第219話:舞い降りた剣②
その赤銅色の髪の男が、聖錬剣覇フィエロを圧倒していく様を――シンシアには見つめる事しかできなかった。
胸に抱く赤毛の少女は、完全に魔力が切れ、動くことはできない。
いや、例え万全だったとしても、彼女も動けたかはわからない。
少なくとも――あの赤銅色の髪の男の前で足を動かすには、『第四段階』に達している事が最低条件であることが分かった。
シンシアも、他の隊員も――他に幾度も強者と出会ってきたからこそわかる。
あれは別格だと…そう本能が告げている。
「――まるで…『軍神』のようね…」
あの男が降り立った時、胸の中でヒナがそう呟いたのが聞こえた。
――『軍神』。
世界最強と謳われる男にして――隊長があんなになっても勝てなくて、父が命を賭しても勝てなかった…そんな存在。
父やアルトリウスの強さを誰よりも信頼するシンシアも、確かに、「このレベル」が存在すると言われてしまえば、納得してしまうような、そんな次元。
彼らの会話はよくわからなかった。
復活がどうとか、不老不死がどうとか、負の感情がどうとか。
赤銅色の男が『獅子王』と言われても――実感は湧かない。
勿論聞いた事はあるが――そんな古代の人物が復活しているなど、にわかには信じられないのだ。
でも、確かに――この男が伝説の英雄と言われてもおかしくないほどの強さを持ち、そして、シンシア達にとっては敵―――この王国の悲惨な状況の元凶であるということは、よくわかった。
こんなの――どうすれば…。
これに比べれば、先ほど、死に物狂いで倒した白騎士なんて――可愛い物だ。
ああ…。
唯一、この場で動けたフィエロが、すぐに打ち倒されていく。
シンシアより何段も上の剣士が――父が敵わないといった剣士が――簡単に倒されていく。
もう、終わり―――。
そうシンシアは思った。
リーゼロッテと獅子王の距離が近づくのを、絶望の中眺めているしかなかった。
―――でも。
「――そうだよな…この状況で――お前が来ないはずがないよなぁ」
隣で、そんな声が聞こえた。
青髪の少年。
シンシアと同じように、その場で動けずにいた、折れた剣を持つ少年。
青髪の彼は――やけに安心しきった顔で、上空を見上げていた。
―――え?
「―――」
少年の視線の先、思わずシンシアも顔を上げた。
「―――!」
それは、光だった。
眩く夜空を照らす、日輪のような光。
黄金と虹色が交差した、美しい光。
綺麗で、暖かくて、やけに懐かしく感じる光。
――ああ…。
来てくれた。
このどうしようもない状況。
何が起こっても、覆せないような戦力差。
それでも、彼なら何とかしてくれるかもしれない。
そう思わせてくれるような、少年。
いつも…いつでも、シンシア達の道しるべになってくれた少年が――。
―――隊長…!
降り立ったのは、焦げ茶色の髪に、焦げ茶色の目をした――光に包まれた少年――アルトリウス。
シンシアの隊長だ。
光から現れるのは、少年と――そして、その傍らからトテトテとこちらに歩いてくる少女だ。
黒髪に、翡翠色の瞳を持った――やけに可愛らしい少女だった。
もしかして――
「――エトナ、無事だったか」
「あ、カイン君だ」
やっぱりというか、案の定というか、話に聞いていた少女――エトナだった。
――そうですか…本当に――救い出してきたんですね…。
どこへ行ったかもわからない、1人の想い人。
この広い王国の中から、探し出して、助け出してきたのだ。
そしておまけに、あの少年は、シンシアを…女王リーゼロッテを――この王国を救おうとしている。
「――隊長…」
少女が駆けてきた先には――あの赤銅色の髪の男『獅子王』と相対する、少年の姿があった。
右手には、父の残した黄金の剣を。
左手には、見慣れぬ虹色の剣を持っている。
――どこか、不思議な感じです。
二刀流のアルトリウスなど見たことはない。
もちろん神撃流を学んだ以上、使えないことはないだろう。
だが、戦場で彼は常に1本の剣を使っていた。
シンシアとの稽古でも、基本は同じだ。篭手を使うことはあっても、2本になることはなかった。
二刀流なんてものは――初めて見る姿なはずだ。
―――でも。
不思議と――その姿は様になっていた。
剣も、その表情も、雰囲気も。
両の手に剣を構え、悠然と立つ少年の姿は、それが本来の姿であるような――とても安心できるような、そんな姿だった。
「――大丈夫だよ」
隣から、声が聞こえた。
「――!」
顔を向けると、その黒髪の少女が、笑顔でシンシアの方を向いていた。
「えっと、ミロティックさんと…シンシア…さん?ちゃん? だよね?」
「――え、あ、と……そ、そうですが…」
思いがけず名前を呼ばれたことで、少しどもるシンシアだったが…
「――アル君なら、大丈夫だから」
「―――」
少女は屈託のない笑顔だった。
本当に――心の底からそう信じているかのような、そんな笑顔。
後ろにいる青髪の少年もやけにニヤニヤと気持ちのいい笑顔を浮かべている。
少女はニコリと笑い、再び視線をアルトリウスの方へと戻す。
「だってアル君は、私のヒーローで……皆のヒーローなんだから――」
そして間もなく―――場が動いた。
● ● ● ●
「――おい、セントライト…やったんじゃなかったのかい?」
「――――」
「おい、聞いているのか? アルトリウスが――《特異点》がここに現れるなんて…」
「――リード、黙れ」
「――!」
目の前に現れたアルトリウスに、リードは焦りを見せていた。
誰も助けに来ない塔で、圧倒的な強者であるセントライトに、殺させる。
それが最も可能性の高い方法だった。
あのオルフェウスでさえ勝てなかった最強の剣士――セントライトを相手にしたのだ。
それで終わりなはずだった。
なのにどうしてここに―――。
と、そこでリードが一瞬思案した瞬間――。
「―――!?」
アルトリウスの姿が―――消えた。
見ていたはずなのに、視界に入れていたはずなのに、見失った。
「―――良かった。まだギリギリ…息があったな」
その声が聞こえたのは――後方だった。
リードとセントライトの並ぶ、後方…。
倒れた『聖錬剣覇』フィエロの傍らに、その少年は移動していた。
―――何だ今の速さは?
