第209話:放たれた絶望
『龍眼の湖』にそびえたつ――漆黒の塔。
一種の遺跡とも言われていたこの塔も、『神聖教』の神徒達の手によって中は修繕が加えらえている。
その塔の内部。
屋上へ向けて一直線に進むかのように――高速で駆けあがっていく2人の姿があった。
「――よし、ここを上げれば屋上じゃ!」
「はい!」
老人と若者の2人組。
無論、2人とは言っても、その片方の小柄な老人は、若者の背におぶさっている状態だ。
彼らが高速で動けているのは、ひとえにその青年のおかげと言って差し支えないだろう。
彼こそ聖錬剣覇の弟子の1人――トトス。
まだ若いながらも、王国では有数の剣客である。
身体能力強化をすれば人を一人抱えて走るくらいわけはない。
腰には、道中に適当な神徒から奪った――棒切れよりは少しマシな程度の安物の剣。
トトス自身の剣は、もちろん業物であったのだが、『鴉』に敗北した以来、手元にはない。
探している時間があるわけもなく、むしろ剣を使えるだけ、牢の中とはずいぶん違う。
―――それに。
トトスは思う。
――彼の苦難と比べれば…大したことはない。
この塔の中腹で遭遇した『鴉』を相手に、1人残るといった少年――アルトリウス。
トトスを凌ぐ実力者である彼の覚悟にトトスは答えると決めた。
もっとも困難な敵を任せたのだから、何としてもトトスは頂上にて《棺》の解放を阻止し、少女を助けなければならない。
高速で駆け上がるのは、長い螺旋階段。
老人―――ピュートンが言うには、ここを抜ければ屋上へと続く扉があるらしい。
息を切らしながら、階段を上り切ると―――。
「―――チッ! 『神聖騎士団』か…」
トトスは小声で舌打ちをした。
その扉の前――そこを守るように8人の重厚な装備をした騎士が道を塞いでいるのが目に入ったのだ。
「他に…上へ繋がる道はないぞい…」
「そうか…」
神徒共の会話を聞いた事がある。
敬虔な信仰心を持っていることに加え、並外れた実力が必要と言われる神聖教のトップエリート――『神聖騎士団』。
「――ピュートン老……少し離れていてください」
「兄ちゃん…いけるのか…?」
おずおずと背から降りるピュートンが言った。
確かに人数は不利。
しかも敵は雑魚ではない。
れっきとした騎士…。
一目見れば、トトスもわかるほどの腕前ばかり。
だが―――。
「―――やってみせますよ…。そうでないと――あの少年に示しが付きません」
トトスは剣を抜いた。
● ● ● ●
塔の屋上―――。
夜空が煌々と照らす、幻想的なその空間で――その少年、リードは圧倒的な異彩を放っていた。
神々しいというよりは異質。
この空間、この世界ではあからさまに浮いているような、そんな少年だ。
―――『調停者』。
リードはそう名乗った。
エトナに――その単語は聞き覚えはない。
リードに似た少年――ラトニーならば見たことはあるが、ラトニーとの会話も、殆ど記憶はない。
でも、リードという存在に、エトナに思い当たる節はある。
その声――。
どこかでこのリードという少年の声を聞いたことがあるのだ。
それは…
「―――古文書の…声の人?」
エトナが古文書――古代の文字を読もうとしたときに、それを助けてくれた声。
間違いなく、それはこのリードの声だった。
「はっはっはっはッ! そうだよ! 良く気付いたね…。本当は姿を現しても良かったんだけど――君を媒介にすることはどうしてもできなくてね。声を届かせるのにも随分苦労したよ」
少年は、エトナの呟きに高笑いをした。
この場に突如現れ―――自ら『石碑』を作り出したと豪語する――謎の存在。
その笑いは、やけに不気味に映った。
「…どうして――私に…そんなことを…」
「うーん、そうだね…」
エトナの呟きに、リードは答える。
「―――理由は2つだけど、主な目的は―――君の持っていた『鍵』を今日、この場所まで運んでもらうため、かな」
『鍵』――。
リードの言う『鍵』とは…間違いなく―――扉…この棺を開くための『鍵』だろう。
この「石碑」に書いてあった『鍵』。
