど――封印するしか、手段はなかった」
「そっか」
封印…か。
塔で見た記憶では――これを封印するために、オルフェウスは命を使った。
「……」
確かに、世に出していい物じゃない。
封印か…そうでないにしろ、何か方法は考えよう。
「――アルトリウス?」
「いや、何でもない。さぁ、さっさと降りようか」
精霊の言う通り、ぶっちゃけもう魔力はすっからかんだ。
さっさと降りないと――魔力切れを起こしてしまう。
ヒナに怒られるのは勘弁だ。
「…そうね」
灰色の少女――リンドニウムは短く答えた。
表情の読めない彼女の表情が――こころなしか明るく見えた。
● ● ● ●
「―――」
地上は、飛び立つ前と何一つ変わらぬ景色だった。
俺にとっては数時間も戦っていたような感じだが、ぶっちゃけ殆ど時間は経っていないだろう。
この世界の剣士の戦いは、秒単位だ
見渡すと、倒れたフィエロに、寄り添うリーゼロッテとギルフォード。
ニコニコとこちらを眺めるエトナとカインに、隣でヒナを膝に寝かせるシンシア。
ちらほらと見知った隊員の顔も見える。
誰もが疲れ果てた表情だったが、暗い顔ではない。
そう、ただ1人を除いては――。
「―――まさか…!」
声を上げたのは、赤いローブを羽織った、橙色の髪の少年――リード。
この場でただ一人、彼だけは――降り立つ俺とリンドニウム、そして――俺が背負う、大男の身体を見て、唖然とした顔をしている。
「…アルトリウス…セントライトをやったのか…」
「…これが答えだ」
俺は、大男の身体をリードに投げ飛ばす。
セントライトだった大男――ザンジバルだったか。
セントライトの時に切った腕はそのままだ。
貫いた胸も、再生しなかった。
つまり、ただの死体だ。
「―――ザンジバル…」
後ろからリーゼロッテの感慨深そうな声が聞こえた。
軍務卿だったか…この王城では見慣れた顔なのだろう。
「―――っ!」
リードはその死体を見て…ただ一人悔しそうに、顔をゆがめている。
彼が直接手出しできないと言うのは本当の事のようだ。
まぁだからこそ――人に力を与える《ニルヴァーナの滴》なんて物を作ったんだろうが。
「何故…どうしてお前が…セントライトを倒すんだ。…あの《獅子王》だぞ? 僕らがいくら頑張っても倒せなかった最強の英雄だ! こんな――こんな運命は知らない…!」
頭を抱え、リードは膝を着く。
「お前は…オルフェウスじゃないだろう…! アルトリウスに――こんな力はなかったはずだ…お前は――あの時、死ぬはずだったんだ…なのにどうして―――」
ひどい目で、リードは俺をにらみつける。
俺が諸悪の根源だとでも言いたげな瞳だ。
確かに彼らからしたら…俺は悪魔みたいなものかもしれない。
「お前が…お前さえいなければ―――!」
そこで――リードの顔が醜くゆがんだ。
驚くような、打ちひしがれるような顔だ。
その視線の先は、彼の腕。
薄く消え―――塵のように崩壊してく、リードの腕だ。
「そんな…僕の―――身体が…」
「……」
リンドニウムが言うには――確か、イオニア帝国皇帝の消滅と共に、神族も消えていったんだったか。
世界の混乱と、彼らの存在力はリンクしているとかなんとか…。
セントライトという脅威を取り除いた今、リードはその存在を維持できないほど弱体化したということだろう。
そのあたりの詳しい事も――後で教えてもらわなきゃな。
「――ふざけるな…ふざけるなよ…! 僕たち《神族》がお前たち人間に、いったいどれほどの物を与えたと思っているッ!」
俺の目の前で――少年の慟哭は続く。
神族が人にどれほどの物を与えたのか。
その台詞で思い出すのは、塔で、ピュートン博士に聞いた…神代の話。
かつて、神々は、人々に言葉を授け、叡智を授け、魔法を授けた、と。
「それなのに…どうして僕たちが消えなければならない…! 求められたから与えただけなのに――どうして…」
しかし、人々は神々を忘れた。
世界を制した人類に、もう神など必要がなかったのだ。
「どいつもこいつも、どうして僕らの邪魔をする! 僕らはただ――消えたくないだけなのに! 忘れられたくないだけなのに…!」
赤いローブも、塵となっていく。
その存在が認識できないほど、薄く――。
「―――許さない…許さないぞ《特異点》…。これで終わりじゃない。僕らは――お前らを絶対に許さない……たとえ僕が消えようと――まだ僕らの意志は終わらない。絶対に…次は、お前を地獄に落とす―――落としてみせる」
最後に見えたのは、そんな少年の、憎々し気な瞳だ。
消え入るように薄くなる瞳は、ひとえに俺を睨んでいた。
「――覚えておけ、アルトリウス……神の怒りを―――恨みを―――」
間もなく、瞳は――塵になって消えていった。
―――覚えて…おけ―――
残ったのは、そんな断末魔のような――響く言葉だけだった。