確かに…元々このアルトリウスのスピードは、この時代でもトップクラスの領域にあった。
そこらの神速流剣士など比較にならない次元の速さだ。
だが――これほど速かったか?
そもそもおかしいのだ。
彼が今、ここにいる事自体が――おかしい。
たとえ生きていたとしても、龍眼の湖から、この王都まで――リード達と同等の速さで来ることなどあり得ない。『飛行』の速さも魔力も、持つはずがないのだ。
「―――ぐ…お前は…アルトリ、ウス…なのか? それにしては随分と…」
「――喋らなくていいですよ。そこで休んでいてください」
目の前では、アルトリウスが驚くべき早さで、フィエロに治癒を施し終わっていた。
――なんだ?
例え息があったとしても――あの出血量、フィエロは確実に瀕死だったはずだ。
人の分際で、そんな一瞬で意識が戻るほどの治癒ができるのか?
別に――アルトリウスは治癒魔法のエキスパートというはずでもなかったはずだ。
「――女王陛下も…少し下がっていて下さい。負けるつもりはないですが、余波がある可能性はありますから」
「――アルトリウスさん……」
「――大丈夫です。貴方の国も――世界も、全部を救いますから」
そう言って、アルトリウスはリーゼロッテに微笑む。
その顔は――リードの知っているアルトリウスには見えなかった。
本当に、救えると確信しているような、そんな…。
――何故だ?
何故、そんな余裕しゃくしゃくとしていられる?
ここにいるのは―――『獅子王』セントライトだぞ?
しかも――《神族》として覚醒したセントライトだ。
確かにまだ完全体ではないものの――膨大な魔力と、超速の再生力を持つ英雄だ。
塔で会った時は―――もっと必死そうにしていたじゃないか。
もっと不安そうにしていたじゃないか。
それが…どうして…。
「――おい、セントライト。アルトリウスは後でいい。今はとにかく先に女王を…」
ともかく、マズい。
この流れは――マズい。
この短時間でアルトリウスがセントライトを越えるような力を身に付けたとは思えないが…とにかく、嫌な予感がする。
そうだ。
オルフェウスもそうだった。
こういう――吹っ切れた顔をするときの人間は、何をしでかすかわからない。
だから、先に手を打たなければならない。
先に、リーゼロッテの血肉を使い――セントライトを完全体にする。
完全体になってさえしまえば、セントライトは正真正銘最強だ。
かつてのガルガンチュアと違い、単体での戦闘能力の高い『不老不死』――唯一無二の存在になれる。
そうなったら――例えオルフェウスでもどうにもできないだろう。
だが…
「――――」
「…おいセントライト、聞いているのか? 先に女王を――」
「リード、黙れと言っている」
「―――!」
『獅子王』セントライトはぴしゃりと言い放った。
――なんだ? 様子がおかしい。
セントライトとて、完全体になる事の重要性は理解しているはずだ。
それなのに、いったいどうしたというのか。
彼は先ほどから食い入るように、アルトリウスを見つめて――黙っている。
こめかみには筋が浮かび――こころなしか体も小刻みに震えている。
怒りのような、憤りのような、そんな――。
―――いったい…何が―――。
そう、リードが思った時、
「おい、アルトリウスと言ったか…」
ようやく、セントライトが口を開いた。
かつて見た事のないほどの――形相だった。
「―――貴様が左に持つ――その剣は何だ?」
「―――!」
――左手に持つ…剣。
そこでリードはようやく―――感じていた嫌な予感の意味を理解した。
――なるほど、そりゃそうだ。
アルトリウスが左に携えるのは、《虹色の剣》だった。
やけに美しく…淡い光を放つ直剣。
リードも記憶にある。
700年前の――古い記憶。
それは―――。
「それは…奴の――オルフェウスの剣だ!! どうして貴様が持っている!?」
セントライトが…獅子王が、叫んだ。
空気を震撼させるような、怒りの叫び。
この時代に蘇ってから、初めて出した大声だろう。
どうして『絶望』した状態から復活しているのか。
どうしてあの傷で無事なのか。
どうしてセントライトとリードの契約の事を知っていたのか。
どうしてここまでこれたのか。
セントライトにとってそんな事は『オルフェウスの剣』に比べれば―――些事。
彼にとって、オルフェウスというのはそれほどの存在なのだ。
「あぁ…まぁ話せば長くなるんだけど…」
獅子王の大地の震えるような叫びに、アルトリウスは全く動じず――飄々と答えた。
「――そうだな。知りたきゃ…無理矢理吐かせてみろよ」
「―――この…死にぞこないがッ!!」
挑発するようなアルトリウスの言葉に、セントライトが―――動いた。
「駄目だセントライト、先に女王を――」
リードは慌てて言うも、そんな言葉は、セントライトがその場に残した突風と共に掻き消えていく。
激高した獅子が、言葉に耳を貸すはずがなかった。
――ああもう! これだから人間は!
そんな、人ならざる者の悪態と共に――セントライトとアルトリウス……《神》と《人》の――未来を懸けた戦いが始まった。