信仰と『鍵』があれば―――《棺》は開くという。
「まさか…」
思わず――エトナは思考を停止する。
この塔――古代の遺跡に眠るという、絶望の『棺』――それを開けるための鍵なんて…。
一般人であるエトナの所持品で、それらしき物なんて、一つしか心当たりはない。
そう、それこそそれは…
「―――古文書!」
神代の神々の歴史が書かれた古文書。
人々に知識と魔法を与え―――にもかかわらず存在を忘れられたが故に、人々に恐怖を絶望をもたらし――。
そして、人の英雄に倒され、大地を追われた神々の話。
それを記した、古びた茶色の本。
ピュートンやザンジバルによれば、『神聖書』の原典―――。
ただの資料じゃなかった。
「―――!」
そして―――なによりも不味い事に、その鍵たる古文書は、現在エトナの手にない。
捕まった時『鴉』に没収されたのだ。
そう、今この瞬間、それを手にしているのは―――。
「―――これも…神の御導きか――――」
それは、大柄の男。
天を仰ぐかのように少年に跪く―――ザンジバルだ。
「――ひょっとして…貴方様は…我が主――あるいは神の使いなのでは…?」
震える声で、まるで感無量とでもばかりに男――『司教』ザンジバルは少年に向かって言った。
「――ふふ、いいさ僕の事なんて今はどうでも。さぁザンジバル早く――神聖書を棺に…」
「ああ、なんと…」
少年の言葉に感銘を受けたかのように――ザンジバルは古文書を大事そうに抱えながら棺へと向かって歩いて行く。
――だめ!―――止めなきゃ!
この状況に、エトナですら…嫌な予感を感じた。
《棺》と《鍵》。
そして――復活を望む神徒。
これらを合わせてはいけない――。
本当に―――何かとんでもないことが起こってしまうような…そんな…。
今この場にいるのは自分しかいないという使命感で、エトナは自分を奮い立たせた。
「――ダメ―――ッ!」
手を縛られている状態でも、出来ることはある。
全身全霊で…体重をかけるかのように、エトナはザンジバルを追いすがる。
だが、
「――邪魔をするな…小娘がぁ!!」
「――うっ!」
非力――。
身体強化など使えないエトナに、ザンジバルを止めるような術はない。
ハエを叩くかのように、軽い蹴りでエトナは遠く―――最上階への入り口あたりまで吹き飛ばされた。
「―――う…うう……」
腰に酷い痛みが走りながらも、もう少女に動く力はない。
「―――ククク…はっはっはっはっはっ!」
聞こえるのは男の――我慢できないかのような笑い声。
一歩、また一歩と――ザンジバルの足取りは棺に向かって行く。
――駄目…そんなの…。
そう、エトナが諦めかけた時だった。
―――バーーン!
「―――屋上じゃわい!」
「はぁ―――はぁ――間に合ったか!?」
最上階の扉を破るように―――そんな声がこの場に乱入してきた。
老人――ピュートンと――剣士トトス。
エトナの――牢屋の隣人たちだ。
――どうやって脱走を…?
実情を知らないエトナからすると、そんな疑問が起こる事は当然だった。
しかし、このギリギリの状況で―――彼らが間に合ったのはまさに奇跡だろう。
息を切らすトトスを見るに――相当な無理をしてきたことがうかがえる。
だが―――。
「―――あー残念。少しだけ――遅かったね」
こちらをニヤニヤと見つめる少年の、無慈悲な声が天に響いた。
彼ら3人の視線の先――。
「―――この世界に―――神の鉄槌を‼」
屋上の中心、夜空が見守る中、叫ぶ男の手に持たれた古びた本は、その漆黒の棺にかざされた。
古文書はひとりでに――ザンジバルの手を離れ―――空中――棺の真上へと浮かんでいく。
そして―――うねうねと光を放ちながら古文書は《変質》した。
歪な色を――禍々しい色を放つ《オーブ》…ビー玉サイズの水晶へと変わったのだ。
それが――まるで本当の姿だと言わんばかりに。
そして、そのオーブは…吸い込まれていくように…《棺》に入っていった。
瞬間―――。
この場は―――圧倒的な魔力に包まれた。
● ● ● ●
―――なんだ!?
『神聖騎士団』八人という強敵をギリギリのところでなんとか倒し――やっとの思いでたどり着いた頂上。
扉を開けた瞬間、トトスの思考は停止した。
視界を覆うのは――殺風景とも幻想的とも取れる開けた空間に―――おびただしい魔力の圧だ。
すぐに目の端に映ったのは――入口の傍でうずくまる少女の姿。
黒髪に翡翠の瞳の――可愛らしい少女。
牢にいた彼女だ。
「―――大丈夫か!?」
すぐにかけより、トトスは少女の腕の縄を解く。
少女自体は、見た目は外傷はあるように思えないが…。
「――うん…それよりも…」
少女は腰を撫でながら―――視線を正面に向けている。
その先には、
「――――ハッハッハッハッ! これが…これが神の力の奔流か―――!」
そんな笑い声を上げながら――棺の前に立つ…大柄の男。
「――ザンジバル!?」
軍務卿――ザンジバル…。
トトスからしたら見慣れた人物だ。
「なぜ奴がここに…いや…」
よもや奴が攫われたわけはない。
元から奴が――『神聖教』の関係者だったと考える方が自然だろう。
そう考えれば…軍属派が、反女王の気質を持っていた事も頷ける。
それに、そんなザンジバルの登場など、もはやどうでもいい。
それほど――この場を覆う魔力は圧倒的だった。
―――まずい…まずいぞ…!
その『棺』そのものが発する、膨大な魔力。
まだ扉は開いていないというのに――とんでもない魔力がこの場を覆っている。
「――すさまじい…これは…いったい何が――」
――疑っているわけではなかったが…『力』が眠っているというのは本当だったたしい。
恐怖のような、よくわからない感情が、トトスに襲い掛かる。
少女が無事だったことは救いだが…しかし、トトス達は―――「棺の解放」の阻止に…間に合わなかったのだ。
それが神の力かどうかはともかく――とんでもないことが起こる。それは――間違いない。
後ろではピュートンが唖然としていた。
「―――まさか…《棺》が…。嬢ちゃんが《石碑》を読んだのか?」
「…ううん…石碑の文は…あんまり関係なかったみたい…」
「…なんとじゃと?」
「必要なのは『鍵』…。古文書だったの」
「―――『神聖書』の原典か…まさかそんなことが……」
考古学に精通するらしい2人の会話は――あまりトトスにはわからない。
それよりも気になるのは、
「あの…男の傍らにいる…赤いローブの少年は?」
ザンジバルの傍で―――ニヤニヤと笑う橙色の髪に赤いローブの少年。
この魔力の奔流の中平然としているなど、只者ではない。
「―――《調停者》とかなんとか…いい人ではなさそう…かな」
少女は立ち上がりながらそう言った。
「…調停者?」
無論、トトスには聞き覚えのない言葉だ。
「…私も何なのかはよくわからないけど…でも、もしかしたら―――」
少女がそこまで言いかけた時だった。
「―――!?」
急に―――このあたりを覆っていた膨大な魔力が、まるで嘘のように消え去った。
「なんじゃ…急に静まりかえったのぅ」
「いや…」
―――否。
消え去ったのではない。
まるごとその魔力が――あの《漆黒の棺》に吸い込まれたのだ。
「――――」
この場には一瞬の静寂が訪れた。
静まり返ったこの空間で、トトスは額に汗を浮かべながら思考する。
―――どうする? 突貫するか?
もしかしたら――ザンジバルとあの赤ローブの少年さえ倒せば、まだ間に合うかもしれない。
ザンジバルは将軍ではあるが――1兵士…剣士としてはトトスのほうが優れる。
赤ローブの少年は不気味だが…魔法士であるなら、魔剣士であるトトスに有利が付くだろう。
この場の制圧は――決して不可能ではない。
――よし…!
そう判断し―――トトスが剣を抜こうとした、その時。
―――ギィィィ……
漆黒の棺。
その蓋が…不気味な音を立てて中身をのぞかせた。
「――――ッ! 何だ…!?」
その中の―――ゾッとするような気配に、思わずトトスの身体は硬直する。
―――この距離で…この圧…いったい…。
トトス達3人に位置は、ザンジバルよりも後方――頂上の入り口付近だ。
それなりに距離は空いているのに…飛んでくるプレッシャー。
目を離せないその《棺》の隙間から出てくるのは―――。
「―――腕?」
細い…腕。
干からびたような…腕だ―――。
人の腕ではあるが…。
「――――?」
正面に立つザンジバルも…流石にプレッシャーに呑まれたのか…緊張した面持ちだ。
彼とて――こんな状態は初めて経験することだ。
少ない情報から、棺を開くところまでは漕ぎつけたものの――その後何がどうなるかまで、完全に把握しているわけではない。
「……」
ゴクリと唾を飲み込み、恐怖と期待の一心で、ザンジバルは前へ進んだ。
慎重に棺に近づき…その中を除き込もうとして―――。
――ビュッ‼
「――――!?」
眉をひそめながらその光景を見ていたトトスは思わず―――目を疑った。
―――吸い込まれた…?
一瞬の出来事だ。
凝視していたのに、よくわからなかった。
まるで―――《棺》が…いや、棺の中から現れた《腕》がザンジバルの身体を吸い込むように、その中へ取り込んだのだ。
そして、
「―――! ぬ―――何だ? 何を…ぐ―――ぎゃぁぁあぁあぁああぁぁあああ―――――」
悲鳴―――。
間違いなくザンジバルの悲鳴だ。
まるで、何かに襲われたような…恐ろしい猛獣に喰らわれたような…そんな―――悲鳴。
「――――」
わからない。
動くべきだったのかもしれない。
しかし、そんな断末魔のような悲鳴に…トトスは足がすくんで動けなかった。
隣を見ると、あの豪胆な少女も…足をがくがくと震わせている。
ピュートン老は、尻もちをつき――絶望したような顔をしている。
唯一この空間で――まるで人の反応を楽しむかのようにニヤニヤ笑うのは、紅いローブを着た…異質な少年だけだ。
そして―――。
――バンッ!
叩くような音と共に―――漆黒の棺の蓋が…宙を舞った。
中から見えるのは――「腕」。
それは先ほどまでの干からびた腕ではなく―――肉付きの良い、筋肉質の男の腕…。
その腕は――ゆっくりと…確かめるように棺の縁を掴み―――。
ソレは身体を起こした。
「――――‼」
ソレを見たとき…トトスは雷に打たれたかのような衝撃が走った。
―――嘘だ…。だって…アレは…。
信じられない物を見たとでもいうような…そんな…。
服装は―――先ほどまでのザンジバルの物と同じだ。
白いローブは失くなっていたが、下に着ていたであろう、王国軍務卿の――黒に金刺繍の制服はトトスも見慣れたものだ。
大柄な体格は概ねザンジバルと同じだろう。
だが、その服の隙間から見える肉質はまるで違う。
壮年に入りかけてきた男の物ではない――若く逞しい筋肉。
それに何より――その「顔」は…まるでザンジバルとは違っていた。
その「顔」を―――トトスは見たことがある。
―――そんな…まさか…。
「―――やぁ…700年ぶりだね」
「……リードか」
首をコキリと鳴らしながら―――ソレ…その男は赤ローブの少年に答える。
彼が首を振るたびに――その赤銅色の長髪がゆさりと揺れる。
少し濃いめの鼻筋に、どこか達観したような――細い銀色の三白眼が、うっすらと光を灯す。
「―――あ…貴方は…」
トトスは声が掠れて出なかった。
その存在感に。
その圧倒的なまでの実力差に。
―――だって…あの人は…。
何度もその姿を、トトスは見かけた事がある。
あるときは、王城の中庭だ。
トトスがよく剣の修練をしている中庭には――彼の彫刻が建っている。
王城の中庭だけではない。
王国の都市はどこも中央広場に彼の彫刻を置くことを義務付けられている。
あるときは、学校の教科書だ。
王国民の歴史の教科書の表紙は――精巧に描かれた彼の肖像画だ。
この王国で育った全国民は、彼の顔と名を知っている。
《棺》に眠る『神の力』―――。
世界を絶望へ誘うという力。
こんなことならば、見た事のないような巨大なドラゴンや悪魔――超常の化け物の方がよっぽどマシだっただろう。
王国民であるトトスにとっては、そんな化け物など屁でもないと思われるほどの…それほど――絶望的な相手。
そう、その男の名は…
「―――初代国王…『獅子王』セントライト―――」
「―――ほう」
トトスが呟いた声に――棺から出てきた男は反応をした。
その銀色の鋭い瞳がこちらに向いただけで―――全てにおいて敵わないことを…生物としての格が違うことを…わからされる。
今までトトスが常識だと思っていた物は、この男には何も通じないということを、その眼光だけで察した。
「如何にも…」
そう言いながら男は―――身体の動きを確かめるかのように―――ゆっくりと立ち上がった。
「我が名は『セントライト・マグヌス・ユースティティア』。唯一にして無二にたる世界の王……いや――」
一呼吸おいて、目を見開き―――口元を歪めながら、彼は言い放つ。
「―――神だ…」
『龍眼の湖』―――。
かつて英雄が眠ったというこの地にて――『獅子王』セントライトは700年の眠りから目覚めた。




